第42話 見なかったことに出来ないか?
「フィーノさん、危ないッ!!」
叫び声と同時、強い力に体を押される。
硬い石の床に倒れ込み、ぶつけた頭をさすりながら顔を上げると、目の前にはクレウグの背中。
剣を構えたクレウグが、何者かから俺を守るように、肩で息をしながら俺の前に立っていた。
「呆けている場合じゃない。フィーノさん、敵襲だ」
「え……、あれ、俺……?」
こちらを向かず、辺りを警戒するよう両手で剣を構えて言うクレウグ。その背に俺は返事を返そうとしたが、寝ぼけたような声しか出なかった。
えっと……今、何があった?
この数瞬の出来事を思い返す。
そうだ、拒葉剣。
今なお俺の傍で輝く、この水車のような物体。
俺はこれをどうにか手にしようと、抜け駆けするような形でクレウグを置き去りにし、この拒葉剣に手を伸ばして――、
――そこで、視たのだった。
自身の、記憶の一端を。
……いや、そう思われる何か。多分そうなんだけど、ちょっと、そうだと信じがたい、あまりにも煌びやかでかつどうにもおぞましい何かを。
体感でわかってはいる。あれは、俺の記憶。ロティとの干渉により封じられた、俺の過去にあたるもの。
わかってはいるのだが……信じられないというか、認めたくないというか。
なんだアレは。
誰だ。
俺なのか?
嘘だろ?
あれではまるで……まさに……。
思考が明滅する。視界が明瞭としない。全身が熱いのに寒気がする。
追い求めた記憶。元いた世界の情景。
触れたのはあくまでその一部のようだが、いくらなんでもこんな。
何か他にも引っ掛かる点があったような気もするが、今ちょっとそれどころではない怖気に胸中を侵食されていた。
「どうしたんだ、フィーノさん。立ち上がって、身を守って欲しいんだが」
ぼけっとしたままいつまでも床から起き上がらない俺に、クレウグが肩越しに小さく振り向いて急かすように言った。
身を守る……? あぁそうだ、さっきも敵襲だとか言っていたが……。
視た記憶については一旦無かったことに――いや、置いておいて、立ち上がる。
記憶の中の時間と、実際に経過した時間は恐らく一致していない。
こちらではあくまで数秒程度しか経っていないものと思われるが、俺の意識が飛んでいる間に何が起こったというのか。
周囲を見回す。
左手側には拒葉剣。改めて近くで見ると眩しい上に巨体故の圧がすごい。
その回転する羽根の向こうには、大きく広がる水槽。その対岸には俺達がさっき転送された命湍の黒い床。
来た時には気付かなかったが、奥の壁にひとつ扉が見えた。本来の、この部屋への入口だろうか。
俺の正面にはクレウグの背中。その手には、ごく一般的な長さに少し幅広な刀身を持つ飾り気の無い剣。
それを両手で正面に構え、何かを警戒するように腰を落としている。
そしてクレウグの前の床には濡れた跡。
さっき俺が通った時には無かったはずの、飛び散った水跡があった。
杯の水をこぼした程度ではない、大きな水溜まり。通路の一角が水浸しになっている。
そこにだけ雨が降ったかのような、不自然な濡れ方だった。
「あ、あの……すみません、一体何が……」
少しばつが悪いところもあり、おずおずといった調子でクレウグに尋ねる。
よく見るとクレウグも濡れていた。髪と服から水が滴り落ちている。
「やはり意識を失っていたのか。何があったのかは訊かないが……」
こちらを向かず、淡々と答えるクレウグ。
「……この水槽から敵性生物が現れた。一旦追い払ったが、まだ水中にいる」
「敵性生物……?」
最初覗き込んだ時には気付かなかったが、あの水底に何か潜んでいたのだろうか?
しかし妙な言い回しをするな。俺は再度クレウグに問いかける。
「えっと……それは『枯化獣』とは違うんですか?」
枯羽牛や枯蓄鳥のような、滓花の影響により凶暴化した生物の総称。
今まで気にしたことはなかったが、そういえば水棲生物にも存在するのだろうか。
質問に、クレウグは小さく首を横に振る。
「わからない。あんな生物はこれまで見たことが、……無くはないが、詳細はわからない」
なるほど、クレウグも知らないような生物。なら俺にもわからないだろう。
あるいはゼオかロティなら何か知っているのかもしれないが……。
……そういえばロティの気配が無い気がする。いや、妙に薄いと言うべきか。
拒葉剣に触れた影響で何かあったんだろうか。あの気まますぎる超常存在については気にしても仕方無いことが多いので放っておくが。
ともかく、どうやら今は敵らしき何かに狙われている状態のようだ。
俺は胸から抉界戟を取り出し、両手に構える。
そしてクレウグの隣に立ち、水槽を見据えた。
先程までよりもわずかに強く波打っているように感じる水面。
しかしその奥には相変わらず何の影も無いように見受けられた。
「えっと……ちなみにクレウグさん、その生物ってどういった……」
「待て。……来るぞ。防御を」
水面から目を離しかけた俺に飛ぶ声。
剣を構え直すクレウグに、慌てて俺も抉界戟を握る手に力を込める。
そして発動させる、『裁儀』。
――解析値(基礎値/⇒修正値/)――
接式干渉力:100 /⇒ 130/*加算補正
接式抵抗力:170 /⇒ 400/*加算補正
術式干渉力:250 /⇒ 100/・減算補正
術式抵抗力:290 /⇒ 130/・減算補正
速力 :210 /⇒ 240/*加算補正
精度 :180 /⇒ 200/*加算補正
計 :1200
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敵性生物とやらの詳細までは聞けなかったが、少なくとも人ではなさそうだ。
術耐性は一時的に削っても恐らく問題無いだろう。
代わりに物理耐久力に大きく振る。
その他能力値も最低限必要そうな程度を確保。
調整を済ませ、水面を睨み待ち構える。
地の底から響くような低い音が振動として足を伝う。
それは次第に強くなり、大きな影が水中を黒く染める。
膨れ上がった水面を突き破り、何かが飛び出す。破裂音と共に、辺りに豪雨のような水が撒き散らされ降り注ぐ。
そして、それは姿を現した。




