1 とりあえず知識がすごいことだけはわかる
――ふと、奇妙な表情で俺を見つめるアステルに気がついた。
何か訊きたげな。だが実際に声に出すには至らず、喉元で問い掛けを反芻しているような。
流し台で区切られた向こう、食卓の椅子に腰掛けながら俺を見て、何事か言おうとしてやめる。口を開いては閉じることを繰り返している。
な……何なんだ? 今更そんなに俺に気を遣うような質問でもあるのか?
あまりに気になるので、いっそこちらから訊こうと声を掛けようとしたところに、
《フィーノ、油もう温まってるんじゃない?》
「え? あぁ、そうだった。ありがとう」
ロティに言われて意識を台所に戻す。
危ない、揚げ物用の油を火にかけていたんだった。
慌てて、焚砕麦の切れ端をひとつ鍋に落とす。
切れ端は細かな泡と共にすぐ浮き上がり、黄金色にその姿を染めた。
うん、適温のようだ。
俺は切れ端を掬って除けると、粉を絡めた山盛りの角切り枯蓄鳥肉を一つずつ容器から鍋に移していく。
軽やかな雨音のように奏でられる油の音と共に、芳醇な肉の香りが台所を覆った。
色付く枯蓄鳥肉の衣を眺めつつ、ふと視線を鍋から正面へ向ける。
やはりその先には、何か言葉を発しようとして留めたらしいアステルの、微妙に傾げられた顔。俺と目が合うと半開きだった口を閉じた。
一体何だというのか。怖いので早いとこ問い質したいのだが、今は鍋から目が離せない。副菜の配膳もまだ残っている。
仕方ないが、また後で……夕食を取りながらでも訊いてみることにしよう。
不可解な視線を感じながら、俺は鍋の中で泳ぐ肉をそっと木べらで掻き混ぜた。
「フィーノ様がいつもお話してる脳内存在ってどんな人なんですか?」
揃って夕食を食べ始め、少ししたところで先程の様子について改めて尋ねたところ、アステルから返ってきたのがそんな言葉だった。
「あーそれ、アタシも気になってた。それと喋ってるとこ、なるべく隠そうとしてるみたいだけど結構漏れてるんだよね」
と、枯蓄鳥の衣揚げを齧りつつミュイユが便乗する。
「さっきも料理しながら何度かそれと話してたよね、フィーノ君。台所から独り言が聞こえてくるものだから、食材と会話してるみたいでちょっと怖かったかなぁ」
などと笑いながら、発泡性の褐酒を杯に注ぎつつゼオも加わってきた。
脳内……って、ロティの事だよな、どう考えても。引っかかる呼び方だが。
ロティの声は俺にしか聞こえない。
だが、そのロティに話しかける俺の声は、容赦なく周りに丸聞こえになる。
傍から見ればただのでかい独り言だ。
その様子を見られたくなくて、極力人前ではロティと会話しないように意識しているのだが……ミュイユに指摘された通り、やはり時々声に出してしまっているようだった。
一方的に話されて返事するなとは、ちょっと無理があると思わなくもない。
が、それはさておき。
「どんな人……って……」
そんな事訊かれても、微妙に返答に困るんだが……。
確かに俺はこれまで、ロティについて仲間に詳しく話したことは無かった。というか説明をそれとなく避けてきた。
俺にしか存在を感知できないモノ、話しても仕方がないと思っていたのが理由の半分。
そもそも俺自身もよく解ってないというのがもう半分だった。
酢と油で和えた海藻と葉野菜の小鉢を口に運びつつ、俺は少し、ロティというものについて考えてみた。
導祇。
この地に棲まう無数の祇心の一角にして、『導き』などという何やら曖昧なものを司るモノ。
本人の主張によれば、大陸全土の人の営みに広く浅く関わる、文化の礎のような存在らしい。
過去に一体何があったのか、今は虚躯の内部に間借りする形で辛うじてその存在を維持している。
それが俺の記憶の欠損に繋がったわけなので俺にも詳細を知る権利くらいはありそうなものだが、何故かその辺りについては未だ詳しく話してはくれなかった。どうでもいいことは無駄に長々と喋るのに。
とにかく、何かと口うるさい世話焼きで、特に訊いてもない知識について執拗に語りたがる衒学者で、そのくせ肝心な時には割と役に立たない、どころか呼びかけても反応が無かったりする気まぐれなポンコツ。
俺の中のロティの印象はそんな感じだった。
だが――これをそのまま伝えていいものだろうか?
この通りに話すのを聞かれたら確実に後々ネチネチ言われる、そんな予感しかしないのだが……。
《フィーノ、何か余計な事考えてない?》
俺の思考を見透かしたようなロティの声にどきりとする。
まさか実際に読み取ったわけではないだろうが……いや、そんな能力あってたまるか。
それが可能なのなら今までにももっと楽ができた場面があったはずだ。
《何を迷っているのかはわからないけれど、あなたが思っている通りに伝えればいいだけじゃない。知性溢れる参謀役、頼れる相棒だって》
思った通りに伝えるとそうならないから悩んでるんだけどな。
さてどうしたものか。
食卓中央の既に随分小さくなった衣揚げの山を切り崩しながら、アステルへの返答をしばし考える。
そして出てきた言葉は――、
「――知性溢れるポンコツ」
《ちょっとフィーノっ!?》
間髪入れずロティの抗議が聞こえるが、もうこれが最も的確にロティを言い表し切ったとしか思えない表現だった。
ちょっと満足し、取り分けた衣揚げを齧る。
さくりと軽やかな歯応えの奥に、柔らかくもしっかりとした肉の弾力。下味に混ぜ込んだ刻み香草がさりげなく香り、少し強めの脂の風味を抱き込み爽やかに彩っていた。
合間に細切りの酢漬け球藍をつまみ、口中をさっぱりさせながら再び肉を――、
「いや待ってフィーノ、全然わかんない」
と思ったところでミュイユに制止された。
「そうか? かなり端的にまとまった説明だと思ったんだけど」
「端的にも程があるでしょ」
「というかそのっ……まとめなくてもいいのでもう少し詳しくですねっ」
アステルまで困った風に詳細を催促してきた。
《そうよ! というか何か不可解な文言が混ざってたじゃないの。訂正を要求するわ!》
ロティにも不満を申し立てられた。
と言われてもなぁ。
この存在の詳しい説明なんてむしろ俺が欲しいくらいだし。
「……もういっそロティ自身に出てきて話してもらえないかな……」
つい独りごちたその言葉に、
「ん?」
《ん?》
ミュイユとロティの、何かに気付いたような声が重なった。




