兄弟
「――ローエル……様が大切なんですね」
言わずとも知れた事。けれど、改めて口にしたのはそこに初めて『肉親の情』を見た気がしたからだ。今までは何だろう。盲目的に愛情を注いている様に見えたのだ。それは――兄様然りだけれど。
ソルト様は驚いた様に顔を上げた。少しだけ呆けたように私を見ると苦々しく笑う。
「まぁ。そうですね。たった一人。私の弟ですから。……でも。ライラさん。本当に分かってますか?」
なぜ『ライラさん』と私の名を呼んだのか分からなかった。いつもなら『貴方』もしくは『ライラさん』なのだけれど。何となくローエルを『様』で呼んだからだろうか。
それにしても、なぜか先ほどまでとは比べ物にならないくらい頬に熱が落ちる。暗いとは言え月の光で分かるだろうか。
「狙われる理由はあなたも同じになのだと――父上から……」
「え?」
私が間抜けな返答をした刹那。『カタン』と小さな音がした。何かが落ちる様な些細な音。普通であれば気にしない音だったが、ソルト様は眉宇に皺を寄せる。
「ようやく、ですか」
微かに呟く声には少し警戒色が混じっている様に聞こえた。
「ソルト――さ」
「ローエル。起きていますね?」
「……」
言われて渋々少年は顔を起こした。離れる手。温もりが消えて冷たい空気が掌に入り込んだ。
バツが悪いのだろう眼を合わせようとはしない。ソルト様に怒られると思っているのだろう。しおれた花の様に肩を落としている。
「あの、その。俺。起きるタイミングを逃して――聞くつもりじゃなくて」
「あの、どこから?」
訝しげに言う私に彼は大きな目を見開いたあとで、頬を染めた。白い肌。暗くても分かる。それはとてもかわいい様に見えたが、私は嫌な予感がして頬を引き攣らせた。
「まさか――」
『うぅ。だって』ポツリと呟くローエルに私は頭を抱える。起きていたなら、止めて欲しかった。兄弟そろって何を傍観しているのだろう。恨みたい気持ちもあったがそれはお門違い。それが分かるからこそ言葉を飲み込んでただ呻いていた。
「愉し気な所、悪いのですが。そんな事よりも。ローエルお客さま来たみたいですよ? もてなして差し上げなければなりません」
何を持って愉しい。そう見えるのだろうか。私もローエルも苦虫を潰したような顔を浮かべたが彼のそれは私とは違う意だった様に思う。
ソルト様の言葉に何かをローエルは察したのだろう。引き締めた横顔。その雰囲気は先程までとは別人のようだった。立ち上がり、ため息一つ。その後でローエルはソルト様に向けて半眼で目を向けた。
「お客って――別に待ってたわけじゃないですけど? 兄上」
言葉に悪戯っぽい笑みを軽く浮かべる。
「ふふ。そうですか? でも、いずれまた出会う事になるんですから――早い方がいいですよ? それに私は待っていた方です。お世話になったお礼だってまだしてませんので」
次第に冷気を帯びていく声。殺気を増した双眸は爛々と輝いて壁しかないはずの闇を見据えていた。まるでそこに『何か』がいると言う事を確信しているかのように。ピリリとした緊張を感じて私は思わず息を飲みこんでいた。
「ソルト、様」
さすがの私もそれが何を物語っているのか分かる。私は窺うようにしてソルト様を見た。
「まだ、捕まってないのですか?」
確かに、これほど広い学院と王城。確かに探すのは困難なのかもしれない。だが仮にも国家の中心。賊に入られて王子――非常に言いたくないが――を傷つけたとあらば国家の威信にかかわることだ。にもかかわらずまだ捕まっていない。これでは兵士――最終的には国王の能力が疑われる。それくらい私でも分かる。
けれど、そんな憂いはソルト様には微塵も感じられなかった。
「残念ながら――でも問題は無いですよ。不安がる必要もありません。私がいるのですから」
これがソルト様や兄様でなければ――ローエル含めて――『大丈夫だろうか』と聞き返したいところだったがその言葉には説得力がある。兄様はともかく、ソルト様はこの国屈指の実力を持っているはずなのだから。私は『はい』と返そうとしたが、何やら考え込んでいたらしいローエルが首を捻りながら割って入る。
「なぁ、俺なんか『賊』に世話になったっけ? ただ、切り付けられただけだよなぁ?」
「……」
そう言えば、そんな事を言っていた気がするけれど。まだ悩んでいた事に私は驚いていた。――どう考えてもどうだっていいことのような気がするし、何となく先ほどのソルト様の発言は個人的復讐にしか聞こえ無かったからだ。『大事な弟を傷付けて如何してくれようか』みたいな雰囲気だろうか。
あまりにも秀麗な顔をするので忘れていたが現実に戻るとソルト様は残念だった。ちなみにローエルはさらにその上を行くような気がするが。とにかく答えるのが馬鹿らしくなって無視していると彼はさらに首を捻る。そこまで捻っても何も出てこない。そう思う程に。
「だよなぁ? 兄上」
「ふふふ」
ソルト様はソルト様でローエルの困り顔を楽しんでいるようだった。何となく『馬鹿な子ほどかわいい』という感じに見える。当然、答えを言う事も無く嬉しそうに頭に軽く手を置くと、『なんだよぅ!』と抗議の声をローエルが上げる。
微笑ましい……のだろうか。この状況で。




