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Callin you  作者: 戸理 葵
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言葉が、出ない。

状況が理解出来ない。

目の前のみのりは、目がうつろなのに髪も服もたいして乱れていなくて、むしろいつも通り小ぎれいで、

なのに部屋の中はまるで異空間の様に惨憺(さんたん)たる状況で、


そのアンバランスさが、一種異様な雰囲気を醸し出して、みのりの言った事は本当なんだ、と思い知らされた。



それでも、信じられない。

穏やかで、優しくて可愛くて、どちらかというと地味なみのりが。


妊娠なんて。


そして我を失って錯乱しているなんて。



「妊娠してるって・・・」



私はゆっくり言葉を噛み締めた。何も映していないみのりの瞳を覗き込みながら、腕が震えない様に気をつけて言った。



「・・・相手は・・・誰・・?」

「・・・・。」

「・・・みのり?」

「・・・大樹・・・」

「大樹??!!!」


大声を出してしまった。止められなかった。あり得ない!大樹!!



大樹は、私と浩輔のもう一人の幼馴染。小学校から高校まで一緒だった。

大学は違う所だけど、今でも時々私達と遊ぶ。

みのりと大樹は、私達・・・私と浩輔を通じて知り合ったハズだった。

そんなに特別、仲が良いとは気付かなかったのに。


そして大樹には、中学時代から今まで続いている彼女がいる。彼女も私の友人だ。すごく仲がいい。



「え?大樹って・・・どう言う事?」


情けない事に私は狼狽してしまい、みのりの肩から手を離してしまった。

代わりに浩輔が彼女にそっと近づき、低い声で、静かに聞いた。


「付き合って・・・いたの?」


「・・・ううん・・・」



やっとみのりの目に少しの色が戻ってきた。目の前に私達がいて、自分が会話をしている事に気づいたかの様に。


ゆっくりと、私達の顔を見る。

表情を変えず、ふっと視線を空中に泳がせて、言葉も空中に泳がす様に呟いた。



「・・・一回きり、だったの・・・」



再び心ここにあらず、の目つきをする。

私は、紙に水がしみ込んでいくように、徐々に、徐々に、状況を理解していった。



つまり大樹は、浮気として、私の友人に手を出した。そして妊娠をさせた。


みのりは、妊娠をしてしまった。私が紹介した男のせいで。浮気相手として。



「・・・そんな・・・・」



目の前が、真っ白になった。

間抜けな事に、何故だか子供の頃の大樹の姿を思い出した。彼は小学生の時からガキ大将だった。

私は結構彼とは気があって、二人でよくのんびり屋の浩輔をからかったりした。


あの時は、みんなひたすら無邪気だったのに。




「・・・大樹には、言ったの?」


言葉を失った私の代わりに口を開いたのは浩輔だった。静かな声でそっとみのりに問いかける。



「・・・・言ってない・・・」


「じゃ、言わなきゃ」

「言ってどうなるの?!」



急にみのりが私達に向き直った。

今まで見せた事の無い、怒りと絶望の激しい表情で、体を折り曲げて怒鳴り出した。



「彼女と別れて下さいって言うの?私と結婚して下さいっていうの?私達まだ大学生だよ?大樹だって就職が決まったばかりだったのに、内定取り消されちゃうよっ。私だって急に母親なんてなれないよっ」



唇が震え、顔が歪み、涙が頬をつたってポタポタと垂れ落ちる。

それを拭うことなく彼女は叫び続けた。



「産んでくれって言われたらどうするのっ?私とは結婚出来ないって言われたらどうするの?堕ろしてくれって言われたらどうするのっ?私、そんな事出来ないっ・・・!」



言いたい事を一息に言いきって、初めて息継ぎをする。

その時、今まで出しきった感情も言葉も、涙さえも逆に呑み込んでしまったかの様だった。



急に喉を詰まらせ、何も言わなくなった。

そして彼女の目の前で固まったまま動けない私達から目を反らし、やがて両手で顔を覆った。



「・・・そんな事、出来ない・・・」



そのまま、声も出さずに動かない。

みのりは号泣していた。声も涙も出さずに泣いていた。



産む事なんて出来ない。堕ろす事なんて出来ない。彼と結婚なんて出来ない。彼女はそう言っている。




「・・・じゃあ、みのりはどうしたいの・・・?」


しん、とした部屋で、私の掠れた声が響いた。


「・・・わかんない・・・・」


みのりの声は、私よりももっと掠れていた。



私は泣きたくなる気持ちで彼女に言った。


「・・・だから、大樹に話すんじゃない?」

「・・・でも、大樹は、私の事、愛しては無い・・・。大樹には彼女がいる」

「それでも、みのりと大樹の子なんでしょ?・・・じゃあ大樹に話すしかないじゃない」



何で私、こんな事しか言えないんだろう?

もう、頭の中がぐちゃぐちゃで、涙が出てくる。



「私・・・私が大樹の人生の・・・邪魔に・・・なりたくなかった・・・のに・・・」



そう呟いた彼女は前を見つめたまま、再び涙を一筋流した。



それを見た浩輔が、やがて口を開いた。


「みのりは・・・大樹の事が好きなんだ・・・・?」


みのりは少し眼を見開いて浩輔を見て、その後自嘲(じちょう)気味に笑った。


「・・・ずっと・・・好きだった・・・」



自嘲。自らを、(あざ)笑う。本当に彼女は、自分を嘲笑っていた。



「酔った勢いでもいいと思った。一回きりでもいいと思ったの。ずっと好きだったの。私が・・・私が、あの時、最後まで大樹についていったようなものだったから・・・」




知らなかった。気付かなかった。みのりの切ない恋心に気付いてあげれていなかった。

もし私が気付いていれば、ひょっとして、違った結果になっていたかもしれなかったのに。



ううん、そもそもみのりに大樹を紹介していなければ。




「・・・じゃあ、おめでと。」


浩輔が柔らかく、ぽつりと言った。

私とみのりは顔を上げた。


「え?」


すると彼は切なそうに、でも優しく笑った。


「好きな人の子なんでしょ?じゃあ、まずは、おめでと。」



静かに、優しく、囁く様にみのりに言う。

みのりはすごく複雑な表情をした。怒っていいのか、受け入れていいのか。

悲しんでいるけど、本当はおめでたい事なのかも、と初めて気付いた様に。



「・・・でも、私、まだ産むかどうかは・・・。」

「うん。でも、みのりの思いが叶った事に、おめでとう。だろ?」

「・・・・。」



思いが叶ったとは、好きな人と一緒になれた事。

みのりは穏やかで真面目な子だから、大樹の事も本気で好きだったのだろう。

彼女がいる事も分かっていて、それでも止められない恋心にきっと、本気で悩んでいたんだろう。

だから、私に相談も出来なかったんだ。だって私と大樹の彼女が仲がいい事は知っていたから。



浩輔はすごく切なそうな表情をして、でもそれは大人の男の表情だった。

時々私の前で見せる、潤んだ瞳で拗ねたように唇を尖らす様子とは全然違う。

まったく、違う。



「俺、産んでも産まなくても、みのりは苦しむ事、わかってる。だったらせめて、今は、おめでとうって言いたいな。・・・ごめん」

「・・・・・。」



浩輔はみのりの頭に手を伸ばし、そっと髪を撫でた。

低い声で、優しく、でも少し苦しそうに、真剣な眼差しでみのりを見つめる。


「大樹に言えよ。よければ、俺達がいてやるよ。・・・男任せにしていたみのりも悪いけど、そもそもゴムを付けなかったあいつが悪いんだろ?責任、取らせろよ。・・・な」


「・・・・うん・・・」



浩輔も、自分の親友が自分の友人を傷つけた事に苦しんでいる。

あまりの事に、動揺している。

きっと大樹を見つけて詰り倒したいに違いない。


でも何をしたってどうしようもない事もわかっているから。

だから最初に「おめでとう」っていうなんて。



なんてあなたらしいのかしら。




「ありがとう。あさみ。浩輔。・・・でも今日はもう、帰って」


みのりが言った。少し微笑みを見せてくれたけど、でもやっぱり瞳には何の色も出ていなかった。

私はどうしていいのか分からず、ただオタオタと彼女の名前を呼ぶだけ。


「・・・みのり・・・・」

「・・・大丈夫だから・・・」

「でも」

「お願い」


俯き、私達と目も合わせず、でもきっぱりと言った。

私は息が詰まる思いがした。どんな力にもなれない自分が、本当に情けなかった。

ここは本人に拒まれても、一緒に居てあげるべきじゃないかしら?


でも、みのりの全身が、それを否定している。



「・・・バカな事、しない?」

「・・・もう、した」

「約束してくれないと、帰んない」

「じゃあ、約束する」

「守れる?」

「・・・うん」



バカな事ってなんだろう、って考える。自分で言っといて、バカな事って何だろう?


みのり。みのり。私達、あなたのそばにいるからね?

神様どうか、この子を支えて下さい。お願いします。この子は稀に見る、いい子なんです。



私は湧きあがる様々な思いを押さえつけて、無理やり少し微笑んだ。


「じゃあ、後片付けしたら帰るよ。片付けてあげる」

「え、いいよ」

「これ拒否ったらもう帰らない」

「・・・・」



みのりは再び黙ってしまった。

私は勝手にゴミ袋を取り出して来て、床に散らばっているものを拾い始めた。浩輔もそれにならった。

みのりは何も言わない。動かない。

ただ、立ちつくしている。

私は壊れたものは全て、ゴミ袋に突っ込んだ。本は棚にしまった。割れてない雑貨は、いつもの様に綺麗に飾って上げた。



せめて、片付いている部屋に居れば。彼女の気持ちが少しでも、落ち着いてくれるかもしれない。



「みのり」


全てを片付け終わった時、私はみのりを振り返った。

みのりは少し落ち着いた様子で、私達を眺めていた。


「みのりの人生だよ。みのりがコントロールするんだよ?みのりが決めていいんだよ?みのりが主役なんだよ」


何をどう言っていいのかわからない。ただ、自暴自棄にだけは、なってほしくなかった。


「・・・監督も、みのりなんだからね」


上手く言えない。上手く伝わらない。

どうしても動揺を隠せない私を見つめていたみのりは、急にクスッと笑った。


「・・・ふふ。あさみらしい」


その笑顔はほんの一瞬だけど、いつもの可愛いみのりの笑顔だった。


「ありがとう。後で、連絡するね」



柔らかい口調で微笑むのだけれど、有無を言わさぬ目をしている。

私達は彼女の部屋を出て行くしかなかった。






みのりの部屋を出てから、私と浩輔の間に会話は無かった。

というよりも私は激しく動揺してしまい、ただ彼の後をボーっとついて歩くだけで、自分がどこに向かっているのかの自覚も無かった。


ふと気がつくと、駅前に来ていた。私の家の最寄りの駅の隣駅。みのりの部屋からは少し離れた駅。

あれ?いつの間にこんなに歩いていたんだろう?


浩輔が駅前の商店街の一角、自転車置き場に自転車を止める。鍵をかける。

そこで再び気付いた。あれ?そう言えば私達って、直でみのりんちに来たんじゃなかったっけ?自転車で。



「ここに置くの?自転車。」


私が尋ねると、浩輔は自分の自転車を見下ろしたまま、小さく呟いた。


「うん・・・なんか・・・」


しばらくして、顔を上げる。私を見た。丸っこい目。


「あさみ、歩けるか?」

「え?」

「歩いて帰ろうぜ」


駅前に自転車を止めて?でも電車に乗らずに?歩いて帰るの?



でもその時の私には、何故だかそれが、とても自然な事の様に思えた。

歩いて帰る。浩輔と二人で。自転車にも乗らず、電車にも乗らず。

わずか一駅の距離。



「・・・うん・・・」


知らずに苦笑と溜息が洩れた。

私達はゆっくりと歩き出した。




「・・・どうするんだろ、みのり・・・」


彼の背中に問いかける。華奢な背中。

でも、男らしい背中。


「・・・・さあな」


彼は少し空を見上げながら言った。もうすっかり、日が暮れている。でもここからは星が見えない。

建物が多すぎて、周りが明るすぎて、空気が悪すぎて。



まるで、今の私達の様だった。

自分達が見たい、目指すべき光が見えない。周りの障害が多すぎて、周囲がうるさ過ぎて、・・・空気が悪すぎて。


星が、見えない。



「・・・助けて、あげられないのかな・・・?」


ゆっくりと俯いて、目の前を歩く浩輔の足元を見つめながら、私は小さく呟いた。

浩輔はしばらく無言で歩き続けた後、静かに言った。


「・・・・友達で、いつづけるしかないよ。・・・でも、多分、それでいいんだよ」



それでいいんだよ。

彼にそう言われると、私はいつも、安心する。そっか、それでいいんだ、って。


事実今も、すこしホッとしかかっている。

そうなのかな?それでいいのかな?力になれているのかな?・・・だといいんだけれど。




「ほら」


急に浩輔が振り返った。

立ち止まって、私に左手を差し出している。



「おいで」



右手をジーンズのポッケに突っ込み、左手を私に差し出して、少し切なげに笑っている。


ビックリして、私も立ち止まってしまった。


すると彼はクスッと笑って、心地よい声で言った。


「後ろにいちゃ、あさみの顔が見えないし、手が繋げないだろ」


「・・・浩輔・・・?」

「ほら」



手を出したまま微笑んで、私がその手を取るのを待っている。

浩輔らしい。強引に、私の手を取らない所が。


でもさすがに、いくら幼馴染歴10年以上・・・14年?とはいえども、手を繋いだ事は、ない。

繋ぎたかった事は何度もあるけれど。


ど、どうしよう。

ドキドキする。戸惑う。勇気がいる。



少し口が開いてうろたえながら、彼の手と顔とそして地面に交互に視線を漂わせていたら、

浩輔は笑いながら少し肩をすくめて、私に近づいてきた。


軽く頭を小突く様に一撫ですると、すっと私の右手を取り、そしてそのまま無言で歩きだした。

まるでそれが、当り前の事の様に。



手を引かれる私も、まるで当り前の様に歩ける。それくらい私達の歩調は重なっている。歩くリズムが、全く同じ。

あまりにも自然で心地よいので、ビックリした。



繋がれた手は、彼の手からの甘さを感じてしまい、まるでそこだけ切り取られたパラダイスの様でもう二度と離したくない。



「俺達、何に遠慮していたのかな?」



前を向いたまま、浩輔は静かに呟いた。






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