第16話 短い夢と別れて
南部は北部より幾分かマシなようだが、やはり早朝の空気は冷たい。
ハストさんが用意してくれた新しい外套の防寒性能をありがたく噛み締めながら、俺は聖立共壇の前で迎えの廻輿とやらを待っていた。
今まで着ていた方は処分しておこうかとの申し出があったが、丁重に断っておいた。
確かに少し薄汚れてはいたが、あれはいつかルゼルメイに返す物。それまでは大切に保管しておかなければならない。
外套以外の衣服も色々と頂いた。
何故かどれもこれも胸元が大きく開いていたりやたらと脚が出るものばかりだったが、どうやらファラシエさんが見繕ったものらしかった。元々の服装の傾向に合わせてくれたのかもしれないが、別に俺の好みであんなのを着てたわけじゃないんだが……。いや、もしかして単にファラシエさんの趣味だろうか。
なお当のファラシエさんはこの場にいなかった。昨夜本当に行われた送別会で羽目を外して飲みすぎ、まだ自室の布団から起き上がれずにいるらしい。まぁ二日続けてあの勢いで飲めばそりゃなあ……。
送別会――という名の第二次宴会は、前日とは違いしめやかな雰囲気で行われた。別れを惜しんでというよりは単に連日騒ぐ気力が無かったからかもしれないが。
その中ファラシエさんはずっと涙目で俺と盃を交わしては飲み続け、最終的には前回と逆にシンビスさんに介抱されていた。そんなに彼女に気に入られる要素が俺にあっただろうか。思い返してもよくわからない。
料理の余りを加工したという保存食は、急遽期日が早まった中、製法を工夫することでうまく間に合わせたとの事だった。
多めにした塩と香草を揉み込み高温で急速乾燥させた薄切り干し肉、同様に薄く切った野菜類を干したものや酢漬け、燻製にした魚の切り身に茸の油漬け、干し果実の蜜漬け等々。
十分過ぎるくらいの量と出来に思えたが、これでも想定していた完成度には満たないというのだから驚きだ。
それらの食料と共に、俺はハストさんから本を受け取った。
それぞれ異なる作家の、五冊の小説。
せっかくの機会だと、ハストさんのお勧めの本を選んできたとのことだった。
「次に来た時に感想を聞かせてもらう。それまでに必ず読み終えるように」
気取ったように、しかしどこか照れくさそうに言うハストさんに、俺は本の束を抱きかかえて感謝を伝えた。
「ありがとうございます。……必ず」
「うむ。……あぁ、来たな。廻輿だ」
ハストさんが逸らした目の先。共壇の前を横切る大通りの向こうから、大きな影が現れた。
上る朝日を背にこちらへ迫ってくるそれは、車輪の付いた小屋とでも言うべきか、とにかく想像の倍は大きいというか前後に長い、直方体の車両だった。
その前方には長い取っ手があり、それを掴んで牽くのは――、
「……人……?」
どう見ても人だった。全身を筋肉で覆われたような見るからに屈強な男性が、その巨大な箱を牽いて走ってきたのだ。
「えっ……え? 人? 人がこれを牽くんですか?」
「そうだが、何をそんなに驚く?」
目を疑う俺の声に、ハストさんは不思議そうに答える。
「いや何をってそんな、むしろ驚きでない点の方が少ないんですけど……。その、これ、人力なんですか? 何かの間違いとか余興とかでなく?」
「……貴方が何をそんなに意外そうにしているのかが僕にはわからないのだが……。廻輿は人が車両を牽いて回る交通網だ。無論何の間違いでも余興でもないが……あぁ」
と、何かに思い当たったように手を叩くハストさん。
「そうか、聖王様は北部から来たのだったな」
頷く俺に、ハストさんは淡々と続けた。
「動物に重い物を牽かせるような野蛮な真似は我々はしない。あれは北部にのみ残った悪習だ。何より人が行う方が確実で効率的だろう?」
そっ……そうなのか……? 確かに俺が乗ってきた翼輿は大きな鳥が車両を牽いていたが……あれって野蛮だったのか? 効率ってなんだ?
頭の中の何かが猛烈に揺さぶられるような感覚を覚えたが、元より記憶の無い身、常識など持ち合わせていないに等しい。変に疑問視せず、こういうものだと納得するしかないだろう。……不思議とどうにも違和感が拭えないが。
ゆっくりと減速し、俺達の前に停車する廻輿。牽いていた筋肉が、いや男性が一礼する。
礼を返す俺とハストさんの前で、客車の扉がゆっくりと開き――、
「……お…………おぉ?」
中から、筋肉の塊のような男性が十人ほどぞろぞろと降りてきた。
いや、よく見ると女性もいるようだが……とにかく圧倒的、圧巻の筋肉に次ぐ筋肉だった。
彼らは廻輿の前に整列すると、再び深く頭を下げた。
「聖畜衆。統聖国に仕える、言うなれば肉体労働の専門家だ。廻輿の運営は彼ら無くしては成り立たない。戦闘能力に関しても、彼ら一人で一般的な兵士の数十人分は下らない。護衛としては申し分無いだろう」
そう紹介しながら、続けてハストさんは彼らに俺を掌で示しながら言った。
「こちらがフィーノ様。例の、為聖庁の賓客、要人です。故あって詳細な素性はお伝えできませんが、何卒安全に、この方をセラン・リウーネまで送り届けて頂けるようお願いします」
なるほど、彼らにも聖王の件については知らせていないようだ。あくまで重要な客として扱ってもらう体らしい。
「かしこまりました。必ずや」
代表と思しき一人がうやうやしく答えると、聖畜衆の人達全員が一斉に動いた。
俺を廻輿へ導くように、ずらりと左右に立ち並ぶ。
「フィーノ様、どうぞ」
先頭の二人が、揃って人垣の奥、廻輿の扉を指し示した。
どうぞって……いや、要人の警護って話なんだからこういう対応になるのは仕方無いんだろうけど、なんだろう……ひどく面映ゆいというか、場違い感というか……なんだか申し訳無くなる。
あるいは確固たる自己――記憶があれば、俺ももっと堂々とできるのだろうか。詮無い考えを抱きながら、
「あ、どうも……すみません、通ります……」
立ち並び壁を形成する計十人の聖畜衆さん達に頭を下げつつ俺は廻輿へと向かった。
扉の下に突き出た踏み台のような段差に足を掛け、手すりを持ち――振り返る。
十人の壁の向こうで、ハストさんが控えめに手を振っていた。
「またな」
独り言のような声量のその言葉は、けれどしっかりと俺の耳に届いていて。
「色々とありがとうございました、ハストさん。また来ます」
「あぁ、土産は本の感想でいいぞ。……達者で」
「楽しみに読ませてもらいます。それでは、また」
最後の挨拶を交わし、廻輿に乗り込む。
続いて聖畜衆の皆さんのうち九人が乗り込み、扉を閉じた。
一人が車両の前に回り、突き出た取っ手を掴む。
力を込めて引き、ゆるりと、車両が動き始めたところで――、
「聖っ……フィーノ様ぁー! お元気でー! 服着てねー!」
「まだ飲み足りねェんですよ、再開の宴楽しみにしてますぜ!」
「次はちゃんと起きてますから……!」
「次はちゃんと潰しますから」
「物騒過ぎませんかその別れの挨拶……。あ、フィーノ様またいつかー」
いつの間にやら、職員の皆が揃って見送りに出てきていた。
「皆さんも、ありがとうございました! また飲りましょう! あとファラシエさん俺がなんか常時裸みたいな言い方やめてください! 服ありがとうございます!」
瞬く間に加速してゆく廻輿からの俺の声が、彼らに届いたのかはわからない。
ただできる限り声を張り上げ、手を振る皆に感謝と別れの言葉を返し――、
わずか二日程の短い、しかし奇妙に印象深いロテュメアの滞在はこうして終わった。




