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聖臨異餐譚 ~台所でしか無双できないチート転生者の旅に暴食脳筋、病的迷子体質、常時酩酊者を添えて~  作者: 深酒佞
聖臨異餐譚 -記憶の欠片と海の花-

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第32話 海を背に山を登る

「へぇ。クレウグ、セラン・ユプセン(ここ)の出身なんだ」


 ミュイユの相槌に頷くクレウグ。


「あぁ。といっても、長年離れてはいたけどな。最近、仕事の都合で戻ってきた程度だ」


 そう答えて、クレウグは辺りを見回す。


「海側は随分様変わりしたようだけど、山側(こっち)はそうでもないな。結構、昔の面影が残っている」


 単なる懐かしさ、というよりはどこか深い郷愁のようなものを感じるクレウグの言葉。

 それをまるっきり聞かなかった様子でアステルが声を被せる。


「だからクレウグさん、ここら辺の美味しいごはん事情にも詳しいんですねっ! 言われなければ普通に海岸通りの方に行ってましたよっ」

「いや、海側が駄目だというわけじゃないんだが……」


 困ったように呟き、クレウグは背後を振り返った。

 つられて俺も同じ方向を見る。


 視線の先に見下ろすのは、ゆるやかな斜面の下に立ち並ぶ海側区画の街並みと、その奥に広がる海の景色。


 俺達は今、クレウグの先導で、山側区画への道を登っていた。吹き下ろしてくるものだとばかり思っていた風は、むしろ海の方から俺達を押し上げるように吹いていた。街路樹がその枝葉を逆立てるように揺れる。

 クレウグによるとこれは時間帯の問題で、夕方を過ぎると向きが逆転し山から下ろす風に変わるらしい。不思議なものだ。


 斜面を登る風を受けながら、クレウグは言う。


「観光客向けっていうのかな。恐らくは、誰にでもわかりやすくした結果なんだと思うが……海側の店の味は、どうにも誇張しすぎている、ように感じる」


 なるほど、外部の人に向けて調整した結果という事だろうか。売り方はきっと間違っていないのだろうが、地元民としては思うところがあるのかもしれない。


「まぁとにかく、それでこの山側区画の食堂街なわけだね。こっちの方が地元の、伝統の味の姿を残してるって話だけど……珍しい地酒なんかはあるのかな?」


 そういえばゼオ、到着前にもそんな事を言っていたな。地元でのみひっそりと流通する酒。いや酒に限らないのだろうが、せっかくだしそういった類のものを味わってみたい。

 ……観光地を避けておきながら、観光気分から離れる気はない。そんな自分の思考に苦笑する。


「それなら安心してくれ。そういう物も色々取り揃えている店を知っている。……あぁ、こっちだ」


 先を歩き始めたクレウグが、通りの脇からひっそりと枝分かれした路地を指して言った。

 言われなければ存在に気付かないような小路。クレウグに付いて、街路樹の天蓋をくぐるようその細い通りを抜けると、そこには。


「うあっは……! なんだか歴史っぽい空気が美味しい匂いと一緒に押し寄せてきますねっ……!」


 アステルのよくわからない物言いが、今は何よりも正鵠を射て感じられた空間。

 長い時間の堆積を物語る、古びていながらも艷やかな木造の建物達。海の風を避けて身を寄せ合うように立ち並ぶ食堂や商店。

 それらによって形成された、芳しい香りに満ちた大通りが広がっていた。


 圧倒され思わず絶句する。

 海側の、太陽に輝く華美とはまた異なる、伝統の色に彩られたような素朴な鮮やかさだ。

 セラン・ユプセンにこんな場所があったとは。クレウグに連れて来られなければ永遠に気付けなかったかもしれない。彼に感謝しよう。


 当のクレウグは、地元民らしき格好の数人とすれ違いながらしばらく通りを行き、少し進んだ先のひとつの店の前で足を止めていた。

 そこで振り返り、通りの入り口で足を止めていた俺達に手を振る。


「何をしてる? ここだ」

「あっ……す、すみません、行きます」


 慌てて早足でクレウグの元へ向かい、彼の指す店を見る。


 ――『雲魚亭』。

 少しくすんだ白い木の壁が印象的な、三階建ての民家のような佇まい。軒先には低めの台が置かれ、その上に魚や野菜の干物が並べられている。売り物のようで、値札が一緒に置いてある。思ったより高価だった。

 クレウグが店先の椅子に座っていた男性に声を掛ると、俺達は店の中程にあった階段から三階へ案内された。

 一階部の露店とは別に、上階は食堂になっているらしい。


 通された広めの席に五人で座る。窓からセラン・ユプセンが一望できた。

 眼下に広がる山側区画の街並み。中央大通りを挟んで向こうに海側区画、その只中に聳える大灯台。そして海。

 層のように広がったそれらを見下ろすと、不思議な感慨を覚えた。


「さて、と」


 薄い木に挟まれた品書きをこちらに向けて広げると、クレウグは言った。


「これは依頼の前金のようなものだ。代金は気にせず、好きなものを好きに頼んでくれ」


 ――決定的に致命的なその言葉を。


「お勧めはこの、」「いいんですかいいんですねっ!? 気にするなと言うからには一切の配慮はかなぐり捨てますよっ!!」「太っ腹じゃんクレウグ。そうまで言われちゃ情け容赦はできないね」「値段を意識しちゃうと味に集中できなくなることってあるからねぇ。値段の情報も重要な味ではあるけど」


 クレウグの言葉に覆い被さるように騒いで品書きに飛びつく三人。突然の豹変に戸惑うクレウグ。


「なっ……どっ……どうした? そんなに飢えていたのか? 到着早々の上り坂は腹に堪えたか?」

「いえ……その……すみません。多分そういうのじゃなくて……すみません」


 クレウグに頭を下げ、俺は念のため財布の中を確認したのだった。

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