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山内くんの呪禁の夏。  作者: 二宮酒匂
第参章 因縁螺旋
15/32

アカオニアオオニ

“明日の遊び場が林だから、せっかくなので虫取りをしよう。雑木林のクヌギにはちみつを塗っておいたから、夜が明けたらすぐ行ってみようよ”

 マイタケがそう言い出して翌朝早く。集まったのは山内くんをはじめ直文、マイタケ、泰斗――男子ばかりである。

 ところが雑木林に踏みこむと、木の間に自転車が二台並んでいた。

「うげっ……オニどもの自転車だぞ」

 死ぬほど嫌そうな声を直文があげた。「紺の方角占い、今日は外れたね」マイタケの表情もたちまち硬くなる。虫かごを手にしていた泰斗が不安そうに周囲を見回した。

「オニ?」

 虫とり網を持っていた山内くんは首をかしげる。

「中学二年生で、ここらじゃ有名ないじめっこコンビだ。阿嘉島(あかしま)陽一、青丹(あおに)(たかし)。それぞれアカオニとアオオニって呼ばれてる」嫌悪をこめて直文が吐き捨てた。「関わらないほうがいいやつらだよ。いかれてる」

「猫や鳩を殺してるってうわさがある」

 マイタケが暗くぼそっとつぶやいた。

「切り裂かれた猫の死体が、ぼくの近所のケンスケくんちの前で見つかったことがあるんだけど……あれはあいつらがやったって話だった。あいつら、自分たちの同級生で猫好きのケンスケくんをいじめのターゲットにしてたもの。ケンスケくん、あれで不登校になって転校しちゃった」

 山内くんはぞっとする。

 姫路でかれが住んでいたアパートでも、そういう陰惨な事件があったのだ。犯人は捕まらなかったが、刃物で殺されたらしき小動物の死骸がアパート前の路上に捨てられていたという。それも何度も、くりかえし。

(姫路の中心地だと人がそこそこ多いからおかしなやつがいても仕方ないけど……この一見のどかな田舎町でも、そういう事件が起きてるなんて)

「あいつら、なんでこんな朝早くうろついてんだろ……ひとまず帰ったほうがよくないか?」

 さほど気の弱いタイプではない直文がそう言い出したのは山内くんにとって少し驚きだったが、文句はなかった。山内くんは逃げることを恥とは思わない。

 かれは護身術の道場の師範に言われたことがある。

『君がまた犯罪者に襲われたとして、武道で相手を撃退しようとするのは思いあがりというものです』と。『女性や子供が多少腕が立ったところで、暴漢の体格がよかったり複数人相手だったりすると何にもなりません。だいいち、暴力に訴えるのでは獣と変わりありません』

 じゃあどうしたらいいんですか、とたずねる山内くんに師範は訓示を垂れた。

『最初から危うきには近づかないことが最上です。人にも獣にも共通する安全の鉄則です。

 気をつけていたにもかかわらず窮地に巻き込まれてしまったならば、人の知恵から使いましょう。説得や譲歩で危険を避けられるなら、それに越したことはありません。

 それが通用せずして初めて“ファイト・オア・フライト”……これは野生動物が敵と出会ったときの反応ですが、“戦うか逃げるか”という選択肢が出てきます。逃げることを選びなさい、逃げ切れそうであるかぎりは』

 危険にかかわらずにすむ道があるなら、かかわらないに限る。逃げられるときは逃げる。それが訓えだった。

 逃げよう、と山内くんは直文たちにうなずいた。

 だが、遅かった。

 いきなり何かが飛んできてすぐそばの樹の幹を打った。重くはないが硬い音がカツリと響き、四人は身をこわばらせた。

「直文じゃん。よう、虫捕りか」

 顔を向ければ、白カッターシャツと黒い長ズボンの二人組の少年がにやにやしながら立っていた。ひと目で中学生とわかる。

 片方が山内くんたちの進路をふさぐように進み出てきた。にきび面で、身長と肩幅は大人にこそ届かないがそこそこがっちりした、成長期まっただ中の体格。

「アカオニだ」マイタケが相手には聞こえない程度の小声でつぶやいた。

 アカオニという少年は左手に透明なビニール袋を持っており、ごそごそ動く黒いカブトムシを雄雌合わせて三匹そこに入れていた。

「俺たちも捕まえたぞ。クワガタやカミキリがいないのは惜しいけど、ひと朝でこれだけ見つかればりっぱな戦果だ。そう思うだろ? あと悪いが、ほかにはもういないと思うぜ? 林のなかざっと見て回ったからな」

「え……あっ!」

 マイタケが泡を食った表情になった。

「ちょっ、ちょっと待ってよ。それ、ぼくが前の日にはちみつ塗っといた樹に寄ってきてた虫じゃ――」

「はああ? 言いがかりはよせよ。おまえらの樹には雀蜂(すずめばち)しか寄ってきてなかったよ。運がなかったな」

 アカオニは薄ら笑いでうそぶくと、学生服のズボンのポケットから右手でなにかを取り出し、親指で弾いてきた。

 それは普通より小さな、弾きやすい大きさのビー玉で、マイタケの胸に当たってかれをひるませた。

「おい、因縁つけてんじゃねえぞ。なんだ、俺たちが盗んだという証拠でも出せるのか?」

「…………」

「『俺たちの捕まえた虫』が欲しいのなら売ってやるよ、どうせ誰かに売りつけるつもりだったしな。一匹二百円だから六百円出しな」

 金の要求に、直文がかっとなったように声をはりあげた。

「なに言ってやがる。だれがあんたらなんかから買うか」

「直文よう。年上にそういう敬意のない態度は、マジでよくねえよ」アカオニの声が脅すように低まり、ビー玉がまた飛んで今度は直文の顔を狙った。直文がとっさにそれをはたき落とすと、アカオニはいきなり目を吊り上げて怒鳴った。

「俺のものを壊すつもりか、馬鹿野郎!」

 大またで迫ったアカオニに胸ぐらをつかみあげられ、直文の顔が青ざめる。かろうじてぐっと口を引き結んでにらみかえしたが、それも数秒のことで、ややあって直文は震えながら視線を下げた。

 唐突で強圧的な暴力は、それに慣れていないだいたいの者を萎縮させる。

 ただ……地面には、ビー玉が転がっていた。無気力にそれを見つめた直文が愕然とした表情になっていった。

「おい、これ……あんたのじゃないだろ。穂乃果の集めてたビー玉じゃないかよ」

「は?」

 ふたたびアカオニをにらみあげた直文の顔が紅潮していた。

「珍しいやつだ、見間違えるわけがない。『職員室に没収されたあと、なくなったと言われて返ってこなかった』っていう……穂乃果はしょげてたぞ。それをなんでおまえが持ってるんだ、返せよ」

「知るかよ。これは俺が買ったんだ」

「どこでだよ。これは穂乃果んちのおじさんの、海外出張のおみやげだぞ。取引先のガラス工場がくれた非売品だって……これをどこで買ったか言ってみろよ!」

 アカオニの顔から表情が消える。

「……人を泥棒扱いしてんじゃねえよ」

「あんたは昔っから盗み癖で有名じゃないか――」

 さらに激しく罵ろうとした直文のみぞおちをアカオニの拳が強打した。直文があっとうめいて体を折り、苦悶しはじめる。

「てめえは紺の次に生意気だからな。いつかしめてやろうと思ってたんだ」アカオニは薄ら笑いを浮かべて直文の髪をつかんだ。「顔を上げろよ、俺に喧嘩を売っておいてこんなもんですむと思ってんのかよ」

「けんかうってきたのはそちらじゃないか」

 抗議の声が小さく、けれどしっかりと場に響いた。

 幼い泰斗が泣きそうになりながらも、足をふんばってアカオニを見上げていた。

「もういちど言ってみな。なんだって、ちび?」

 アカオニは直文から手を離し、泰斗に向きなおった。みぞおちを押さえたまま地面にうずくまる直文に目もくれず、かれはポケットから新たにビー玉をつかみ出した。

「こっちが売ってるのは喧嘩じゃなくて虫だ。因縁つけてまでてめえらが欲しがった虫を真っ当な取り引きで買わせてやるって言ってるんだ。喧嘩じゃないってこっちが言ってるのに、そっちがあくまで喧嘩にしたいなら、そっちの非だよな。ほら、これだって遊んでやってるんだぜ。喧嘩するつもりがあるなら直文みたいに叩き落としてみろよ」

 むちゃくちゃな理屈を吐きながら、アカオニは泰斗の頭にビー玉を一個ずつほうり投げはじめた。こん、こんとビー玉が頭にぶつかってはねる。馬鹿にしきった行為を受ける泰斗の目尻から、怯えの涙が震えてこぼれた。

「小銭くらいだれか持ってるだろ? 別に後日にこっちから取り立てに行くのでもいいんだぞ、利子がついて一人千円になるけどな」

 アカオニがそう言いながらまた放ったビー玉を、

 虫捕り網が横から伸びてからめ取った。

「んん?」

 網をふるった山内くんは泰斗を背にかばって立つ。アカオニはいま気づいたというようにかれを見た。

「そういえばどこのだれだ、てめえは。見ない顔が混じってると思ったが」

「これは、筋が通って、ない」

「……何言ってんだてめえ」

 若干つっかえながら山内くんが言うと、不快そうにアカオニは目を細めた。

 山内くんは緊張にのどが干上がるのを感じる。一方で腰を落とし、肩や下半身から力みを抜く。体の重心を下げた、素早く動ける体勢。

 師範との会話をまた思い出す。

『ただし』師範は逃げろとすすめた後にこう言ったのだった。『良くも悪くも人は野生の獣にはなりきれません。自分の身の安全よりも優先する大事なことがあるなら、それが人としてどうしても譲れないものなら、そのために戦うことを止めはしません』

 山内くんにとって、身の安全より優先するものはパパの教えだった――

“筋を通せ”。

「痛い目見たくなきゃ引っ込んでろよ」

 アカオニは山内くんの顔に向け、ビー玉を強めに弾いた。

 左手を網の柄から離し、山内くんは宙でつかみとった。直線的に飛んできたビー玉を。

 アカオニの鼻に寄ったしわがさらに大きくなる。その口が開いて怒鳴ろうとした矢先、一枚の符がひらひらと蝶のごとく両者のあいだに舞って、


 ぱん!


 爆竹のごとく破裂した。アカオニも山内くんも目を丸くしてたじろぐ。

 次の瞬間、山内くんのさらに前に、きゃしゃな背中が立ちふさがった。

「アカオニ。直文に何しやがった。泰斗にも」

 駆けてきた紺の声は、群れの仲間を守る獣さながらの敵意に満ちていた。

「知るかよ、ちょっと撫でただけだし、その弱虫のちびは勝手にべそかいたんだ。それよりその呼び方すんなって前にも言ったろ、なめてんのか」

 アカオニは顔を歪めて言ったが、その声にはいささかの狼狽が混じったように聞こえた。

「何度でも呼んでやる。アカオニ、オレがいるときだろうといないときだろうと、こいつらに手を出すな! それと」

 紺は語気荒く威嚇し、手のひらを出した。

「そのビー玉。穂乃果のだ。返せ」

「はあ? 知らねえよ」

「そのひん曲がった根性を直さねーとろくな死に方しねーぞ。いいから返せ、だれかがとってったってのは占ったら出たんだ!」

「俺を泥棒と呼ぶな」

 アカオニの目に憎悪が宿り、山内くんは息をつめた。いつでも紺の前に出られるようにする。が、アカオニはけっきょく紺から顔をそらし、腰のポケットから十数個のビー玉をつかみだして地面にぶちまけた。マイタケがおそるおそるそれを拾い集める。

売女(ばいた)と狐をかけあわせた汚れた血の家のくせに……なにを偉そうに」

 ぶつぶつとアカオニが漏らす声には、それまでとは少し違った黒い感情があった。紺に対する強いさげすみと、それをはるかに上回る恐怖が。

 そのとき、アカオニの肩に手が置かれた。

「なにびびってるんだ、陽一。紺のことはただの女の子と思っていいと言ったろ」

「崇くん」アカオニがほっとした顔色になる。

 その青丹崇――アオオニという少年はそれまで、アカオニの背後でかれの狼藉を退屈そうに見ていた。紺が駆けつけるや進み出てきたかれは、一見してそう乱暴者には見えなかった。青白い顔色、秀麗な優男の面立ちである。だがその歪んだ笑みには粘っこい悪意がこびりついていた。

「なあ、紺。これはおまえの思ってるようなことじゃないよ……陽一の口ぶりは誤解されやすいんだ。僕たちがかわいい後輩をかまっちゃだめというのかい?」

「なにがかわいい後輩だ。あいかわらず気持ち悪いな、あっちいけよアオオニ。とにかくこいつらにちょっかいかけるな」

「へえ。ちょっかいかけたらどうする? 十妙院では、人に術を直接かけるのは禁止されてるんだろう? それとも、だれかに言いつけるかい? やってみるがいいよ……どっちの家格が上なのか忘れたかな。ここらじゃ十妙院よりも青丹のほうが偉いんだよ。おまえたちはしょせん、たかだか二百年前によそから来た狐の家にすぎないんだ」

 ぺらぺらと舌を回しながら、アオオニはなぜか一瞬山内くんに探るような目を走らせた――山内くんはまなじりを決してかれを見返し、はたと気づいた。

 この相手とは初対面ではない。

 黒焦げの死体を発見したときその場にいた少年だ。たしか猫殺しで補導される途中だった。

 紺が呆れ顔で言い返す。

「……おいアオオニ、おまえらの本家の祝部(はふりべ)はとっくに滅んだだろ。なに白昼夢見てんだ。ウチの時代錯誤っぷりもたいがいだけど、まだ現実は見失ってねーぞ」

「現実をわかっていないのはおまえだよ、紺」

 アオオニはべえ、と赤黒くぬめぬめした舌を見せた。このとき山内くんはにわかに悟った――アオオニのほうが、アカオニよりもはるかに危険なのだと。

「祝部というのはもともと決まった家がやる(しき)じゃなかった。滅びたら分家のどれかがまた(おこ)せばいいのさ……紺、僕の機嫌は損ねないほうがいいんじゃないかな。僕とおまえは十年後か、ことによるとたったの五年後には結婚してるかもしれないんだから。なんといったかな、そう、『いいなずけ』みたいなものじゃないか?」

「頭わいてんじゃねーの?」

 冷え冷えとした口調で切り捨て、紺はきびすを返して「行くぞ」と山内くんたちをうながした。

 一同が中学生二人に背を向けても、アオオニの不快な声はあとを追ってきた。

「おまえのお祖母様がむかし皆の前で言ったことだよ。由緒ある祝部の血を十妙院に入れるのは損にならないってね。じゃあね、紺……その日のこと、実はけっこう楽しみだ」

「けったくそわりぃぃ。万が一にもそんな成り行きになってたまるか」

 紺はずかずか大またで歩きつつ、歯ぎしりして毒づいた。山内くんはその話の詳細が気になりながらも聞くに聞けず、直文に肩をかして黙々とついていく。

 林から出たのち、紺は眉をしかめて一同をふりむいた。

「遊び場を決めるときの方位占いは、こういう不運を避けるためなんだけど……天気予報みたいなもんで、百%大丈夫ってわけじゃないんだ。悪かった」

 紺は責任を感じているようだった。マイタケと直文がううんと首をふったが、直文は目を真っ赤にして黙りこくっていた。屈辱がかれの心をかきむしっているのは明らかだった。

(どうせあの乱暴者に立ち向かうなら、もっと早く踏ん切りをつければよかった)

 山内くんは悔やみながら言った。

「あいつらのやったこと、大人たちに告げるべきだと思う」

 どんよりと暗い目をマイタケが向けてきた。

「無駄だよ」

「無駄ってどういう……」

「あいつら、大人が何したって悔い改めなかったんだよ……先生や警察のひとが怒ったって、親に連絡したってさ。前にもこういう暴力事件で被害にあった子がいたけど、その子の親がアカオニの家に文句言いに行ったら、やる気のない対応されたそうだよ。『あの子に謝らせようとしたって、残念ですがあの子はわたしの説教なんか聞きやしませんから無駄ですよ。強く言おうとすれば暴れます』って。

 アオオニの親のほうは、『怒っておきます、治療費も出します』っていうもっとましな対応だったっていうけど……それ以降もアオオニはまったく変わってないんだ、どうしようもないよ」

「……人に直接術を使っちゃだめと言われてるのが、ときどきたまらなくもどかしくなる。オニども見てると」紺は歯噛みしていた。「極楽縄を絵美に渡しやがったことも忘れちゃいない。オニどもにはいつかお灸すえてやる。年上だなんて関係あるか」

 その憤懣を聞きながら、山内くんはひとつ決意する。こちらに来てからおろそかにしてしまっていたが、朝夕の鍛錬を再開しておこうと。

 超常現象より人の悪意のほうが厄介なこともあると、久々に思い知っていた。




 青丹崇――アオオニは帰宅するとまっすぐに自分の部屋に向かった。

 途中、父親がこもりっぱなしの部屋の戸を叩く。

「だれかまた文句を言いに来るかもしれないから、適当にあしらえ」

 返事はない。息をひそめて身をすくませている気配はあった。

 舌打ちし、アオオニはもう一度戸を叩く。

「おい。聞こえたのか。また足の指を無くしたいか」

「わかった、わかったよ。ちゃんとやっておくから」

 父親のおびえた声がほそぼそと返ってきた。

 アオオニの苛立ちはますます強まった。いっそ近いうちに殺してしまおうかとも思う。

 この戸の向こうにいる男に、もはや肉親の情などひとかけらも抱いていない。祝部の分家、青丹の当主のくせに呪術の才能をかけらも持たない、どうしようもない凡人。そのくせ分を知って常人の世界に腰をすえることもできず、幼くして才の片鱗を見せた息子(アオオニ)に望みを託した男。

 ――十妙院を追い落とす子だ。

 ――力すぐれた神を祀ってきた我々が、あんな狐の家の下風に立たされている現在がおかしいんだ。

 ――青丹家をかつての祝部のように、いまの十妙院のように栄えさせろ。

 アオオニはそう言われて育った。

 呪術をほとんど使えない父親は、まともな術者が見れば鼻で笑うか即刻やめさせるようなやり方でアオオニに呪術を仕込んだ。知りうるかぎりの古今東西の魔術の知識をかれに詰め込み、儀式の上っ面をひたすら実践させた。獣の腹を裂いて腸のもつれで未来を占わせたり、愛犬に大量の湯をかけて殺した末にその首を切り取って「これで式神をつくりなさい」と命じたりもした。

 父親は大過なく会社に勤め、温厚な人との評価を外では得ていたようである。だが家のなかでは、アオオニが少しでも反抗すると、かれの手を押さえつけてまち針で“罰”を与えてくるような男だった。母親は獣の虐殺場と化した家中に呆れ、おぞましがり、父子を残して出ていった。

 それだけであれば、常軌を逸したオカルトマニアの父親によって崩壊した家庭がひとつ、という話で終わったかもしれない。

 不幸にも、伝えられた知識のなかには“本物”があった。散逸しつつも一部が残っていた祝部の秘術古伝……それを吸収し、青丹崇という少年は、外法の術を備えるにいたった。何年も前、かれは自分が「本物となった」ことに気づいた。式を使ってかれが最初に行ったことは、父に生涯消えない恐怖を刻み込むことだった。父に首を切り落とされた愛犬は、異常な雰囲気の家のなかでかれが唯一心を許していた存在だったのである。

 やはり、こいつはいつか殺そう。

 父を殺すことを決めると、いびつな笑みがこぼれた。自分の得意とする蠱毒(こどく)系統の呪術をうまく使えば、警察の追求を受けない殺し方はいくらでもできる――十妙院やほかの祝部分家のような、同じ呪術世界に生きる者には筒抜けかもしれないが。

「でも、しぶとく生きてるあの餓鬼を排除すれば……」

 競争者を排除して新しい祝部になって、ほかの分家や十妙院より強くなってしまえば、

「弱いやつらの追求なんか気にする必要もないよなあ。そうなったらだれを殺そうと自由だ」

 笑い、階段を上がり、アオオニは自分の部屋に入った。

 カーテンがしめきられて昼なお薄暗いその部屋の床には、ケージが所狭しと積み重ねられている。たくさんのケージはそれぞれ識別番号を書いた紙を貼られ、獣の気配と死の臭いをたちのぼらせている。

 ふん、ふん、ふん、ふん……鼻歌を唄いながらアオオニはケージのひとつに歩み寄る。

 なかでは、最後の仲間――兄弟か親か子か――を食い殺したばかりの二十日鼠(はつかねずみ)が、白い毛皮を赤く染めて肉をむさぼっている。過密状態でつめ込まれて餌を一切与えられず、交尾して産む片端から共食いしあった群れの成れの果てだった。

「ほうら、おいで、おいで」

 厚いゴム手袋をはめてケージに手をつっこみ、愛情深くさえ感じる声音で、アオオニは最後の一匹を呼んだ。

「おいで、おいで、さあ、おいで」

 かれの呼び声を聞くうちに鼠はおとなしくなり、ぐったりとして手袋に握りこまれる。

 摂魂術。

 鼠をつかみあげて椅子にこしかけ、アオオニは脳裏にひとつの顔を思い浮かべる。

 山内の餓鬼。

(なんでこんな田舎に来たのか知らないが)

 好都合というものだった。

 かつてあまりに幼いころ、姫路に連れて行かれた。住宅街でよちよち歩きをしている、赤ん坊からようやく脱したばかりの幼児を、遠目で眺めさせられたことがある。

 ――あの子を呪詛しなさい。

 ――あの子はおまえの最大の競争相手なんだよ、崇。これは淘汰なんだ。蠱毒とおんなじだよ、生存競争を経てもっとも強い毒が定まる。

 ――何年かかろうとも、必ず殺すつもりでやりなさい。手を血に染めた者こそを、祝部の神は……まがつみくらの神様は言祝(ことほ)いでくださるんだから。

 粘着的な父親の声が脳内でうっとうしくリフレインする。

 父の定めた道だが、アオオニはこのまま歩むつもりだった。

 かれは机の引き出しから彫刻刀を取り出して、鼠の頭を削りはじめた。キーキー、キーキーと鳴き声が響く。アオオニはゆっくりと刃を動かす。鼠が静かになるまでは長くかかった。

 しかし、とアオオニは眉をひそめた。「紺があいつの護衛についてるとなると、手持ちの駒じゃ戦力不足だよなあ」

 鼠ぐらいではどれだけ苦痛を与えて殺しても、十妙院の護りを突破する式にはなるまい。

「猫か犬を調達しないとな……新しい殺し方も試してみるか。溺死なんてよさそうだ」

 血まみれの毛皮を剥ぎ取り、赤い肉をごみ箱に捨てて、アオオニはふと思いをめぐらす。

 人を蠱毒の材料に使えば、強い式神ができるんだろうがなと。


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