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山内くんの呪禁の夏。  作者: 二宮酒匂
第参章 因縁螺旋
18/32

嵐の前の

 アカオニアオオニと乱闘した翌日。

 十妙院家の庭では、朝からどたばたが始まっている。

「待ちなさ――い紺っ! 蔵の鍵を返しなさい!」

「楓こそいいかげん蔵入るの認めてくれってば! ちょっと探しものするだけだって! こっちはあのぽっきり折れた刀借りるだけでいいんだよ!」

「『中折小狐(なかおれこぎつね)』は蔵の中にあるものでも第一級の呪具よ大馬鹿者っ!? 勝手に外に持ちだされてたまりますかっ! 止まりなさい!」

 騒がしいのは当然である。

「待たないかコラぁ! 紺、いいかげんに分身(わけみ)の術を解きなさいっ!」

 紺が何人も走っていた。

 数人の紺はイタチのようにするすると、木々や池の回りを走って逃げている。

 その後ろを、すそをからげて真っ白い脚をむきだしにした楓さんが、怒涛の勢いで追っていく。楓さんはうろちょろ逃げ惑う娘「たち」をひとりずつ捕まえるが、それが手の中で符に変わるのを見て歯ぎしりしながら破り捨てている。

 呆れながら山内くんは母娘の追いかけっこを見ていた。前を走り抜けかけた楓さんが立ち止まってすまなさげに微笑む。

「うるさくしていてごめんなさいね山内くん。ところで、君の見鬼でどれが本物のバカ娘かわかるかしら?」

「符の分身に庭を駆け回らせておいて蔵をこっそり開けようとしてます」

 山内くんが庭の隅にある蔵のほうを指さすと、錠前に鍵を突っ込もうとしていた本物の紺が「裏切り者!?」と叫んだ。

 くるりと身を返した楓さんがすっとんでいく。

 そこから紺が追い詰められるのは早かった。ほどなく、逃げ場に窮した彼女は苦し紛れに松にのぼりはじめた。

「紺、降りてきなさいっ、危ないでしょっ! それに、ああもう、こんなところをご近所の皆様に見られたら……家の恥というものも考えなさい!」

「そんな大した家かよっ、流れてきた歩き巫女が雄の化け狐酔わせて逆レ×プしたのが起こりの家じゃん!」

 やぶれかぶれの紺が松の幹にとりついたまま叫んだ。

 とたん羅刹の相となった楓さんが、紺と同じように火を口からぶわっと吐く。

「この小娘、ほざくにことかき始祖に対して、なんという雑言(ぞうごん)を……! なぎなたでそこから叩き落としてやろうか!」

 怖い。はたで見ている山内くんはぶるぶる震える。

 数分後、楓さんは山内くんに花が咲くような笑顔を向けた。その一見して華奢な肩には、大量の符でぐるぐる巻きにされた紺がかつぎあげられている。頭にたんこぶを作ってぴくりともしない。

「協力してくれてありがとう山内くん。ところでわたくし、今日はちょっと遠方からの依頼で出かけなければならないの。一泊してきますから、このどうしようもないじゃじゃ馬をよろしく」

「は、はい……」

「昨日のことは聞きました。青丹家の跡継ぎのことも……。紺がいる以上滅多なことはないでしょうが、念のため護身の符をあなたに渡しておきます。かれの蠱毒や陰針(かげばり)程度は払いのけられるはずです。

 それにしても、困ったことになったわね……」

 憂わしげに眉をひそめて、楓さんは言う。

「紺はかれをみずからの手で処分したがっています。その望みは叶うでしょう。わたくしの母は、おそらくそれを許可するはず」楓さんは、「困ったこと」ともう一度言ってため息をついた。

「なまじこの子が天禀(てんびん)を持っているせいで、母はこの子を試したがるの。おそらくわが家の祖である霊狐の血が強く出たのでしょうけれど」

「そう……なんですか」

「ええ。親の欲目ではないのよ……この子は霊力の塊である秘火(あけだまひ)、すなわち狐火を生まれたときから吐いていたわ。三歳で符術を使い、五歳で数十種の印を結ぶようになり、七歳になるころには呪歌や祓詞(はらえことば)、わが家が伝えてきた口訣(くけつ)をことごとくそらんじていたわ。

 いまのこの子の術の技量は、わたくしが成人したときと同等にまで達している。もう数年でわたくしを抜くでしょう。

 ――けれどそれが、心配の種なの」

 さらに深いため息。

「この子はいい子よ……でもなまじ才が早熟だったために、(おご)ってしまっている。

 どれだけ腕に自信があろうと、術くらべというのは慎重に準備して臨まなければならないこと。わたくしや母に相談もしないうちにこの子が先走るのは認められません。

 君には、この子が無茶をしないように見ていてほしいの」

 山内くんはうなずいた。楓さんのその心配が理解できたのである。

(『どれだけ腕に自信があろうと』――師範もそう言ってた……胸を張ってそっくりかえる者は、足元をすくわれたらたやすく倒れるって)

 素人目にも、紺の術は尋常なレベルではないとわかる。なのに、山内くんは彼女を見ていてどこか危なっかしく感じるときがあるのだ。何度も助けられているかれがそれを言うのは滑稽かもしれなかったが。




 紺を連れてパパの実家に戻った山内くんが昼食の用意をしていると、玄関のチャイムが鳴った。出てみると、汗だくになってふうふう息をつくマイタケが、クーラーボックスを手に立っている。

「ごめんね、山内くん」

 玄関先で謝罪されて、エプロン姿の山内くんは困惑する。

「あの……よくわからないんだけど、なんで謝るのマイタケ」

「だって昨日危ないところだったじゃないか、きみ。河虎岩の淵で」

 たしかに死にかけた。だがそれはアオオニのせいである。山内くんはますますわけがわからなくなる。が、マイタケが口ごもりながら続けた台詞でかれの言いたいことを把握した。

「紺に警告されてたにもかかわらず、ぼくが河虎岩に近寄って、カニ網しかけてたのが発端だもの……」

「……あー」

 それがなければオニどもがあの淵で網を見つけることはなかっただろうし、網を見に行ったマイタケが猫殺しを制止して絡まれることもなかっただろう。山内くんたちがその現場を目撃して駆けつけることも、乱闘になることも、アオオニが山内くんを淵に追い落とすことも起きなかった。そのように考えてマイタケは思い悩んだようだった。

 山内くんは手を振る。

「別にいいってば、そんなのまで君の責任じゃないよ。……なんで紺の警告破ってまであんなとこに網仕掛けてたのか不思議ではあるけど」

「そりゃいっぱい網に入るからだよ」

 マイタケは一瞬のちゅうちょもなく答えた。真顔である。

「……そうかい……」

 あ、この子絶対漁やめないな、と山内くんは悟る。

「だって山内くん。人が立ち入らない場所って、やっぱり魚多くなるし警戒も薄いからよく捕れるんだよ。淵に入らず網沈めるだけならいいんじゃないかって思ってさ。

 ……そのせいで巻き込むことになってみんなに悪かったと思ってるのはほんとだよ?」

「そう思ってるなら金輪際河虎岩に近づくなボケ」

 ゲームをしていた紺が居間から出てきてマイタケをにらみつけた。マイタケが恐縮した様子になり、首に巻いていたタオルで汗を拭く。

「そうだね、もうあの岩のとこで魚捕るのはやめとくよ。今回のことじゃみんなに迷惑かけちゃったからね」

「迷惑とかじゃなくて危険……ああもうなんでもいいや、近づかねーなら」

 紺は重ねて注意しかけたが、すぐ投げやりな調子になった。山内くんはマイタケにうなずく。

「それがいいと思うよ、マイタケ。あそこほんとに危ない場所だもの。ところで、これなに?」

 上がり(かまち)に置かれたクーラーボックスのことを聞いてみる。

 開けてみりゃわかるじゃんと紺が言ってかがみこみ、留め金を外しはじめた。ふたが開くと、笹の芳香が冷気とともにあふれ出てくる。

「じいちゃんがさっき川で釣ってきたんだ。お詫びの品というか、おすそわけというか、そんな感じだよ」

 マイタケが説明し、紺が目を輝かせた。

「わはっ♪」

 保冷剤のうえに笹の葉が敷きつめられ、鮎が十二尾並べられている。




 塩を振ってグリルで焼き、昼食に添えた。やや小ぶりだが香ばしい脂がたっぷり乗った鮎だった。大半は夕食に回す。

 食後、山内くんはコーヒー豆を挽きはじめる。

 黒い鉄と赤茶色の木でできたコーヒーミルに、自分で浅煎り気味に焙煎(ロースト)した豆を投入。取っ手を回すとコリコリといい手応えとともに豆が粉になってゆく。新鮮な豆の甘く香ばしい薫りが投入口からたちのぼる。かれは上機嫌で鼻歌を唄った。

「楽しそうじゃん。それ面白いの? ちょっとやらせろよ」

 横から紺がミルに手を伸ばす。

「だめ」

 山内くんはテーブル上のミルを横へスライドさせて避けた。豆を挽く手は止めていない。

「なんでだよっ」

「粉の大きさ揃えるために、最後まで一定の速さで挽かなきゃならないから。なんか紺、飽きたら適当にやりそうだし」

「……昨日おまえが溺れそうなとこ助けてやったじゃねーか。なのにその言い草かよっ。今朝は裏切ったしさ!」

「だからこうしてお礼にコーヒー淹れるんじゃないか。いちばん美味しい状態で出したいんだから、座って待っててよ」

 むーとむくれる少女に対し、山内くんはすげなく対応する。

 もちろんかれは紺に感謝していないわけではない。ただ、コーヒーにはこだわりがあるのだ。

 コーヒーを淹れるのとはまた別のところで、いつかきちんと借りを返そうと山内くんは思う。

 沸騰させたコーヒー用ポットの湯に水を差して、湯温を九十度まで下げる。

 カップにドリッパー、ドリップ用紙、挽いた豆をセット。最初にお湯をわずかに注いで蒸らす……新鮮な豆の粉が、ドームのように丸く膨れあがってゆく……ドームの周縁部を避けてふたたび湯を注ぎはじめた。豆の味を壊さないように、一定量でちょろちょろと。

(『ていねいに、粉の上に円を描くように』……)

 山内くんはコーヒーの淹れ方を特訓してきた。それをパパ以外のだれかに打ち明けるのも、飲ませるのもこの日が初めてだった。

 緊張をおさえこみ、真心をこめて丁寧に淹れる。

「入ったよ、紺」

 着席して頬杖をついていた紺の前にカップを置く。イタダキマス、と紺は青い火の乗った息でふーふーコーヒーを吹く。そして一口含み、

「にがぁぁっ!」

 思い切り顔をしかめた。

「おい山内、これ苦っ……! ミルクと砂糖が超欲しーんだけど!」

 かくて山内くんの真心よりも砂糖のほうが調味料として優秀であることが証明された。傷ついた山内くんはブラックコーヒーの利点について力説する。

「あのね、なんの混じりけもないブラックだからこそ純粋な味の良し悪しがわかるんだよ」

「オレの舌にわかるのは良し悪し以前にこれが悪魔の汁みてーに苦いってことだけだ」

 このお子様舌! と罵りたくなっても実際に子供なのだから仕方がない。正直なところを告白すれば、山内くん自身もまだまだカフェオレのほうが好きであった。

 というわけで琉球黒糖と高脂肪牛乳が容赦なく投入され、“悪魔の汁”はクリーミーな優しい味の汁になった。

「うん。これなら美味しー」

 カップを両手で持ってすすりながら、紺は「にしてもなんでコーヒーの特訓なんてしてんだ? 趣味?」と聞いてきた。

 山内くんはちょっと口ごもり、ややあって恥ずかしげに告白した。

「……パパの仕事がさ、ほら」

「ほらって言われても。そういや知らねーや」

「喫茶店のマスターなんだ」

 イタリアンバールでバリスタをこなした経験もあるパパは、コーヒーを淹れるのが抜群にうまい。

 山内くんの漠然とした夢、だが昔からの夢は、パパのようになることだ。物心ついてすぐ、かれがコーヒーの淹れ方を練習しはじめたのは必然だった。が、パパ本人に『おまえの歳じゃあまだカフェインの味を追求するのは早えよ。練習するのはほどほどにしとけ』とたしなめられたこともあって、自分で淹れて飲むのは一日一杯までである。ドリップコーヒーはカフェインがとくに濃く出るので子供はあまり飲めない。

「来年……中学生の夏休みからは、パパの喫茶店で手伝わせてもらえることになってるんだ。いつかは僕も、美味しいコーヒーを人に出す職業についてみたいなあって」

 向かいの席に座って弾んだ声で語る山内くんを見て、紺は「ふーん」と関心薄そうに聞いている。しかし、そっけなく見えても聞き流しているわけではないらしかった。彼女はカップを置いてから言った。

「おまえって、おじさんのことほんとに好きなんだな」

「いや、それは……別に……」

 ファザコン気味の自覚はあるがそれをおおっぴらに認めたくはない。山内くんはごにょごにょ口ごもって否定した。だが紺は茶化すこともなく、

「チチオヤってよくわかんねーけど。そんなにいいのなら、ちょっとうらやましいや」

(あ)

 紺には父親がいないことを山内くんは思い出した。山内くんのママと同じように、物心つく前に死別したという。

 ただ、紺の表情にはかすかな憧れと興味があるだけで、悲嘆や自己憐憫は微塵もない。それで気が楽になり、山内くんは答えた。

「紺には……頼もしいお母さんがいるじゃない」

「楓ぇ? まー、楓はなー……厳しーしガミガミ言うしすぐ拳骨落としてくるし、雷親父っぽいとこはあるな。むしろ母性が足りてねー」

 それは君に原因があるのではと山内くんは思った。

「それと、あとな。さっきの話聞いてさ」

 紺は、カップのカフェオレに目を落とした。長いまつげを伏せた彼女の顔が、つかの間寂寥(せきりょう)を帯び、山内くんはなぜかどきりとする。

「おまえって、普通の夢持ってるんだなって感じた。

 あ、馬鹿にしたんじゃねーぞ。将来やりたいことがあるなら、無理に普通でない(こっちの)生き方に引っ張り込めねーなって……思ったんだ」

「……ごめんね。ほんとにその気はないんだ」

「ちぇ。弟子持ってみたかったのに」

 軽く拗ねたように紺はつぶやき、ぐいと一息でカップをあおる。

 ふたたび山内くんに向けられた彼女のまなざしは、真剣な、若い術者のものだった。

「山内。アオオニの件はもうすぐ片付く。

 おまえに呪詛をかけていた術者の正体があいつなら、これでおまえの問題も解決する」

 表情を引き締めて山内くんも「うん」とうなずく。

「アオオニの処分が終わったら、おまえの見鬼も封じられることになる。

 封じたのち、生涯その封は解くなよ。二度目の封印はできないんだ……常人の目には戻れなくなるからな」

「わかった」

 うなずいたのち、山内くんは懸念を示した。

「でも、大丈夫なの? 君たちはアオオニに――」

「――勝てるか、って? それは余裕だ、たぶん」

 それは楓さんが朝に言った紺の悪癖、すなわち驕慢(きょうまん)のあらわれだったのだろう。けれども、同時に単なる事実を指摘する口ぶりでもあった。

「アオオニはどうやら正式な術者じゃない。

 この道に入るには、本人の資質が第一。でもそこから先、大成するには独りじゃ難しい。我流の術者が、きちんと系統だった術理を学んだ術者に勝ることはまずねーよ。こっちは、オレの先祖が何代もかけて蓄積してきた術や呪具を利用できる。

 対してアオオニは孤立無援だ」

 外法の術者に正式というのも変だけどな、と紺は皮肉って、それから言い切った。

「楓やお祖母様が出る必要もない。アオオニはオレひとりで片をつける」

「そうは言うけど、紺。かれにはまだつかみきれないところがあるよ。牙笛を持っていたじゃないか。ひょっとしたら殺人犯かもしれないんだ」

「たしかに。それは気にかかる。あっちはあっちで祝部の古い力の一部くらいは使えるのかもしれない」

 紺は認めた。

「だから、いろいろうちの蔵から持ち出させてもらうつもりだったのさ。中折小狐や酔比礼(よはしひれ)十斗鏡(ますかがみ)といった十妙院の宝があれば、多少の奥の手をあっちが持ってようと問題にはならないはずだ。

 まあ見てなって」


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