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山内くんの呪禁の夏。  作者: 二宮酒匂
第参章 因縁螺旋
16/32

アカオニアオオニ〈2 衝突〉

 山内くんは白いジャージ姿で、青い稲穂がそよぐ田んぼ道を走っている。

 同行者は二名。タンクトップにレギンスで自転車に乗って並走してくる紺。それと、かろうじて走ってついてくる、キッズスポーツウェア姿の直文である。

「……直文、だいじょうぶ? もっとゆっくり来ていいんだよ」

「だい、じょう、ぶっ……こんくら、いっ……」

「かけらも大丈夫に見えねーぞ」紺が呆れと懸念をこめた指摘をした。

 目をうつろにした直文は汗をだらだら流し、どう見ても熱中症寸前である。

 山内くんは鍛錬を再開する決意を固めて、さっそく今日から早朝のランニングに出ているところだった。直文は、その予定を聞いて自発的についてきたのである。『俺も鍛える。オニどもに仕返しできるようにしてくれ』と暗いまなざしを据えて。

 山内くんは退けられなかった。

「水筒持ってきときゃよかったなー……おい山内。先の方に自販機があるはずだから、オレそこでスポーツドリンク買ってくる。直文は、休ませろ」

「うん……そうする」

「だいたい往復八キロのランニングが手始めのメニューってのがおかしいんだよ、おまえの稽古」

 紺は小声でぶつくさ言い残すと、ペダルを立ちこぎして先行しはじめた。川にかかった石橋を渡ってその姿がみるみる小さくなってゆく。

 見送って、山内くんはふりかえる。

「少し歩こう、直文」

「だいっ、じょうぶだ、って……」

 一朝一夕で体力・筋力ましてや技は身につくわけじゃないんだから焦っても無意味だよ、とは言わなかった。アカオニに殴られた記憶が直文を駆り立てているのだ。へたにそれを抑えこむことはない。体を動かせば負の念も多少は発散できるだろう。

 とはいえ、これ以上走らせるのはどう見ても限界だった。

「僕は歩くよ」そう言って山内くんはペースを落とした。

 当り障りのなさそうな話題をふる。

「そういえばこのへんだよね、河虎岩ってのは」

 はっ、はっとせわしなく息をつきながら「……ああ。橋から、見える。大きな、岩だ」と切れ切れにむっつり直文が答える。

(大きな岩。石田先生という人にも言われたな。「河虎岩というのは、ただの大きな岩だ。だが本当に危険だ」って)

 山内くんは回想する。数日前“沢のプール”に入った日のことだ。

 沢のプールを子供だけで利用するためには、少々煩瑣(はんさ)なことだが、許可を学校に得て着替え小屋の鍵を借りなければならないのである。そのため子供たちみんなでわざわざ小学校の職員室まで行って許可を得、入ったあとは鍵を返しに行った。

 鍵を返したとき石田先生という人は、一行のなかの山内くんを神経質にじろじろ見つめていた。やっぱり生徒のなかによその子が混じっていると変かな、それとも夜に黒焦げ死体のそばにいたことでいい印象を持たれてないのかな――と山内くんは首をすくめた。だが、石田先生はかれを招き寄せて、紺と同じことを忠告したのである。『先に言い忘れていたが、地元の人が避ける水場がある。君も水辺で遊んどるなら近づかんように』と。

『あの大岩は、川床と岩の隙間に人を吸い込むと言われとる。……私は迷信は信じとらんぞ、これは合理的に説明がつくんだ。川床の地形と、岩の下の空隙が大きいせいで、流れ込んだ水がそこで「横に」渦巻く形になっとる。いったんその回転する水流に捕まれば、簡単に岩の下から出てこれず、そこで溺れるというわけだ。

 迷信といえば十妙院とよくいっしょにいるそうだな。あれは悪い子じゃないんだが、吹聴してることはあまり間に受けんようにな。

 あと……ああ、その、夜に林であの恐ろしいものを見てしまったことで、君はいやな思いをしとらんか? 悩みがあればいつでもこの職員室に来なさい。私なら話をいつでも聞くぞ』

 石田先生は顔をしかめつつも、山内くんにトラウマが生じていないかまで心配してくれた。思ったよりずっといい人のようだった。

(水流の関係で危険な岩かあ……紺なら河虎岩についてどんな説明するのかな)

 どの道危険そうだから近づくつもりは微塵もないが。

 そうこう考えるうちにちょうど橋の上にさしかかっていた。山内くんは下流に視線を送る。

「例の岩はどのあたりなの、直文」

「……あそこの淵だよ。黄色い大きな岩が川中にあんだろ。ほら、河原に誰かいるとこの――」

 ふたりの歩みが、急停止した。

 視線の先、河原に子供の人影がみっつある。中学生の制服を着たふたりが、小柄なひとりの肩をつかむようにして傍らに立っていた。そばには、昨日見た自転車が二台あった。

(なにやってるのマイタケ)

 やや遠かったが、この数日で友人になった少年を見間違えはしなかった。

(なんでアカオニアオオニにからまれてるの)

「あいつら!」うなった直文が身をひるがえしてぱっと走り始めた。河原に通じる道を。

 紺を待ったほうが、と山内くんは一瞬迷ったが、けっきょく追いすがった。前回は手を出すか迷っているうちに直文が傷ついたのである、もうためらうつもりはなかった。

「あっ、直文ー、山内くん!」

 途中で見知った顔――手を振る穂乃果が、土手道で犬の散歩をしているところに出くわした。直文が答えず顔をそらしてその横を駆け抜けたので、穂乃果は傷ついた表情になる。出会ったのが大人だったらよかったのにと思いつつ、山内くんは叫ぶ。「河虎岩の淵――河原でマイタケがからまれてる、だれか呼んで! 紺も後から橋のあたりに来るはずだからっ」

 言いのこして駆け抜けた。




 土手の熊笹が切り払われた箇所から、河原の草むらへと、直文とふたりして駆け下った。マイタケの肩をつかんで揺さぶっていたアカオニが、ぎょっとした顔になった。

 しかしこちらに背中を向けたアオオニは、闖入者ふたりをふりかえることなくマイタケに話しかけている。

「舞田といったか。おまえ、なんで猫を沈めるのはだめだって?」

「だめだからだよ。やめてよ。ぼくの罠でそんなことするのやめて」

 半泣きのマイタケの声にかぶさるように、半狂乱の猫の鳴き声が聞こえた。山内くんはもとより、復讐心に目をぎらぎらさせていた直文すら、ぎょっとして鳴き声のほうを見た。

 網でできたカニ罠に、ガムテープで前後の脚を縛られた猫が入れられている。すでに一度水に漬けられてから引き上げられたのか、その全身の毛並みは濡れそぼっていた。

 アオオニは愉快そうに(わら)った。

「ごめんな、おまえの網だなんて知らなかったよ。この猫をゆっくり溺れさせてみようと岸辺に来たら、たまたま沈んでいたこれを見つけて、ちょうどいいと使ってただけだが……いいじゃないか? 網なんてどうせ殺生(せっしょう)の道具だろ。

 なあ舞田、おまえは蟹や魚をとってるんだろ。そして殺してる。それと僕が猫を殺すことと、どこが違うのか言ってみろよ」

「ぼくはとった魚を食べてる。漁師のおじいちゃんに言われたとおり、ちゃんと感謝してから命を頂いてるもの。あんたみたいに食べもしないものを面白半分に殺してるわけじゃないっ」

「ははっ。おまえ、魚を捕るとき楽しんでないと言えるか? それに殺される命にとってみれば、なんで殺されるかはどうでもいいと思うぞ。死という現象があるだけだ。

 だいたい僕だって、こいつらの命を無駄に潰してるわけじゃないんだぞ?

 わからなくてもいいが……いや、いつも紺といるおまえらならわかるのか? できるかぎり苦痛を与えて殺すことに意味があるんだよ。そうすると攻撃的でいい式に仕上がるんだ。だから邪魔するんじゃあないよ」

 最後の一言を、肩越しにふりむいてアオオニは冷ややかに言った。明らかに、山内くんを見つめていた。

 山内くんはぞくっとした。アオオニの粘りつく視線に、(こいつ、もしかして僕のことを知ってるんだろうか)と疑いを抱いたのである。あの夜、林で出会ったのが初対面だと思っていたのだが……

 息を吸って、山内くんは踏み出した。

「青丹さん……で、いいんですね」

「あはは、礼儀正しいやつだなあ! おためごかしはよして、アオオニと呼んでいいんだぞ?」

「……じゃあ言いますが、猫を溺れさせて式を作るというのは……それに意味があったとしてもひどすぎる。それにマイタケが自分の網を使われるのを嫌がるのは当然で、断ったら力で抑えつけようとするのは筋がぜんぜん通ってません。

 あんたたちのやってることはただの弱いものいじめにしか思えない」

 聞いていたアカオニが唾でも吐きそうな顔になる。

「うざってえな、このよそ者。黙らせていいだろ、崇くん」

「待ちなよ、陽一。

 おまえらさあ、猫がどれだけ小動物殺す生き物か知ってるか?」

 アオオニは唐突に、話をそのような方向へ変えた。

「在るべき自然をどれだけ壊してると思う? 野良、あるいは外遊びする飼い猫として、自然の中へ狩りをしにいくイエネコという種がさ。

 こいつらは必要なぶんだけ狩るわけじゃない。目につく獲物を殺せるだけ殺す猫もいる。一部の飼い猫なんて餌をもらっているくせに、必要もない殺生三昧だぜ……気晴らし、レクリエーション、面白半分の『弱い者いじめ』をしてるのさ。

 外国の話だけど、狩りが趣味の数匹の飼い猫のために、森から小鳥の鳴き声が絶えたことがあるそうだぞ」

 山内くんは耳をふさぎたくなった。話が不快だからでも、アオオニの声音が耳ざわり悪いからでもない。その逆だ。アオオニの低い声は穏やかで、美しい抑揚をもち、耳にからんでゆるゆると脳に染み透ってくる。聞いていると心地よくて、その語る内容までも一理あると思ってしまいそうだった。

「ふふ、でも狼がいた地域じゃあ話が別でさ――そう、狼だよ。森の最強の捕食者だ。

 森に入って楽しく遊んでるような猫は、狼に追われて殺される。生き残れる賢い猫は狼を警戒して、遊ぶような余裕は見せず、生きるための狩りしかしなくなる。するとどんな影響がある? ほかの森では猫のせいで数を減らしてた小鳥や小動物は、狼のいる森でははるかに多くの数を保てたんだ。

 五行相剋(ごぎょうそうこく)、あるだろ? 山内邪鬼丸、おまえも五行の理論を知ってるよな? 森羅万象に木火土金水(キヒツカミ)の属性あり」

 微笑むアオオニが、ひとさし指と中指をそろえて突き出し、五芒星を宙に描いた。

「水の属性は火の属性を(ころ)す。

 火は金を。

 金は木を。

 木は土を。

 土は水を剋す……ところで、水が火を剋すれば、天敵を抑えてもらった金は盛んになる道理だ。これは五行相生(そうしょう)とはまた別の、生かすための理だ。剋技(ころしわざ)は裏返せば生技(いかしわざ)だ。すべてはぐるぐる巡っていて、相互影響のないものはない。殺すことで、別のものが生きることもあるんだよ」

「知らないよ。そんな理論。何言ってるのかさっぱりだ」

 思い切って突き放すように答えると、アオオニは面食らったように目をしばたたいた。

「知らないわけがないだろ? おまえは祝部の分家の子だ、僕と同じ存在のはずだ。

 まあ、いい……大切なのはこういうことさ。

 狼が帰ってくれば、猫だろうと狐だろうと、森では勝手ができなくなる。森はあるべき姿に戻る。剋と生のバランスがとれた繁栄する世界に。それは良いことじゃあないか? 僕はこの、バランスを崩した明町という森において、帰ってきた狼になってやるつもりだ……新しい祝部(はふりべ)に。

 祝部を継ぐという目的のためには、猫だろうとなんだろうと、殺生を厭ってられないんだよ。特に、おまえが消えてくれることが必要なんだ――祝部を継ぐ素質があるのは僕ひとりでいいんだ」

「……あんたなにを言ってるんだ、本当に」

 山内くんは不気味でたまらなくなってきた。遠回しに殺すと言われた気がする。

 ゆるゆるとアオオニは、山内くんに見せつけるように手印を組んだ。にぎった右手のひとさし指・中指を鈎状に曲げて突き出し、開いた左の手のひらをその下に添える形。

「おまえの排除には、もっと時間をかけてもよかったけれど……すぐそばに来てくれたのは、とてもとても良い機会だからな。始めようか。

 “いざ参れ――”」


  ――御注連(みしめ)が内の 神霊(かむみたま) 霊力身(ひふみ)ゆだねて 蠱事(まじこと)ぞ成る


 視界がぐらりと揺らいだ気がして、山内くんは戸惑った。かと思うとアオオニの姿が眼下に沈んでいく。代わって青空が降りてきて視界を埋め尽くした。

(あれ。なにこれ)

 首をひねって横を見てみる。あっけにとられた様子の直文がこちらを見てきているが、その姿はななめにかしいでいた。

(これ、もしかして僕がうしろに倒れてない?)

 疑問を持った瞬間――目が覚めた。

「うわあっ!?」

 叫び、転倒寸前で山内くんは体をよじって足をふんばった。平衡をとりもどし、心悸を急激にはねあがらせながらアオオニを見る。

(妖しい術を使う。紺と同じだ)

 一方、驚きに軽く目を見開いているのはアオオニも同じだった。

 残忍な興奮がその目に宿った。

「そら見ろ、すっとぼけてやがった……僕の摂魂(せっこん)術を一瞬で破ったな。

 いいだろう、本気で術くらべしてやるよ」

 アオオニは腰から竹筒を取り出す。かれは一歩を踏み出してきた。山内くんも身がまえる。

(来る)

「おまえと僕のふたりにとって、しょせんこの世は蠱毒の籠だ。どっちが祝部の遺産を総取りするか――」

 だがそこで、アオオニの歩みも口上も中断させられた。

 直文がだしぬけに突進してアオオニにつかみかかったのである。高まる場の緊張に耐えかねたのか、積もった憎しみをこらえきれなくなったのか、だれにとっても予想外の暴発だった。

 まなじりを吊り上げた直文が、逆上して叫ぶ。「おまえらなんか……おまえらなんかっ!」かれは高いところにあるアオオニの胸ぐらをつかんでぐいぐい押す。それまで山内くんだけを見ていたアオオニは、面食らった様子で後ろによろけている。

 その弾みに、アオオニの胸のポケットから、紐のついたなにかがこぼれ落ちた。

 地に落ちたそれを見た瞬間、山内くんは小さな叫びを漏らしかけた。

(うそ、だろ)


 牙笛。


 死体を見つけた日、暗い神社の夢のなかで無くしたはずのもの。

(なんであれが――)

 山内くんの混乱をよそに、直文とアオオニの揉み合いは乱闘へと発展しつつあった。「何をする、このわきまえない阿呆……!」腕力はさほどでもないのか、アオオニは執拗に打ちかかってくる直文に思いのほか手を焼いているようだった。おまけに、加勢しなければと思ったのか、マイタケが走り寄ってアオオニの腰にむしゃぶりつく。

 だがそれで、ぽかんとしていたアカオニも我に返ったらしかった。

 アカオニは大またに歩み寄り、マイタケを蹴倒すと、直文の後ろ襟をつかんでぐいと引いた。

「馬鹿が。前よりこっぴどく痛めつけられないとわからないか、ああ?」

 その粗暴な少年は嗜虐的に笑って、直文の後頭部へと固めた右こぶしを振り下ろした。

 危険な部位へのその一撃は、もしかしたらアカオニが意図したより悲惨な結果を引き起こしたかもしれなかった。山内くんがかれの眼前に飛びこんで、肘でこぶしを打ち落とさなければ。

 アカオニはうめいて直文の後ろ襟を放した。

 ダメージを受けた右こぶしを左手でつつみ、かれは驚愕したまなざしで山内くんを捉える。「てめえ」その顔色がどす黒く変わり、唇がまくれあがってどすのきいた声が響いた。

「前歯が残ると思うなよ」

 アカオニは踏み込んで腕を大きくぶん回した。その腕が、山内くんの胴体をとらえた。

 腕を上げてガードしたにもかかわらず、山内くんは横によろめく。動揺する。想定していたよりも相手の力が強い。

 間髪を入れずアカオニが殴りかかってきている。固めた防御の上から二発三発四発と食らい、よろよろと山内くんは後じさる。

(怖い――まずい――足止めたら不利なのに)

 乱打されているうちは防御を固めざるを得ず、自由に動けない。息のつまるような恐怖にとらわれる。相手は大人ほどではないが、体格と体重と筋力とリーチで勝る敵だ。

 身体能力だけを見るなら、いちじるしい不利。

 打撃の嵐に見まわれながら、しだいに山内くんの恐怖が際限なく高まっていく。頭が怖れに塗りつぶされ、他のすべてが消し飛ぶ。直文とアオオニのこと、牙笛のことすらも一時的に。

 本能が獣の理を――“ファイト・オア・フライト(戦うか逃げるか)”の選択を迫る。

(怖い。逃げたい)

 顔面に振り下ろされてくるこぶし。打ち上げるように腕ではねのける。

(逃げたい)

 上腕をつかまれる。腕で巻きこんで瞬時にその手首の関節を()める。あわててアカオニが放す。

(逃げたい、逃げたい、逃げたい、逃げられないなら――やるしかない)

 攻撃する。

 攻撃して、怖いものを自分の前から徹底的に排除する。

 くるんと、恐怖が赤い攻撃衝動へと反転した。

 神経伝達物質(アドレナリン)が爆発的に血液中に放出される。肝臓に蓄蔵されていた(エネルギー)がそれに次ぐ。

 消化器官系の活動停止。反比例して全循環器系は活性化。

 瞳孔は広がり痛覚は鈍り――行動を迅速ならしめるよう脳と筋肉に血液が集中し――激しい運動に耐えうるよう赤血球生産速度は急激に増加し――傷を負った場合の血液凝固に要する時間は短縮され――

 意識の攻撃性・残虐性が極端に高まることをもって、戦闘準備が完了する。

 血の狂涛(きょうとう)が、人を獣と化す。

「なに縮こまってんだァ、ちょっとは殴り返してみろや!」

 苛立った罵声をあげながらアカオニが中段の回し蹴りを放ってきた。

 交差させた腕で山内くんはそれを受ける。

(じゃあ返す)

 アカオニの軸足へと、下段回し蹴りを叩き込んだ。

 そのローキックはずしんと重く肉に響いた。アカオニの表情が苦痛に大きく歪む。

 アカオニがひるんでその圧迫がゆるむと同時に、山内くんは足元を見下ろした。自分は川べりまで追い込まれている。しかしこの場所は大きな石がごろごろしておらず、足元は丈の短い草むらになっていた。これは足の自由を取り戻したかれにとって、敏捷性を活かせる有利な条件である。

 たちまち攻守がところを代える。

 山内くんは前傾姿勢から一足でアカオニのふところに入る。跳び込み突き――地を蹴るのではなく重力を利用し、「力を抜いて倒れこむ」ことで加速移動する中距離技。アカオニの肝臓を強打する。

 敵の打ち下ろしをはねのけてとびすさる。

 ふたたび跳び込むと見せかけてフェイント――アカオニが放った右こぶしを正確にひたいで受ける。ひじに続いて硬い部位と衝突したその右こぶしが、ミシッと軋む。アカオニは今度は叫ばなかったが、顔はやはり歪んだ。

 後ろに、前に、左右に跳ぶ。

 攻撃は突きが主体。足をつかまれないように蹴りは下段のみ。間合いの外から跳び込んで突くことを繰り返す。敵の周囲を速いステップでめぐって幻惑する。当てては離れる、ヒット・アンド・アウェイ戦術のお手本のような動き。

 主な狙いは敵の胴体より手足。

 敵の打撃を防御するときは強烈に、硬い部位――外腕(がいわん)・ひじ・ひざ・すね・ひたい――で打ち払う。「柔」ではなく「剛」の受け方、敵の拳脚にダメージを与えるのが目的の受け。攻撃の一部としての防御。

 ほどなくこぶしを腫れ上がらせて、アカオニは痛みで歯を食いしばりっぱなしになる。その攻撃の勢いは目に見えて衰えだす。

 それに反比例して、山内くんの攻めは刻々と苛烈さを増す。

 跳びかかっては獲物を咬み裂く狼さながらに。


   ●   ●   ●   ●   ●


「離れろと、言ってるだろうが!」

 アオオニは、業を煮やして怒号を浴びせた。

 かれは正面から執拗に打ちかかってくる直文に辟易していた。おまけに後ろからは、友人たちの興奮が伝染したらしいマイタケが、かれの腰にしがみついて動きを止めようとしてくる。

 舌打ちを抑えきれなかった。アオオニはつかみかかってくる者のあしらいに慣れていない。こういう役回りは陽一――アカオニにずっと任せてきたのだ。

 直文に胸を打たれて息がつまる。

 中学生と小学生の喧嘩である。急所以外なら、体格に劣る素人相手に殴られたくらいで、中学生のほうが大きなダメージを負うことはまずない。……が、いらつかないというわけではもちろんなかった。

「うざったい……!」

 かれはようやく正面から直文をとらえ、思い切り突き飛ばした。腰に抱きつくマイタケの髪をつかんで力任せに引き剥がす。

 汗で前髪が貼り付いたひたいを袖でぬぐう。

 こうしたことはかれの本領ではない。

 かれの本領は――

「いいかげんにしろ」

 はねおきた直文をにらみつけて、アオオニはガーゼで覆っていた竹筒の封を開けた。中から白い鼠が走り出る。それをすばやくつかみとり、かれは、

 鼠の頭を食いちぎった。

 立ち向かってこようとしていた直文とマイタケが凍りついた。

 ふたりにもはや目もくれず、アオオニは鼠の頭と、それにくっついてきた脊椎と内臓の一部をぶっと吐き出す。べろりと舌なめずりして血を唇に塗り広げつつ、川べりのほうで行われている争いに顔を向けた。

 山内くんとアカオニの一対一に。


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