第36話 封印纏戸
廻輿を降り、その建物に近寄ってみる。
広く白い浜辺、緩やかに波の寄せる砂浜からわずかに奥まった位置に鎮座するそれは、灰色の石でできた巨大で平たい箱のような形をしていた。
街から離れ、自然の風景だけが色濃く残る空間に、強烈な異物感を放ちながら居座っている。
通常の家屋の一階分より背は少し高い程度、代わりに家数軒分ほどの面積を占める『海小屋』。その外壁に、窓のようなものは一切見当たらなかった。
辛うじて、外周のある一辺に扉らしき切り欠きが見受けられる程度。
少なくとも小屋などと呼べる外観ではない。
極度に平べったい形状も相まって、家というより何か大きな建築物の――屋敷や塔、灯台などの基礎部だとか、そういった印象しか受けないモノだった。何をどうしたらこれが海小屋などという呼称で広まるのだろうか。
「ふえ〜、これがその海なんとかですか」
アステルが圧倒されたような呆れたような声を上げる。
「あぁ。恐らくは二、三百年ほど前に建てられた建造物。開かずの遺跡だ」
そう答え、クレウグが灰色の壁面へ歩み寄る。
「開かずの……。そういえば、『聖王』にしか入れない、という話でしたが」
だから俺が呼ばれることになった。そういう流れだったはずだ。
改めて確認する俺に、クレウグは頷いて外壁の一点、出入口らしき切り欠きの部分を指し示した。
色こそ他の壁と同じものの、その箇所だけまさに扉のような形状に、四角く溝が走っている。
そして通常の扉ならば取手が付いているべき部分には、その代わりに扉に埋まった、陽光を乱反射させ輝く宝石のような物体。
滓花だ。
拳ほどの大きさの滓花が、取手代わりとでも言うように扉の中央、腰くらいの高さで光を放っていた。
『滓花』。
この地あらゆる生物の、命の残滓。
生命の核であり、生物の死と引き換えに顕現するその結晶は、本来内包している生命力の代わりに祈力を内部に充填、放出できる性質から、古来より様々な術の媒体として日常的に使用されてきた。
光祇の力を込めれば照明に、炎祇の力であれば熱源として利用できる、といった具合だ。
――そして扱い方ひとつで、戦闘にも転用できる。
戦祇や壊祇など、殺傷性の強い祇心の力を他と混ぜるように行使し、放出する力に一定の指向性を与えることで攻撃性能を持たせるもの。
穢花法と呼ばれる戦闘技術。俺達が普段、術と呼んでいるものだ。
この技術の確立と発展により、大陸における戦争の在り方が大きく変わったとかなんとか、ロティが言ってた。
……とまぁそんな余談はともかく、その滓花が、今目の前で遺跡の扉に埋まり、いかにも握って回せと言わんばかりの形状で飛び出ていた。
一定の強度は備えているとはいえ、こんな家具の部品みたいな使い方をするものじゃないはずなんだけど。いや、こんな使い方をしても意味が無いというべきか。
「えっと……これは?」
困ってクレウグを見ると、クレウグは手帳に目を落としながら答えた。
「この遺跡の、どうやら一種の封印装置……つまりは錠のようなものらしい。出入り口は他に存在しない。調査のためにはこの滓花による鍵をどうにかする必要があるんだが……」
なるほど、どういった発想でこうしたのかは知らないが、この滓花の取手が扉の鍵になっているようだ。
「どうやらこの『鍵』は……聖王、あなたの接触を認証するもののようだ」
「接触……認証?」
なんだそりゃ。虚躯みたいなモノがあるんだからまぁそういうのも作れるのかもしれないが、そうする意図がよくわからない。普通に鍵かけとけよ。
《あー……あったわねそんなの》
今思い出したようなロティの声。忘れられる程度には一般的でない機構らしい。
「えっと、俺が触ると扉が開く……俺が触らないと開かない、ということですか?」
「そうだ。なんというか……まぁ、色々と調査や解析をした結果、恐らくそうだろうと判断した」
なんだか歯切れの悪いクレウグの返答。
「この滓花に含まれた情報を解析したんですか? 凄いですね」
「いや、確かに半分はそうなんだが……」
そう言うと、取手のすぐ下、何やら掠れた文字のようなものが彫られた、小さな金属の板を指し示した。
「……書いてあった。『聖王用』と」
「…………はぁ」
書いてあったんだ。そうか。じゃあそうなんだろうな、うん。
なんとも言えない空気になった俺とクレウグの間に、割り込む声と擁滓玉の煙。
「ほんとだ、びくともしない。どういう造りなのこれ」
ミュイユが取手を掴んで何やら力を込めていた。ミュイユの身長だと取手は顔の前くらいの位置になるので少し触りにくそうだ。
しばらく弄って諦めたように手を離したかと思うと、ミュイユは背後を振り向いてアステルに声を掛けた。
「アステル、ちょっと試してみて」
「私ですか? わかりましたっ!」
大槌――祝祀印を構えて扉へ寄ってくるアステル。……祝祀印?
「いや待て待て、何を試す気だよっ!?」
「押せば開いたりしないかとっ」
「押すというか叩き壊す気満々だろそれは! いいから下ろしてくれその鈍器!」
「海の風に数百年曝されても大丈夫なくらいに堅牢な建物だ。叩いて壊れるようなものじゃないと思うが」
「そういう問題ではなくてですね!」
「あ、じゃあこれならどうかなぁ」
「ゼオがやると機能停止するだろ確実に! 解錠不能になったらどうするんだよ!」
何故か加わってきたゼオが、残念そうに黒針――冥指を懐にしまった。
なんでみんなそう壊す方向に行きたがるんだ。
嘆息し、俺はクレウグに向き直る。
「すみません、仲間達が……。すぐ開けますので」
「いやいい。フィーノさんが試して駄目だったら、いっそ破壊する方向も検討しよう」
そう言って微笑むクレウグに頭を下げる。
そして俺は、ようやくと言うべきか――取手に手を伸ばした。
「……いきます」
触れば開くとは言うものの、実際どういった挙動になるのか。そもそも開くのか。経年劣化とかしてないのか。
少し震える手で、俺は輝く滓花の突起を掴んだ。




