突き刺さる刃
※人によっては残酷描写有
『バカ女。バカ女。敵を心配するのか?』
「……」
「おお、さすが僕の犬」
戦いの最中、満足そうに笑みを兄様は浮かべている。どうやらものすごく余裕そうだ。
「……」
私は子犬に目を移していた。確かに精霊が喋っても、不思議ではない。不思議出来ないけれど――。可愛らしい子犬が中年男性の声……。何となく不条理を感じたけれどそんな事を考えている場合ではない。私がリュートへ走るとじゃれつく様にして白い毛玉は付いて来る。
「リュート!」
『殺すか? 殺すのか?』
ビー玉のような目。パタパタ嬉しそうにしっぽが揺れている。なんだか純粋と言えば純粋だけど言っている言葉が嫌だ。第一私はリュートを殺すつもりれはないし殺したくも無い。
けれどどうしていいのかは分からない。分からない。私は思わず唇を噛んでいた。
「そんな、わけない。私は――」
刹那――リュートは起き上がると叩きつけるような殺気を私に向けた。冷気が増していく。ぱりぱりと音を鳴らしながら足元は白く凍っていく。それはまるで彼女の怒りが具現化している様に感じて私は息を飲んでいた。
息をも詰まるような緊迫感。そんな世界の中『子犬』だけが愉快そうに喉を鳴らしている。
『ったく。おい。あほ女。知ってたか?』
リュートはゆっくりと視線を子犬に移した。その表情は無表情に近く作られた面のようだった。
「……」
『――もうやめたいとグラスが言っているのを。お前が可哀想で付き合ってきたけれどもうやめたいと泣いているのを知っているか?』
「そんなの関係ない。同調が少し落ちるだけだわ」
『はっきり言って上位精霊がそんな糞みたいな技術に捕まることはまずあり得ない。現にお前以外持っていてないだろう? 付き合ってやっているだけだ。グラスは優しいから。こんなくだらないことにも付き合える』
なぁ? と呼びかけたところで子犬は霧の塊を発生させる。それはふわふわと空間を漂った後でどんどん『人』の形を成していった。弾ける様な音を立てて固まる水分。いつしかそれは氷の彫像と成してリュートと対面していた。
美しい女性の像。髪の毛一本一本まで氷の人は薄い唇を綻ばせたがどこか悲しそうに見える。
「ぐ、ら、す?」
まるで夢の中に居るようにしてリュートはぼんやりと呟く。彼女は初めてその姿を見たのかもしれない。
『もう、やめましょ? 姫様。一人で立つのは』
澄んだ声。それは空気を震わすようにして響いた。
『そうだぞ? グラスがいなければ――』
空気も読まずに喋り続けようとした子犬に向けられるのは殺気。私は慌てて子犬を抱きかかえると口許を黙らせた。その間唸っていたが、殺されるよりはましだろう。位的に考えると『霧』には勝ち目なんて無いのだから。精霊が死ぬのかどうかは置いておいて、だけけど。
ただ、空気を読まずにいるのがもう一人。声に頭を抱えそうになってしまった。
「へぇ。出てきたんだ。このままあの女の中で力を掠め取らられるだけの存在だと思っていたんだけどな」
「兄様」
さすがと言うべきなのか何なのか、ローエルは殺されてはいないものの羽交い絞めにされていた。床に押さえつけられて、あれでは動くことは出来ないだろう。ため息一つ。ねめつける様に言うと兄様は意外そうに眉をあげて軽く笑った。おそらく私が兄様に意見を強く言うと言う事は無かったからかもしれない。
とにかく黙っていて欲しい。心の中で念じながら二人に目を戻す。
『姫様はよくやったと思う――だから、終わりにするべきよ』
「よくない。グラス――力を貸して? もう少しだわ」
氷の精霊が悲しそうに言うのを確認するとリュートはその答えを予期していたのだろう。別段顔色を変えることなく、彼女は私が落としていた剣を手に取った。けっして軽くはないそれ。リュートの細い腕では持つことで精いっぱいかもしれない。美しい顔を顰めると彼女は軽く構えて見せた。
口許が何か紡いだ気がしたが声に出ることはない。
『姫様』
悲しげに声が響く。されに追随するように呟いたミストもどこか寂しげな声をしていた。
『あほ女だな。本当に』
「――死ぬよ?」
冷たく言い放ったのは兄様だった。それは脅しではなく、本気だとその目は語っていたがリュートが怯えることは無い。ただ艶やかに口許を綻ばせただけだった。
散る前の花の様に。
それが私の言いようのない不安を駆り立てる。
「リュート。やめて?」
「私は、デリオロンの娘。国民を守らなければならない。課せられたものがある。やらなければいけないことがあった。だからね――ライラ」
――私は謝らないよ?
鮮血が舞った。止めようと思えば止められたその剣を誰一人として止める者はいない。駆け寄ろうとする私を止めたのは紛れもなくリュートの意志。
だからと言って躊躇するべきでは無かった。無かったのに――刹那の状況に竦む脚は動かなかった。
「やめ――っ!」
剣に貫かれた喉笛。口許からは溢れるようにして血が鈍い音を立てて流れ出す。それでもリュートは嬉しそうに笑うと力尽きたようにして膝元から崩れ落ちた。
私は軽く悲鳴を上げて彼女の肩を抱きかかえ、震える手で喉の傷を抑えたが、流れる血は止まることはなく永遠に流れる気がした。




