海外からやってきた
生い立ちから現在に至るまで、美咲は自分のことを包み隠さずビアンカに話した。
ドイツ人は相槌を打たないと聞いたことがあるが、まさにその通りで、ビアンカは最後まで黙って耳を傾けてくれた。
すべて語り終えた頃には、もはや店が暖簾をしまいかける直前だった。
「そうだったの……あなたの美しさは内面の強さでもあるのね。私は、あなたの友達になりたいわ、美咲」
真っ直ぐに碧い瞳が見つめてくれる。
「ありがとう……嬉しい」
もう、友人と呼べる存在など現れないと思っていた。
けど、それは思いがけず、海外からやってきてくれた。
割り勘にするか否かで少し話し合った後、結局ビアンカが全面的に支払いを済ませて店を出た。
「ねぇ、甘いものは好き?」
ビアンカは運転席に座ると言った。「こないだ学生から聞いたんだけど、京橋川沿いに美味しいケーキ屋さんがあるそうなのよ。行ってみましょうよ」
車を走らせること約20分。コインパーキングに車を停めて歩き出すと、気のせいだろうか? 背後から人がつけてきているような気がした。
全面ガラス張りのお洒落な窓際席に案内されて、メニュー表を見ていると、
「ビアンカさん、ビアンカ・ハイゼンベルクさん?」
上から男性の声が聞こえた。
一目で刑事と分かる、眼つきの悪い男性二人組が傍に立っていた。
「……あなた方は?」
「廿日市南署の者です。少しお話を伺いたいのですが」
「じゃあどうぞ、同席なさって」
ビアンカは手を差し伸べ二人の刑事に向かいに座るよう勧めた。
刑事達は少し戸惑った顔をし、それに従った。
二人はそれぞれ、廿日市南署の中田、影山と名乗った。
「お聞きしたいのはアレックスさんのことです。あなたはアレックスさんと婚約なさっていたとか?」
「……親が勝手に決めたことですし、私は断りました」
ビアンカは先ほど美咲に言ったのと同じことを刑事達にも話した。
「ですが、アレックスさんはあなたを……」
「いい金ヅルだと考えていたんでしょう。彼の実家、お父様が事業に失敗して、一夜にして一文無しになったんですよね。彼は留学を名目に来日しましたけど、私が相手にしなかったものですから、今度は日本人女性を相手に詐欺を働くようになりました。何度かやめるように警告しましたけど、結局無駄でした」
ビアンカは注文したチョコレートケーキにフォークを刺し、腹立たしそうに刑事達に答えた。
「アレックスの悪い癖なら知っています。被害に遭った女性達から、話を聞いたこともあります。私もバカではありませんので、それでも彼が好きだとか、そういう感情は一切ありません」
ビアンカは刑事達を相手にしても臆することなく、はきはきとしゃべる。
美咲はただ驚いてその様子を見ていた。
「……他にお聞きになりたいことは?」
紅茶のカップを手に、ビアンカはどこか余裕のある微笑みを浮かべて言った。
「29日の午後9時から12時まで、どちらにいらっしゃいましたか?」
「アリバイですね。その時間なら、自宅にいました。もっとも一人暮らしなので、アリバイを証明してくれる人はいませんけど」
それからいくらか質問をした後、どうも、と中田と名乗った刑事の方は立ち上がりかけた。
しかし、
「あんた……寒河江美咲さんだろう?」と、影山と名乗った刑事の方は言った。
中田の方は先に行くぞ、と去って行った。
「え、ええ……そうですが」
切れ長の目をしたその男はニヤリと笑うと、
「残念だったね、あいつとのことは」
廿日市南署と言えば、かつて彼が勤務していた所轄だ。
あいつというのは恐らく駿河のことだろう。
「今は新しい彼女と仲良く頑張ってるよ。だから、この際あんたも奴のことはすっかり忘れて今の旦那と幸せになりな」
「……」
新しい彼女。その可能性を考えたことがない訳ではない。
だけど他人からその事実を聞かされると、激しく胸が痛む。
「それと、うちの署内じゃすっかり有名だぜ? あんた。結婚詐欺師だって」
駿河と婚約した時、彼は仲人を教育係であった先輩刑事に頼むと言っていた。
質素でいいから結婚式は執り行いたいと。
だから二人の事はきっと、同僚達は周知の事実だったはずだ。
やむを得ない事情があったとはいえ、何も言わずに突然に姿を消した自分が詐欺師だと言われても、彼が騙された気の毒な男だと言われても仕方のないことなのだ。
涙が出そうだった。
彼の事情など、少しも考えていなかった自分を美咲は恥じた。
愛する人にどれだけの苦痛を経験させたのか。
俯いた美咲の頭上で、パン、と何か弾ける音がした。
驚いて美咲が顔を上げると、刑事が頬を手で抑え、ビアンカがきつい眼で彼を睨んでいた。
「これぐらいで済んだことを感謝するのね。人を詐欺師呼ばわりして、それも事件とはまったく関係のないことでしょう? あなたそれでもプロなの? 暇な人間ほどロクなことしないっていうけど、よほど暇なの? それとも……!!」
感情が昂ぶってきたのか、ビアンカは段々とドイツ語と思われる、理解できない言語でまくしたて始めた。
刑事は舌打ちして逃げるように去って行く。
ビアンカはふん、と鼻を鳴らして座り直した。
「なんて言うんだったかしら? こういう時、日本語で……ああ、そう『一昨日来やがれ』だったかしらね」
腰に手を当て、長い金の髪をかきあげる。
「……今時の日本人だって知らないわよ、そんな言葉」
「私が日本語を覚える教科書にしたのが『男はつらいよ』だったのよね」
また随分古いレトロな教科書だ。美咲はおかしくなってつい、笑ってしまった。
「さ、気を取り直して食べましょう?私、もう一個食べちゃおうかな……」
ビアンカは店員を呼んだ。




