No.201~No.300
201. 三度目は無い
『公園』のブランコで揺れながら、オーズィーに云う。
パパの秘密を見ちゃったの。
では、私の子になりますか。
鎖の音と優しい声。
首をぶんっと振った。
私はパパがいい。
パパで『最後』がいい。
なら、お帰んなさい。
隣のブランコが大きく揺れる。
オーズィーはもう居ない。
202. 愚者の盲信
大丈夫だ。
其の言葉だけが脳裏を廻る。
大丈夫。
何を云われても上手く遣り過せる。
嘗ての様に。
あれは護身用なのだし、君が触れては危険だから遠ざけただけだ。
唯其れだけで他の意味は無い。
決して。
反復する其れ等の言葉が全て、君が戻る事が前提だと気付き、愕然とした。
203. アイに気付く
家の前。
階段に座ってる人が顔を上げる。
私を見たパパは目を見開いて。
――どれだけ心配させるんだ!
空気が震える位大きな声で叫んで、私を捕まえた。
どなってごめん。
私を抱き締めて、擦れた声でパパは謝る。
顔を撫でた手は震えて冷たい。
ああ。
私も、あいされてた。
204. 塗り固めた笑顔
朝霧の中、浮き上がる人影。
衝動の儘叫べば、寒気に晒され続けた喉が軋んだ。
表情を失くした君をきつく抱き込んで、上がった息を宥める。
お腹は空いてないかい。
青白い顔を撫でて必死に語る。
滑稽だろうとも、震える口角を擡げて。
他に如何すれば良いか解らないんだ。
205. 君の其の、酷い雨の為に
口唇を噛む位なら、僕の手を噛めば良い。
拳で涙を拭う位なら、シャツなんて何枚でも駄目にしよう。
目も背け、耳を塞ぎ、口も閉ざす。
泣けない子供の泣き方は、僕も良く識っている。
だから。
紅い眦に宿る雫を指先で落す。
嘗ての自分が望んだ腕を君にあげよう。
206. ハルキゲニア
君が眠った其の後に。
クローゼットの底に釘を打ち付けた。
もう必要無い。
二度と戻らないのだから。
君の旋毛へと誓う様に呟き、常より温かな躯を抱き竦める。
――其れでも。
今も未だリュンコイスが、山猫の目が幻[み]ている気がした。
捨てる事の出来無い黒衣の影から。
207. カタリスト
玩具の拳銃を弄びつつ、猫は跳ねる。
無雑作に引かれた引き金。
銃口から溢れた光が橋下に踊る。
其れは、彼の親子の間で散った感情に似て。
異なる二種の焔が触れ合い、燃え立つ様は大層美しかった。
棄てられた物語の先を、作者は羨むだろうか。
焔の裏、基点の猫は北叟笑む。
208. たった一言、されど一言
アイちゃんが日溜りで寝倒けている灰色の毛玉を撫でている。
手首には見覚えのあるリボン。
滲む様な赤に頬を掻く。
其の、何だ、なぁ。
俺が云う先を遮る様に、繊い首が揺れた。
時々、ヲルトと遊ばせてね。
柔い声に、おう、とだけ答える。
其れしか云えなかった。
209. 個人価値
手渡された封筒は厭に厚かった。
部屋の隅でひそり、封を切る。
内を伺い見れば、先月よりも幾分か多かった。
思い当たる仕事は、無い。
扶養手当。
訊えば、何の衒いも無く、『大家』兼『社長』はそう言い切った。
娘じゃ何かと物入りだろうから、とも。
そう、此れが君の値段か。
200. 間接的話法
俺も、アイちゃんみたいな子供が欲しいな。
半ば酔ったノイが君の頭を撫で乍ら零す。
なら、さっさと抱いてやれ。
そんな言葉を飲み込んだのは、向こう側から届く視線の為では無い。
彼女の笑みなど別段気にはしない、が。
君の前だから、温和しく口を噤む。
橋渡しも、しない。
211. カラレス
色が無いと云う事は何色にも染まる。
多くの者はそう考えがちだ。
故に他色で染めたいと夢想する。
だが、実際は真逆。
何色にも染まらせない堅固さを有していた事に他ならない。
若し、其れが色を持ち始めたのならば。
其処には意図がある。
今日のユウは見慣れぬ橙色のシャツだ。
212. アイを知る人
恋ってどんなもの。
パパはきっと一杯知ってるんでしょ。
そう言ったら、そうだねってパパは新聞を見るのを止めた。
……醜い物、かな。
私を見る目が、きゅって細くなる。
形振り構わぬ、独り善がりの猿芝居。
だから、恋はもう良いよ。
僕は愛を育てる方が良いねって笑った。
213. フラテッロ
猫と鯨は兄弟なんです。
ご存知ですか、ってオーズィーが言うから首を傾げる。
猫と鯨じゃ、住む場所が違うわ。
私の言葉は、笑い声が消した。
赤の他人だって家族になるんですよ。
猫と鯨が兄弟だろうと良いでしょう。
黒猫が手を振ると、白い鯨は返事するみたいに宙返りした。
214. 出鱈目を歌う口
掃除の歌と夕食の歌。
雨の歌に太陽の歌。
君が即興で作る歌。
目に映る物。
耳に届く音。
触れた手触り。
舌を擽った味。
鼻先を掠めた香り。
五感を震わす全てを調べにして君は歌う。
巧くは無いけれど、何時だって幸せそうに僕へと歌って聞かせるのだ。
大好きだと繰り返し。
215. ヘルマフロディトス
ベッドに入って、お休みなさいの後。
パパが足の間に私の足を挟んで、暖めてくれる。
パパの温度と私の温度が雑じって、だんだん一つになってく。
でも、本当にパパと一つになんかなれないし、なりたくない。
でも。
時々、温かくて大きな一つの生き物になる夢を見る。
216. 吊られ男の哲学
世界とは、認識である。
見出した存在に対して名付けを行う事によって固定化し、個々の事象は此方側に実現する。
視認。
命名。
此の二つで世界は形作られる。
故に『見得ない』モノは『無い』のだ。
逆に『見得た』ならば『在る』のだ。
如何に荒唐無稽な事象であろうとも。
217. 悪魔と深く青い海の間に
『塵芥箱』に潜る度に思う。
モビィは一体何処から此奴等を飲み込んで来るんだ。
案外、海底のチェストからかもな。
ガスが真面目顔で御伽噺を持ち出す。
海底の箱に躯を丸めて収まるユウの姿を想像し、噴出し掛けた。
が、直に飲み込む。
肩に食い込む指が、痛い。
218. 或る男の追憶
『塵芥箱』の丁度裏側。
砂浜に規則正しい影が落ちている。
居並ぶ墓標の一つに、其処らの花を摘んで捧げた。
親交があった相手では無い。
寧ろ、面識など皆無だった。
青い山に林檎畑、綺麗な川が在る場所。
『帰りたい』
最期の声を思い返す。
還してやりたかったのだろうか。
219. レッテラ
郵便屋さん。
郵便屋さん。
手紙を届けて下さいな。
歌いながら、手紙を書く。
とっておきのレターセットにスミレのインク。
本当はね、郵便屋さんにお願いしなくてもいいの。
お手紙を出すより、話した方が早いんだもの。
でも、手紙なら言葉が残るから。
今日もパパに手紙を書く。
220. ムーサの子等
今日返すと云っただろう。
僕の言葉にレッシが顔を歪める。
差し出した掌に乗る金は、後少し遅れれば賭け事に消えていただろう。
ったく、何月何日何時何分何秒頁が何回捲られた時の話だ。
悔しげに響く、此の街特有の棄て台詞。
子供染みた事を云う位なら初めから借りるな。
221. カニングフォーク
悪いモノが来ないようにするおまじない。
バヴィさんはひよこ豆を量りながら教えてくれた。
そうさね。
数えられる物を置いておおき。
籠でも絨毯でも、豆でも良い。
悪魔も鬼も、吸血鬼だって数えずにはいられないから。
でも人間には効かないよ。
一等怖いけど、だって。
222. 慎ましやかな英雄譚
『広場』の大噴水。
優に大人五人分の高さがある其の頂辺。
誰にも見られずに攀じ登り、名を銘むのが一人前の証だと云う。
俺のもあるんだぜと得意気なレッシには阿呆と返した、が。
真夜中、寝台を静かに抜け出る。
せめて教会住いの少年が挑む前には銘んでおかねば。
223. ひちちかの揺動
世界には℃が溢れている。
気温は筆頭として、例えば。
毛布の温み。
海風の冷気。
吐息の微温み。
床面の肌寒さ。
――等々。
そして、唇の熱さ。
膚の火照り。
一つ一つ掌で拾い、確信を得る。
矢張り、何時もより高い。
君は元気に見せているけど熱がある。
大人しく寝ようか。
224. 極彩色の調べ
ガラスのドォムに黄色い小鳥。
細い足を畳んでるその子には目が無い。
生れ付き無かったのさ。
『市場』のおじさんは言う。
その代わり、誰よりもキレイな声で鳴いた物さ。
汚い物を何一つとして見なかったからね。
声が濁らなかった、って。
剥製の小鳥は、もう何も歌わない。
225. 地域限定配達人
ベランダからヲルトが来た。
ブルゥのリボンを得意そうに揺らして。
良く見たら紙が挟んである。
小さなお手紙。
えっと、レッシさんお休みだって。
パパはそうかって言った後、ヲルトが来た道を使って隣に行った。
きっと休めないね。
少しお酒臭いお手紙をゴミ箱に捨てた。
226. ヴィッティマ
あの小鳩は賢かった。
籠に閉じ込めずとも逃げず。
君の云う事を解して忠実に従い。
鳩にしては賢過ぎた。
だから、連れて行ってしまったんだよ。
鳩は神の御遣いだから。
其れは昔に聞き齧った空話。
『だから』仕方が無いと唇に乗せれば、君は緩慢頷いた。
そう、其れで良い。
227. ノーヴェ・ヴィーテ
初めにモアレ。
続いてアッシュ。
フーモ。
グラウ。
ラッポラ。
グリ。
マオ。
ズィバーネ。
そして、ヲルト。
数える事九つ。
猫だもの、其れ位有って当然でしょ。
淡白に云って除けたロラに、アイちゃんが曖昧な笑いを浮かべる。
分かってるさ。
俺に甲斐性がねぇって事は。
228. 聴こえない歌を愛して
両手の間にそっと息を吹き込めば、何だか柔らかくって丸い音が出た。
ほうほうって、あの子の声にそっくりな音。
手のへこみにすっぽり入る、さらさらした土の笛を撫でて考える。
あの子の歌はどんな風だったかな。
頭の中だけで聞こえる歌をなぞって、又笛を吹く。
229. 温かな白
此の街にも雪が降る。
そう知った君が連日窓を見上げて雪の訪れを待っているのだと、話の弾みに漏らしたのが拙かった。
未だ降らないだのとの会話を打ち切ったのは『社長』の一言。
『残業』
そして鋏の音が軽快に響き出し、『工房』に積もる紙の雪。
真逆屋根から降らせる気か。
230. ロ・ステッソ
君が小遣いを貯めていた壜が空になっているのに気付いた。
別に如何使おうと構わない。
だが、何に使ったのだろう。
考えていると、君は真新しいミルク鍋を抱えて帰ってきた。
確かに変え時だったが。
自分の為に使えば良いのに。
僕の言葉に君は笑う。
ちゃんと自分の為よと。
231. 鷺を烏とするならば
他人に作らせていたから、料理は得手では無い。
掃除に洗濯と云った家事も同様だ。
『訓練』の賜物で一通り熟せはするが、面倒が先立つ。
『仕事』にしたって、本当は違う。
けれど、君が僕を妄信する。
賛美する。
ならば演じ通そう。
君の望む僕こそが、僕である様に。
232. 煙花の宴
びりびり空気が震えて、光がきらきら落ちてく。
どんどんって心臟みたいな音を立てて、花火が上がる。
命、みたい。
ぽろり零れた言葉。
パパはゆっくり瞬きした。
――そうだね、命のようだ。
綺麗で眩しくて。
すぐに消えてしまう。
パパの目には沢山の色が映っているのに、暗い。
233. インコンショ
此の『街』では花は貴重品。
否、花だけで無く総ゆる植物が貴重ではある。
潮風が絶えず吹く地で植物は育ち難い。
其れ故『塵芥箱』近辺で植えられる物の大半は可食の物だ。
と、云うにも関わらず。
君だけで無くリィスの腕にも点る色に目が眩む。
『社長』の好意は質が悪い。
234. 番いになれない青
『市場』には屋根がある。
水路の上まですっぽり被ってるテントみたいな屋根。
その上でピーコックブルゥのクジラが泳いでる。
本物じゃない、絵のクジラ。
『上』から見ないと判んないくらい、大きな絵。
モビィの友達だ、って言うけど。
お話出来ないんじゃ意味ないよ。
235. 永遠の寂寞
『職人』が語るは、良くある亡霊話。
曰く付きの古い館。
侵入った者は過去に惨殺された主の亡霊に殺される。
故に取り壊される事も無く、其の廃屋は今も尚、犠牲者を待っている、と。
最後迄聞いた君は涙目で云う。
皆を嫌いな儘、ずっと一人ぼっちで居るなんて可愛相、だと。
236. ペリフェレイア
其の昔。
長い長い道を頓に走った事がある。
モテルも見当たらない、荒涼とした一本道。
僕は今、何故か其の道を走っている。
君の手を引いて。
逃げる様に。
背後を確めようとした所で目が覚め、嗤った。
此の『街』は何処にも通じていない。
走った所で此所に又戻るだけだ。
237. 寒天凝膠の視覚
蝶の羽ばたきですら、世界の天候を変える。
明日、明後日迄は予測されたとしても、其の後は。
そう、正しくケイオスだ。
何が起こるかなど正確に解りはしない。
――嘗ての『講義』を思い返し乍ら、夕食の並ぶ卓上を眺める。
君は何時の間に、此処迄出来る様になったんだ。
238. パパ・トールド・ミー
ウソかも知れないけれどもね。
パパは時々そう言って色んな話をしてくれる。
上手なワニの捕まえ方。
ビンの中の水を早く出す方法。
鳥がお話し出来るようにする教え方。
パパも昔教えてもらったんだって。
だから本当か分からないんだって、楽しそうに話してくれる。
239. 侵略する他人
人は誰でも、独りきりの王様なんだ。
本の挿絵を見ながらパパは言う。
その領土は誰にも奪われてはいけない。
奪われる事は死ぬ事だから。
他人の領土を奪ってもいけない。
その人を殺す事だから。
だから護らないといけないよ、って頭を撫でるパパの手は温かい。
熱いくらい。
240. 日常の器
机に広げられたチラシの裏。
色鉛筆で描かれた幾つかの歪な形。
君は其の内の一つ、小さな形を指して云う。
私の居た所は此処なの。
パパは何処?
訊い掛けに、其れが地図だと知った。
御免よ、僕の居た所は其処に無いんだ。
僕の答えに、君はそっかとだけ呟いてチラシを破いた。
241. ドヴンクエ
心はどこにあるの?
心は、あると思えば、あるんだよ。
ここや、ここにね。
パパの長い指が胸と頭を指す。
そうでなければ――ないと思ったなら、なくなってしまうんだ、って。
そっか、神様と一緒なのね。
その人だけの物なんだ。
パパはもう何も言わないで、そっと笑ってた。
242. 影弔い
『塵芥箱』裏の『墓地』。
並ぶ墓標には名前だけが刻まれている。
『住人』の墓は滅多に増えない。
増えるのは『落下者』の墓ばかり。
最近死んだ『住人』は何時の誰。
其れは訊かぬが御約束。
此処の皆は長生きなのさ。
幸せな事だろう。
墓堀人でもあるOZは戯けた調子で云うのみ。
243. 弔歌の歌姫
砂浜で泣きながら歌う女の人に会った。
大切なモノを無くしたの。
金のロケットよ。
首に掛かってるのは違うの。
そう言うと、女の人は中を見て、ふわっと消えた。
それはセイレンだね。
バヴィさんは言う。
海で恋人を亡くした歌姫の魂さ。
やっと自分も死んだ事が解ったんだね。
244. 福音の如き響きを
月すら雲に呑まれ、昏い昏い部屋の中。
ソファの定位置で白く浮き上がる様な小鳩に向かい、呼び掛ける。
一度、二度。
嗚咽の様に、縷々と。
唯只管に、君の名を呼ぶ。
君の顔[かんばせ]を思い浮かべ乍ら、呼ぶ。
アイ。
今頃気付いたんだ。
君の名前は迚も美しいのだと。
245. トゥラズラート
子供の躯は柔らかい。
筋が硬く無く。
骨も細く。
水気を含んだ皮膚は弾力に富み。
良い物を手ずから食べさせ、健康に気を払い。
手塩に掛けて育てられたならば、より一層の事。
子供の肉は、本当に柔らかいんだ。
ユウは店主自慢の子羊のソテーを切り分けつつ、そう語った。
246. 濁の意図
何かの弾みだった。
名前ってのはさ、命なんだよ。
バヴィが野菜を載せた籠を返し乍ら云う。
名を呼ぶってのは、だから恐ろしいもんでね。
其の人の魂をまるっと握る様なもんなのさ。
教えるのもさ、自分をそっくり預けるのと同じ。
覚えておおき、ユウや。
碧く濁る湖の目が云う。
247. 結末を変えたのは
気紛れに与えられた知識。
其れは『学習』とは異なる、云わば余剰の思考。
然し、低声で語られた御伽噺めく『講義』が僕は好きだった。
幼少に知る事の出来た『物語』は、あれが全て。
今、君の為に本を開き乍ら、脳裏を掠めた声に想う。
其処に在ったであろう彼の意を。
248. 螺子式シアター
パパ、じゃなくてサンタがプレゼントにくれた物。
オルゴールの観覧車。
五つのカゴに一つずつ人形が入ってる。
男の子と女の子。
大人の男の人と女の人。
それと猫。
私は女の人だけを摘んで、そっと隠す。
パパがいるから、いらないわ。
代わりに、粘土の鳩を入れてあげる。
249. ハンニバル
ルーカが見付けた、真っ黒の犬。
右の耳が無くて、目も見えないみたい。
神父様はその子のケガを見た後、あったかいお家を作って、名前をつけた。
神様が愛してるモノ、って意味なんだって。
きっと神父様は知ってたのね。
あの子が夜には、神様に愛されにいってしまうって事。
250. パラッレーロ
其の男は老年を迎えた頃、海に出たの。
波の彼方を夢見て。
そして海に沈んだ。
其れでも男の妻は、知っていましたと微笑んだそうよ。
女は愛に死ぬけれど男は夢に死ぬ。
だから一緒には死ねないわと云って、間も無く彼女も息を引き取ったの。
不可解を浮かべる男に私は笑む。
251. イノギュラルフライト
結局の所、あれが知っていた空は酷く隘かった。
時には君の肩に乗って外出もしたが、飛びはせず。
あの鳩が飛んだのは、君の声が届く範囲だけ。
ベランダから裏の水路を越え、向かいのカサメント迄。
繰返し、繰返し。
其処だけ飛び続けた軌跡が白く幻視[みえ]る。
252. コインの面
幸せを夢見て他人に馬鹿にされようと構わない。
愚者と云われれば笑ってやる。
幸せを夢見る事すら出来ない奴より遥かにマシだと思わないか。
夢見る事こそ人間の特権ってモンなのに莫迦げてる。
なあそうだろうと絡む酔漢を排けた。
尤もらしい云いだが賭事は好い加減止めろ。
253. 嘗ても今も
朝、目を開けたら、リボンを掛けた箱が見えた。
パパノエルのプレゼントだね。
パパの声に、にっこり笑う。
パパノエルからのプレゼントなんかじゃないって、知ってるけど。
本当にそう思ってるみたいに見えたかな。
だって、私は絶対パパノエルから貰えたりなんかしないもの。
254. ノクティルカ
弥撤を経て未だ夜の深度は浅い。
街が夜の底に沈む迄。
夜の圧力が増す迄。
後僅か。
数えるが如く鐘は鳴る。
今宵、贈物を配り歩く老爺など居りはせぬ。
所詮其れは『落下者』が伝えた概念に過ぎん。
元来、此夜に出でるは独りの婦。
却けんが為に鐘音は絶えず響く。
夜の主を。
255. 罪悪の方舟
其れは『落下者』も無く、数える程しか人が居なかった頃。
年の終りに老いた者を喰い、産み直す女が居た。
街が栄える様にと。
以来、聖夜には白い婦が現れる。
産むべき者を求め、割鐘に似た泣声を立てて。
此れが街の一番古い物語らしい。
易い口調で語り、ケイは本を閉じた。
256. コッペリア
この世には魔法がちゃんとある。
其の昔、人々が唱える文句を忘れた後も、決して無くなりはしなかったのさ。
覚えておおき、お嬢ちゃん。
この街こそ、魔法で出来てるんだよ。
古い古い言葉の魔法でね。
でなきゃモビィも飛ぶものかねって、巨きな影の下、バヴィさんは笑った。
257. 届かぬ後背
フィルムと云えば『落ちる』物だ。
だからか、大概は愚にも付かぬ駄作。
或いは擦れて真当には見られない代物。
其れを剥ぎ合わせて映画は出来る。
其れ専任の『職人』は、残り屑で『後姿だけ』の作品を作っていた。
此れを見れば物語の先を何時でも追い掛けられるんです、と。
258. 虚舟の帰還
酒席でガスが語る。
俺の親父は船を造ってた。
水路で使う様なもんじゃない。
でかい、海に出る奴だ。
何時か俺も乗るとか云ってよ。
乗れば戻れねぇのに。
で、結局は乗った。
お袋が死んで直ぐ。
俺が『職人』になったのは親父のせいさ。
何時か見付かるんじゃねぇかと思ってな。
259. 正しい冬の過ごし方
御使いから帰って来るなり、君は勢い良く僕に抱き着いた。
今日はね、ハグデーなんだって。
息を弾ませ、満面の笑みで僕を見上げる。
寒いから、ぎゅっとしてあったかくなる日なの。
そうか。
なら、コートを脱いでもっと近くにおいで。
其の赤い鼻を温めてあげるから。
260. とこしえにきみをまもるよ
貴方に必要なのは何人。
誰かが問う。
僕の腕は二本。
二本だけしかない。
だから、繋げるのは多くて二人迄。
右手と左手で、二人だけ。
いやいや、其れも多過ぎる。
躯は一つきり。
ならば一人だけ。
君だけ。
自分すら必要じゃない。
腕に抱く其の一人だけで十分だ。
261. シャムロック
四つ葉は幸せの印。
十字架の形だから。
そうルーカとお話してたら、神父さまが教えてくれた。
三つ葉にも意味があるんだって。
父と、子と、聖霊。
父、はパパね。
子は子供って事だから、私。
精霊はぬいぐるみのあの子よ。
それなら、四つ葉よりも三つ葉の方がうんといいわ。
262. 過程の違い
君は良く他から聞いた言葉を教えてくれる。
今日の言葉は『石橋を叩いて渡る』。
其れは要するに石橋を叩き割って川を堰き止め、足場を作り、確実に其の上を渡れと云う事だね。
……パパ、普通は割れないと思うわ。
僕の答えに君はそう返して、何とも云えない表情を浮かべた。
263. マイフェアレディ
今迄通っていた床屋に別れを告げた。
新しく通い始めたのは、若い女性が腕を振るう美容院。
以前とは違い、軽やかな音楽が微かに流れる明るい店内。
如何にも女性が好む空間に僕は全くそぐわない。
だが、君は嬉しげに鏡の前。
そう。
実際の所、僕の髪など如何でも良い。
264. 最後の伝言
『街』に電話はないの。
みんな、お手紙だけ。
だからモビィが落っことす電話はバラバラにするまで『工房』の倉庫の中。
黒の。
赤の。
灰色、の前を通ったらベルが鳴った。
どこにも繋がってないのに。
どきどきしながら受話器を耳に当てる。
小さく、誰かのさよならが聞こえた。
265. 巡り帰す
年が一年ぐるりと巡りゃ、幸せぐるりと逆戻り――
おまじないと一緒に紙の船を水路に降ろした。
今日で一年も終わり。
この日だけ水路は海に流れてかないで『街』の真ん中、噴水に向かって流れてくの。
だから、幸せが戻ってくるようにって船にお願い。
パパにちゃんと返してね。
266. あらたよに
君は時計を見つつ、吸って、吐いて。
一年の終わりを全部吐いて、十二時になったらすぐ今年始めてを吸うの。
だそうだ。
パパも、と云われて肺を絞る。
遠く教会の鐘が鳴り、二人揃って深呼吸。
きんと沁みる冷たい空気に顰め面の君。
腕に抱き、家に入る。
来年は中でやろうか。
267. ア・ロープ・エンズ・イット
リドルリドル謎掛け一つ。
一本のロープが其れを終わらせる。
では、其れとは一体なあに。
君は小首を傾げて一言。
ロープは終わりじゃなくて始まりよ。
何かを結ぶ事も出来るし、縄跳び遊びも出来るわ。
成程如何にも其の通り。
では、アナグラムにさよならだ。
268. ナストロ
紙帯を一捻りして作る輪。
ぐるり切って二つの輪。
更に切って四つにし。
八つにし。
其の内一つを爪に掛け、OZは云う。
此れが今の世界。
つっと指が滑り、摘むは別の輪。
此れは明日。
接点から移ろうと裏返しで同一な日常。
だから此処は永久に永遠で在り続けるのさ。
猫は笑う。
269. 今日の肖像
よくごらん。
オーズィが何回も折った紙とハサミを見せる。
こうしてぐるり切ったなら、ほうら一人の女の子。
こうしたら何人もの女の子。
ちょきんとハサミが閉じて、出来たお人形の紙を開くと、手を繋いだ女の子達になった。
さて、君は何人目かな。
赤い首した子達が揺れる。
270. 君の温もりの代わりに
奇妙な腕の感覚に、幾度と無く首を捻る。
胸の上に置こうと、躯の脇に置こうと、しっくり来ない。
一番落ち着くのは如何してか、何かを抱える様な輪の形。
嗚呼、気付けば何の事は無く。
腕の間に枕を捻じ込んで目を閉じた。
今夜、君はロラの所へ泊りに行っている。
271. 白昼夢にさよなら
願い事はありませんか。
その人は言った。
あなたの願いを何でも三つだけ叶えてあげますよ、って。
それじゃあ、パパを幸せにして。
それから、もう消えて。
私は答えた。
それだけでいいわ。
だって、それだけならあなたが叶えられなくたって、私が頑張ればいいんだもの。
272. ファタモルガーナ
時折、海の彼方に見える物。
天を突く様な高い灰色の建物。
モビィ程もある白く巨きな鳥。
疾駆する鋼の箱。
――海の底には巨大な貝が棲んでいるそうだ。
彼は海に融けた『向こう側』を飲み込んでいるんですよ、とはOZの談。
老いた蜃の見る夢が悪夢とは、御可哀想に。
273. カルネヴァーレ
短い冬が終わりを告げる頃。
街では鳥祭が催される。
誰も彼も纏うは刺繍を施した黒装束。
鳥を模した仮面を被り、華やかに飾り付けられた街を練り歩く。
昔は仮面の嘴に勿忘草のサシェが詰められてたんだって。
無邪気に笑う君の顔にも小さな仮面。
さて、本当に君なのか。
274. 99%の溺愛
奥様を亡くして娘さんとも離れていらしたなんて、さぞ苦しかったでしょうね。
お嬢さんも大変だったでしょう。
赤い口の女の人がそう言う。
優しく、花の匂いをさせながら。
――ええ、それはとても。
ですから、2人の時間が大事でして。
パパはただ、怖いくらいに笑ってる。
275. 小部屋の茶会
近頃は云わぬな。
板一枚隔てた向こうで神父が云う。
此処の人間達は何処か可笑しい。
そう云っていたが。
彼の人が可笑しい。
此の人も可笑しい。
彼の人が狂い。
此の人も狂い、と。
だが、今のお前は疑問も持たず、常態だと云った。
戻る気も失せたか。
問い掛けは断定だった。
276. 10/6
帽子なんてもんはイカレた奴が被る物さ。
それがレッシさんの口癖。
奴等はみんな頭が軽いからな。
重しをしとかねぇと浮いちまうんだ。
重しだから中に何が入ってるかも判りゃしねぇ。
オーズィーのだって菓子が入ってるだろ。
静かに聞いてたパパ。
ならお前は被れって呟いてた。
277. 嘘の嘘
イールさんは最近、探すのを止めちゃったみたい。
忘却は赦しですからね、だって。
――忘れた事を忘れて、その何かを忘れた事も又忘れたなら、元から無かった事になるでしょう。
それで漸く『街』の住人になる気がするんです。
良く解んない。
けど、イールさんは幸せそうだった。
278. 空に還す
住人が一人消えた。
戻ったとの風聞を聞き乍ら、ロラが零す。
本当に如何やるのかしら。
戻るなんて。
其れに、如何だろうなと答えれば、相変わらず素っ気無いと詰られた。
だが、其れを知るのは此処から消えたモノだけだ。
此所に居るモノ全てが知らない以上は、其の生死すらも。
279. ユウ・ハヴ・ミー
君は決して、ママ、の二文字を出さない。
君の語らない、母親の事。
僕も又、聞きはしない。
人の不幸は蜜の味、とは云うが。
得てして、真実とは知らない方が良い物だ。
だから僕はただ、君に短く告げる。
すると君は、パパもね、と勝気に言い放った。
ああ、其れで良い。
280. アルトロ
二人っきりで内緒の話。
あなただけに教えてあげる。
私の名前はね、ほんとは自分でつけたの。
あの穴の底で起きた時に。
初めまして、アイの私。
今度は誰かのアイになれますようにって。
だから、前の名前はあなたにあげる。
よろしくね、ソラ。
ぬいぐるみのクチバシにキスした。
281. フール・イン・ザ・プール
其の膚は愈々青く白く。
今にも卒倒するんじゃないかと思う。
其れでも笑みを浮べている様が一層健気だ。
其処まで苦手なら上がればいいだろ。
アイちゃんだって分かってるし。
そう宥め賺してもユウは其の場から離れない。
だから、ルーカは俺が見張ってるって。
282. ポリセンソ
私達の居た所には言霊と云う物がありまして。
アルカイックスマイルを湛え、古書屋夫婦が語る。
僕は目線で言葉の先を訊う。
何、『自分』を持たない『貴方』が『私』を得たのだなあと。
では、ユウさんのアイちゃんに宜しく。
童話を紙袋に収め、夫婦は双子の様に声を揃えた。
283. 塔下の放任
『鍋、譲ります』
『港のバル、夜十時』
『金返せ』
『←今度な、今度』
広場の伝言板は今日もにぎやか。
黒板一杯にチョークで色んな形の字が書いてある。
なのに、みんなが読めるの。
でも、誰も変に思わないのよ。
とってもおかしいのに。
普通、なんだって。
普通って不思議ね。
284. 料理≒科学
紅茶には適切な湯温と茶葉の量があります。
そして秒単位にまで浸出時間を拘ってこそ、味を引き立たせる事が出来るのですよ。
黒板を背に滔々と語るはジィモ。
温度計やら天秤、挙句は秒時計も並べた卓上に、君が恐る恐る僕を窺う。
いや、此処まで拘る必要は全く無いからね。
285. 二秒の逡巡
ボイラーが壊れてお湯が出ない。
ノイさんとパパが頑張ったけど、今日はダメみたい。
『セントー』に行くかいってパパは言う。
発電所の側にあるのよ。
『オンセン』のお湯を使ってるの。
プールみたいなんだって。
楽しそうだけど、やめた。
だってパパは入らないもの、きっと。
286. 赤、過ぎる
パパを待ってる間、ひそひそ女の子のお話。
リィスさんは少し冷たくて、けどかっこよくてキレイ。
でも、私はカワイクなりたいわ。
オンナノコはもうムリだけれど。
そしたら、戻ってきたノイさんがぽつんと呟いたの。
今よりも?
リィスさんの耳はキレイなピンク色になった。
287. バッロ
天気は上々。
こんな日には洗濯に限る。
洗い桶を担ぐと、君も勢い良く敷布を剥した。
水路端に置いた桶で、裸足の君が敷布を踏む。
調子を付け、洗剤の泡と踊る様に。
虹色が周囲を舞い、白花も降る。
洗い上げた後は毎度の如く、二人共に濡れ鼠。
だから服は機械任せ。
そんな休日。
288. 死に至りうる純白
パパ、この本、変。
広げられた本は残り数頁が白く塗り潰されていた。
落ちた物なら落丁だろう。
この後、皆は如何してるのかな。
僕の答えに、君が白い頁を撫でて訊う。
其処で生きていたであろう登場人物達を想い。
きっと幸せだよ。
胸裏で答える。
世界共々消えたなら。
289. 宵闇の船路
港の端っこの灯台は海を照らさない。
空の上、雲の波間を光は滑ってく。
どうしてかしら。
あれは船を導く為のモノじゃぁ無いですからね。
オーズィーがヒゲを揺らす。
星を導く為ですよ。
『こっち』に来た星は道に迷いやすいんです。
だから又落ちない様に導かないと、だって。
290. コートの中のファンタジア
パパの緑色のコート。
裏はステキなツタ模様。
大きいから、私はすっかり隠れちゃう。
テントみたいに頭の上に広げたら、森の中に居るみたいよ。
パパは言うの。
森は獣が出るんだよ。
怖くないかいって。
私は森の中で笑う。
怖くなんか無いわ。
パパに会えるのよ。
291. 更紗眼鏡
戻れない、から、戻らないへ。
次第に傾く天秤に伴い、夢に見る物が増えて行く。
例えば、此処とは異なる碧の海。
雪に似て降り頻く林檎の白花。
気持ちを反転させれば、途端に惜しくなったか。
思い返せば美しかったと思える光景が千散りに。
君に見せたい光景ばかりが繰々廻る。
292. ホットミルクが特効薬
あの子に雪を食べさせるな。
そう真剣な顔で忠告したのはガスだ。
雪の中には蟲が居る。
雪に瓜二つの雪蟲は音を好むのだそうだ。
うっかり飲み込めば声が喰われて出なくなり、凍える。
万が一飲み込んだなら。
蒼い顔の君にカップを手渡す。
此れでもうしないだろう。
293. 輪の内側
パパの左手に銀色。
お姉さん指に指輪が嵌まってるの。
なんの模様も無くて、ただの輪っか。
でも大切な物だろ。
約束の指にあるんだから。
前にレッシさんがそう云って『ママ』の事を聞いたけど、パパは遠い所で待ってるとだけ答えてた。
けど、それが本当か分からないの。
誰も。
294. 選択肢の消失
パパ、死んだ人は星になるって云うよね。
でも、星も『落ちる』んだって。
確かに、星だけが『落ちない』と云う事は無いのだろう。
――だからやっぱり、みんな海になるんだわ。
あの子も。
呟く君の手を離れた花束が、一時浮かんだだけで水底へと誘われる様に沈んで行った。
295. 幸福者の食卓
何を食べようか。
パスタにピッツァ。
オムライスにハンバーグ。
シチュウも良いけれど。
君が望むなら、饂飩や雲呑なんて耳慣れない食べ物でもいい。
デリカで済ましても、作っても構わない。
だから、何を食べようか。
其れは使う事の無かった言葉。
君と暮らして覚えた言葉。
296. 継ぎ目何処だ
さてはて、お嬢さんは一体幾つになったかな。
老爺が少女に問う。
少女はこれだけよ、と手を広げる。
以前と同じ様に。
さて、以前とは何時だったか。
にまりと猫が首傾げ。
店の隅に掛かる暦には『年』が記されていない。
其れこそ街の何処にも。
では此処で問一つ。
今は今年?
297. 繰り返し告げる
何故僕なのか。
其れが当初からの疑問だ。
君からしたら僕なんか小父さんか、下手すれば御爺さんだろうに。
レッシ位がパパには丁度良いんじゃないかな。
そう云うと、君は小憎らしい笑みを浮かべた物だ。
御爺さんでもパパはパパよ、と。
たった一つの真理を語るかの如く。
298. 常花愛でる
此の家の蝶番は全て形が異なる。
何れも此れも花を模っているのだ。
紛いでも花を身近に、との希いからかは知らないが。
寝室はラヴァンダ。
玄関はミオゾーティデ。
出窓はジラソーレ、等々。
花に意味が有ろうと無かろうと、僕には如何でも良い、が。
楽しげな君に口を噤んだ。
299. ピィ・カァ・ブゥ
気が付くと君が居なかった。
家に帰ったのだろうか。
辺りを見回した僕を見て、『工房』の連中が揃って笑いを堪える。
まあ、其の気になれば、何処に居るかは気配で分かったのだが。
作業台の下、隠れ切れていない君のお尻は、其れ以前の問題だ。
さて、如何したものか。
300. 泡沫瘡蓋
女の子なんだから気を付けなきゃダメよ。
って、まずおでこを突付かれた。
でも、子供の勲章よね。
大人は余り転ばないもの。
昔はみんな下なんか見ちゃいなかったのに、いつから足元を見るようになったのかしら。
膝にガーゼを貼ってくれたロラは、懐かしそうに遠い所を見てる。




