ただいま会議中
“このネタ、温めますか?”という短編集においていた作品です。
ジャンル変更にともない、短編として投稿することにしました。
この物語は、後書きにある裏話が最も重要です。←オイ
女だてらにオルブライト公爵家の当主を務め、若くして帝国議会の議席を手に入れた切れ者。
前皇帝時代に国の重鎮であった、未だ衰えぬ権勢を誇る祖父を持ち、いかなる手段でか、長年の政敵であったはずのエンブリー公爵家すら丸めこんだ――通称“議会の魔女”。
それが、ガートルード・オルブライトであった。
「――以上のことから、この案は却下とさせていただきます」
会議は彼女の思い通りに進む。
稀に反論が出ることもあるが、すぐに叩き潰されて終わりだ。下手をすれば、自身の政治生命すら終わらせられるかもしれないため、誰も彼女には逆らわない。
「では、次の議題に移ります」
次の議題はガートルードが最も力を入れて取り組んだものだ。
議題は“皇帝陛下の正妃問題”。慎重に皇帝の正妃となる相手を選ばねば、帝国内だけでなく、近隣諸国の勢力図も大きく変わってしまう。
軍事や交易の関係から、今、他国の姫を迎えるのは得策ではない。会議が始まる前から、帝国議会は満場一致で“国内の有力貴族との婚姻”を推していた。
「陛下のご正妃について、です。ご存じの通り、我らが皇帝陛下には未だご正妃がいらっしゃいません。お世継ぎのこともあり、早急にご正妃となられる方を選出すべきだと……」
突然、ガートルードの言葉を遮るように一人の青年が立ち上がる。驚いた顔で己を見上げる国の重鎮達の視線を堂々と受け止め、おもむろに青年は口を開いた。
次の言葉を聞いた瞬間、青年の突然の行動にも表情を崩さなかったガートルードが一瞬だけ表情を変える。
「俺はステラを正妃に迎える!」
―――そう高らかに宣言した皇帝に、ガートルードは血管がブチっと音を立てて切れるのを感じた。
◇◇◇
会議は始まる前から結果が決まっているものだ。
全ての会議がそうだとは言わないが、少なくともガートルードの知るバルターク帝国定例会議とはそういうものだった……はずなのだが。
「俺の妃はステラ以外に考えられない」
決まりかけていた会議の流れを断ち切るように、まるで空気の読めていない発言をした若き皇帝スタニスラフ・イゴル・バルタークを見て、ガートルードは漏れそうになる溜め息を押し殺した。
……このKY皇帝がっ!!
皇帝や他の重心の手前、神妙な顔を保っていたものの、ガートルードの心中は皇帝への罵詈雑言で溢れかえっている。
そんな彼女の胸中を知ってか知らずか、皇帝は唖然とする周囲に目を向けることなく、もう話は終わったとばかりに腰を下ろした。
「へ、陛下、ステラ様とは一体……どこのご令嬢なのでしょうか?」
しんと静まり返った会議室に、まだ年若い貴族のその問い掛けが大きく響く。彼の周りの議員達も同じ疑問を抱いていたのか、深く頷いていた。今が会議中でなければ、“よく言った!”とばかりに拍手していそうだ。
「ステラは……」
「ステラという女性は貴族ではありません」
なぜか得意げな顔をして“ステラ”について語ろうとしていた皇帝の言葉を遮り、ガートルードがぴしゃりと言い放つ。
「………………」
瞬間、会議室の空気が凍った。
ある者はガートルードの怒りに顔を青ざめさせ、またある者は内心で悲鳴を上げ……彼女の隣に座る者など失神寸前である。
“皇帝陛下の御言葉を遮る”……常ならば、彼女はこんな不敬な真似はしない。しかし、いつものポーカーフェイスを保ったまま、ガートルードは怒り狂っていた。
常に、内心を悟らせない柔らかな微笑を浮かべているガートルードだが、彼女が怒ったとき、その笑みは――他の議員曰く――“氷の微笑”へと変わる。表情こそ変わらないものの、彼女の纏う気が極寒の地の冬の如く寒々しいものへと変化するのだ。
そんな凍りつく周囲やムッと眉を顰めた皇帝に構うことなく、ガートルードは言葉を続ける。
「確か、城下のパン屋の娘だったかと」
「……なっ、平民!?」
「そんな……っ」
ガートルードが落とした情報に周りがざわめいた。皇帝は彼女の発言が気に食わないのか、射殺しそうな目で睨みつけている。
ガートルードは周囲の視線を悠然と受け止め、“そうでしたわよね、陛下?”と皇帝に微笑みかけてみせた。
そして、外面とは裏腹に、心の中で皇帝を嘲笑する。
平民の恋人を正妃にとか…………馬鹿じゃないの?
ガートルードとて皇帝に恋人がいることくらい知っている。それが家名を持たぬ平民で、皇帝の正妃どころか側室になることすら難しい――というか、ほぼ不可能――身だということも。
皇帝は気付いていないだろうが、彼の周りには常にガートルードの手の者が付いているのだ。
だからガートルードは、皇帝が金銭を持たずにお忍びと称して城下に降りたことも、そこで空腹に陥った皇帝にパン屋の娘がパンを恵んだことも、それ以来皇帝が足繁くそのパン屋へ通っていることも――全て知っている。
私に何も言ってこないから、てっきり遊びなんだと思っていたわ。……はぁ、迂闊だった。
迂闊だったというより、皇帝がガートルードの予想を上回る愚か者だったということなのだが。
今回の会議で決まるはずだった皇帝の正妃はガートルードの妹であるユーフェミアだ。血筋も教養も容姿も申し分ない、むしろ、KY皇帝に渡すのは惜しいくらいの逸材である。
会議に初めて出席する訳でもあるまいし、根回しくらいしなさいよね。事前に言ってたら、側室くらいにはしてあげたのに。
ユーフェミアとの関係からステラをオルブライト公爵家の養子にすることはできないが、他の貴族の養子にさせて側室として迎えることくらい、ガートルードには造作もない。子爵家くらいなら、平民ではなく元から貴族だったと戸籍を捏造することもできた。
「陛下のご正妃に平民は……」
ガートルードの父親ほどの年齢の議員は皇帝を気遣っているのか、言い辛そうに言葉を濁す。
彼は皇帝を息子のように可愛がっている男だ。仮にも皇帝の恋人をハッキリ否定したくないのだろう。
「………………」
自分も慕っている議員に言われたからか、皇帝は黙ったままだ。腕を組み押し黙る様子は、何か思案しているようにも見えた。
「陛下、とりあえず、その方は側室に迎えるということでどうでしょうか?」
「陛下に恋人がいらっしゃるとは思いませんでした」
「正妃に、というのは難しいでしょうが側室なら……」
年嵩の議員達が皇帝を宥めるように口々に言う。
……まったく、誰も彼も皇帝に甘いんだから。
皇帝は御年22歳。政治家としては尻の殻も取れない程のヒヨッコだが、子ども扱いするような歳ではない。それに、他の議員達との歳の差を考えると、皇帝とガートルードではそんなに歳が離れていない。
「平民では側室も難しいと思いますけれど」
ガートルードは口調だけはやんわりとそう言った。
相変わらず冷気を背負っているせいか、他の、特に彼女の近くの議員達の顔色が悪い。
特に周囲に配慮することもなく、ガートルードは皇帝が口を開こうとするタイミングを見計らって、言葉を続ける。
「陛下、議会が推す正妃候補を申し上げますわ。オルブライト公爵家の末で私の妹である、ユーフェ……」
「俺はっ、ステラ以外の女を娶る気などないっ!!!」
再び勢いよく立ち上がり、語気荒く言い立てる皇帝。
そのときガートルードの周りにいたものは、ブチリと何かが切れる音を聞いた。
「では……なぜ何もしなかったのですか?」
「?…………何がだ」
静かに尋ねたガートルードに、皇帝は怪訝そうな顔を向ける。ガートルードの言葉の意味を測りかねたらしく、まだ少々語気が荒いものの、彼女に向けられた瞳には困惑の色が見えた。
自分に訝しげな視線を向ける皇帝に、ガートルードはふっと吐息で微笑む。その笑みはこの場の雰囲気に不似合いなほど柔らかで優しいものだったが、それに嘲笑が含まれていると気付いた者は、一体この会議室に何人いるのだろうか。
「会議とは、始める前から結果が決まっているものです。既に会議が開始されている時点で、今回話し合われる議題の結論が出ているも同然。結論が先送りにされるものですら、それをほとんどの議員が了承しているのです。……そして、これら全ては滞りなく会議を進めるためのもの」
ガートルードは歌い上げるように淀みなく会議の本質を説く。
彼女は滞りなく進む会議が好きだ。だが、彼女がこの世で最も嫌うのは会議の進行を妨げる愚か者ではない。
「お聞きしますが――英明なる我らが皇帝陛下は、この会議の前に何をされたのですか?」
ガートルードが蛇蝎の如く嫌うのは、何の根回しもせず、声高に自分の主張を叫ぶ浅慮な君主である。
◇◇◇
重い沈黙に包まれた室内に、会議の予定終了時間を知らせる鐘が鳴り響いた。しかし、席を立つ者はない。
そんな中、一人どこ吹く風という態度――少なくとも表面上は――のガートルードが軽く手元の資料を整え、腰を上げた。
そして、皇帝を含む、未だ固まったままの会議室の面々ににっこりと笑いかけて一言。
「これで、本会議は終了とさせていただきます」
有無を言わせぬ口調で告げる。
―――反対の声は、上がらなかった。
《簡易人物紹介》
主人公:ガートルード・オルブライト
28歳。数少ない女性議員の一人であり、若くして議席を手に入れた切れ者。
祖父は前皇帝時代の国の重鎮でオルブライト公爵家の出身。未だその発言力に衰えはない。現在、己の地盤を孫娘に譲り渡している途中。
ガートルードは公爵家の当主でもあるが、領地経営は父親と妹達に任せている。
可愛い妹:ユーフェミア・オルブライト
16歳。ガートルードの一番下の妹で皇帝の婚約者。
頭痛の種:ステラ
皇帝の恋人。平民でパン屋の娘。
お忍び中の皇帝(金無し)に餌付けして惚れられる。
無能:スタニスラフ・イゴル・バルターク
泣く子も黙る皇帝陛下。非常にKY。
つい最近まで財布を持ち歩く習慣がなかった。
《どうでもいい裏話》
実は、ガートルードは既婚者。
夫は彼女より一つ年下。オルブライト公爵家と対をなすと言われる名門・エンブリー公爵家の次男で近衛騎士隊の副隊長。←世間に、エンブリー公爵家が丸めこまれたと思われている理由。
オルブライト公爵家には娘しか生まれなかったため、養子をとる話も出たが、優秀さを見せつけ、ガートルードが跡を継ぐことに。5人姉妹の長女。
若くして、しかも女の身で議席を手に入れるために、手っ取り早く政略結婚した。
ガートルードは愛のない政略結婚だと思っているが、夫は彼女への愛で溢れている。彼女が18歳のときに結婚したので、10年近く想いが伝わっていないことに……。ちなみに、夫は学生時代(同じ学校の後輩だった)からの片想い。
条件付きで結婚したので、一応、子どもはいる。一人息子(6歳)は父親に同情的。両親のことは尊敬しているが、何だか残念な人達だとも思っている。特に父親。
この話の後の展開としては、意外と面倒見が良い(懐に入れた相手には甘い。ちなみに、夫は未だ妻の懐に入れてもらえていない)ガートルードがステラを気に入ったり、お馬鹿すぎる皇帝に愛着が湧いたりして、結局ステラが正妃となる。皇帝は何も頑張っていない。頑張ったのはガートルード。