Overture-The sky of the air pirate(序章-空賊の空)
かつて、この世界の上空にはたくさんのプロペラ機が飛んでいた。魔力を持つ者も持たぬ者も、エンジンを駆り、自由に飛び回り、世界を旅した。
空に浮かぶ島々を結べるのはそのプロペラ機だけだった。
しかし、空から行われた王都の魔法襲撃をきっかけに、世界全土に異常天候をもたらした。
そのため全ての人間の空への渡航が禁じられ、小さな島の人間はその小さな世界でしか生きることを許されなかった。
それでも人々は、魔法使いたちは情報を求め、食を求め、何より空を求めた。
かつて行き来した青い、蒼い空。
今、その空に飛び立つことを許されたのは、政府公認の国家貿易飛行船。
そして、最難関職といわれる、国家公務員、国際郵便屋の人間だけとなった。
夕日の元、空を飛ぶのは一機の青いプロペラ機。
機体には、国際郵便屋のトレードマークである、手紙をくわえた鷲が白く描かれている。操縦席には、小柄な青年が乗り込んで、震える手で操縦桿を握る。青年の握る操縦桿のすぐ左横に、淡い光を放つ小さな石が埋め込んである。
昔のようなエンジン駆動の重く、鈍足なプロペラ機はこの世の中を去り、スピードを追求した魔導式のプロペラ機が生まれたのだ。体内の魔力に比例してスピードがあがる。魔力が高ければ高いほどスピードは出続ける。
風防が開け放たれたプロペラ機には容赦なく風がびゅうびゅうと吹き込んでくる。その風に弄ばれるかのように、同じく国際郵便屋の象徴である、赤いマフラーがなびく。その赤いマフラーにも鷲の刺繍が施されている。着ている白藍色の飛行服の胸元にも、やはり同じようにマークが入れられている。
日が暮れるにつれて、一段と冷たさを増す風は操縦士の気力をがぶりがぶりと食っていく。
外気の侵入は、魔法である程度防いではいるものの、魔力の残量が少ないので、それに全力を注ぐわけにはいかない。
震えながら思わず口元をマフラーに埋めた。
しかし、風防をまだ閉めるわけにはいかなかった。
太陽は魔法の大群である、黒い雲の中へと消えていき、空は夜の姿に変わろうとしている。雲で覆われてしまった世界で、中央大陸を除く大陸で夕焼け空を見られるのは、唯一空を飛ぶことを許された飛行士と貨物飛行士だけだ。
青年は、この時間が大好きだった。カンカン照りだった太陽が弱い面を見せるこの時間帯は、一日空にいた疲れを飛ばす。
疲れは多少吹き飛ぶものの、寒さはそう簡単には飛んでいかない。
操縦士は革手袋をはめた手をこすり合わせながら、ゆっくりと息を吐いた。
息を吐き終わるとまた、赤いマフラーへ口元を埋める。息で湿ったマフラーは冷たく、体温を奪い始める。
「ふぅ・・・」
大きく息を吐くと操縦桿から片手を話すと、足元に手を伸ばす。足元の小さなくぼみに押し込んだ、ピンクの可愛らしい水筒を取り出した。
青年は足で器用に水筒を挟み込むと、そのまま蓋を外した。
ふわりと中から湯気が立ち上がる。していたゴーグルは一瞬にして曇るが、湯気の暖かさに顔がゆるみ思わず笑みがこぼれた。
口をつけようと、腕を動かした瞬間。
「いっただきぃー!」
背後から声がした。
刹那、飛行機全体を暗闇が包んだ。
その声と影に振り向くと同時に、手から水筒がさらわれた。
飛行機と接触寸前の場所を大きな何かが横切った。
直後、強風に機体が揺れた。
風に煽られ、機体のバランスは一気に崩れ、同時に操縦桿から手が離れる。
驚いたせいで、無意識に魔力供給が下がり、がくりと高度が下がる。その瞬間、途端に体がこわばった。
青年は慌てて操縦桿の隣の石、魔石に手を当てると、飛行機のエンジンに送る魔力を増やし、高度を戻す。
飛行機のエンジンとともにプロペラも同時にいなないた。
高度も、魔力も落ち着いたところで空を見つめると、冷たい風を浴びる以上に全身を寒気が襲った。突然、手袋をしている手にもじわりと、汗がにじむ。
身体中から、嫌な汗が吹き出る。
青年は目に映る不思議な出来事に目を奪われるも、操縦桿をぎゅっと握りなおした。
先ほど、猛スピードで飛行機の真上を飛んでいったもの。
今は目の前で、あのスピードが嘘かのように、優雅に飛んでいた。
お世辞にも飛行機とは呼べない。
プロペラ機三機ほどの体格の生物
角張った鱗。口からはみ出んばかりの鋭く長い牙が二本。この世の全てをも聞き取れそうな大きく尖った耳。目は水晶のように輝いているが、身体には全く見合ってない大きさであった。申し訳程度に身体についた腕には、太くアンバランスな爪が生えている。逆にがっちりとした足には、細い爪が姿を見せている。
ふわりと舞う馬のような鬣は、月の光で金色に輝き、ライオンのようなしっぽがゆらりゆらりと揺れている。そして、大気をかく翼は鳥のような大きな羽だ。
翼竜と呼ばれる太古に絶滅したとする、最大の生き物である。
その翼竜は金色を先頭に、藍鼠色、蘇芳色が並んで飛んでいる。
絶滅したはず三頭の翼竜が、渡航を禁じられた空を優雅に飛んでいるのだ。
翼竜の羽が動くたび、機体が風に揺られ大きく揺れる。
風に煽がれ、言うことを聞かない機体を青年は必死でコントロールする。
「おい、エルド。あいつ、国際郵便屋だぞ」
藍鼠色の翼竜に乗った、青年は翼竜と同じような色の短髪に、青い腰巻を揺らす。真っ白なファーをあしらった同じく白い半そでの飛行服に身を包んでいる。
上空の風にさらされて寒くないのか、と真っ先に思ってしまうくらい露出度の高い飛行服であった。
青年オレンジの瞳はものすごく目つきが悪い。眉間には何本も皴が寄っている。
そんな青年が先頭へと声を飛ばしたのだ。
操縦士の足は震えた。
寒さで震えたわけではないはずだ。恐怖。または好奇心からの震えだろう。
「だから何だよ、ディアド!っちぃ。これ酒じゃないのかよ!」
金色の翼竜にまたがる、ひょろりとした金髪に金の瞳の男が舌打ちをした。彼が覗き込んだ操縦士の水筒には、エルドのお目当てのものは入っていなかったようだ。
エルドもディアドと同じような型の赤い飛行服に、茶色の腰巻が風に揺られている。風は腰巻だけでなく、その下に巻かれたホルスターから振動で金属の当たる音がする。そこには装飾が目いっぱいされた拳銃が何丁も収まっている。
「酒じゃないならいるかよ!こんなもの!俺は酒が飲みたいんだよ!」
エルドは何度も何度も舌打ちを繰り返す。
「あー、むしゃくしゃする!」
エルドはやりどころのない怒りを、彼が乗っている翼竜の背を何度も叩く。
操縦士は、手の汗が気持ち悪くて、手袋を外した。外のひんやりとした空気が操縦士の心を軽くした。
エルドは何度も水筒の中身がお酒ではないことを確認しては、大きなため息をついた。
「そもそも飛行士が空で酒飲むわけがないだろ・・・。国家公務員が大切な空で法を犯してどうするんだよ~」
新たに、のっぺりとした声が聞こえる。それは聞いているだけで眠気を誘われてしまうような声だった。
声のした、後ろの方向をちらりと見てみると、やはり前の二人と同じ型の黒い飛行服に、目立つような朱色の腰巻を巻いている。灰髪に褐色肌の男だった。生まれた大陸が違うのだろうか?エルドやディアドとは根本的に人種が違うのか、世界を見ている操縦士にもどこの生まれの人間なのか分からない。
「だな。バールの言う通りだ」
うんうんとディアドがうなずく。
エルドは、二人の言葉を聞いて、怒り任せに自分の針金のような金髪をかいた。むすっとしていた顔は徐々に豹変し始める。
エルドの怒りは限界に達したのだろう。持っていた水筒を思い切り翼竜に叩きつけた。
振動でとぷん、と暖かいスープが飛び跳ねた。
グォォォォォォオオォォォ!
翼竜は熱かったのか、はたまた驚いたのか、金色の翼竜は声をあげた。その声は、今この空にいる全ての物体を震わせた。
操縦桿を離してでも耳をふさぎたくなるくらいの声量であった。
「こんなものいるかよ!」
エルドは、もう一度持っている水筒を高く振り上げた。
「おいおい、勿体ないことするなよ?」
この二人は付き合いが長いのか、エルドが次どんな行動をとるのか、ディアドは悟ったようだ。声は笑っているようなのに、眉間から皴が消えることはない。
「やるよ、んじゃあ」
エルドはフタが開け放たれた水筒を、後ろを見ることなく、ひょいと投げた。
「って、おい!バカ!」
ディアドは、翼竜の腹を蹴り速度を速め、慌てて手綱を離し、手を伸ばした。
ふたの閉まっていない水筒の中身は、重力に逆らえることなく、当然ぶちまけられてた。水筒もディアドの手に収まる前に遥か彼方へ消えてしまった。
「やっぱり、こんなちっぽけな郵便屋相手にするより、やっぱ俺らの相手は貨物船だ」
エルドは長靴で翼竜の腹を思い切り、蹴りつけるとぐっと速度をあげた。
ずっと併走を続けていた翼竜は、すぐに小さくなる。それに続いて後ろの翼竜たちも速度を上げた。
「ったく、なんで国家公務員なんて狙ったんだ・・・。アホかエルドは・・・」
呆れたようにがっくりとディアドは肩を落とした。
鼻からのため息が止まらない。
「国家公務員相手に事件を起こせば、また空賊が名を馳せる日が来るんだよ。有名になるチャンスだ。空は俺らのものだ。この空を奪った世界はいらねぇ。空の覇者はいつでも、俺らノアだ!」
エルドは、おもむろに腰のホルスターへと手を伸ばすと、一丁銃を取り出す。綺麗な装飾のされたブルーの銃だ。その銃を空高く上げると、乾いた銃声が轟き、ちょうど真上を飛んでいた貨物船へ直撃する。
回るプロペラが破壊され、徐々にその貿易船は高度を下げていく。
「まぁ、今のことは忘れてさっき飲めなかった酒でも飲みに行こうぜ!」
黒煙を上げる貨物船からはだんだんと悲鳴が上がり始めた。
エルドは銃をホルスターに収めると頭をかいた。
どうやらそれは彼の癖のようだ。
「へいへい」
少しめんどくさそうにディアドは返事するものの、オレンジの瞳はキラキラと輝いていた。
その翼竜が見えなくなった頃、ようやく操縦士は我に返った。
未だ足の震えは止まらない。
操縦士は足をパンパン叩きながら自分自身を現実に戻ろうとした。
「何だったんだ・・・」
ぽかん、と開いた口はふさがらない。じっと翼竜たちが消えた一点の空を見つめた。
綺麗な夜空には、先ほどの喧騒が嘘だったかのように静かであった。