2 旅の異邦人と誘拐の発端
その男は、商店街の喧騒の中に立ち尽くしていた。
祖国の内乱に巻き込まれ、命からがらこの国へ逃げ出してきたが、目的地への道半ば、ローナセラという街にて路銀が底をついた。
密入国者という立場では、日雇いの仕事を探すのも難しい。身分の証明ができない以上、追い払われるだけならまだしも、通報などされたらそれまでだ。
辛うじてあと一食分の食費程度の残金はあるが、この額ではセラン・ウェーラーまでの廻輿になど乗れるわけがない。かと言って徒歩では何日かかるかわかったものではない。
セラン・ウェーラーという街では、あらゆる土地のあらゆる人種――魔族までも――が共存していると聞いていた。そこに辿り着けば、自分のような立場でもなんとかひっそりと暮らしていけるのではないか。そう考えてここまで辛うじて旅を続けてきたが、道半ばにして詰んでいた。
道行く人に恵んでもらうか? 無理だろう。今の自分の風体では、怪しまれるだけでは済まない。
どこかから盗む? 一切の情報を持たない未知の街でどうやって? 仮に成功したとしてもどう逃げおおせる。発覚してしまえば、「怪しい奴が廻輿でセラン・ウェーラーに向かった」そう証言されて終わりだ。
何か、安全に金を手に入れる手段は無いのか。極力目立たないように道の隅を歩きながら、男は思索していた。
もうじき日も暮れる。街の南東に位置する居住区と西側の商業区の境目辺りには宿泊施設が集まっているという。野宿などして怪しまれたくはないし、残ったわずかな金で素泊まりできる店でも無いものか。
そう考えて南西方面へ足を運ぼうとしたところで、ふと目に留まるものがあった。
随分と派手な髪色をした少女だ。親か姉か、家族と思しき人物と一緒に歩いている。
年の頃は十歳くらいだろうか、幼く小さな身体が、大きく左右に括って垂らした髪でさらに小さく見える。
そしてその髪は、頭の周りは桃色に近い薄い赤毛なのだが、垂らした部分が左右それぞれ白と黒になっていた。片側が墨のような漆黒。もう片側は雪のような白、あるいは銀だろうか。
まさか地毛ではないだろう。何を思ってそんな髪型と色にしているのか。
強烈な印象の少女の、その口元にある物を見て、男は目を疑う。
――擁滓玉じゃないかアレ?
短い棒の先に球が刺さったような形状。それを咥えた少女の口から漏れる、冬の吐息のような白い水蒸気。
……擁滓玉じゃないかアレ。
一緒にいる人物も、周囲の人間も見咎めるどころかまるで気にしていないようだ。
この国では未成年の擁滓玉服用は合法だったか? そんなはずはない。ここまでの旅路でもそのような様子は見られなかった。
混乱する男だったが、その脳裏にふと閃いたものがあった。
擁滓玉はおやつ感覚で子供に買い与えるには高価だ。法はともかく、それを簡単に与えてしまえるような家族は、それなりには裕福なのではないか。
ならばその家を……いや、家はまずい……子供もいくらか持たされているんじゃないか? ……うまくやれば掠め取ることも……むしろなんとか言いくるめて家から持ってこさせるか……?
焦りと空腹のためだろうか、いつの間にか沸き出ていた非道な思考を追い払うように、男はかぶりを振った。
見ず知らずの子供を利用してまで生き永らえても仕方がない。
今日のところは安宿で一晩しのぐとして、今後のことはまた改めて考えよう。
思った以上に長く考え込んでいたようで、気付けば夕日が衰え始めていた。先程の子連れの姿も既に無い。
とにかく、今はこの所持金で泊まれる宿を探さなくては。男は商店街に沿って南西へ、宿舎街へと向かって歩き始めた。
――そして男が宿舎街と思しき区域に足を踏み入れた時。
「あ、そこのおっさ……おじ……兄さん。なんかさ、さっきまでこの辺にあった商店街が無いんだよね。見てない?」
唐突に声を掛けてきたのは、先程の派手な少女だった。
「あ……え、商店街? が何だって?」
問われたことがあまり頭に入ってこなかったのは、ただ少女の言う意味が全くわからなかったからというだけでなく、先程の思考を見透かされたような後ろめたさもあったのかもしれない。
質問の内容も間違いなく謎ではあったが。
思わず問い返した男に、少女は白い吐息をこぼしながら言葉を続ける。擁滓玉特有の甘い薬草のような香りがほのかに広がった。
「商店街がさ、なんか無くなってんの。なんかあそこ定期的にどっか行くんだよね。買いたいモノあんのに困る」
やっぱり何を言っているのかわからない。商店街がどこかに消える? どんな超常現象だ。
なんとか問い掛けの意図を解読しようとして、ふと思い当たる。
「あー、お嬢ちゃん? もしかして商店街に行く途中で迷子になったのかな?」
「商店街が迷子なんだよ。アタシはちゃんとまっすぐ来たからね」
自信満々に否定されたが、実際今いるのは宿舎街だ。迷子なのは明らかだった。
どうしたものか、と男は思案する。
早く宿を探したいところではあるが、かといってこの少女を放置するのも気が引ける。周囲に家族の姿も見えない。
不審者に襲われるようなことが無いとも言い切れないし――目下、この街で最も不審な人物は自分自身かもしれないが――、さっと商店街まで連れていってやるのもいいか。幸い商店街の場所ならわかる。今来た道を戻ればいいだけだ。
「あー……っと、お嬢ちゃん。商店街の場所ならオレが知ってる。なんだったら連れてってやるが……?」
言葉を選びながら提案すると、少女は目を輝かせ――たのかどうかはその全く変わらない表情からは窺い知れないが、とにかく若干嬉しそうな様子で男の手を取って言った。
「詳しいんだね、この街。じゃ案内していいよ」
妙に尊大な迷子だった。
ミュイユと名乗ったその少女は、商店街に着くと真っ先に薬屋へ向かい、擁滓玉を購入していた。
店主も当然のように売っていたが、この街の法は、倫理観はどうなっているのだろうか。売る前に身分証のようなものを確認していたが意味あるのか。
色々と問い糾したくなるバスゲウスだったが、あまり目立ちたくない立場であることを思い出して堪えた。
薬屋を出るとミュイユは、
「ついでにさ、いくつか寄りたいとこあんだよね。一緒に行かない? バ……バス……ズ……ス……さん」
「バスゲウスな。案内を乞う相手の名前くらい覚えとけよ」
「乞ってないよ。アタシと一緒に行きたいか訊いたんだよ」
あろうことか道案内を追加で要求した。
男――バスゲウスは、無論この街の地理など僅かしか知らない。案内板とにらめっこしながら、なんとかミュイユの行きたいという場所を突き止めた。
幸い全て商店街の中にある店舗だったため、ミュイユを引き摺って巡るのにそれほど時間はかからなかった。
何やら調味料のようなものばかり抱えて満足げなミュイユと並んで歩きながら、バスゲウスはふと尋ねる。
「なぁお嬢ちゃん、欲しかったものって……」
「ミュイユ。質問する相手の名前くらいちゃんと呼びなよ。あとアタシは」
「はいはいミュイユ嬢ちゃん。で何だその調味料の山は。欲しかったものってマジでそれなのか?」
ミュイユの抱える袋を指すと、ミュイユは、そうだよ、と袋の中身をひとつつまんで見せる。
「フィーノが……あぁ、フィーノってアタシの……仲間? みたいな奴なんだけど、そいつが塩を買い忘れてるっぽいんだよね。ちょっと前から切らしそうって言ってたのに」
「だからついでに買ってやったってか。……しかしそれ、セラン・ユプセンの塩じゃねぇか。えらく上等なのを使ってんな」
うちの国でも有名だぜ、と喉元まで出かかったのをバスゲウスは辛うじて飲み込んだ。
「いや、別に普段は使ってないよ。せっかくだから美味しそうなのを選んだ」
「それ怒られるやつだぞ多分……」
呆れつつも、バスゲウスは今聞いた名前に引っかかりを覚える。
「……フィーノ……? ……って言ったか今?」
「ん? 言ったよ。あぁ、そういえばこの魚介タレもフィーノが」
ミュイユの喋りを遮って、バスゲウスが絞り出すように言った。
「……『聖王』……フィーノ……?」
明らかな動揺の色を含む声だった。
バスゲウスの足が止まっているのに気付いたミュイユが背後を振り返る。
「あー、フィーノあんまりその呼び方されるの好きじゃないらしいんだよね。そもそもそんな大層な肩書きが似合うほど大層な奴じゃないし。せいぜいウチの料理王ってとこだよ」
ミュイユが茶化すと、バスゲウスは平静に戻った様子で笑い、再び歩き始める。
「いや、すまねぇ。えらく偉大な名前が急に出てきたもんでよ、ついビビっちまった」
何事も無かったかのように話すその顔にはわずかな翳りが見えるが、特に気付く様子もなくミュイユは続ける。
「本人に会ったらすぐわかるんじゃないかな、そんな畏れるような人物じゃないってさ」
「確かに会いてぇな。アンタんとこの嬢ちゃんを長いこと連れ回しちまってすまんって謝らなきゃいけねぇし」
「別に謝んなくても、連れ回したのはむしろアタシの方だよ」
「自覚あるんじゃねぇか」
「……卑怯な話術を使うね。やっぱりウチ来て謝罪してけ……って、あぁそうだ」
ふとした思いつき。ミュイユはバスゲウスに向き直って提案する。
「会ったらいいじゃん」
「……あ?」
「このままウチ来て会って話せばいいよ。ついでに夕飯も食べてけばいい」
それは、バスゲウスにとって願ってもない申し出だった。
「それはありがてぇ。ありがてぇけどよ、いいのか? 急に一人増えたら飯の量が足りなくなるだろうがよ」
「大丈夫、フィーノは大体いつも多めに作ってるから。それでももし足りなかったらゼオの分を奪えばいいよ。どうせあんまり食べる方じゃないし」
「あんまり食べない奴の飯を更に奪ったらそいつの食う分消失するんじゃねぇか?」
「その分ゼオは酒でお腹を満たすから問題無いよ」
「問題しか無ぇだろ健康面で」
益体の無いやり取りをしながらも、バスゲウスはミュイユの提案に乗ることを決める。
「まぁ飯までいただくかはわかんねぇが、あの聖王フィーノに逢えるってんなら是非も無ぇ。邪魔させてもらうとするわ。案内頼むぜ」
「任せといて。そろそろ夕飯出来上がりそうな頃合いだしね、ちょっと急ごうか」
快諾すると、ミュイユは早足気味に薄闇の商店街を歩き出した。バスゲウスも歩調を合わせて先導するミュイユのすぐ後を追う。
――無論この時のバスゲウスは知る由もない。
ミュイユが道に迷っていたのはその時限りの偶然などではなく、彼女が自宅と近所の商店街の往復ですら困難な、尋常ならざる方向音痴だからだという事を。
ミュイユが自信満々に向かう先は、自宅とは真逆の方向の工業区だという事を。




