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蛙のお姫様【仮】  作者: stenn
二章
41/61

願いの先

過去編――了です。

「にげろっ!」



「でもっ――!」



 ぽろぽろと真っ青な顔をして涙を流す少年。竦んで動かないのもあるだろうがそれ以上に私が心配で仕方なくて動けない。そんな顔をしている。



 私は彼を安心させるために口許を綻ばせて見せた。余裕があるように。そんなものなど一片たりとも残っていなかったけれど。



「大丈夫。オーエンがちかく、に居るはずだから――呼んできて」



「――っ!」



 ざっと足音がする。踵を返して走る音に私は軽く安堵した。ぎりぎりと鼻先まで近づく剣。このまま頭から斬られるのだろうか。



「あっ! クソガキ! まちやがれ!」



「あーあ。逃げやがった。頑張れよっ。ロード」



 声を出すことによって少しだけ力が緩む。私は自身の剣を斜めに下げ相手のそれを滑らせた。素早く身を離すと体制を整え、剣を構え直した。さすがに手がピリピリしている。傷が熱を持ち強く脈打っていた。



 さすがに、もう無理かもしれない。けれど、これだけでもここに縛り付けることが出来たら、ローエルの逃げ切れる可能性が上がるだろう。逃げるわけにはいかないと言い聞かせて私は唇を噛む。



「ち。邪魔くせぇな。いい加減――クソガキが! 生きて帰れると思うなよっ――オラぁ!」



 風を斬る音。剣を全身で受け止めると私の身体は吹き飛んでいた。先ほどとは比較にならない力。近くの木に私の身体は叩きつけられる。鈍い音。不意に飛ばされた為受け身など追いつかず、衝撃と痛みに身体が痺れるようだった。



 立とう――そう思うが身体に力が入らない。飛ばされたと同時に剣も吹き飛んだのか少しだけ離れたところにそれは転がっていた。



「馬鹿か。ガキの身体で大人に勝てると思ってたのかよ? 何ともできなかったよなぁ。正義の味方のつもりか? あいつのかぁちゃんにでもなったつもぃなのかな?」



 顔を上げると男の顔がある。眉を吊り上げ、汚い物を見るかのように軽蔑の眼差しを向けていた。伸びる手は私の髪を乱暴にひっつかむと強い力で立たされる。頭の皮が剥がれる様な痛みに襲われながら私は男を半ば睨み付けるようにして見つめていた。


「怖がりもしねえ、か。気持ち悪いガキだな。おい」



「……寄らないで」



 怖くないわけではない。これから起こりうるだろうすべての事は私の頭の中にある。所詮子供の考えで甘くはあるけれど。それを考えると――怖い。震えるほどに。それが表情に出ないのは単なる癖と、あとは意地だ。



「うっせぇ、ガキが」



 吐き捨てられるように言うと頬に鋭い痛みが走り、甲高い音が辺りに響き渡った。同時、身体は軽く宙に浮き地面に私の身体は叩きつけられるようにして倒れこむ。



 体中どこもかしこも痛む。打ち付けられた身体は全体に鈍い痛みが広がり、叩かれた頬は微かに腫れ熱を持ち始めている。手の傷は血が止まったものの未だ一味で強く脈打っていた。



 立たなければ。そう頭で考えるが何もかも言う事聞かない。痛みで動かないというよりは何かが私の中で静止を促すようだった。これ以上はもういい。そう言っているように。



 もういいのだろうか。



 じわじわと広がる痛みの中、思い出すのはローエルだ。泣き虫なあの子は逃げ切れただろうか。このまま逃げ切って義兄に会えば安全だろう。あの人はああ見えて強いから。大人でも軽く倒すほどに。



 ――お願い。



 痛みの為なのか、強い願いの為なのか目の前が涙で滲んだ。



「ライラ!」



 考えていると、目いっぱいに赤い双眸が飛び込んで来た。暗くなり始めた林の中、彼の眼は自ら光を発するように私を見つめる。



 きれいだな。そう思って思わず笑いかけれたけど、すぐ顔を顰めて見せた。何故ここに居るのだろう。逃げたはずでは無かっただろうか。批難するように見たけれど彼はそんな事もろともせず真っ直ぐに私を覗き込んでいた。



「――ライラっ!」



「捕まったの? あたしがせっかく……」



「ご――ごめんなさい。だって、だって」



 ぽろぽろと涙が零れ落ち、私の顔にぽたぽた落ちる。温かな涙だったが熱を持ちすぎた頬には丁度いい冷たさに感じられた。



「ガキ。そろそろ行くぞ? ――世話かけやがって」



 私から引き離される小柄な少年は逃れようと身動ぎするが男はびくともしない。手慣れた手つきで手足を拘束。猿轡をされた後、用意していた麻袋の中にローエルを入れた。



 恐怖に歪む少年の顔が目に焼き付いて私は思わず叫んでいた。



「ローエル!」



 刹那――鈍い痛みが下腹部に奔る。私は頭の上で吐き捨てる様な声を聞きながら小さな悲鳴を上げてうずくまってしまう。



 喉の奥からすっぱいものが込み上げて私は軽く胃液を吐いていた。微かに血が混じっている。口の中に鉄の味と何とも言えない酸っぱさが広がった。



「うっせえ、お前もだよ! 手間かけさせやがって。報酬は弾んでもらわないと」



 歪む視界に男の姿が映る。少年の入った麻袋。中では必死にもがいているのだろう。ばたばたと絶えず暴れていたが男が袋に何か囁いたところで大人しくなった。



 脅されたのだろうか。それとも宥められたのだろうか。――諦めたのだろうか。



「さ、お前もだ」



 私たちはきっと売られるのだろう。その先に何があるのかは分からない。きっといいことでは無いだろう。少なくとも母と暮らしていたころよりも酷いことをされる。そう思う。あれだけでも惨めで悔しくて耐えられなかったのに。ローエル一人で耐えられるだろうか。泣き虫で優しい……友達。



 悲しんで欲しくない。酷いことは知らなくていい。ローエルがローエルでなくなってしまうのは嫌だ。



「……そんな、こと」



 かすれた声で私は呟いていた。――確認するのは剣ではない。男が落とした『矢』だ。意外に近くにあって私は気付かれ無いように手を伸ばしていた。



 もう少し――震える手。力は殆ど残っていない。だけれど。そんな事も言ってられなかった。そうしなければあの子を助けることなんてできないだろうこと分かり切っていたことだったから。



 最後のチャンスだ――。



 体中すべての気力を振り絞ると私は其れを握ってスカートの中に隠す。



「あ? お前まだ動けるのか? 商品にこれ以上傷はつけたくないんだけどなあ?」



「……んなこと」



「あ?」



 口の中で転がした声は空気に乗ることはない。さっと闇が包み始めた林に消えていく。ワザとだったわけではない。けれど幸いによく聞き取ろうとして男が顔を近づけて来た。



 私は全身全霊。持っていた矢に力を、全体重を乗せ男の胸に突き立てる。



 銀色の鏃は服を切り裂いて胸を深く抉り、男は信じられないと言ったような表情で私を見つめていた。



 震える手に生ぬるい感触がジワリと伝う。



「そんなことさせない!」



「こ、の。が――」



 言葉を最後まで聞くことはない。身体が力なく倒れたのを確認すると、私は回収されてしまった剣を引き抜く。血で滑るのもあるがうまく持てない。血塗られた服の袖を強く引っ張ると掌に巻きつけ剣を固定させた。もう、離さないように。死んでも負けないように。私はぐっと唇を一文字に結ぶと林の向こうに目を向ける。



 暗い闇が広がり始めた世界。すでにローエルともう一人の男の姿は見えず鳥の鳴き声だけが響き渡っていた。



 大丈夫。まだ、やれる。



 駆け出すと言うにはあまりにも遅い。けれど、それでも私は足を踏み出していた。



 助けて。見せる。





 聞こえるのは悲鳴にも似た懇願。――ローエルだろう。彼は泣き虫だから。




 私に宥める力はもう残っていない。少しでも、少しだけでもあの子の心が晴れるように笑いかけることしかできなかった――。




 願わくば、あの子を誰か助けてほしい。



 ――誰か。




 その願いの中で私の意識は途切れて消えた。


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