第46話 過ぎる時間と消える花弁
「『裁儀』、『定』ッ!!」
捉えた『海蛇』の喉元へ、抉界戟を介して放つ改竄術。
それは『海蛇』の内部を、この世の原理とは異なる理外の理で強制的に書き換える。
能力値などという存在しないモノを外部から弄られる、猛烈な不快感。それに身悶える『海蛇』の傍を走り抜け、距離を取ったところで足を止め振り返る。
水槽脇のさほど広くない通路。その上に、二匹の大きな蛇。
片方は、自身の内部から生まれる違和感に身を捩っている。細い腕で虚空を掻きながら、その場でぐるぐると悶える。まるで絡まった紐のようになっていた。
もう片方は、俺の姿を見失ったのか一度その足――足無いけど――を止め、頭だけを持ち上げて周囲を見回す。
やがて背後に、俺と毛玉のような姿の仲間の姿を認めると、異変を感じたのか、逃げるように水槽の中へと姿を消した。
このまま諦めてくれればいいんだけど、まぁ無理だろうなぁ。
嘆息しつつ水槽と、のたうち回る『海蛇』に目をやる。
その能力値は、既に戦うものとしての体を成していなかった。
――解析値(基礎値/⇒修正値/)――
接式干渉力:1093 /⇒ 510/・減算補正
接式抵抗力:418 /⇒ 106/・減算補正
術式干渉力:675 /⇒ 206/・減算補正
術式抵抗力:206 /⇒ 301/※加算補正
速力 :430 /⇒ 104/・減算補正
精度 :116 /⇒ 1711/※加算補正
計 :2938
―――――――――――――――――
厄介な攻撃力だけは完全には削りきれなかったが、それでも本来の半分以下までは落ち込んでいる。
そもそも速度が死んでいる以上、どれだけ力が強くてもまず触れられようがないのだが。
そしてその他能力値も大幅に減算。削った分は、蛇の体ではおよそ使い道の無いであろう精密動作性に割り当てた。
あとは仕留めるだけ。
ただし俺の攻撃力も、これだけ減らした蛇の物理耐久をまだ下回っている。速度に振るために削りすぎた。
水槽に逃げたもう一匹がいつ戻ってくるかもわからない。あちらに備えて速度を維持するか、今目の前のこっちを倒してしまうために一時的に攻撃力を上げるか。
……いや、『海蛇』がこの二匹で全てとも限らない。
また増えられる可能性を考えると、速度は削れない。
攻撃に振るためには速度以外の能力値からかき集める必要があるが、なけなしの耐久力をこれ以上低下させるのも恐ろしいものがある。
しまったな。改竄を通した以上、倒したも同然と思っていたが……少し見通しが甘かったか。
『裁儀・定』の効果時間は約30秒。それまでに結論を出さなければ、折角の改竄も無駄になる。
どうにか落ち着いたらしい『海蛇』に目をやり、慌てた思考を始めたところで――、
――ぐらりと、視界が揺らいだ。
いや、目の問題ではない。全身の力が抜ける。立っていられず床に膝をつく。
しまった……こっちの時間切れか!?
『敢臨』による虚躯の臨戦状態解放。
その制限時間が過ぎたようだった。
こうなると、改竄した自身の能力は初期値に戻され、一分程は再発動できない。
更に、全身の虚脱。ゼオの呪界・怨心首に巻き込まれた時ほどではないが、まっすぐ立つのも困難な状態になる。
自分以外の対象に施した改竄に関しては、消去されることはなく、本来の効果時間いっぱいまでは持続するようだが……。
なんてこった。急遽増えた二匹目のせいで時間を取られすぎたか?
いや、元より無理があったかもしれない。
単独での持久戦には向いていないのだ。この虚躯は。
《まさかこんなに時間が迫っていたなんて……。三人が来るまであと少しなのよ、どうにかならないのっ!?》
そういえばロティは、俺が臨戦状態を解放した瞬間を見ていなかった。正確な効果時間を把握できていなかったのだろう。
しかしどうにか、と言われても。この状態に抗えないことはロティの方がよく知ってそうなものだが。
俺だって、せめて改竄した目の前の蛇一匹くらいは倒しておきたいと思ってはいるが……抉界戟を杖になんとか立っていられるような状態では、むしろこちらがあっさり倒されかねない。
改竄の効果時間ももう数秒程度だろう。そうなれば――。
まいったな、諦めたくはないが……手立てが思いつかない。というか考える時間が無い。
せめてもの足掻き。距離だけでも取っておこうか、とふらつく足を後ろへ下げかけた時。
俺の背後から、一条の閃光が走った。
白く輝く眩い槍――と呼ぶには少し太い、光の柱。
そういった形状の何かが、後方から飛び出したクレウグの突き出す拳からまっすぐに伸び、『海蛇』の体を穿っていた。
その光る柱の一撃で、胴体を両断される『海蛇』。
直撃を受けた体の上半分ほどが、冗談のように吹き飛んでいく。そして壁に激突し落下。そのまま動かなくなった。
俺の前には、赤黒い血を流しながらその断面を覗かせる下半分。それもすぐに動きを止めた。
「……へっ?」
思わず漏れる間抜けな声と共に、前に立つクレウグを見る。
何だ、今のは。クレウグがやったのか?
「余計なお世話だったらすまない。どうにも様子がおかしいので手助けさせてもらった」
肩越しに振り返りそう言うクレウグ。その手には、発光する奇妙なモノが握られていた。
槍の柄のような細い棒。
腕くらいの長さのその棒の先から、一回り太い光の柱が伸びていた。
円柱形ではない、細く長い板を筒状に貼り合わせたような、すこし角ばった形状の輝く柱。
発光部分が柄に対して極端に長い。全長は大人の身長の二倍弱くらいだろうか。
その得体の知れない武器のような何かで、クレウグが『海蛇』を一撃のもとに仕留めた。そういった状況のようだが……。
「えっと……フィーノさん、その……大丈夫か?」
心配そうなクレウグの声に、我に返る。
突如現れた奇怪な武器に呆気にとられていたが、それより危ないところをクレウグに助けられた事の方が重要だ。
俺は慌てて礼を言う。
「すみません……ありがとうございます。……大丈夫ではないです」
実のところちょっと存在を忘れかけてたことも含めて述べる謝罪と感謝。
そのついでに……というのもなんだが、素直に状況を打ち明ける。
依頼人に助力を請うのは少し気恥ずかしいところもあったが、見栄を張っていられる状態でも無かった。
「一分持ちこたえればいいんだな。なんとかしよう」
実際にはあと30秒といったところだろうか。
そう快諾してみせると、クレウグは水槽へ向き直り、その光る武器を構えた。
「来るぞ。フィーノさんはなるべく下がって」
頷き、俺はふらつく脚で水槽から離れる。
ここは潔く彼に任せるとして――結局あの物体は何なんだ?
訝しむ俺の頭の中に、ロティの素っ頓狂な声が響いた。
《あ……あれっ! あれ拒葉剣じゃないの! ちょっ、何勝手に使ってんのよあいつ!!》
――なんだって?
拒葉剣って、あの光る水車のことか?
と、言われて初めて気付く。
いつの間にか、水槽の縁で回っていたあの水車が、確かにその姿を消していた。




