2
浩輔は背中を小さくして電話をかけた。
つながったのだろう。体がビクッと飛び上がった。小動物みたい。怯え過ぎだって。
「もしもし・・・あ、俺、だけど・・・。」
ビクビクしている。本気で怯えている。一体、直近の元カノにどんな仕打ちを受けていたのかしら?
「えっと・・・望美ちゃん、さ、・・・今日、信濃町にいた・・・?・・・あ、いや、そう言う事じゃなくって・・・いや、違うんだけど・・・あの・・・いや・・・・。」
あっという間に通話終了。浩輔は怯えた表情そのまま、口を開けて目を見開き、しばらく呆然として固まっていた。
「・・・切られた。」
うん。それって、見ればわかるよ。
「で?」
一応、聞いてみる。でもどう見ても、泣いて助けを求めた相手に対する電話の切り方じゃ、なさそうだったけどね。
「携帯の番号、消せって言われた。」
そっちか。
「あら。そう言えば消してないわね。なんで?」
「忘れてたから・・・って、電話しろって言ったの、あさみじゃん。」
私を見上げて泣きそうな顔をする。情けないなあ、もう。21の男でしょ?しっかりしなよ。
私は浩輔を無視して考えた。
「違うとなると・・・誰だろう?・・・あ、由佳は?」
「由佳?」
浩輔が素っ頓狂な声をあげた。私は少し首をかしげた。
「ここ半年、会ってないでしょ?」
「そうだけど・・・だからって間違えるかなあ?」
「浩輔を下の名前で呼ぶ女の子って、数少ないじゃない?由佳、私と背格好もあまり変わらないし。見間違えた、とかない?」
「ないと思うんだけど・・・。」
言葉は不安げだけど、彼の視線は強くしっかりと私を見上げてきた。
その眼差しに、ドキッとする。浩輔が最近よく見せる、男らしくて力強い瞳だ。
私は心臓が高鳴りながらも、その視線から目を反らせなかった。だってこの表情に惚れた様なものだから。
「ホントに、あさみじゃない?」
一瞬見つめ合って、私は息を飲んで、やっと一言。
「しつこいよ。」
ああ、色気の無い返答。
すると彼の表情が一転、いつもの八の字眉に戻った。
「・・・俺、なんか、かけるの照れるから、あさみがかけてよ。何喋っていいのか分からないよ。」
母性本能がくすぐられるらしい、って。
くすぐられているのは、この私。
「・・・はいはい。」
溜息をついて見せるけど、多分あなたの頼みは何だって聞いてしまうのよ、きっと。
現に今だってこうやって、可愛げのない態度で荒唐無稽な話に付き合っている。
なんて可愛げのある私。
コール10回。もういい加減諦めようか、とした時に電話が繋がった。
「もしもし?由佳?」
『もしもしー!あさみー?どしたのー?』
すっごい大声。充分聞こえるのにそんなに怒鳴るとは、多分、向こうがうるさくて聞こえづらいのだろう。
「んー、特に。今、どこ?」
『今、カラオケボックス!!』
成程。それは確かにうるさいところね。
彼女のバックから、色々な部屋の歌声が聞こえる。カラオケボックスの独特の雰囲気が伝わってきた。
そして由佳は、どうやらすごくテンションが高いらしい。高揚した気分も伝わってきた。
『どうしたの?何か用?』
その一言でわかる。電話をかける相手を、間違えた。
浩輔に目で合図を送る。彼は無言で肩をすくめて見せた。
しょうがないので私は、わかりきっている質問を投げかけてみた。
「用っていうか・・・。由佳、今日の昼間、どこにいた?」
『昼間?昼間っからカラオケだよー?もうぶっ続け、4時間目に突入!』
4時間目??
「ええ?すごいね??何人で歌ってるの?」
『えーっと・・・あ、15人!!』
15人??
私はビックリした。一体何の集まりなの?
由佳は私と浩輔の幼馴染。といってもつるみ始めたのは中学に入ってからで、彼女とは高校も大学も違う。
それでもマメに連絡をし合ってよく飲みにも行っていたので、お互いの近況は手に取るようによくわかっていた。
『ほら、この間話していた、大本命がいるのっ!』
「え?・・・ああ、一個上の先輩?由佳がお気に入りの?」
私は納得した。
由佳は昔から恋に生きる女で、常に誰か、憧れの彼を追いかけている。
今はそれが、確かバイト先の先輩だったハズ。ジャ○ーズの山下くん似で劇的にカッコいいらしいのだけど、そんなヤバい人、そうそういないって。
すごく興味があって見てみたいのだけれど、絶対後悔しそうで、写真すら見せて貰った事が無い。
『そうなのっ!なんかチョーいいカンジでねっ。もう、どうしようっ!』
へぇー。山下くんとイイカンジ、とね。それは引けないよね?私でも食い下がるよ?
「・・・楽しそうだね。」
『すっごく!ヤバい!!』
電話の向こうの彼女は、すっかり舞い上がっていた。
浩輔を見ると、彼は所在無さげに胡坐をかいて座り込み、ほっぺたを指でぽりぽりかいている。
ちょっぴりかわいいな。
「念のため聞くけど、今日、泣いたりした?」
そんな彼を横目に観察しながら、私は本題を聞いた。もちろん、答えは解りきっている。
『え?何の事?泣く?』
「そう。例えば、駅で、とか。」
『そんな事してないよー!あ、でも、先輩と二人で帰れたりしたら、嬉しすぎて泣くかも!!』
ああ、恋する乙女の毒気にやられた。同い年で私だって恋しているのに、このテンションの差は、何?
「・・・はーい、わかりましたー。ごめんねー、邪魔して。」
『え?何?おしまい?』
「うん。楽しんでね。早く先輩の元にお帰り。」
『あ、でもねでもね。先輩たち4年組はなんか次に行くみたいなんだよね。あたし、なんか入りづらくって・・・。』
・・・何ですか?
このタイミングで、その勢いと流れで、このぬるい私に、恋の相談ですか?
本気ですか?それとも、アテているだけですか?
「・・・・うーん・・・。」
『ねえ、あさみ。どうすればいい?』
「・・・うーん・・・。」
私は俯いて、眉根を寄せて、ベッドの上で胡坐をかいている自分の足を見つめてしまった。一体、どうしましょう?
その時、顔の横に何かが触れた。
「由佳ー。」
途端に、心臓がドキッと跳ね上がって、ついでに携帯を持つ手が大きく揺れた。
だって浩輔が、綺麗な頬を私にくっつけて、私の携帯に反対側から耳を寄せているのだ。
私が揺れない様に、肩の付け根に脇の下から手を入れてしっかりと掴み、携帯の会話を反対側から聞いている。
私と浩輔の頬は、ぺたっとくっついている状態。柔らかいその感触と彼の整髪料の香りに、私は呼吸が出来なくなった。
ど、どうしよう。
『あれ?浩輔?いるの?』
「うん。たまたま。」
いつもの呑気そうなユルい声。
たまたま、な訳ないでしょ、と思いつつも、人を安心させる彼の声に胸がときめいてしまう。
近いよ、近すぎるよ。嬉しすぎるけど、ヤバいでしょ、これは。
だって彼もベッドに腰掛けていて、私はノーブラTシャツ一枚、ですよ?
・・・ああ、その気があるのは私だけ。まるでお姫様を狙う狼になった気分だわ。
「由佳ー。好きならついて行けば?見込みありそうって言ってたじゃん。」
『まあ、そうなんだけど・・・。』
もちろん、由佳の恋愛事情は浩輔の知る所、でもある。由佳は誰にも隠し事は一切しませんからね。
「好きならどこまでもついていったら?気がある男なら、嬉しいよ。頑張れー。」
『・・・ホントに?ウザくない?』
「それでウザがる男なら、もうやめちゃえ。由佳には会わねえよ。」
『そっか・・・。・・・そうだよね。』
「そうだぜ。行っちゃえよ。由佳らしく、突っ走れー。」
『わかった!!そうする!じゃあね!!』
由佳は晴れやかな声を出した。そして元気よく、携帯が切られた。
しばらく、その機械音を二人で聞いてしまう。
やがてお互い無言で、携帯から耳を離した。
間近に、浩輔の、顔。
二人とも、ベッドの上。
一瞬、彼の綺麗な唇に目が釘付けになった。
この唇に、キスをしたら、どんな感じだろう。
「・・・なんて素晴らしいアドバイス・・・。」
そう言いながらなるべく自然に視線を反らし、正面を向いて溜息をついてみせた。
すると浩輔は嬉しそうに言った。
「・・・そう?へへ。そうかな?」
「青い春、略して青春、をしていたよ。」
「そうだねぇ。」
「全然、泣いて無かったね?」
「だから俺、最初っから由佳じゃないって・・・。」
「あんたは最初っから、私だって言ってるんでしょ?」
ジロッと横目で彼を睨む。ごめんね、これって八つ当たりよ。
普段でも割と我慢して気付かないフリをしているのに、このまったりとした寝起きの夕方に、人のベッドに侵入してくる時点でもう、あなたは私に犯罪を犯した様なものなのよ。
私ばっかり、誘われて、惑わされて、嫌になっちゃう。
私は考え込むフリをした。
「ねえ、可憐とかは?」
「可憐?」
浩輔は相変わらずベッドに腰を下ろしたまま、ボーっと私を見る。
「ああ・・・。違うと思うけど・・・でも一番あさみに似てるかも・・・。」
その台詞に私はビックリして振り返ってしまった。
そして再び真正面から間近に、彼の瞳を見てしまう。もう一回ドキッとした。
でも可憐って、かなり美人の部類に入る、華やかな女の子のはずなんだけど?その子と私が似ているなんて考えられない。
「え?あの子が?・・・うそー。」
「うーん、何となく。雰囲気が?」
雰囲気?余計違うじゃん。
私、あんなに可愛くないよ、とは何故か恥ずかしすぎて言えず、
「・・・私、あんなに性格キツくないよー。」
「あはは。それは言える。」
浩輔は面白そうに笑った。赤くなる、私。人の気も知らないで。
可憐は私と浩輔の大学のテニスサークル仲間で、美人の割にはサバサバした性格で気があってよく一緒に飲んでいる。
ていうか私、今朝まで一緒に飲んでいたわ。
気を取り直して、私は彼女に電話をした。今朝の様子じゃ、何もトラブってはいなさそうだったけどね。
多分これも、無駄足ならぬ、無駄電。
コール5回くらいで、可憐が出た。
「もしもし?可憐?」
『あ、あさみ・・・。』
「あのね、可憐・・・どうしたの?」
ビックリした。だって電話から伝わる雰囲気が、いつもと違う。
思わずシリアスな声を出してしまった。
私の様子が変わったので、浩輔がじっとこちらを見つめる。
『・・・・。』
「可憐?どうかしたの?」
『何でも・・・ないっ。』
声が詰まっている。明らかに泣いている。
私は一気に緊張してきた。
浩輔の台詞が、にわかに現実味を増してきた。
「何でも無くないじゃん、どうしたの?今、どこにいるの?」
『・・・部屋・・・。』
「一人?」
『うん。』
「今行くから。15分待って。」
『え?』
可憐の返事を待たずに電話を切ってしまった。
緊張で、胸がドキドキする。駅で泣いていたのは可憐だったの?
「可憐、泣いてた。あの可憐が、泣いてた。」
「そっか。え?大変そうだったの?」
浩輔の様子は、可憐が泣いていた事よりも、私の真剣な面持に驚いている様。
「わからない。でもあの可憐が泣くなんて。」
「それって、光に任せた方がいいんじゃないの?」
光とは可憐の彼氏で、二人は大学に入学して間もなく付き合い始めた。だからもう、結構長い。
光も誰からも好かれる気さくな男で、背格好も結構イケてる為、女の子達からの人気も高かった。
つまり、美男美女カップル。
おまけに頭もいいものだから、光に任せた方が、という浩輔の気持ちはよくわかる。
でもね。
「だって浩輔に助けを求めていたんでしょ?」
「え?・・・ああ、まあ。わかんないけど。」
なんでそこで曖昧になっちゃうのかな?そして俯いちゃうのよ?
すごい剣幕で私の部屋に押し入ってきたのはあなたなんでしょ?
おかげでしなくていいドキドキまでしてしまって、色々虚しいんだからね、私はっ。
「今すぐ行くっていっちゃったもん。行くよっ。」
「え?あ、はい。」
私の勢いをどう解釈したのか、浩輔は慌ててベッドから立ち上がり、私を見つめた。
「・・・なんで突っ立ってるの?」
「え?」
「私、着替えるんだけど。」
「あ、ごめんっ。」
慌てて部屋を出ていく。
・・・私、このおトボケ鈍感男に一生付き合っていくのかあ。疲れるなあ。
再び溜息をついて、クローゼットを開けた。