第十六話 麹町時也と青木真里菜 その2
開いた窓から入ってくる蝉の声だけが、廊下を沈黙から守ってくれる。
時也の顔色は明らかに悪かった。
「麹町くんに、そんな事情があったなんて……私全然知らなかった」
明るく、快活。人当たりも良く、女性にだらしないのが玉にキズ。それが私の知る麹町時也という人だった。
時也は暗い顔のままで、無理やりな笑顔を作る。
「普段、他人にこんな話したりしないからね。あんまり踏み込まれたいことでもないしさ」
途端、胸に妙なざわめきが広がった。意識して掬い取れない違和感が、脳内で渦巻く。
「でも、真里菜ちゃんには……なんでだろう、話したかったんだよね。どうしてなのか、自分にもよく分からないけど」
また、だ。波紋が胸に広がる。
「私を信用して話してくれた、ってこと?」
「う~ん。そうかな? ……そうなのかも」
迷いながらではあったものの、時也はそう言った。
立場で言えば友達。けれど、私は時也にとっての特別になれたんだ。
「ありがとう。話してくれて」
落ち込む時也には申し訳ないけど、弱みを見せてくれたことで、親近感が湧いた。
いつも助けてもらってばかりで、私から何も与えてあげることができなかったから、こうやって頼られたことで対等になれた気がしたのだ。
ふと時也が泣きそうに顔を歪めた。
「良かった、受け入れてもらえて。拒絶されたらどうしようかと思った。……変だな、真里菜ちゃんにかっこ悪いとこなんて見られたくないって思うのに、全部知って欲しいとも思っちゃうんだ」
「拒絶なんてするはずない! だって、私たち友達でしょ?」
「友達……。そっか、オレたちは友達だったね」
「麹町くん? ……きゃっ!」
突然肩を押されて、そのまま壁と時也に挟まれる。時也との尋常じゃない近さに動揺して身をよじるけど、足の間に膝を入れられて思うように動けない。
「友達、やめよう?」
「え……」
時也の言葉は私の心をえぐった。半分くらい欠けてしまったんじゃないかと言うほど強烈な痛みが私を襲う。
直前まで認めてくれていたのに、どうして。
やだ、やめたくない。
「私は、時也の友達でいたいよ。どうしてそんな酷いこと言うの……?」
「好きだから」
聞き間違いかと思った。
「好きなんだ、真里菜ちゃんのこと」
もう一度。はっきりと名前まで入れて告げられれば、間違いじゃないと分かる。
すごく近い。前髪が当たりそうな距離で、時也はさらに続けた。
「彼女になってほしい」
「……わ、私にっ!?」
声が裏返った。
「そう。真里菜ちゃんに。他の誰かじゃなくて、真里菜ちゃんが良いんだ」
時也の瞳が、まっすぐ私を見つめる。
夢みたいにふわふわと意識が浮いていた。けれど脚に触れてる時也の体温が、現実なんだと主張する。
「私……私」
「オレは真里菜ちゃんが好きだけど……真里菜ちゃんはオレが好きじゃない……?」
後半声が震えている。言いたくないのに言ったのが伝わってくる言葉に、私は必死で首を横に振った。
「好き! 好きだよ、麹町くん!」
ついに言ってしまった。
私が時也を好きなのは事実。けど、この気持ちを伝えても良いかが分からないでいた。
いくら私が本当に時也を好きでも……ううん、好きだからこそ、ハッピーエンドルート確定である時也に伝えることが躊躇われた。
自分の人生のために時也と付き合いたいのか。好きだから付き合いたいのか。割合の差はあれど、どちらも私の心に存在する気持ちだ。
好きだと告白して、結果として付き合った場合、私の本心が迷子になりそうだった。
好き、なはず。
恋をして、たはず。
――本当に?
だって時也は唯一のハッピーエンドルートだよ。都合良く時也に恋をするもの?
望やあげはの方がもっと前から近くにいたのに、好きにならなかったよね?
――本当はハッピーエンドに辿り着きたくて、時也を好きになったんじゃないの?
ずっと頭の中で、嘲笑と共に言われ続けた言葉。私はずっと自分の気持ちを疑ってた。
でもそんな迷いは時也が吹き飛ばしてくれた。
頭よりも身体の方が素直だったらしい。ドキドキと高鳴る胸や、考えるよりも先に飛び出した言葉が、恋の証。
「私、麹町くんのことが好き。……麹町くんの彼女にしてください」
「……ったあぁぁぁぁぁ!」
時也は両手でガッツポーズを作りながら、笑みをこぼした。
私も、幸せそうな時也を見て、胸がじわりと熱くなる。
こうして、私と時也の関係は友達から恋人へと発展したのだった。
――――<麹町時也の調教ルート>に入りました――――




