第18話 退路の果て
《……気を付けて、フィーノ。さっきのはこの男の仕業。彼、只者ではないわ》
警戒を促すロティの声。その中に微かに感じるのは、緊張と――怖れ。
しかし、さっきのって――まさか。
《聖畜衆の二人、いえ……十人全員が、既に彼によって倒された。死んではいないようだけれど……今、この場で動けるのはあなただけ。そういう状況よ》
全員……? そんな馬鹿な。
聖畜衆はその一人一人が兵士数十人分に匹敵するとか言ってなかったか? それが全滅?
何を言っているのかよくわからない。飛び出していった彼らは確かに、誰一人戻ってこないが。
《ごめんなさい、索敵はかけていたつもりだったけれど……何故感知できなかったのかはわからない。……追手は存在した。この男が、旧魔領からあなたを追ってきたものと見て間違い無いわ》
……ロティの索敵、なんかちゃんと効いた試し無くないか?
思うところはあるが、それよりも。
今目の前で柔和な笑みを浮かべるこの男が、ハストさんの言っていた、北部からの侵入者――魔族。どのようにしてか、ここまで先回りして廻輿を待ち伏せ、襲撃した。そういうことか。
――俺を狙って。
「……どうしました、『聖王様』。旅行はもう終わりです。貴方のあるべき場所に戻ってください」
そう言ってこちらへ手を差し伸べる、追手の男。
どうやら、少なくとも命を狙われているわけではなさそうだが……。
《駄目よ。行ってはいけない。あなたは統聖国に必要な存在。もう旧魔領に戻っては駄目》
ロティの制止。
そりゃまあ俺だって、せっかくここまで逃げてきたんだし、帰れと言われて黙って帰りたくはない。
けど、こんな……聖畜衆十人をあっさり倒してしまうような相手に、どう抵抗しろというのか。
それに……そもそもだ。
戻ってはいけないのか?
ロティに言われるまま、流されるようにここまで来たけど……俺は本当に、統聖国とやらのために戦わなくてはならないのか?
俺自身の意思というものが、思えば希薄だった。記憶が無い以上仕方無いのかもしれないが。
目の前の彼に従って戻ったらどうなるっていうんだ? 統聖国は困るのかもしれないが、別に俺の知ったこっちゃ無いんじゃないか? 魔族との争いとかどうでもいいよ。
圧倒的な戦力差を目の当たりにして頭を埋め尽くす、自棄な思考。
《帰ったら、あの地下室に逆戻りよ。そうしたらあなたは……》
あぁそうか、直接訊いてみればいいじゃないか。彼に。
《ちょっと、聞いてる?》
「あの……ひとついいですか?」
小さく挙手する俺に、眉をひそめる男。
「……はい? どうしましたか」
よかった、話は聞いてくれそうだ。
少し安心し、彼に尋ねてみる。
「戻ったら、俺はどうなるんですか?」
その問いかけに、彼は優しく笑い、
「安心してください、どうもいたしません。我々はただ、貴方――聖王様を、魔王の客人として迎えたいだけなのです。歓迎する前にどこかへ去られてしまったため、こうしてお迎えに上がりました次第です」
そう答えた。
ほら、こう言ってるじゃないか。別に逃げ出す必要なんて無かった。最初から堂々と、魔王とやらと会って話せばよかっただけなんだよ。
《嘘よ》
口を挟んでくるロティ。しつこいなぁ。
《そんな平和的な交渉を望む奴が、先制で問答無用に護衛をしばき倒すわけ無いでしょう。あんなの今適当に考えただけの出任せよ。大体あいつさっきまでと全然態度違うじゃない》
……それはまぁ確かにそうかもしれないが。
かといって、それがそのまま、俺にまで危害が及ぶという根拠にはならないんじゃないかと思う。
「どうされました? ……あぁ、私のこの剣が気になるのでしょうか」
視線から、俺の胸中――あるいはロティの横槍を察したかのように、男は手にした剣を持ち上げてみせる。
非常に細く、そしてこのような狭い場所で振り回すには見るからに適さない長い剣。
その刀身や柄には細やかな細工による意匠が見て取れるが、しかし……よく見ると、これは。
「そう、模造刀ですね。なかなかに手の込んだ造りはしていますが、所詮木製。殺傷力など無いに等しいものです」
そう言って掲げた剣を窓の光に晒してみせる。
陽光に照らされて剣の姿が露わになる。こうしてじっくりと見ると、本物でないのは明らかだった。よくできた造形だが、刃が無い。あれでは野菜も切れなさそうだ。
襲われた聖畜衆達が死んでいないというのも、つまりはそういう事だろう。元々得物に殺傷能力が全く無い。
「これでおわかり頂けたでしょうか。私はただ、平和裏にお話に来ただけなのです。少し、その、力による制圧を余儀なくされるところはありましたが」
柔和な笑みのまま、男は掲げた剣を下ろしてこちらへ再度手を差し伸べる。
「さぁ聖王様、私と共に――」
《騙されないでっ!》
ロティの必死な叫びが男の声に被る。
《北部からの侵入者が南部で殺傷事件を起こせば、確実に国際問題になる。本物の武器を持っていないのはそうならないためのただの保険よ。あなたや聖畜衆の身を案じてのことじゃないわ》
あぁもう、何だってんだ。そろそろ面倒だからできれば直接二人で話してもらいたいんだけど。ていうか傷害事件でも問題だろ。
混乱で進退窮まる俺の頭に、《もう、埒が明かないわね……仕方無い》と、ため息混じりに何かを決意したような声。
《これで――今一度考えなさいっ!!》
ロティのその叫びと同時に、俺の頭の中に――知らない記憶が捩じ込まれるように浮かび上がった。




