往来 その壱
この物語は自己満足で形成されています。
話の行く末は、決してあなたの望むものではないかもしれません。
はたまた、あなたの望む閉幕が訪れるかもしれません。
その事を深く理解していただいた上で、この物語を読むというのならば、
拙い物語ではありますが、どうぞご堪能いただければと思います。
【報告:多歪所ヘ】
『からんころん』と、雨に濡れた石畳を歩く下駄がけったいに鳴く。
「妖主さま、雨が上がったようで」
青年のそばを歩く、ずぶ濡れの少年は彼に言った。
青年、妖主は腰の帯にかけていた手ぬぐいを取ると、少年に向き合って頭をわしゃわしゃと手ぬぐいで掻き乱した。
「すまんな、傘よ。お天道様はいつも気まぐれで困ってしまう。お前の働きにはいつも感謝するばかりだ」
「……勿体無い言葉です」
善意とは言えど、少し手荒い心遣いに少し困りながら、少年、傘は妖主に言葉を返す。
しかし、自身を助けてくれたあの日から、こんなにも大きくなってしまった彼の手は、どことない安心感を与えてくれる。
その彼は優しい微笑みを浮かべ、傘の首に手ぬぐいをかけると、雨上がりの町をまた歩き出した。
「さぁ、行こうか」
しとしとと町を覆っていた雨音が空へ吸い込まれ、その事に気づいたらしい店は仕舞っていたのれんをかけて客引きを始める。
その声がまた別の店開きを誘い、さらにまた別の店開きを誘い、町はすぐさま活気あるいつもの風景へと戻っていく。
そんないつものような風景に溶け込む妖主を見据え、傘は短く『はい』と返事をした。
「ところで妖主さま、これからどちらへ?」
歩幅が合わず、小走り気味になりながら傘は妖主に問うた。
少し考えてから、妖主は困った顔になり『わからぬ』と手短に答えた。
「いつものように、散歩をしながら厄介事を探すだけだ。目的地は……特にないな、すまぬ」
「いいえ、何を謝られることがあるというのです。不躾な質問をした私めが悪いのです、申し訳ございません」
傘が深々と頭を下げると、妖主はもっと困った顔になって、傘の前にしゃがみこんだ。
「相変わらずお前は真面目だな。もう少し砕けても構わんのだが……」
「妖主さまぁ~!」
言葉を続けようとした妖主を遮るように、幼い少女の声が彼の名を呼んだ。
声の主は白い毛並みの体に桃色の着物をまとい、二本足で歩くという、なんとも珍妙な猫である。
自身の元へ走ってきたその猫に、妖主は動じる様子も見せず、依然落ち着いた態度でその猫を抱き上げた。
「息など切らしてお前らしくもないな。また不良どもにちょっかいでも出したのか?」
「冗談を言っている場合じゃねぇっすよ! 大変っす! 娘っ子が! 娘っ子が!--------」
【報告:多歪所ヨリ多生庭へ】
……突然の豪雨に苛まれ、霞む摩天楼の中を、一人の女が雨傘も差さずに走り抜けていった。
『レイ、聞こえるか? アイツを追ってたんだが、そっちに逃げちまったみたいだ。頼めるか?』
「あなたと一緒だと思わないで。私が見逃すハズがないでしょ? 大人しく本部まで帰って、報告書でも書いてなさい」
その女、結城 玲は一方的に言葉を返すと、相手の返答を待つよりも早く、トランシーバーの回線を切った。
ふと立ち止まり、車一つ通らない交差点の中心に立つと、彼女は腰の刀に手を伸ばし、抜刀する。
「来る……!」
“それ”は突如姿を現した。
雨で見えなくなっていた数メートル先から、まるで瞬間移動でもしたかのように現れ、鋭い爪を振り下ろして彼女を狙う。
玲は左に跳び、これを回避すると、敵の懐に潜り込んで切り上げ、距離を取ってその姿を眼前に捉えた。
傷を負ったそれは、巨大な猿のような姿をしていた。
3メートルはあろうかというその巨体を茶色の毛が覆い、長く鋭い爪と牙からは雨が滴って落ちている。
傷は深くなかったようだが、真っ赤に染まった傷口から血が流れ、充血した二つの目は玲を睨みつけていた。
「相っ変わらず酷い姿ね、妖怪って。ま、同情するわけでも無いけど」
嘲るように玲は言い、再び刀を構える。
化物は地面が揺れたのかと錯覚させるほどに大きな雄叫びを上げると、鋭い牙で彼女に襲いかかった。
「はぁッ!」
玲は刀に神経を集中させ、目を見開くと同時に飛び上がり、化物の脳天へと刀を振り下ろす。
化物は自身に何が起こったのか、全く気づかなかっただろう。腕を振り上げ、攻撃の体制を取ったその時に、初めて自身に起こったことに気がついた。
タイムラグが起きたようにズルズルと頭が二つに裂け、傷口からはとめどなく血が溢れ出す。
巨体が雨に濡れる道路へと沈んだ化物に近づき、何度か目玉を刺して動かないことを確認した彼女は、トランシーバーを取り出して仲間の男に通信を繋いだ。
「終わったわ、あんな図体がでかいだけの敵に手こずるなんて、この仕事やめたほうがいいんじゃないの?」
玲は開口一番、仕事を共にした仲間に毒づく。
予期していなかった通信に相手の男は驚いたらしく、しばらくの間ドタバタと音を立ててから『もう終わったのか』と返した。
「当然よ、あなたたちのような無能とは違うの。私はこのまま帰るから、報告と後始末はそっちで頼むわ。じゃ」
トランシーバーを捨て、雨のあがらない街に軽いいらだちを覚えながら、玲は帰路につく。
ふとポケットの中で携帯端末が震えていることに気づき、彼女は取り出して画面を開いた。
どうやら電話が掛かって来ていたらしい。玲は応答のマークをタッチし、その連絡に応えた。
「はい、こちら、結城 玲の携帯ですが……」
携帯の向こうから聞こえてくる内容に、玲の表情がみるみる変わっていく。
そして話を聞き終えると、彼女は鬼気迫る形相で雨の街を走っていった。
「まさか……あの子が……?」
信じたくはない、その可能性について考えながら-----------
【報告:多生庭ヨリ多歪所ヘ】
いつも思うが、この人は変人だ。
猫又の日下は、足早に先を行く大きな背中を追いながらそう思った。
なんの利益も無いのに人助けばかりして、そのくせ見返りを要求しない。
力があるならばそんな事、絶対にしないのにと日下は心の中で呟いた。
「わわ! 助けてくださ~い!」
……娘の声が大きくなる。
少し遠くの方に視線をやれば、娘が複数の餓鬼に囲まれ、追い詰められている姿が分かった。
やせ細り、皮と骨だけしかない程に貧相な姿の餓鬼達は下品によだれを垂らし、奇声を発しながら娘に迫っていく。
「あわわ……。わたし、ピンチですよね? うぅ……わ、わたしにえっちなことするんでしょう!? えっちな本みたいに!」
娘は抱き上げられた腕の中でもがく子犬のように、必死に罵声を浴びせている(?)が、餓鬼は全く気にする様子もない。
「よ、妖主さまぁ……」
日下は前を行く男に声をかける。……しかし
「娘っ子、えっちなほん? とはなんだ」
「ひゃっ!?」
「妖主さま!?」
目の前にいたはずの彼は姿を消していた。
そしていつのまに移動したのか、餓鬼達が取り囲む輪の中に入り、娘の顔を覗き込んでいた。
「『えろっちなほん』などという言葉は聞いたことがない、文法から察するに、何か本の名前だと思うのだが、詳しく教えてはくれまいか?」
「え、えっと……えっ!?」
娘っ子は戸惑いを隠せずにたじろぐ。妖主は興味津々に娘の顔を見ているが、それを快く思わないのは餓鬼達だ。
餓鬼にとってはせっかく手に入った食料であるにも関わらず、それを今まさに奪われようとしているのだ、怒るのも無理はない。
誰が見てもわかるほどに、不機嫌そうな奇声をあげ、ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てている。
「煩いぞ、餓鬼ども。寺にでも駆け込んで、施餓鬼供養されたものでも食べていろ。この娘っ子は私が目を付けたものだ」
そういって、妖主は娘の肩を抱き寄せ、それが自分のものであると主張する。
傍若無人とも取れるその行動に、とうとう堪忍袋の緒が切れた餓鬼達は一斉に妖主へと飛びかかった。
「妖主さま!」
その状況をマズく思ったのか、走り出したたのは彼の付き添い人である傘だ。
餓鬼が重なり、妖主を覆っていく。言うなれば、餓鬼でできたドーム……といったところだろうか。
傘が足を止め、心配そうにその様子を見守る。しかし、その心配は無駄に終わったらしく、餓鬼の束はぼろぼろと崩れ始めていった。
「まったく、この私に喧嘩を吹っかけるからそうなるのだ。少しは反省しろ、でなければお前たちに救いは来ないぞ」
餓鬼の束から現れた妖主は、気だるそうにあくびをしながら餓鬼を見下ろす。
圧倒的な力の差を悟ったらしい餓鬼達は、どこへ行くでもなく、蜘蛛の子を散らすように去っていく。
その様子を呆然と見ていた娘だったが、やがて我に返り、妖主に頭を下げて礼を言った。
「ありがとうございます! 私、もう少しで死んじゃうところでした……」
妖主は笑い、ばんばんと娘の背中を叩く。
「ははは! 気にすることはない、あんなこと、日常茶飯事……ん?」
妖主は娘のとある一言に違和感を覚えたらしく、少し黙ってから口を開いた。
「死んでしまう……と言ったか? お前……まさか」
そこまで聞いて、日下も何が引っかかっていたのかに納得したようだ。
そう、ここ多歪所に居るはずのない存在が、今まさに、目の前にいるかも知れないのだから……。
「……人間か!?-------
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