第14話 思考を溶かす盃に喧しく声を濁らせて
「聖王様ほんと大きいですよねー器とか他いろいろー」
「所長ー、ファラシエの目が変態です。聖王様の代わりにリュケオンへ送り返しましょう」
「こらこらー、僕の友を不敬な目で見るんじゃないぞぉ」
「なに友達気取ってんですか所長。不敬かよ」
「肉うっま。溶ける。酒うっま。溶ける。明日から食堂にこれ置いて所長。置け」
「口の利き方に気をつけたまえよガウデ君。この僕をどなたと心得る」
「誰だよあんたはここの所長以上の何者でもねェよ何を傘に着てんすか」
「あ、聖王様あれもう一回見たいー! やってー!」
「駄目だ駄目だ、見せ物じゃないんだぞー。どうしてもって言うなら僕の許可を得てからにするんだ。この僕を倒せたらの話だがなぁ!」
「何様なんすか所長。やるっつーなら倒してみせるすよ。酒を持ちな、決闘と行こうじゃねェか」
「あアっはっハー! 私もやるゥー! 覚悟しろ所長ォー!」
かくして、室内は混沌と化していた。
……いや、元々俺が望んだ結果ではあるのだが、まさかこれ程まではっちゃけきった空気になるとはちょっと思ってなかった。
「いえほんとすみません聖王様。普段みんなここまで壊れることはないんですけど」
俺の隣に座るシンビスさんが申し訳なさそうに……いや、それ程申し訳なく無さそうに酒と料理を口に運びながら言った。
一番小柄なのに誰より食べて飲んでいるが、他の人達と違いそこまで酔った様子は見られない。一体どこに吸収されているのか不思議になる。
「い、いや気にしないでください。変に堅苦しいよりは、これくらい気兼ねない方がずっと気軽でいいですから」
そう答え、俺も更に若枯蓄鳥の紅蜜煮とやらを切り分け食べる。口の中で溶けて消えるような柔らかさだが確かに主張する肉の風味と食べ応え、甘さを前面に押し出しながらもくどさを全く感じない芸術的な味の調和がとてつもない美味だ。
もう満腹に近い、というか多分通り越してるのについつい手を伸ばしてしまう魔性の料理の数々。腹に対し頭がまだ満足を伝えない。
思えば俺、宿場町での何食か以外ほとんど保存食しか食べてないからな……。いや、ヴェシュさんと食べた宿場町の料理も美味しかったんだけど、流石にちょっと、格が違うというか。これから普通の食事で満足できるのか不安になる程だ。
酒も、最初に飲んだ軽く発泡する果実酒以外に様々な種類が取り揃えられていた。同じ果実由来でも煮詰めたように味と強さが濃厚なもの、果実ではなく穀物を原料とし独特な甘さを持つもの、上面に泡の層を形成する程に強く発泡し、迸る苦みを持つもの。ロティが何やら得意げに種別を解説していたがほとんど覚えられなかった。
なおこの虚躯、どうやら酒にはなかなかに強いらしい。結構な種類と量を飲んだつもりだが、少なくとも今のところ酔い潰れる気配は無い。……ていうか酩酊自体はするんだな、虚躯って。どんな作りだ。
「所長――ハスト氏、なんですが、本来どんな事が、あろうとも、ここまで羽目を外す、人じゃない、んです」
シンビスさんはそう語りながら、酒で息継ぎするように言葉の合間合間に盃を口に運ぶ。大丈夫かその勢いで飲んで。
「ここ数年、ずっと鬱憤が溜まってたんでしょうね。だから聖王様にどうしろという訳ではありませんが。大目に見ろなんて言うつもりはありませんが。むしろ盛大に叱り倒していただきたい所存ではありますが」
若干支離滅裂とした発言をしながら、彼女は机の向かいで子供のように騒ぐハストさん達を眺める。
「それでも……もし許されるのなら。聖王様、貴方には本当に彼と……あっ」
「えっ」
何が言いかけたところで突如言葉を止めるシンビスさん。
何事かと戸惑う俺にゆっくりと首を向け、
「……私、飲酒量が一定値を超えた瞬間、急速急激に酔いが回るのです。というわけでおやすみなさい。ぐぅ」
そのまま机に突っ伏して寝てしまった。
「あれー、シンビスちゃん潰れちゃってるねー」
「そんな飲んでましたっけよく見てなかったけど」
「だらしねェすねー聖王様の御前で」
もっとだらしなさげな人達が様子を見に来るが全く反応しないシンビスさん。まぁ軽く彼らの倍以上は飲んでいたのだ。さもありなん。
なおこの部屋には既にもう一人、食べて飲んで早々に寝たキーティルさんが隅っこに横たわっていた。宴の前に言ってたのは何だったんだ。
「所長ももうアレだしな……。聖王様も満腹みてェだし、しゃーねェ、そろそろお開きにしますかね」
とガウデさんが目を遣った先には、気付けば同じように突っ伏して何やらうわ言のようなものを繰り返すハストさんの姿。さっきの決闘とやらがとどめになったらしい。
「あ、あの……まだ随分残っちゃってますけど……」
机の上で未だ輝く料理の数々。六人がかりでも全体の七割ほどしか食べ切れなかったのだが、元々この量を俺一人に食べさせるつもりだったのか。分け合ってよかったと改めて思う。
「あぁ、それなら気にしないでください。余った分は、こちらで保存食に加工できますので」
エラッドさんが軽く片付けをしながら言った言葉に安心する。もし余りは捨てるなんて言われたら、無理してでも全て食べきるところだった。
「聖王様、すぐにセラン・リウーネへ発つんでしょう? その際に、道中の非常食としてお持ちくだされば」
そう言って笑うエラッドさん。平然としている風を装っているが、明らかに全身がふらついていて手元も足元もおぼつかない様子だ。
片付けを手伝おうとしたが、「流石にそれは聖王様にはさせられません」と止められた。
「あの扉の奥が来賓用の寝室になっています。後のことは我々に任せ、聖王様は明日までゆっくりお休みください」
部屋の奥を指す手もふらふらと上下していて不安になったが、それらしい扉は一つしかなかったためすぐにわかった。
「それじゃあ……すみません、後はよろしくお願いします。……ご馳走様でした、本当に美味しかったです!」
これ以上食い下がるのも野暮かと、俺はエラッドさんと、部屋にいる皆に届くよう少し声を張り上げて言った。
ファラシエさんに担がれるようにして辛うじて立ち上がったシンビスさん、ガウデさんに渡された水を飲みなんとか正気になったらしいハストさん、今更起きてきて辺りの様子に首を傾げるキーティルさん。
彼らに俺の謝辞が届いたのかは定かではない。俺は彼らに背を向け、寝室の扉をくぐる。
背後にまだ、先程までの喧騒が残響しているような感覚にとらわれながら、そっと扉を閉じた。
思えば今日は割と色々あった。
ヴェシュさんの翼輿に揺られながらの旅路の終わり、リュケオンへの到着。
命湍に入る前の一騒動に、出てからの一騒動。
ハストさんに案内されたロテュメアの共壇本棟に、無理言って少しだけ連れていってもらった繁華街と市街地。
そして夜の、歓迎の宴――という名の飲み会。
有り体に言えば疲れていた。猛烈に。そこに大量の酒と食事。
その上にこの、疲労にまみれた体を優しく包み込む、あまりに柔らかなそれでいて絶妙に体を支える寝台と布団である。
いかな虚躯であれど、この極上の誘惑には耐えられないようだった。耐えるつもりも無いが。
俺は布団に横になると、気付かぬまま眠りの深淵に堕ちていた。
朝日に目を覚まされ、初めて自分が寝ていたことに気付いた程に。
――なので、その夜に起こった異変について、俺は一切知覚しなかった。
聖王帰還の夜。
宴も終わり、業務終了後の共壇本棟にわずかに残った人々もみな寝静まった頃。
人知れず、命湍が動作していた。
別棟の一室で振動と光を放ち、その接続先――リュケオンからの転送物を漆黒の天面に掲げる。
そこには、一人の男がいた。
貴人の従者を思わせる、瀟洒な身なり。少し長めに切り揃えた黒い髪に神経質そうな細い顔。
片膝をついて現れたその人物は、息も絶え絶えであった。
「……まさか……これ程までに、消耗……するとは……!」
肩で息をしながら独りごちるその言葉を聞く者は、今この建物にはいない。
壁へと這いずり、寄り掛かるように辛うじて立ち上がると、男は窓に手を掛けた。
微かに軋みながら開いた窓から外へ、飛び出すというよりはまろび出るといった体で脱出する男。
「これでは、動けない……か……? ……いや、追う……逃がさん、『聖王』ッ……!」
呪詛のようにその名を呟きながら、その男は、共壇別棟の庭を這々の体で抜け出し、深夜のロテュメア市街へ消えていった。




