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山内くんの呪禁の夏。  作者: 二宮酒匂
第壱章 鬼の子ミーツ狐の子
2/32

火を吹く狐と牙の笛

 七月末日 兵庫県神明郡(かんめいぐん)明町(あかるちょう)

 正午前、山寺に通じる石段


  かみさまがくれたおてだまひとつ

  ふたあつ、みいっつ、よっつに、いつつ


 石段に落ちかかる大枝の陰で、青白い火が揺らめいた。リズミカルな数え(うた)が、蝉しぐれにまじって段の上からすべり落ちてくる。

 ――あ。

 山内くんは見上げて動きを止めた。かれは手にひしゃくを入れた木桶をさげている。この町を訪れたばかりで、墓参りのため石段の半ばまで上がってきたところだった。

 手すりの上を、見覚えのある小柄な人影が軽やかに渡ってきていた。てのひらを外側に向けて両腕を体の横に突っ張り、やじろべえのようにバランスをとりながら。

(また出た……)

 火を吹く男の子。


  むっつに、ななあつ、やあっつ、ここのつ

  とおでとうとうさけました


 緑の木漏れ日を浴びるその姿は、山内くんと同じくらいの背丈である。偶然であろうが現在の格好もだいたい同じだった。プリントTシャツ、下は膝丈のショートパンツ、足にはスニーカー。

 ただしその子には、はっきりと尋常でない点があった。唇から唄とともに青い火がちろちろと漏れているのだ。

 美少年と呼ぶに足る怜悧な顔立ち――耳にかかる長さの柔らかげな髪、切れ長の目に細くすっきりした眉、形よく通った鼻梁、薄くれないの茱萸(グミ)の実のごとき唇――に、ゆらめく火が妖しさを添えている。なめらかな頬をなでるように、ふありと青い火が横になびいた。

「んひひ。ひさしぶり」

 山内くんに焦げ茶色の瞳を向け、火を吹く子はにいっと白い歯を見せて笑った。唇が柔軟なのか、両頬の半ばまで笑みの三日月が吊り上がる。

 笑いかけられてたじろぎながらも、山内くんはうなずく。相手の名前も知らないが一応、顔見知りであった。兵庫県内陸部のこの町に来るたび、顔をあわせている。

 火を吹く子は手すりを蹴り、ひょいと身軽に山内くんのそばに降り立ってきた。

「オレの言うこと守ってるか? あの笛はちゃんと持ってる?」

「う、うん。ずっと持ってる」

 火を吹く子の確認に、山内くんはしっかりとうなずく。「ほら、ここにあるよ」木桶を置いて、首からひもで下げていた牙笛(きばぶえ)を見せた。

 その子はちょっと真顔になってうなずいた。

「手放すなよ。それがなきゃおまえ、へたしたら死ぬから」

 山内くんは押し黙る。

 呆れてではない。その子の言うことは誇張ではないとかれは知っていた。



 山内くんは多くの災難に巻きこまれてきた。

 幼いころ、落ちてきた看板に肩を強打されて鎖骨が折れたことがある。落下地点がもう少しずれて頭に当たっていれば死んでいただろう。はじめてのお使いで最寄りのコンビニに行ったときは、刃物を持ったパニック状態の強盗に人質にとられて半日連れ回された。山内くんがコンビニに踏み込んだのは、思わぬ抵抗を受けてかっとなった強盗がレジの店員を刺殺した直後だったのである。マンホールから下水に落ちたり、ハイキングでは霧にまかれて遭難したり、ふたたび誘拐されてバットで足を叩き折られたり……細かい事故や不運な怪我は日常茶飯事であった。一年じゅう薬のにおいやばんそうこうと縁の切れない子供だったのだ。

 かれが小学校に上がるころにはそれはいよいよ酷くなる。後ろに誰もいないのに列車通過中の踏切へと突き飛ばされたり、サイドブレーキがかかっていたはずの無人の車が歩道にのりあげてかれを押しつぶそうとしたりと、奇怪な出来事が相次いだ。

 山内くんのパパもこれには長年思い悩んでいたらしい。お札やお守りをときたま買ってきて息子の身につけさせていた。効果はなかったが。

 そして五年前のある日、とうとうパパは山内くんを初めて連れてこの町に来たのである。この山寺に。

『この墓はおまえの先祖の墓だ。もっと早くおまえを連れて来ておけばよかった』パパはしんみり述懐した。

『……この町やここの祖霊とふたたび関わるなんざまっぴらだったんだが、そうも言ってられねえからなあ。ちょっと“頼りになる人”に連絡とってくるからおとなしくしとけよ』パパは墓地のはずれに行って携帯電話でだれかと話しこみはじめた。

 火をちろちろと吹くこの子に最初に出会ったのは、その折である。

 ぽつんと待っていた山内くんは声をかけられたのだ。墓石の陰から顔をひょこんとのぞかせた人影に。

『おまえが、おかーさんのいってたこ?』

 最初山内くんは怯えてあとじさった。

 現れたのは同い年くらいの幼児だったが、死に装束のごとき白無地の帷子(かたびら)姿。顔には祭りで使われる白狐(びゃっこ)の面をつけていた。

 しかも面を外すと、その唇からは細い青火が、呼気のたびに漏れている。

 その子は山内くんに顔を寄せ、間近でじろじろと見てくる。後じさりしながらも、山内くんは気になっていたことを聞いた。

『あの……きみ……なんで火がお口からでてるの?』

 その子は目を丸くしたのち、ニイと笑った。

『へーぇ。オレの火がみえるんだ。じゃあ、これは? おまえもできる?』

 その子は華奢な右手でこぶしをつくり、中指とひとさし指のみをそろえて立たせ、それを山内くんの眼前につきつけた。二指はひらめくように動き、虚空になにかの印を描いた。山内くんはわけもわからず目をしばたたく――首筋のあたりがぞわぞわする感覚があったが、それ以外に特になにもおかしなことは起こらなかった。

『ふうん。はんぱもんなんだ』

 山内くんの戸惑った反応に、その子は指を下ろして興ざめした声でつぶやいた。

『まあいいや。これやる』

 その子は左手に握っていたなにかを突き出してきた。おどおどしながら山内くんは受け取る。それは五センチほどもある、白い獣の犬歯だった。

(なにかの、きば? ……あながあいてる)

 先端から根本まで、針で貫いたかのようにごくごく小さな穴が穿(うが)たれていた。ひもがついて、首から下げるようになっている。

 それを手渡され、山内くんはあっけにとられて目をしぱしぱさせた。

『あ……ありがと?』

 だが礼を言うのは早すぎたかもしれない。次の瞬間、その子は山内くんが首からさげていたおもちゃの双眼鏡――当時のかれの宝物――をうばいとった。

『オレ、たいくつしてたんだ。代わりにこれちょーだい!』

 一瞬で泥棒と化したその子は、茶目っ気たっぷりの笑いを残して駆けだした。われにかえった山内くんは慌て、泣きそうになりながら追う。

 笑うその子は墓の合間をすばやく縫って走った。逃げながら、かれをふりむいてなおも笑った。

『それは“山のかみさまの牙”をけずった笛で、おまもりだから! みにつけとけよっ』

『こんなのいらないっ、ぼくのおもちゃかえして!』

『つぎきたときにその笛とこうかんしてやるよ! だからかえしてほしけりゃ、笛ちゃんともっときなっ』

 けっきょく逃げ切られたとき、パパが首をかしげつつ戻ってきた。『向こうに会うまでもなく、たったいま解決したと電話で言われた。今後は大丈夫らしいぞ……なんだかわからんが、そういうことだから帰るか』

 泣く泣く山内くんは牙笛を持ち帰るはめになった。

 まったく嬉しくなかった。その牙笛はどこか雰囲気が陰々として、子供心にも気味が悪かったのである。それに穴が小さすぎるのか、鳴らしてみようとくわえて吹いても音はさっぱり響かなかった。

(鳴らない笛なんかなんにもおもしろくない)

 しかし、その日のうちに、牙笛は鳴り響いたのである。

 帰路、『喉渇いたな』とパパが、谷に面した峠道の自動販売機前で、二人乗りしていたバイクを止めたときのことだ。

 山内くんが首にかけていた牙笛は、ひとりでに震えるや、かん高い音を放ちはじめた。


 いいいいいい、いいいいいい……


 山内くんの背が総毛立った。その音はどういうわけか、かれに警告しているように聞こえたのである。逃げろ逃げろ逃げろと。

“ココニイテハイケナイ”

 その直感は、嫌な予感などという漠然としたものではなかった。必死にかれは騒ぎ、パパをせっついてどうにか自動販売機の前からバイクを発進させた。パパは笛の音が聞こえないようで『なんじゃい。ゴミ箱の前で飲み物片づけさせろや』とぼやいていたが。

 直後だった。頭上でがけ崩れが起きたのは。

 土石流は、最前までふたりがいたところを直撃し、ガードレールを突き破って自動販売機を谷底まで押し流していった。

 ……それからも、大なり小なり危ないことが起きる前に牙笛は警告してくれた。

 次の“墓参り”で、普通の子供服を着て現れた火を吹く子は、にやにやしながら山内くんに双眼鏡を見せ、聞いてきた。

『こうかんしなおす?』

 山内くんは牙笛をにぎりしめてぶるぶると首を横に振った。



 ……以来、年三回、盆と春秋の彼岸が迫るころに、山内くんはパパに連れられてこの山ぎわの田舎町を訪れる。そのたびに、この不思議な子はどこからともなく現れる。決まってパパが離れ、山内くんがひとりでいるときに。かれだけに会いにくる。

 なぶるような惑わすような、妖しい笑みを浮かべて。


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