第17話 襲い来る漆黒の
ロテュメアを出て北へと走る廻輿。
とても人力とは思えない速度で街道を飛ばすが、意外にも振動はさほど強く伝わっては来ず、むしろ乗り心地は良いと言える程だった。
やはり荷台と違い人を乗せる前提のもの、耐衝撃性はしっかりしているのだろう。あの時と違い、適度に体を伝う揺れがうたた寝すら促す。
軽く窓を開ければ、程よく冷たい風が髪と共に眠気を攫う。風の向こうにはまばらな民家と平原、時々畑。ふらりとそこらで弁当でも広げたくなるような、のどかな風景。
そんな中、俺の乗る廻輿は――沈黙で埋め尽くされていた。
爽やかに吹き込む風にもびくともしない、貼り付いたような沈黙。
……いや、俺だって努力はしたさ。けど全然喋んないんだもん、聖畜衆の人たち。
国賓みたいな扱いの相手の警護なんだから、そりゃ軽々に私語できないってのはわかるけど……もう少しこう、乗ってくれてもいいんじゃないかななんて思ったりする。
「人力って凄いですね。これ、ずっと一人で牽くんですか?」「……交代制っす」「あぁ、なるほど。だから大勢いるんですね」「……っす」「…………」
「目的の街……セラン・リウーネ? ってずっと先ですよね。結構時間かかるんですか?」「……十日ほどっす」「へぇ……やっぱり割とかかるもんなんですね」「…………」「…………」
「そういえば、お名前まだ聞いてなかったですよね。伺っていいですか? できれば他の皆さんについても知りたいです」「……自分らの名など覚える必要無いっす」「…………」
「お腹空きません? 俺、携帯用にって保存食いっぱい貰っちゃって。すごく高級な食材らしいんですよ。お一つどうですか?」「……自分ら、飯持ってるので大丈夫っす」「…………」
「皆さん、筋肉凄いですね。やっぱり普段から凄く鍛えてるんですか?」「……っす」「…………」
終始こんな調子だった。
彼らが頑なに過ぎるのか、俺の交流能力が無さすぎるのか。よくわからない敗北感を味わいながら、俺は車両後部の個室に引っ込んだのだった。
《まぁ……えぇ……頑張ったんじゃないかしら》
ちょっとした個室として区切られた、廻輿最後方の一角。
その扉を閉めたところで、ロティから慰めだか励ましだかの声を貰った。
《聖畜衆は主に、労働力にのみ特化した存在。まぁ中には社交的なのもいるかもしれないけれど、基本的には仲良く会話できるような人達じゃないわ。別にあなたのせいじゃないから気にしないで》
なんかロティに物凄く気を遣われているようで、これはこれでちょっとつらいものがある。
「うん……ありがとう」
個室といっても防音効果は低い、というかほぼ無い。
ロティと会話する様子を聞かれたくなくて、あるいはロティへの気恥ずかしさから、
「じゃあ俺、本読んでるから……」
と小声で伝えた。
そう、と短い返事を残し、声は聞こえなくなる。
俺はふかふかと柔らかい座席に腰掛け、小説を一冊取り出した。ハストさんに勧められたうちの一つだ。両手の平ほどの大きさで、結構な厚みがある。
『影を率いて星が刺す』
――ある夜、国中のあらゆる都市で同時に殺害された三百人の被害者。犯人として挙げられたのは一人の老剣士!? 今再び、イトゥスの餐術士ランテビアが海を越えて食べ歩きついでに謎を追う!――
「…………何これ」
表題とあらすじに目を通すが、どうにも書いてあることが頭に入ってこない。
なんかだいぶ大丈夫じゃなさそうな雰囲気を感じるんだけど、本当にこれがハストさん選りすぐりの一冊なのか。何かの間違いじゃないのか。
不安になりつつも、とりあえず読むだけ読んでみようと表紙をめくり――、
「……着いたっす」
――気付けば夜、廻輿は今日の目的地である宿場町に到着していた。
ロテュメアからまっすぐ北上した廻輿は、一晩この街で宿を取り、翌朝西へ向かって出発した。
ここから西へ二日ほど行った先が、ローナセラという大きな街。そのローナセラから七日ほど南下すると、目指す街――セラン・リウーネに辿り着く。
今時点では特に追手が来る様子は無い。うまく撒けたのか、あるいはロティの言ったようにそもそも存在しない可能性もあるが――いずれにせよ、いつかは行かなくてはならない場所だ。
……俺としては今すぐロテュメアへ引き返して本の感想をハストさんに語りたいところなのだが、流石にそうもいかない。
廻輿は、朝日を背に、平原をまっすぐに伸びた街道を進んでいた。
《何よ、そんなに面白かったの? あの妙な本》
未だに抜けない余韻に浸る俺に、ロティが不思議そうに尋ねてくる。
俺は黙って頷くことしかできない。この感想は言葉にできる気がしない。どう表現しても陳腐になりそうだ。
まさか序盤に少し書かれただけの麺料理が、あのような意味を持つとは……。各地の犯行現場に残されたかすかな塩の痕跡から真犯人とその意図に気付いた時の衝撃は、それはそれは凄まじいものだった。
語りてぇー。戻れないならいっそハストさんがセラン・リウーネまで来てくれないかな。
などと馬鹿げた思考をしている時――異変は起きた。
大きく車体を揺らしながら急激に減速する廻輿。
車内に鳴り響く、ガラガラと耳障りな鐘の音。
事前に聞いていた。これは警報。敵襲の報せだ。
まさか――追手による襲撃だというのか?
身構える俺へ、聖畜衆の一人が扉越しに呼びかけてくる。
「……何かあったみたいっす。自分達が様子を見るので、フィーノ様はここから動かないで欲しいっす」
揺れる車内で辛うじて体勢を保ちながら、その言葉に頷きで返す。
ややあって完全に停止する廻輿。
聖畜衆達は互いに目配せし合うと、それぞれ武器を構える。
そして何人かが、車体側面の扉を開けて外へ飛び出した。車内にも三人、短剣を携えた者が残っている。
「どうした、何があった!?」
外を駆けていく複数人の足音と声。
それらは車両前方へと遠ざかってゆき、
呻くような声と何か重いものが地面に落ちるような音。
そしてそれっきり、何も聞こえなくなった。
「……?」
顔を見合わせる聖畜衆。
何かがおかしい。異常が起こっている。
車内にのこったうちの一人が、そろりと扉に近づく。
前方の様子を伺おうと扉から首を伸ばし、そのまま無言で外へ転げ落ちた。
「お……おい、何をふざけている? 戻って来いッ!」
室内の聖畜衆が強く呼び掛けるが、落下した彼が起き上がってくる気配は無い。
代わりに、音も無く車内へ乗り込んで来たのは、
「はい、失礼しますよ」
見知らぬ痩身の男だった。
礼装を思わせる黒衣を纏った、神経質そうな表情の男。
長く垂れた前髪がその印象を殊更に強くしている。
すらりと長く伸びた細い手足はその黒衣と相まって、夕陽を受けて伸びた影のよう。
そしてその手には、彼の腕とよく似て細く長い、剣が握られていた。
「何だ貴様は……まさか、貴様が『追手』かッ!?」
身構える聖畜衆の二人。短剣を構えながら、乗り込んできた人物を声を荒らげ問い糺す。
しかしその黒い男は、答えることなく、聞こえなかったように無視し車内を見回す。
そのうちある一点に目を留めると、その方向――個室で縮こまる俺の方へとゆっくり歩み寄ってきた。
「おい、そこで止まれ! それ以上フィーノ様に近寄るんじゃあないッ!!」
短剣を突き出し牽制しながら制止する聖畜衆。
だが男は足を止めない。向けられた短剣など意に介さずこちらへ歩いてくる。
やがて彼らの目前――射程圏内まで踏み込んできたところで、
「――排除だ」
「応」
二人が動いた。
短剣を振りかざし、男へ一斉に飛びかかる。
その筋肉質な肉体の印象からは想像できない、目にも止まらぬ速度で距離を詰め――、
――次の瞬間、二人は床に倒れ伏していた。
「…………え?」
何が起こった? 理解を超えた展開に俺はただ唖然とする。
二人が倒れる寸前、微かに、男が剣を握り直すような様子が目に入った気がするが、それだけだった。
倒れた二人には目もくれず、男は更にこちらへ距離を詰める。
そして個室の前まで来たところで立ち止まり、手招くようにして言った。
「お出かけはこれまでです。帰りましょう、『聖王様』」
優しげな中に、どこか敵意のようなものを孕んだ声色だった。




