5 杯に誓う意味
遅い夕食になった。
温め直した枯香猪と野菜の煮込みを盛り分け、四人で食卓を囲む。
ミュイユが自分の分は少なめでいいと言ってきたのでその通りにした。
「いやー、それにしてもミュイユちゃん無事でほんと良かったですねぇ。どっかに連れてかれたってモリモリヒゲさんから聞いたときはどうなることかと。あ、フィーノ様おかわりください」
空腹も限界だったのだろう、瞬く間に一皿を平らげたアステルの催促に、俺は新しく二杯目を盛り付けながら、
「それだけどさ、マスキンさん、別にそんな事言ってなかったらしいんだけど」
「ふぇっ?」
皿を受け取りながらきょとんと首を傾げるアステル。こぼすなよ。
後でマスキンさんの酒場に顛末を説明に言った際に訊いてみたところ、「いや儂は確かにお宅の嬢ちゃんが、知らん男を工業区に連れて行ったと伝えたぞ」と返ってきた。
つまり、そもそもがアステルの聞き間違い。最初から誘拐などではなかった、というかミュイユが誘拐していた。
まぁ、元より俺もミュイユ自身の心配は特にしていなかったが。
「そういえばさ、僕はなんで呼ばれたの? 着いてみたらもう全部終わってたけど」
ゼオが自分の杯に酒を注ぎ足しつつ問う。
「ごめん……姐さんが何かやらかしてたら止めてもらうつもりで呼んだんだけど、特に必要なかったみたいだ」
ミュイユが黙って攫われるなど有り得ない。何かあった時の調停役、というか誘拐犯をミュイユから守るために念のため呼んだのだが、結果無駄足にさせてしまった。
謝る俺に、ゼオはえらく色の赤い褐酒を飲みながら笑って言った。
「いや、別にいいんだよ。僕もミュイユ君は心配だったし。それはそれとしてちょうど新製品の酒も手に入ったしね」
さっきマスキンさんのとこで何やら買ってたのはそれか。
当のミュイユは、なんだか気まずそうに黙々と料理を口に運んでいた。
少なく盛った一皿を普段より時間をかけて食べ終わった後、ぽつりと口を開く。
「……あのさ」
何か思い詰めたような、そうでもないような口調。表情は相変わらず変化が少なく読みにくい。
「アタシが今日やったことって、ただ世話になった人をブン殴っただけだよね」
……言われてみればそうかもしれなかった。
一瞬返答に困ったが、しかし。
「……姐さんは、バスゲウスさんを止めた。俺を守ってくれたんだよ」
それは揺るぎない事実。決して無意味に恩をかなぐり捨てたわけではないはずだ。
「でもアタシが彼を引き止めなかったら、そもそも襲われることもなかったはずなんだよ」
「……そうかもしれないけど」
同意しかけて、思い直す。ミュイユが引き止めなければ?
「いや……姐さんが関わらなくても、あの様子だといずれ狙われてたよ。ただ機会が早まっただけだと思う」
お互いわずかに沈黙した後、ミュイユがふと思い当たったように言った。
「バスゲウスさんが急にフィーノに襲いかかった理由、もしかして何か聞いてる?」
「……それは」
あの後、警邏隊による事情聴取でバスゲウスさんが述べたらしい事、そしてロティに言われた事を思い返す。
「俺ぁ、イトゥスから逃げてきたんだよ。いつまでも止まねぇ内乱が嫌になってな。
セラン・ウェーラーまで逃げるつもりだったが、つい魔が差しちまってこのザマだ。
家族? もういねぇよ。全員内乱で死んだ」
《イトゥス? 大陸南東端の島国ね。
あそこは……そうね、言うなら「先代聖王」のせいで国が二分されて、未だに内乱を続けているようなところかしら。
二百年前の話よ。フィーノには関係無いわ。忘れなさい》
「…………」
つまり、端的に言えば「『聖王』への恨み」ということ、なのだろうか。
恐らくは俺個人に向けられたものではないのだろうが。
言葉に詰まる俺の様子に、気を遣ったのかミュイユが話題を変えた。
「そういえばね、工業区を歩いてる時にバスゲウスさんにちょっと食べ物を貰ったんだよ。硬ったい干し肉と、なんかパリッとした棒みたいなやつ」
「……そうか。美味しかった?」
「…………。……悪くなかったよ。フィーノの料理ほどじゃないけどね」
そう言い残すと、ごちそうさま、と食器を返し、ミュイユは部屋に帰――れなかった。
「ミュイユぢゃあ゙んっ!! 行っぢゃだめでずぅっ!」
何故か涙目になっているアステルに肩を捕まれ引き止められるミュイユ。
「えっなっ何っ? なんか涙腺に刺さる要素あった今の?」
思わぬ横槍に狼狽えるミュイユ。アステルに引き戻され、さっき立ったばかりの椅子に半ば強引に再度座らされる。
「アステル? アタシはもう戻って休みたいとこなんだけど」
「却下ですぅ~~!!」
却下ってなんだ。許可を得ないと休めない間柄か。
……うん? アステルから漂うこの匂いは。
「アステル、いつの間にか随分酔ってないか?」
よく見ると、アステルの席には既に空の褐酒の容器が二本。気づかないうちにかなり進んでいたようだ。
「ええそうです酔ってますよ心配したし安心したんですから祝いのヤケ酒です!」
「祝いで自棄になってどうすんのさ」
「なりたい夜もあるんですっ! それよりっ!」
座らされたミュイユの前に仁王立ちになり、赤い顔と目でふんぞり返りながらアステルは、
「ミュイユちゃん、もう黙ってどっか行っちゃわないでください! ミュイユちゃんの帰ってくる場所はここですからっ!!」
そう言い放つと、唐突に新しい杯に褐酒を注ぎ、ミュイユの前に置いた。
「どうぞ!」
「どうぞって、何コレ」
「約束の盃的なっ」
突然目の前に出現してしまった酒にしばし困惑するミュイユだったが、そのうちグラスを手に取ると、
「……努力はするよ」
約束を飲み干すように、褐酒を呷った。
と思ったら少し飲んですぐ机に杯を戻した。
「いや……え、何この酒。なんか酸っぱいんだけど。酢でも入ってない?」
その言葉に、今まで黙々と呑んでいたゼオが反応した。
「あ、それ僕がさっき買ってきたやつだね。ちょっと変わった製法で独特の酸味が生まれるんだって。酢じゃないよ」
そういえば確かに、ゼオが先程飲んでいたものと同じ深い赤色をしていた。
「おいしかったですよ?」
「いや新鮮な感覚でおいしいけどさ、約束も吹っ飛びそうな酸味してるよコレ。もう少し風情ありそうなやつは無かったの」
「むしろこれで強烈に記憶に刻み込まれそうでいい感じですねっ」
「これで刻み付けたくはないんだけど」
しぶしぶといった体で残りを飲み干したミュイユは、難しい顔でしばし空の杯の底を見つめたと思うと、瓶を手に取って新しく褐酒を注ぎ始めた。
薄紅色の泡が溢れる。
「ミュイユちゃん? 刻み足りなかったですか?」
「……思ったより好きかもコレ。癖になりそう」
そう言って再び杯を傾けた。
……なんだその酒。俺も気になるんだけど。
「……俺も一杯貰っていいかな」
おずおずと切り出した俺にアステルは注いだ酒を手渡し、
「フィーノ様も約束の盃ですねっ」
「俺が何の約束をここに掲げるんだよ」
「もちろん、無事お家に帰ってくることですよっ!」
紅潮した笑顔でそう言った。
そんな趣旨の会話だったっけ。よくわからなくなったがとにかく杯を受け取り、口へ運ぶ。
苦味と共に、果実のような濃厚な酸味が弾けて広がった。
「ゼオさんもどうぞ!」
「大丈夫だよ、僕もう飲んでるし。……っていうかそれ僕が買ってきたんだけどね」
まだ残っているゼオの杯の隣に、アステルによってなみなみと酒の注がれた杯がもう一つ置かれた。
「大丈夫って言ったじゃないか……」
「もう一杯くらい大丈夫ですっ!」
「大丈夫だけどさぁ」
苦笑するゼオに、自分の分も新たに注いで飲むアステル。黙々と飲み進めるミュイユ。
その様子を眺めながら俺は、
「……約束、か……」
独りごち、迸る酸味を口に流し込んだ。
窓を開け、夜空を見上げる。
南東の空に見知らぬ星座が瞬いていた。
――これは旅の一幕。愛しい仲間達との記憶の断片。




