第50話 長き死闘の終幕
その無機質な眼に秘めた感情は伺い知れないが、これまでの比ではない敵意を思わせる様相でこちらへにじり寄る『海蛇』。
その身を覆う巨大な水球を誇示するように、じわりと距離を詰めてくる。
これまでも、体に纏った水を術として行使し放ってくることはあった。
だが、それらはあくまで『海蛇』の体表を覆う程度、表面積程度の量だった。このような、全身を覆い尽くして余りある程の量は使ってこなかった。
この大質量の水を使い、一体何を仕掛けてくるつもりなのか。
警戒し、抉界戟を手に身構えたところで――、
「随祈、『呪方・終止門』」
ゼオの投げた冥指が大水球を刺した。
その形を保てなくなり弾け飛ぶ水の塊。
周囲一体が水浸しになった。
「――……?」
何が起こったのかわからず動きを止める『海蛇』。
そこに襲いかかるアステルの槌。
超威力の殴打が『海蛇』の頭を床へ叩きつける。
更なる追撃。ミュイユが放った大剣、鋼花の投擲が『海蛇』の胴を薙ぐ。
「フィーノ、ほら」
のたうち回る『海蛇』を横目に、軽い口調で俺に何かを促すミュイユ。
ほら、って何が……あ。
「えっと……『裁儀』、『解』っ!」
慌てて突き出す抉界戟。
穂先が『海蛇』を捉え、『解析』が成立する。
……うん、能力値は最初のやつとほとんど変わらない感じ。ちょっとだけこちらの方が高いかも。
「済んだ?」
「え、あ、うん」
解析の段階は終わった。あとは改竄を通せば勝ち、という状況にはなった。
しかし、なんというか……え?
「なんか二発要るんだよね。やってきて」
「……うん」
執拗に続くアステルの殴打で未だ床に繋ぎ止められたままの『海蛇』に、俺は二度目の刺突を放つ。というかつつく。
「……『裁儀』、『定』」
一匹目と同様に能力値を改竄、速度と耐久を削り精度に振る。
耐久力を失くした『海蛇』は、続くアステルとミュイユの攻撃を受け、そのまま動かなくなった。
他に後続が湧いてくる様子も無い。
勝ったようだ。
「…………えぇ?」
いやマジでもう終わり!? 拍子抜けにも程があるんですけど!?
そりゃもちろんこれは、生半可な個人技より俺達四人の連携の方が強力であることの証左なのかもしれないけど。
あるいは兵力差というか、数の暴力というかそういった。ただの暴力だったかもしれないが。
しかしなんか釈然としないというか。クレウグと俺の苦労を返して欲しい感はあった。
脱力し床に座り込む俺。
かくして、『海蛇』との死闘はどうにも煮え切らない幕切れを迎えたのだった。
随分と間の抜けた勝利の余韻だったが、頼れる仲間達は、俺にその余韻を味わう暇も与えてくれないらしい。
『海蛇』を仕留め終えたアステルが、こちらを振り返り無駄に大声で言う。
「フィーノ様ぁ〜!! 消えちゃう前に摘出お願いしますっ!!」
アレ? って『理命』のことか?
「え、まさか本当に食う気なのかこの蛇」
「そりゃそうでしょ。こんなの滅多に食べられるもんじゃないし」
思わず聞き返す俺に何故かミュイユが得意げに答える。
まぁ確かに、見たこともない生物だ。この機を逃せばもう手に入ることは無いだろう。
だろうけど。本当に食べていいものなのかアレ。というかそもそも食べられるのか。毒とか無いだろうな。
《仮に毒を持ってたとしても、頭を取り除いて胴体の肉を食べる分には問題無い、はずよ。まぁこいつの場合は念の為、腕周りも避けた方が確実かもしれないわね。あとはしっかり加熱すれば大丈夫。……これをどう持ち出すつもりなのかは知らないけれど》
確かにそうだ。
ここで調理などできるはずもないが、しかしこんな大きさのモノを、どうやって地上まで運び出すというのか。
ただ引き摺るだけならアステルに任せればいいだろうけど、聞いた限りではかなり狭く入り組んだ造りの建物だったらしい。そんな所を強引に通せば、地上に着くまでにボロボロになってそうだ。
というかまずこの部屋の扉を出られるか怪しい。
……そもそもこの『海蛇』はどこからこの部屋に入ったのだろうか?
この水槽の底が外の海と繋がっていて自由に出入りできる可能性も無くはないが、流石にその線は薄いだろう。正面入口をわざわざ厳重に封印しておいてそれは無いと思われる。
となると、普通に扉から入ったことになる。
その場合、『海蛇』は二百年ほどこの水槽で生きてきたことになるが。
建物自体の唯一の入口が、『聖王』にしか開けられないのだから。
……荒唐無稽さについてはこの説も大概だが、水槽が無意味に底抜けであるよりはいくらか有り得そうな気がした。あの巨体ならそれくらい長生きするかもしれない。あるいは長生きしたからこその巨体か。
あぁ、もしかして入った時点ではもっと小さかったのだろうか? あるいは何か別の手段でも存在して――、
――と考えたところで、ふと思い出す。
あの大型命湍。
俺とクレウグをこの部屋へ転送してきた、入口の大部屋とここを繋ぐ路。
あれはまさか、『海蛇』を搬入するための装置だったのでは?
かつて聖王が、何かしらの事情で『海蛇』を封印したのがこの『海小屋』?
正面扉が内開きだったのも搬入を円滑にするための……いや、流石にそれは考え過ぎか。
それに、そうだとすると再びあの疑問点が浮かび上がる。
――生物は命湍を通過できない。
クレウグの件といい、考えても謎は深まるばかりだ。
考察は一旦置いておき、『海蛇』の運び出しにはあの命湍を試してみることにしよう。
おっと、その前に。
俺は、動かなくなった『海蛇』の体に歩み寄る。
体が消滅していないということは、今はまだ完全に息絶えてはいない。
しかしそれも時間の問題と思われる。
俺は『海蛇』の硬い体に触れ、術を展開する。
「――『理命』」
『海蛇』の全身が淡い光に包まれる。
それはある一点、体に触れた俺の手にゆっくりと収束し――、
――『海蛇』から離した俺の手の中には、薄水色に輝く拳大の滓花。
それを覆心鞘に収納し、俺はアステルに合図を送った。
ひとまず《《摘出》》は済んだ。あとはゆっくり体を運び出すとしよう。




