第56話 赤と茶の断層
大陸南部、ローナセラの街から導輿で半日ほどの距離に位置する森の中。
シグネーさんから言いつけられた依頼により再びここを訪れていた俺達は、またも大量発生していた枯羽牛の群れの討伐を一通り終え、少し遅い昼食の準備に取り掛かっていた。
……いや、実際には準備をしているのは俺だけで、他の三人には周辺に討ち漏らしがいないかの確認をしてもらっていたのだが。
立ち並ぶ木立がわずかに開けた空間、天然の広場のような場所。前回と同様、そこに導輿を停め、積み込んだ簡易食卓を展開させて食器類を並べる。
少し離れた場所に火を起こし、解体処理を済ませ選り分けた枯羽牛の肉を串に通し、豪快に焼く。
目玉が飛び出るような値段で精肉店に売られている稀少部位さえも、最高に新鮮な状態で好きなだけいただけるのは、討伐依頼を受けた者の特権。遠慮無く享受させてもらうことにする。
鮮度低下の影響を受けやすい部位に関しては、様々に加工して保存食化する準備もできている。毛皮は共壇に別枠で卸せるし、『理命』による滓花の摘出も抜かりない。
仕方無しに受けたような仕事ではあったが、この実利の多さに関しては有り難さしかなかった。
脂を爆ぜさせながらじわりと焼けてゆく肉塊を眺めつつ、同時に火にかけた鍋の様子を時折確認する。溶かした凝酪で根菜類と芋を煮込む、少し粘度の高い一種の汁物だ。
そういえば前回同じような依頼で来た時も、こうやって大雑把な炭火焼きを堪能したんだったか。いや、あの時は他にタレ焼きと、アステルがどこからか摘んできたキノコで色々作った気がする。
思い返せばあの時は迂闊だった。先走った俺が枯羽牛の群れに取り囲まれたところを、偶然通りかかったアステルに助けられたのだ。
自分で思っている以上に、俺にはどこか短慮なところがあるのかもしれない。
記憶が無いことに起因する、拭えない焦りのようなもの。それが時折、猛烈に俺を急かすような。あるいはそれを言い訳に、自ら危地へと飛び込みたがるような。
現に今も、内心はずっと逸っている。
『戦祇の左手』と呼ばれる島。そこに眠る聖標器――『渇尽牙』の探索を前にして。
為聖庁からの調査許可が下りたとの報せを受け、俺はすぐにでも島へ向かうつもりだったのだが……シグネーさんに止められたのだ。
曰く、
「どうせまた長期間この街を離れるのでしょう。でしたらその前に、いくつか業務を済ませてから行ってください。代役を手配したり依頼を属立共壇へ回す工作……手続きも色々面倒なので」
との事だった。
面倒とかぶっちゃけるのはどうよと思わなくもなかったが、まぁシグネーさんの言う事。
俺宛ての依頼が随分と溜まっているのは間違い無いようだったので、仕方なく請け負うことにしたのだ。
確かに、俺個人の用事の前に本来の仕事を済ませるべきというのは正論ではある。
聖王の記憶に関わる案件が個人の用事の範疇なのかはよくわからないが。
本来の仕事といえば、聖王たる者が一切政治に関らず、いつまでも首都たるセラン・リウーネを離れていて大丈夫なのかという疑問について一度尋ねたことがあったのだが。
「百年単位で国を空けておいて何を今更。国政に関しては元より代王が執り行ってきたもの。先代聖王の時から、国のことは全て代王に投げっ放し、本人は前線で好き放題戦っていたと伝わっているでしょう。そもそも貴方に政治がわかるのですか?」
などと辛辣な回答を頂いた。
でしょうと言われても。いや確かにわからないけど。政治以前に世間の常識がまだ足りていない気がするけど。
というか国を空けたのは俺じゃないんだからそこは触れないでもらいたい。
どうやら先代の頃から、聖王というのは国の運営に関わるようなものではなく、前線で戦う戦士、先導者。有り体に言うなら覇王だとかそういう呼称の方が似合う存在だったようだ。
……まぁそれはともかく。
そういった訳で、俺は今、聖標器という餌を目の前にぶら下げられたまま、普段と変わらない討伐依頼をこなしているのだった。
今回の討伐対象は、恐らくは飲み込んだ滓花の作用により、『戦祇』の力を取り込み暴れ出した枯羽牛の群れ。
ただでさえ凶暴凶悪な枯羽牛がその身体能力を強化して襲いかかってくるものだから、たまったものではなかった。
群れに対し祝福・砕突一点を発動させたアステルがようやく攻撃を耐えられる程度。
俺が全能力値を物理耐性に振り切った程度では、とてもじゃないが止められない破壊力を振り回してきたのだ。
それもどうにか、四人の連携で切り抜けることができたのだが……。
……この森、なんだか定期的にこういったヤバいモノが湧いてる気がする。何か、発生源になっているようなものでもあるんじゃないだろうな。
《フィーノ? 鍋の方すごく煮立ってるみたいだけれど大丈夫?》
と、ロティの声で我に帰る。
「え? ……あ、ごめんロティ、ありがとう」
疲れか空腹からか、気付けばなんだかぼーっとしていたようだった。慌てて鍋を火から離す。蓋を開けて掻き混ぜつつ中の状態を確認。大丈夫、煮詰まってはいないようだ。底が焦げた様子も無い。
安堵し一息ついたところに、賑やかな声が聴こえた。
「フィーノ様ぁ〜! こっちは大丈夫そうでした! 私のお腹具合以外はっ!」
「なんかずっと風に乗っていい匂いが流れてくるんだよ。風下に偵察に行かせるとかもう一種の拷問なんだけど」
「その分期待感が高まっていいんじゃないかなぁ。僕ももう液体じゃごまかし切れないくらいお腹が限界でねぇ」
思い思いに空腹を訴えながら三人が帰ってきた。あの様子なら、ひとまず周囲にもう敵影は無いようだ。
「お疲れ様。ちょうど今焼き上がったくらいだよ」
いい具合に焦げ色を纏った枯羽牛肉の塊を串から外し、机の俎板に乗せながら俺はアステル達を出迎えた。
一旦大きく半分に切り分け、火の通り具合を確認。よく火の通った外周部の茶色と、それに包まれた中心の薄紅色の対比が美しい。全体にきめ細かく通った脂の筋が陽光に煌めいた。
出来栄えにひとつ頷き、待ち切れないように簡易食卓に座った三人の前に、大きく切った肉に酢漬け球藍を付け合わせた大皿と凝酪煮込みを注いだ椀を並べた。
そして、さぁ食べようと意気込んだところに割り込む声。
《待ちなさいよ、あたしの分は?》
「え、ロティも食べるのか?」
《当然でしょう。あたしだって討伐と調理の補佐をしたのだから、食べる権利はあるはずだわ》
「いや別に権利とかはいいけどさ、もっと早く言ってくれよ」
《今見てて欲しくなったのよ》
自由かよ。いや祇心の食欲なんてものがどうなってるのかは知らないけど。
嘆息しつつミュイユに声を掛け、顕鏡によるロティの実体化を頼んだ。
淡い光と共に顕現したロティは、小さな俺のようなその体を踊らせるようにしながら自分用の椅子を導輿から引っ張り出し、食卓に並べた。
「あ、ロティちゃん。私の膝の上空いてますよ!」
「空いてるからなんなのよ。お互い食べにくいだけでしょうそんなとこ座っちゃ」
アステルの誘いを雑に流し、ロティは自分が並べた椅子に座る。
そのロティの前ともう一箇所の空席の前に、他の三人と同様の大皿と椀を配膳し、俺も着席した。
そして食卓の皆を見回して言う。
「なんか余計な一手間のせいでちょっと遅くなったけど……」
「何よ余計って」
「……なったけど、それじゃみんな、そろそろ食べ――」
「きゃああぁぁーーーっっ!!!」
……今度は何だよ。
ようやく昼食にありつけると思ったところに、どこからともなく響く甲高い悲鳴。
……悲鳴?
「えっ、今のは……?」
「なんだろう。どこか近くから聞こえたような気がするけど……」
「少なくともアタシらの声じゃないね、あんな上品な叫び声」
「どっ、どうしましょうっ!? 何かわかりませんが異常があったなら助けに……いえでもごはん……お肉だけ持って行っていいですかっ!?」
「流石に置いときなさいよそれは」
どうやら昼食は更に後回しになりそうだ。
近場で何者かが危機に遭っているかもしれない状況、毒づいてなどいられない。
声のした方向を見定め、俺達五人は慌てて席を立った。
空腹を抱えながら。




