幕間10 少女は南で遊びたい
「けど意外だね〜。クレウグってもっとこう、真面目寄りみたいな? こういうのはゆるやかに断りそうな……っていうか誘われる前にひっそり姿を消してそうな系統だと思ってたんだけど」
半分寝台のような平たい形状の椅子に横から腰掛けつつ、サリュージアがクレウグの傾向を的確に捉えた、それでいて直接伝えるには少々失礼にも取れる発言と共に杯を呷った。
事実、クレウグはこれまでこのような催しに進んで加わることはなかった。
それが今、自ら参加しようと申し出ている。
これまでの彼の立ち振舞いからは考えにくいその行動への指摘に、当のクレウグ本人が「確かに」と首を捻りながら机の焼き菓子に手を伸ばした。
齧ると、さくりと軽く砕けるような食感の中から、少し強めの塩味と同時に細かく散らされた香草の香りが鼻へ抜ける。乾雫麦由来の風味以外にはほぼ甘さを足していない、酒に合わせるための一品。サリュージアの考案でノーヤに試作させたものだった。
「……そうだな。何か、心変わりでもあったんだろうか?」
「だろうかって。あんた自身のことでしょ」
とぼけた返答に、呆れた調子で指摘するサリュージア。
そこに、小粒の干し肉をつまみながらフューフィルが口を挟む。
「向こうで、聖王一行に何か感化されてきたんじゃない? なんだかトープドールが帰ってきた時と似た感じだわ。新しい友達ができた子供みたいな浮かれ方」
「……トープドールと?」
頷くフューフィル。
聖王フィーノとの邂逅、交戦の後。魔王城へ帰還したトープドールは、いつにも増して晴れやかな、愉快そうな様子だった。入れ違いになったクレウグは知る由もないが。
その時のトープドールの浮かれた雰囲気と同じものを、フューフィルは感じ取っていたようだった。
「…………」
そうかもしれない、とクレウグは自身の感情を分析して思った。友達のくだりはともかく。
元より敵対する関係。出し抜いて裏切るような形になったのは想定の通りだったが、心のどこかで、違った展開だった可能性を夢想している――そんな自分に気付いた。
そんな思いが、仲間への彼の接し方に影響したのだろうか。クレウグ自身には、よくわからなかった。
――聖王。
その名に、クレウグは自分がここへ来た理由を思い出す。
考えても埒が明かなそうな感情については一旦保留しておくことに決め、仕切り直すよう杯を大きめに呷って言った。
「……その、聖王と共に潜った遺跡についてなんだが。サリュージアに確認したい事がある」
些か強引に話題を変えるクレウグに、
「えっ……何? なんか怖いんだけど?」
と戸惑いながらサリュージアは先を促した。
「あぁー、それ『海指貝』だ。凄い、あの時の子まだ生き残ってたんだ」
クレウグが語ったのは、『海小屋』の話。そこで遭遇した奇怪な生物――『海蛇』について。
それを聞いたサリュージアが、懐かしむような感嘆の声を上げた。
「ということはやっぱり、あれは君の……」
「うん、あたしが……なんだっけ、ミュプセーヌ海峡? だったかで『聖王』とやり合った時に連れてった枯化獣。今からだと、えっと……三百年くらい前のはずなんだけど」
腕組みしながら記憶を回想するサリュージアに、得心が行った様子のクレウグ。
以前クレウグは、似たような生物をサリュージアが使役しているのを見た覚えがあった。
『海小屋』で遭遇した時から抱いていた引っ掛かり。
これはサリュージアに関わり深い生物なのではないかという疑問は、間違っていなかったようだった。
「なんかあの時の『聖王』、途中から様子が変でさー。あたしの『海指貝』を、どうにか生け捕りにできないかって画策してたっぽいんだよねぇ」
首を傾げながら思い返したことを語るサリュージア。
「研究でもすんのか何なのか、実際何匹か捕まって連れてかれたみたいだったけど……そっか、へー、生きてたんだ。いや結局最近死んだんだっけか。本人か子孫か知らないけど」
「…………」
冗談めかして言うサリュージアに、クレウグは苦笑いで返す。
その『海指貝』を、まさか美味しく頂いたなどとは伝えられるわけがなかった。それらしい生物に襲撃され、撃破したとだけ話すことにしていた。
「で、どうだったー? 海指貝は」
「あぁ、美味かった」
何気なく問い掛けたサリュージアのにやけ顔が固まる。
ブフッっと、フューフィルが飲みかけた酒を吹き出した。
恐らくは大きさや強さについて尋ねたのであろう問いに、回答を盛大に間違うクレウグ。
意識しすぎて逆に口をついて出てしまったようだ。
慌てて、クレウグはどうにか言い繕おうとする。
「いっ……いや、すまない、流れで……というか手遅れだった。俺が気が付いた時にはもう半分下処理は始まっていて……」
いつになく必死な様相のクレウグの言葉を、しかしサリュージアは豪快に笑い飛ばした。
「いやっははは、いいって別に気にしなくて、ほんとに。別に可愛がってたとかそういうんじゃないからさ。むしろ武器とかそんな風にしかあたしも見てなかったし?」
クレウグを気遣いつつもひとしきり笑ったサリュージアは、
「けどウケるわ流石に。美味しいんだあの子ら。っていうか食べられるんだ。知らなかった」
と、まだじわじわ込み上げてくる笑いを抑えるよう酒を一気に喉へ流し込んだ。
そんなサリュージアと気まずそうなクレウグに挟まれ、急に不満そうな声を上げるフューフィル。
「待って。クレウグ貴方、南の海で聖王と遊んできただけじゃなく美味しいものまで食べてきたの? 許せないわね羨ましくて」
「いや、さっきも言ったが俺は……」
訂正しようとして、フューフィルの言がそれほど実際とかけ離れていない事に気付き、クレウグは言い淀む。
遊びにいった訳でないのは確かだが、遺跡探索のくだり以外は聖王一行と一緒に、ほぼ観光していただけと言っても割と過言ではない。海指貝料理だけでなく、贔屓の店での食事も共に楽しんだ。
遺跡の探索についても、生前からの趣味が高じて生業としているもの。クレウグにとっては半分遊びのようなものだった。
存外反論点が見当たらず口ごもるクレウグに、フューフィルは更に続ける。
「カナヴェーヌにミアムとトープドール、そして今度はクレウグ? ずるいわ、私も一度くらい――」
「あーいたいた。なんでみんなこんなとこに溜まってんの」
と、我儘を漏らしだしたフューフィルの言葉を遮ったのは、ユラエナの気怠げな声だった。三階屋内へ繋がる扉から、訝しげな顔を覗かせていた。
そのまま三人の方へ歩いてくると、机に置かれた瓶と杯に気付いて、うわ、と小さくこぼした。
「え、何やってんの。サリュージアはともかくフューフィル……もともかく、クレウグまで一緒になって昼から酒? 二人に弱みでも握られてんの?」
信じられないものを見た、という風に酒瓶とクレウグを見比べる。
「いや、これは俺から……」
「まぁいいや。次はあたしも誘うように。来ないけど」
自分から始めた話題を一方的に打ち切ると、ユラエナは三人を見回して「そんな事より」と話し始めた。
「例の道具が完成したからさ、誰か実験台にならない?」
唐突かつ要領を得ない申し出に、顔を見合わせるクレウグ達。
その反応に、一度首を傾げた後、何かに気付いてユラエナは付け加える。
「そうだった、クレウグには話してなかったんだっけ。聖王の居場所を座標指定して、その地点へ直接疵傀を転送する道具の件」
これも、クレウグには初耳だった。会議を一度欠席しているうちに、何やら妙な計画が進行していたようだ。
初耳でない二人にも伝わっていない辺り、ユラエナの話題の振り方に根本的な問題がありそうだったが。
それにしても、聖王のいる場所への直接移動とは。どのような理屈なのか、本当に可能なのかとクレウグは首を捻る。
「もう試運転は済んでてさ、あとは実際に試すだけなんだよね。暇なら誰か検証を手伝ってほしくて――」
「行くわ」
飛びついたのはフューフィルだった。
まさに今、動機はともかくとして、自分も南部へ行きたいと不平をこぼしていたところ。ユラエナの打診はまさに渡りに船だった。
「その道具があれば南部へ遊びに行けるのよね? なら任せて。私がその実験台になるわ」
目を輝かせながらユラエナに詰め寄るフューフィル。
誘ったユラエナ当人が、予想外の食いつきに戸惑っている。
「えっ、ほんとに? そりゃ助かるけどそんな即決……いや待って、遊びにって何」
「決まりね。決めたわ。それじゃあユラエナ、お願い」
「いや別に今すぐ試す予定は無いよ。転送対象に合わせての最終調整も要るしさ。……ていうか酔った奴は流石に送れないから、色んな意味で」
「そう、残念。日程が決まったら呼んでちょうだい」
「そんなに先にはならないと思うよ。来週くらいかな。まぁまた目処が立ったら声掛けるからその時はよろしく」
流れるように約束を取り付けると、ユラエナは満足そうにこの場を去っていった。
帰り際に、「なんか意外なのが釣れたなー」などと呟く声が聞こえた。
突如現れては瞬く間に去ったユラエナを見送ると、周囲には静寂が残された。
ふと吹き抜けた風に我に返るクレウグ。
気付けば、目の前に何やら得意気な笑みを浮かべたフューフィルがいた。
「ふふ、これで私も南部観光勢の一員だわ」
「…………。聖王の根拠地はローナセラという都市だ。聖王の居場所へ転送するのなら、かなりの確率で街のど真ん中に送り込まれることになりそうだが、その辺りはどうするつもりなんだろうか」
「……大丈夫なんじゃないかしら? ユラエナのやる事だもの」
「何故彼女にそれ程の信頼を置いているのかはわからないが、俺としてはそこが何より不安なんだが」
「それにさー、そもそも遠隔地に転送ってどういう理屈? ちゃんと無事に行けるか心配なんだけど」
「大丈夫なんじゃないかしら。ユラエナのやる事だもの」
「だからなんでフューフィルの中のユラエナの信頼度そんなに高いのさ。あの子の肝心な時の不安さってあたしと同程度じゃない?」
「……自覚、あるんだな」
「勿論。あたしならこんなのに重大な任務任せないね」
益体無いやりとりに胸を張って笑うサリュージア。
嘆息しつつ、クレウグは何気なく柵の方へと歩き、眼下の庭を見遣った。
庭の緑の中には、未だ庭仕事を続けるトープドールと、そこに食って掛かる様子のカナヴェーヌ、何やら少し離れて見ているミアムの姿。
――あの連中と俺に続き、今度はフューフィルか。なんだか大変だな、フィーノさんも。
庭から視線を上げると、南の空。
雲一つない蒼を眺めながら、クレウグは手にした杯を口元で傾けた。




