第33話 鮮魚の漁師風煮込みと柑橘和え、汁物とその他付け合わせ
――美味かった。
本当に気兼ね無く三人が料理を貪るため、せめて俺くらいは……と控えめに注文するつもりだったのだが、そんな気遣いはほんの一口で瓦解した。
新鮮な素材への豪快な調理が生む、繊細さと荒々しさを兼ね備えた料理の数々に、俺も抗えなかった。
魚一尾を数々の香味野菜と共に煮込んだユプセン漁師風。俺も何度か近いものを作ったことはあるが、格が違いすぎた。濃厚ながら爽やかな出汁を吸い上げた魚の身が、噛み締めるごとにその滋味を口に迸らせる。
ぶつ切りの生魚を塩で締め、果汁と油に酒で和えた古式和海柑。海が弾力を持って襲いかかってくる。痛烈な歯応えから染み出す脂の甘みと果実の酸味が心地よく口中で混ざり合い弾ける。
大小入り混じった数々の魚を、骨や内蔵の一部に至るまで余す所なく煮出した荒天汁。その製法からは考えられないほど澄んだ液体の中に、魚そのものを飲み干すような満足感。えぐ味さえも抱き込んだ旨味の塊が軽やかに喉を撫でる。
魚介以外にも、枯羽牛の乳に街名産の塩を仕込んで固形に発酵させたユプセン式凝酪。魚から作った調味料を吹き付けて熟成させる製法で、齧るたび山と海の気配が渾然一体と舌で広がる。
更には轢いて棒状に成形し焼いた豆料理。噛むとカリッと軽やかな音を奏でながら香ばしさが飛び出す。わずかに残った粒感が飽きさせない食感を生む。
一階部で売っていた野菜の干物も付け合わせとして出された。じわりと広がる凝縮された旨味はそれ単体でもさることながら、魚料理と合わせることで味わいに極上の変化を生み出すものだった。
気付けば仲間達に混じって俺も、というかクレウグも一緒になって大量の料理を平らげ、幸福に満たされた腹を抱えて店を後にしたのだった。
風向きが変わりだしたのか、時折背後から吹き下ろす風に背を押されながら、海側への道を下る。
「いやホントうますぎて意味わかんない。魚と野菜ってここまで綺麗に味が重なるものだったんだ」
「生魚の方もとんでもなかったですね……。果汁効果かわかんないですけど、歯応えと味がキリッとしてぶわっと」
「あの汁物、どんな技法で作ってるんだろうね。魚まるごと煮出してるっていうから結構くどいのかなって思ってたら、不思議なくらいあっさりとしてて、でも濃厚でさぁ」
呆然とした様子で思い思いに感想を述べる三人の少し後ろで、俺は再度、クレウグに頭を下げていた。
「重ね重ね申し訳ないです……。抑えるつもりではいたんですが、あまりに美味しすぎて自制できませんでした」
俺の言い訳がましい謝罪に、クレウグは首を横に振る。
「いや、気にしていないし気にしなくていい。元より俺が連れてきて好きに頼めと言ったんだ。味に満足してもらえたならそれで充分だ」
「それはもう大満足でした。もう既に、夕食もここにしようかと考えてるくらいに。……ただその、代金は……やっぱり、せめて半分はこちらで持たせてください」
そう申し出るも、しかし変わらず柔らかに断るクレウグ。
「それも構わない。これは俺からの、明日への景気づけだと思って欲しい。どうしてもというなら明日の働きで返してくれ」
そうまで言われると、あまり食い下がる方が野暮に感じられる。
俺は改めて彼に頭を下げ、意気込みを新たにした。
俺達の会話が聞こえていたのか、前を歩いていた三人も足を止め振り返って言う。
「こんなの食べさせられちゃ頑張らざるを得ないね。任せといてクレウグ。アタシが全部薙ぎ倒すからさ」
そう見栄を切り、擁滓玉を咥えるミュイユ。
「ですねっ! 私も骨まで粉砕してみせますよっ!」
何やら拳を握り気合を込めるような仕草をするアステル。
「いざとなったら頼ってね。僕だってそれなりには戦えるところを見せるよ」
謙遜気味に言いつつ懐から取り出した酒の瓶を呷るゼオ。
そんな彼らの様子に、クレウグは曖昧な笑顔で答えた。
「あ……あぁ、頼む。……何と戦うつもりなのかはわからないが」
どうやら食事に夢中で、俺とクレウグが打ち合わせていた内容までは耳に入っていなかったらしい。そもそもの依頼内容も既に忘却の彼方のようだ。
嘆息し、俺はこの頼もしい仲間達に改めて説明する。
「えっと……明日の依頼はあくまで遺跡調査の補佐。『聖王』にしか入れないなんて仕掛けがあることから他にも何かしらの危険性、罠みたいなものがあるかもしれない。調査するクレウグさんをそういう要素から守るのが仕事だから。いつもの討伐とは全然性質が違うってことを思い出して欲しい」
それを聞いて、何やら顔を見合わせる三人。
「あれっ……なんだか大きなお魚を倒すんじゃなかったです?」
「魚群を砕くとか煮るとかそんな話してなかったっけ」
「で、塩と酒で締めるとか何とか?」
半端に聞いてたのか知らないが、どうやら料理の説明とごっちゃになっている。というか料理要素しか無い。その仮想魚を倒すまではともかく、塩締めってもう食う気全開じゃねぇか。
「あぁ、その時が来たら是非頼む」
頭を抱える俺の隣で、クレウグが苦笑いしながらうまく流してくれた。大人か。
もはや頭を下げても下げ足りない。こんなので本当に依頼を遂行できるのだろうか。
……まぁ、みんなと同じように散々たらふく食べた手前、あまり偉そうに言える立場でもないのだが。
膨れた腹に満足感と共に罪悪感のようなものを覚えながら、見下ろす海側の街並みへ向けて歩みを進めた。
調査開始は明日の朝。
場所は、セラン・ユプセンより北へ一時間ほどの位置にある、地元の人々が『海小屋』と呼んでいるらしい遺跡。
彼にも色々と準備があるとのことで、クレウグとは翌朝また落ち合うことを取り決め、 一旦解散した。
俺達は共壇によって確保されていた宿へ向かい、夕食までの自由行動とした。
あてがわれた個室の椅子に座り、宿からの心遣いとして備え付けられたお茶と小さな焼き菓子をつまみながら、思索する。
焼き菓子に軽くまぶされ、味と食感に絶妙な変化を与えている粗塩について……ではなく、件の遺跡――『聖王』にしか立ち入ることができないという、奇妙な建築物について。
《そうね……。虚躯や抉界戟を鍵として動作する、結界機能の付いた扉。そういったものが出入口になっている……という線なら有り得なくはないわ。理屈の上では作ることは可能よ。ただし、存在の必然性、という意味では、全くわからない。何故そんな物を作る必要があったのか、何故セラン・ユプセンにそんな物があるのか、といった部分ね。あたしの持つ情報と照合すると、確かにそこに何かがある事は検知できるのだけれど……内部に関しては検索不能みたい。あたしの権能の圏外、みたいな感触だわ》
道とか導きとか言ってた気がするけど、実は蘊蓄の祇心とかそんなのなんじゃないだろうか。ロティは残念そうに、しかしどこか得意気に長々と話すと、それよりフィーノ、と急に話題を変えてきた。
《あのクレウグという男、気をつけた方がいいわ。何か……得体の知れないものを感じるの》
なにかを感じ取っての注意喚起なのだろうか。そんな随分とあやふやな根拠で注意を促されても困るんだが。
「得体の知れない地味さはあったけど、話した感じは物凄く普通のいい人だったぞ。何に注意しろって言うんだ?」
尋ねると、ロティは困ったように少し言い淀み、答える。
《何と訊かれると答えにくいんだけれど、とにかく反応がぼやけているのよ。まるで情報の開示を拒否されているかのように。……どう伝えたものかしら。そうね、例えるなら……》
と、しばし思案し、語る。
《人の情報が一冊の本だとすると、本来あたしが読みにくい本というのは、表紙に鍵がかかっているだとか、目次が無くて読みたい章が探せないとかそんな雰囲気なのよ》
読みたくても読めない。読みたい所が読めない。そういった感覚だろうか。
《でも彼の場合は違う。好きな頁が好きに読めるけれど、文字がとてつもなく薄い。目を凝らして文字の輪郭をなぞって、数頁読むくらいの労力でやっと一文字解読できる。そんな感じね。こんな事は今まで無かった。原因は不明だけれど……とにかく、どこか異様だわ》
なるほど、伝わったような伝わらないような。
「まぁつまり、よくわからないから気を付けろってことだな」
《……そうだけど、こう簡潔に要約されるとなんだかイラッとするわね》
そう言われても、ロティの例えがイマイチ想像しにくかったんだから仕方無い。
俺はお茶を飲み干すと椅子から立ち上がり、寝台へ向かった。
そして柔らかくいい匂いのする布団に横になる。
《どうしたの? 昼寝かしら、珍しいわね》
「いや、食べ過ぎて……ちょっと横になりたい」
《……あなた、そういえばさっきあれだけ食べておいて、なんで茶菓子なんてつまんでたの》
「仕方無いだろ置かれてて気になったんだから。もし寝てたら一時間後に起こして欲しい」
《あたしを目覚ましに使わないでもらいたいのだけれど。……太るわよ、そんなんじゃ》
え、虚躯って太るものなのか……?
気にはなったが問いかける気力は起こらず、俺はそのまま目を閉じた。




