第44話 這う噴水と迫る時間
水面を弾けさせながら、再び姿を表す『海蛇』。
先程と同様、水中での加速を利用した高速突進、及び掌打での斬撃を狙っているようだ。
当然、それは食わない。速度値で上回っている以上、ただ加速した程度では俺に追いつくことはできない。……いつぞやのカナンのような特殊な事例でも無い限り。
飛びかかってくる『海蛇』の腕を、側方へ飛び退く形で再度回避。
そして着地の瞬間を狙い、抉界戟を構える。奴の細長い体には槍部での刺突よりも斧部での振り下ろしの方が狙いを付けやすいだろう。そう考え、右手を上段に振りかぶった。
体型を活かした流れるような着地から、地を這いその場を離れようとする『海蛇』だったが、逃げる速度よりも俺の接近の方が速い。
飛びかかりながら抉界戟の刃を振り下ろそうとして、――異変に気付く。
『海蛇』の体を濡らしている水。その量が、不自然に多い。
ただ水中から出てきたばかりだから、という程度の量ではない。
まるで粘度の高い液体を服として纏っているような、奇妙な濡れ方。
あるいは蛇の体の周囲に透明な層があって、その層が水で満たされているかのような。
――何か、まずい気がする。
咄嗟に振り下ろしかけた右手を止め、両の抉界戟で体正面を庇う。
その直後。
「■゛――――――!!!」
金属を擦るような音。
『海蛇』の鳴き声なのだろうか、その奇怪な音が発せられると同時、『海蛇』の纏っていた水の膜が、数多の粒の形を取る。
そして、放たれた。
針のように鋭く伸びた無数の水滴が、『海蛇』の体から放射される。
『海蛇』を中心に、全方位へ向けて放たれる水の針。
それが、俺に襲いかかった。
「ぐぅッ……!?」
辛うじて頭部と体正面の一部は抉界戟で防御できたものの、他の箇所に盛大に被弾する。
全身を襲う痛みにこぼれる呻き。
倒れそうになるのをどうにか堪える。
幸い、そこまでの威力は無かったようだ。両腕と両脚を少なからず負傷した程度で済んだ。服は穴だらけにされたし髪もちょっとちぎれたようだが。
しかし、水針で手を止めさせられたところに、『海蛇』本体が再度遅い来る。
いつの間にか這い上がった壁から、体をバネのようにして反動をつけ飛びかかってきた。
水中からの加速が乗っている時ほどではない突進速度。負傷した今でも軽く回避はできる。
少し体をひねって、振るわれた腕を避ける。
だが、この回避も折り込み済みだったとでも言うのだろうか。
壁を蹴って跳んだ『海蛇』の着地点は、水槽。
言うなれば攻防一体、いや攻走一体の突進か。
俺へ飛びかかった勢いのまま、『海蛇』は再度水の中へと姿を消した。
再び水槽へ消えた『海蛇』を見送って、一息つく。いや、落ち着いている場合ではないがとにかくわずかでも体を休める。
厄介な攻撃だった。
単に体に付いた水滴を撒き散らしただけのものではない、明確な殺意と指向性を伴う攻撃。
――穢花法のような。
「まずいな……」
思わず一人ごちる。
時折、祇心の力を取り込み暴れる生物は発生する。これまでも何度か、その討伐に携わったことはあった。
だが、所詮は野生の枯化獣に毛が生えた程度のもの。いくら俺でも、一対一で苦戦するような敵ではなかった。
――この『海蛇』。これまでの相手とは比較にならない身体能力を持ちながら、どうやら一定の精度で術まで使いこなすようだ。
能力値からその可能性を考えてはいたはずだが、迂闊だった。
牽制のような広範囲への放射だったため比較的軽い負傷で済んだが、あの攻撃力から放たれる術の直撃を受ければただでは済まないだろう。
術式抵抗力への割り振りも考えるべきか。そうすると必然、他のいずれかを犠牲にする必要が出てくるが……厄介な話だ。
遠目へ退避していたクレウグは無事のようだった。距離が離れれば威力と密度が減衰する、そういった性質の術らしい。水浸しにはされるが。
さて、どうしたものか。
『海蛇』の潜む水槽を見下ろしながら思索しているところに、
《あーーー……死ぬかと思ったぁーー……》
ロティの声が響いた。しばらくぶりに喋ったかと思うと、随分消耗したような様子。どうした。
《拒葉剣に触れた影響かしら。なんだか強引に虚躯から引き剥がされるような力を感じたのだけれど……貴方は大丈夫? というかあの後どうなったの?》
どうやら今まで意識を失っていた――という表現が祇心にとって適切なのかはわからないが、とにかくこの数分の状況は把握できていないようだった。
いつ奴が再び襲い掛かってくるかわからない今、詳細を伝える時間は無い。掻い摘んでロティに説明する。
「水から飛び出す蛇に襲われてる。対策は無いか?」
《は?》
……掻い摘み過ぎたかもしれなかった。
《あなた一人で無理に倒そうとする必要は無いわ。あの三人が今こちらへ向かってる。合流できるまでなんとか耐えなさい》
焦りつつも、どうにか最低限の状況は伝えることができた。
『海蛇』の情報についてはあいにく、というか予想通りロティにもわからないとの事だったが、とりあえず仲間達が俺を目指して移動してくれているらしいことは聞けた。
彼らが来てくれればこんな蛇程度、恐れることはない。はず。
方針変更。仲間との合流まで耐えきる。
……と言いたいところだったが。
「来るまで、あとどれくらいかかるかな……」
重大な懸念点がひとつ。
既に『敢臨』は発動済み。たった五分しかない臨戦状態の、強制終了への秒読みは既に始まっている。
発動からどれくらい経っただろうか。三分前後? 恐らく半分は過ぎている。
自力で一旦解除するにせよ強制終了されるにせよ、一度効果が切れると最低一分は再発動不可能。嫌でも無防備な時間が発生する。
効果終了までに仲間達が来てくれればどうにかできるだろうが、間に合わなかった場合は……。
《かなり近寄ってきてはいるけれど……正確な時間まではわからない。あたしには直線距離しか見えないから》
流石に建物の間取りまでは管轄外か。
仕方無い。覚悟を決め、俺は能力値を更に大きく速度に振り分ける。
――解析値(基礎値/⇒修正値/)――
接式干渉力:150 /⇒ 50/・減算補正
接式抵抗力:150 /⇒ 100/・減算補正
術式干渉力:100 /⇒ 50/・減算補正
術式抵抗力:100 /⇒ 100/
速力 :600 /⇒ 850/※加算補正
精度 :100 /⇒ 50/・減算補正
計 :1200
―――――――――――――――――
物理と術、両方を安全に耐えられる数値にするには基礎値が足りなさすぎる。
ここは徹底的に、回避のみを考えることにする。
無論、隙あらばとどめの一撃を入れることも視野。
ここまで削った攻撃力で、本当に『裁儀・定』が通るのかは若干疑問だが。
……しかし随分長く潜ってるな、『海蛇』。
ひょっとして諦めて帰った? それならそれでこっちとしては有り難いけど。
――などと甘えた考えが頭に浮かんだ直後。
それらが現れた。




