第55話 海の旅の終わりに
帰りの廻輿の室内には、行きの和やかな空気とはまるで違う重い空気が張り詰める――かと思いきや意外とそれ程でもなかった。
まぁよく考えたら、聖標器の取得云々は仲間達に直接関係のある事柄ではない。慰めこそしてくれたが、俺程の消沈は特に誰もしていないようだった。割と呑気に談笑しながら、『海蛇』の薄切り尾肉の酢漬けやら何やらを齧っていた。
俺と一緒に沈まれてもそれはそれでちょっと辛いので、むしろ助かりはするが。
また、クレウグが魔王の関係者でかつ蘇生者であったという事実が判明した衝撃に関しては、俺が伝えるなりゼオの発した「あー、やっぱりかぁ」という気の抜けた言葉に掻き消された。
「やっぱりって……ゼオ、まさか気付いてたのか?」
俺の問い掛けに、ゼオは少し気まずそうな顔をしながら答えた。
「いやー、ごめんね。あんまり自信が無かったから言わなかったんだけど」
酒を口に運び、一息つくと小さく首を振って続ける。
「『死』の波長がさ、なんだかちょっと普通と違ったんだよね。フィーノ君のものともまた違う、変な感じ。今思えば確かに……カナンとトープドールだっけ、あの二人に近かったかもって」
そうか。死者でも生者でもなく、どちらでもある存在。ゼオの感じ方に一般人との違いが生まれるのも頷ける話だった。
死祇を行使することによる付加効果――あるいは代償かもしれない作用によって、ゼオは、常に周囲一定距離内の『死』の気配を感じ取りながら生きているらしい。
具体的にどういった状態なのかは本人にしかわからないが、とにかく彼はあらゆる生命が自動的に内包する『死』というものを常にその体で視ているようだ。
それだけでもちょっとした生体の探知効果、近くに何かいるっぽいと判る程度の効果はあるのだが、どうやら俺の――虚躯の反応は他と少々違うらしい。
造り物の体である故、死の概念が通常と異なるのか。詳しいところは不明だが、とにかくその差異のため、俺の居場所だけは割と明確に判別できる。ゼオはそう言っていた。
そして、クレウグ達蘇生者。
彼らに関しても、一度既に死んでいるためか、あるいは何か通常と違う生命なのか……理由はともかく、一般人とも、俺ともまた違う反応を有するようだった。
なお具体的にどう反応が違って見えるのかについては、ゼオ曰く、
「真っ暗闇の夜道に全身黒ずくめの人の後ろ姿が見える感じかなぁ」
との事だった。正直よくわからない。
少なくとも、原理の違いからか、ロティの解析と違い虚祇の影響は受けないようだが……。
もしいずれ彼と戦う時が来たなら、この情報が役に立つことがあるのだろうか。
車窓から流れる海の景色をぼんやりと眺めながら、あまり考えたくない想定を追い出すように頭を軽く振った。
夕刻頃。
セラン・ユプセンの聖立共壇に戻った俺を待っていたのは、意外な置き土産だった。
昨日と同じ、漁師と兼業でもしてそうな雰囲気の受付の男性が、俺の報告を聞き終わるより早く、窓口の下から何やら二つの革袋を取り出し机に置いたのだ。
「昨日の、遺跡屋だかなんだかの兄ちゃんがよ、今朝早くここへ来たかと思えばこれを置いてったんだ。聖王様の報告内容に関わらず、戻ってきたらこれを渡してくれってな」
クレウグが? どういう事だろう。
俺は二つの袋を受け取ると、そのまま窓口の机の上で封を開けてみる。
一つ目の袋から現れたのは、束ねられた紙幣。多額のリレア貨幣だった。
「あの、これは……?」
「なんだ、本人から聞いてねぇのか? 謝礼金だろ、依頼の」
尋ねる俺に、不思議そうに首を傾げながら答える男性。
謝礼金……。本来の依頼内容からすれば、遂行できたのかどうかもさっぱりわからない結果に終わったのだが……本当に、受け取っていいものなのだろうか。いや、依頼人自体は確かに無事ではあるけども。
広げた革袋を前に考え込んでいると、窓口越しに男性が、笑みを浮かべながら言った。
「何があったのかは訊かねぇけどよ。わざわざ言伝を残してまで置いてったんだ。気にせず持ってけばいいと思うぜ」
そして両手で、二つの革袋をこちらへ押し付けるように滑らせた。
気にせずと言われても。戸惑いつつも革袋に視線を落とし、そこでまだ開けていないもう一つの袋が目に留まる。
男性に目配せし、頷きを返されたのを確認して、俺はもう一つの袋も開封した。
そちらから出てきたのは、何やら小綺麗な包装紙に包まれた、薄い箱状やら円筒形やらのいくつかの物体だった。
包装紙に記された文字には、魚や野菜類の干物と思しき商品名。
そして、『雲魚亭』の文字。
……これは、昨日クレウグに連れていってもらった料理屋の名前じゃないのか。
まさか、わざわざ買って包んでくれたのか? 土産物を。
俺達がひどく気に入ったのを覚えていてくれたのか、はたまた彼がただあの店を強く推したいだけなのか。
思わず漏れた苦笑に、受付の男性がまたも不思議そうな顔をする。
俺は彼に頭を下げ、礼を言って両の袋を受け取り、共壇を離れた。
包み紙には、店名の脇に小さく添えられた文字があった。
――『創業 聖臨29年』。
確かに、三百年前からの老舗だった。
そして、貰ったお土産に浮かれていたせいか、俺が贈る分を買うのを見事に忘れていた。
いや、別に買ってあげる義理もそれ程無いのだが。
仕方無いので、シグネーさんには取っておいた『海蛇』の腕をあげた。
もう二度と手に入らないであろう希少な一品物だし、部屋にでも吊るせばなんだか魔除け感とかが出て良さげだろう。煮れば出汁も取れるかもしれない。
そう思って差し上げたのだが、「ありがとうございます」と受け取った手でそのまま背後へ投げ捨てられた。
乾いた音を立てて床に転がる乾いた腕。
その行方を特に見送ることもせず、シグネーさんは窓口の机に頬杖をついたまま、相変わらずの面倒くさそうな口ぶりで、淡々と言った。
「……『戦祇の左手』の調査許可が下りました」
小旅行帰りで疲れの抜けない体に、再度緊張が走る。
『渇尽牙』――俺の知るもう一つの、聖標器が眠る島。
そもそもはこちらが本命だ。
次こそは、聖標器を――俺の記憶を、確実に手にしてみせる。
決意と共に強く握る拳。
その中には、渡しそびれたもう一本の『海蛇』の腕。
……どうしようこれ。
とりあえずシグネーさんに差し出してみたが、刹那ではたき落とされこちらも床に転がった。
その奇怪な物体に気付いた通りすがりの職員の悲鳴が、昼時のローナセラ聖立共壇に響き渡った。




