01.餓鬼と坊主
なんかきがついたら短いながらも一話目にしていきなり戦闘シーンっぽいものが……。
まあ流血シーンは一切ないんですがね。
鬱蒼と生い茂る森の中、一人の青年が息を潜めていた。
彼は村の若者の中で一番の狩り上手として知られ、今日も森に入り獲物を待つ。
そして今目の前に現れた獲物目掛けて弓を射掛けようとしたその瞬間、彼の直ぐ後ろで茂みがガサリと音を立てた。
まさか大型の獣かと慌てて後ろを向くと、そこにいたのは獣ではなく、袈裟に身を包んだ一人の坊主だった。
「む、狩りの邪魔をしてしまったか?すまぬが、近くにある村まで案内してもらえると助かるのだが……」
青年の足元にある背負いかごの中の獲物を見て、少々ばつが悪そうにしながらも坊主はそう言った。
見た目は坊主にしては少々逞しすぎる気がしないでもないが、旅の修行僧ならばこんなものか、と思い直す。
唯一、その顔にかかる色眼鏡などという珍しい装身具が修行僧らしくないと思わせるものの、それ以外の格好はどこからどう見ても修行僧そのものだった。
「あ、ああ。それなりの量は獲れているから気にしなくていいさ。どのみちそろそろ引き上げないと、日暮れまでに村に帰れないからな。俺は弥彦、あんたは?」
「これはすまない、拙僧、名を荒天と申す。見てのとおり、ただのしがない旅の坊主だ。よろしく頼む」
「ああ、よろしく。村はこっちだ、ついてきてくれ」
そう言って、獲物の入った籠を背負いながら坊主を先導する。もしかすれば修行僧の格好をしただけの賊かもしれないと僅かに警戒しながらも、本当に旅の修行僧ならば、或いは……とこれから帰る青年の村で起きている事を思いながら。
無事に日が暮れる前に村に着くと狩りの成果の報告と荒天の紹介のために、二人は村長の元へと足を運んだ。
「おお、弥彦や、帰ってきたか。後ろの坊さんはお客人かの?」
村長宅を訪ねると村長の妻である老婆が二人を出迎え、家の中に招かれると、好々爺然とした老人が再び二人を迎えた。
「はい村長、無事帰りました。狩ってきた獲物はこの籠の中にあります。それとこちら、旅の修行僧の荒天殿です」
「お初にお目にかかる、荒天僧正と申す。急なことですが、一晩の宿をお貸しいただければと挨拶に参りました」
「これはご丁寧に、私はこの村の村長を務めております源次郎と申します。それとこれは妻の琴です」
村長の源次郎に紹介された老婆はにこやかに微笑みながら静かに会釈をし、互いに挨拶を済ませたところで改めて村長が口を開いた。
「お泊めするのは構いませんが、実は少々立て込んでおりまして……。荒天殿を一人で旅をしていられるほどの法力僧と見込んで相談があるのですが、よろしいでしょうか?」
「一宿一飯の恩もあることですし、何より法力僧に相談するような事態となれば、一僧侶として放っておくわけにもいきますまい。急ぐ旅でもありませぬし、何なりとお申し付けください」
源次郎の言葉に当然とばかりにうなずいた荒天に村長の源次郎は笑みをこぼし、そしておもむろに口を開いた。
何でも、およそ一月ほど前から村人が急に凶暴になり、何かしら食べ物を貪ろうとするという事態が定期的に続いているらしい。
老若男女の区別なくそれは起こり、食べ物なら何にでも反応するものの、特に肉類を欲し、ひどい場合は生きている鶏をそのまま食べようとする者まで現れる始末だとか。
幸いにして一度に一人しかそうなる者はおらず、気を失えば正気に戻ることと、食べ物を手にして貪っているときは他のことには意識がいっていないようで、これまではそういった者が現れるたびに食べ物を与え、その隙にあの手この手で気絶させてしのいできたらしい。
だが、いつまでもこのままというわけにもいかず、さらに鶏を生きたまま食べようとした者が現れたことから、いつ人に襲い掛かるかもしれないという不安が村中に蔓延しはじめ、どうすればと思い悩んでいたところだとか。
「……ふむ、それはほぼ間違いなく『餓鬼』の仕業でしょうな」
「やはり物の怪の仕業でしたか……荒天殿、この村の村長として、何卒、その餓鬼を退治していただきたい」
「お任せくだされ。もとより、こうして旅をしているのは、このような事態を少しでも解決するためでもあります」
深々と頭を下げる源次郎。それに対して荒天もうなずき、事態の解決に努めると言い、明日の朝から早速行動すると言った。
「ありがとうございます。村の案内が必要でしたら、そこにいる弥彦をつけましょう。わざわざ知らぬ者をつけるよりは、知っている者の方が荒天殿も何かと楽でしょう。弥彦、頼めるな?」
「わかりました。それでは荒天殿、明日の朝一番に迎えに来ます」
「かたじけない」
そしてその日はお開きとなった。
翌朝、荒天は弥彦の案内のもと、村で一番開けた場所を訪れていた。
「ここが村で一番広いとこだぜ……です」
「ああ、無理に堅苦しいしゃべり方などせんでもよいさ。砕けた口調で構わんよ。別に坊主だからといって偉いわけでもないしな」
「そうかい?なら遠慮なく楽にさせてもらうよ」
そんなやりとりをしながらも、荒天は小声で「これならば……」などと何やらつぶやきながら考え事をしていた。
すると、一人の男が弥彦に声をかけてきた。
「おう弥彦、その坊さんが噂の客人か?」
そこには大きな体を筋肉で包み、朗らかに笑う男がいた。弥彦はその男に軽く返事をし、次いで荒天を紹介した。
「お初にお目にかかる、紹介を受けたとおり、名を荒天と申す」
「おう、俺は良太だ。大工をやってる。この村で一番の力自慢だぜ」
まるで熊のような見た目だが、人好きのする笑みを浮かべながら自己紹介をした良太は、仕事があるからと直ぐに去っ行った。
その後荒天たちも移動し、村の外周を回りながら荒天は細い杭のようなものを地面に刺して回っていた。
「なあ、そりゃ一体何だい?」
「これは一種の結界を張るための目印といったところだ。先ほどの広場を中心に、この杭で囲った場所に結界を張る。餓鬼を確実に退治するためにも、逃がすわけにはいかんからな」
首をかしげる弥彦の質問に答えながらも、一度村の外周を回ったときの感覚から割り出した間隔に杭を刺す荒天。
返ってきた質問の答えに、へぇ、とうなずきながらも次の質問を投げかける。そんなに広い村でもないため、一通りの案内は直ぐに終わり、暇を持て余していた。
「なあ、昨日から気になってたんだけど、そのでっかい錫杖?は何なんだ?普通もっとこう、細っこいやつだと思ってたんだが」
視線を向けるのは、荒天のもつ錫杖らしきもの。何故らしきもの、かというと、明らかに錫杖としてはおかしいのだ。
180センチを超える身長の荒天よりもなお大きいが、大きさそのものは通常の錫杖よりいくらか長いと行った程度。太さは直径6センチほどとなかなかの太さで、何故かその先端はどう見ても鈍器としか思えないつくりになっている。
正直、申し訳程度に連ねられた鉄の輪がなければ錫杖とすら思えなかっただろう。
「錫杖というのは法術の媒体にもなるから法力僧としては必需品。それゆえに旅に出る際に新調したのだ。しかし拙僧も法術はそれなりに自信があるが、どちらかといえば拙僧は修行して物理で殴る派でな。力ある妖や野盗の類を想定していたら自然とこうなってしまった」
わはは、と笑う荒天を見て、物理で殴る派の法力僧って何だ、と心なし不安感を覚える弥彦であった。
結局その日は何事もなく一日が過ぎ、その翌日に事態は動いた。
朝から空は厚い雲に覆われ、どことなく不吉さを感じた荒天は常に警戒を続けていた。
そして昼を過ぎたあたりで、急に村が騒がしくなったのを聞きつけ、来たか、とつぶやくと騒ぎの元へと駆けていった。
そのころ、騒ぎの中心では一人の男が暴れていた。
その熊のような大柄な体躯の男は目を血走らせ、くれ、もっと、肉、とうわごとのように繰り返し、普段であれば村の男総出で押さえにかかるところだが、村一番の力自慢、それも餓鬼に取憑かれて理性というタガが外れて尋常でない力をふるう相手なためにそれもなかなか上手くいかない。
いままでしていたように食べ物を与えたところで、それまででは有り得なかったような、それこそ丸呑みでもしているかのような速度で平らげていくため、ほんの僅かな時間稼ぎにもならなかった。
大男――良太を押さえにかかっている中、弥彦は荒天を呼んできてくれと誰にでもなく叫んでいた。それを受けた辺りにいた女子供たちが荒天を探しに走ろうとしたとき、こちらに向かって駆けてくる見覚えのある法衣に身を包んだ男が見え、次第に錫杖がしゃらしゃらと鳴る音が聞こえてきた。
「騒がしいから急いで駆けつけてみたが、まさか良太が餓鬼に取憑かれていようとは」
「荒天!」
弥彦は以前覚えたそこはかとない不安や、荒天の法術の実力を実際に実感したことがないことも忘れ、妙に自信に溢れたその姿に安堵の声を上げた。
「うむ、後は任せよ。しかし先に謝っておく、さすがに手加減はできそにない。多少の怪我には目を瞑ってもらうぞ」
そう自信満々に言い切った荒天は良太と対峙する。
良太は相変わらず目を血走らせ、息を荒げながら荒天を見据え、やがて痺れを切らしたかのように荒天に襲い掛かった。
「くれぇ……もっとくれぇ!」
「ならば拙僧が一撃くれてやろう!」
一方の荒天は特に慌てることもなく、ほんの少し横にずれることで良太の突進をかわし、すれ違いざまに錫杖をその腹へと叩き込んだ。
多少短く握りこんでいたとはいえ、巨大な鈍器とも言える荒天の錫杖の一撃は凄まじく、半ば無意識状態の良太であっても膝をつかざるを得なかった。
当然荒天はその隙を見逃すはずもなく、懐から一枚の札を取り出し膝をついている良太の背に貼り付け距離をとった。
「オンキリキリナウマクサン!」
「ぐ……ぐううぅぅ!?」
しゃらりしゃらりと錫杖を鳴らしながら呪を唱えると、たちまち良太は悶えだした。
なおも続ける荒天を止めようと良太は再び襲い掛かったが、ふらふらと先ほどよりも弱弱しい動きのため、荒天には掠ることさえできなかった。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前!」
「ぎ、ぎゃああああぁぁ!」
駄目押しとばかりに荒天は九字と呼ばれる呪詛を放ち、良太に憑いていた餓鬼を祓う。
すると良太はより一層苦しみ、しかし次の瞬間良太は倒れ伏し、その背後から黒い影が飛び出した。
影は骨と皮ばかりの醜い姿をしており、その眼だけがギラギラとしていて余計に不気味さを増していた。
「ようやく姿をあらわしたな。せめてもの慈悲だ、一撃で御仏の元に送ってやろう!」
言うやいなや、荒天は手に持った錫杖を頭上高く振り上げ、勢いよく餓鬼へと目掛けて振り下ろした。
「地獄へ落ちろおぉぉ!六道、開、孔!」
御仏の元へ送るんじゃなかったのか、と何人もの村人が思ったが、そのあまりに一方的な展開に唖然としていた村人たちはそれ以上の思考を放棄した。
そして荒天の叫びに呼応するかのように影の足元が一瞬揺らいだようにみえたが、錫杖が振り下ろされたときには黒い影も揺らぎも跡形もなく消え去っていた。
あまりの出来事に村人たちはしばらく理解が追いつかなかったが、とにかく村の危機が去ったのだということをなんとか理解した瞬間、周囲にいた全員の歓声が響き渡った。
「餓鬼は大人しく餓鬼道にでも帰っておれ」
最後の一言は歓声にかき消されて誰の耳に届くこともなかった。
餓鬼が退治された祝いとして、その日の夜は宴の席が催された。
村中が飲めや歌えやの乱痴気騒ぎで、その中には先ほどまで餓鬼に取憑かれていた良太の姿もあった。
そして弥彦は荒天を探していた。
人だかりの中心に頭ひとつ突き出した状態の坊主頭がやけに目立っていたため、直ぐに見つけることができた。
「荒天、遅くなったが、餓鬼を退治してくれてあり、が……」
礼を言おうと、宴の席にあっても少し気を引き締めていた弥彦の目に飛び込んできたのは、村の若い娘たちを侍らせ酒を飲む、どこからどう見ても生臭坊主の姿であった。
「おお、弥彦!お前は飲んでおらんのか?」
「いや、それよりも何だこの状況……それに坊主が酒なんて飲んでいいのかよ?」
心底不思議そうに聞いてくる荒天に自分がおかしいのかと不安になりながらも尋ねたが、その返答はあんまりなものだった。
「酒は百薬の長、それに神酒とて酒だ、問題ない!」
「まあ、荒天様ったら」
きゃっきゃうふふと戯れる荒天と村娘を見て、だからと言って坊主が酒を飲んでいい理由にはならないんじゃないだろうか、という疑問は口に出さずに飲み込んだ。
なんだかもう、どうでもよく感じ始めていた弥彦であった。
「おーい!あっちでより姐さんと慶次の旦那が飲み比べをはじめたぞー!」
「む、飲み比べだと?こうしてはおれん。拙僧も混ぜろぉー!」
そういって向こうに見える人だかりに突撃していく荒天をしばらく目で追い、あんなのに俺たちは救われたのか、と微妙に憂鬱になりながらふと夜空を見上げた。
星が、綺麗だった。
「もう行ってしまわれるのですか」
「ええ、あまり長居するわけにもいきませぬし、なにより最初に言ったように、此度のような事態を解決して回るための旅でもありますので」
源次郎の言葉には寂しさが幾分含まれていた。 それに対して荒天は特に気負うことなく言い切り、他に見送りに来た村人たちに一声ずつかけていった。
「荒天様……」
「なに、また縁があれば会えるやもしれん、そう悲しむな」
弥彦は目の前に映る光景が信じられなかった。
あれは気が強すぎることで有名で、そのせいで若干行き遅れ気味のより姐さんのはずだ。それがあんなしおらしい態度をとる?……昨晩いったいなにがあったんだ、と周りを見ると、皆が皆、同じように呆然としていた。
「それでは皆、達者でな!」
そんな空気を完全に無視して、荒天は無駄に爽やかに全員に向けて別れの挨拶をして去っていった。
後に残されたのは徐々に小さくなっていく荒天の背に手を振り続ける村娘のよりと、呆然と固まって動かない村人たちだった。
本当はもう少しスローペースでやる予定だったんだけどなぁ……本当にどうしてこうなった。
あと、九字の前に唱えたマントラ的なものは、以前読んだマンガとかからうろ覚えで引っ張ってきただけです。特に意味は無い思うので、気になって調べても出てこないと思います。