第10話 聖王の帰還
目を覚ますと――本当に寝ていたのかそう錯覚しているのかは知らないが――そこは先程までの薄暗く埃っぽい倉とは違うどこかにいた。
上体を起こし、辺りを見回す。
広さは同じ程度だが、白基調の綺麗な壁に囲われた部屋だ。屋外に掘っ建てられた倉庫ではなく、大きな建物の一室のような場所。
日常的に使用はされていないのだろう、室内には家具や調度品の類は何も無い。壁沿いの隅に木箱のようなものが点在するばかりだ。
俺は、その部屋の中央――命湍と言うんだったか、奇妙に柔らかい漆黒の床に座り込んだ形になっていた。ここだけは元の倉庫と変わらないため、この床ごと転移してきたかのような、あるいは寝ている間にこの床以外を丸ごと挿げ替えられたかのような気分になる。
そして――部屋の出入り口と思しき扉の前には、困惑か恐れなのか、なんとも言えない表情で遠巻きにこちらを見る集団の姿があった。
えっと……何この状況。
とりあえず頭を下げてみると、彼らはどよめいて顔を見合わせた後、控えめにお辞儀を返してくれた。何だってんだ。
しばらく無言で見つめ合っていると、集団で一番前にいた一人が、こちらへ一歩踏み出した。
どこか疲れたような雰囲気のある青年、と呼ぶには少し歳を重ねた雰囲気のある男性だ。だがその眼鏡の向こう、切れ長の目の奥には、燃えるような輝きが潜んでいるように見えた。
男性は言葉を探すようわずかに間を置き、口を開いた。
「……単刀直入に問う。お前は何だ」
何って。端的にも程がある質問に戸惑う俺。
俺が何者なのかって、そんなの俺が一番知りたいんだけど。
とはいえ、そんな回答が許される場面では無さそうだ。どう答えたものか少し悩んで、ひとまず、
「……フィーノです」
名乗ってみることにした。
俺の答えを聞いた男はわずかに眉をひそめ、
「虚だと? 偽名ではないのか? ……いや違う、名前を訊いているのではない。お前は何者で、どこから来たのかと訊いているのだ」
と再度問われた。最初からそう言って欲しい。
しかし、そんなこと訊かれても……。答えに詰まる俺の頭の中に響く声。
《何を躊躇してるのよ。こんなの一言で黙らせられる名乗りができるでしょう、あなたには》
ロティが無責任な提案をしてきた。
《ここはもう統聖国なのよ。アレを言うだけで解決よ、こんなの》
そうは言うが、アレを自分で名乗れというのか、俺に。
気恥ずかしさで死にそうだが、このまま黙っていては埒が明かないのも事実だろう。
観念し、自身に発破をかけるように立ち上がる。扉の前の彼らがびくりと身構えるのが見えたが、気にする余裕は無い。
正面に立つ男性を正面から見据え――ようとしたつもりでつい目を逸らしがちにしながら、俺はあの名を口にした。
「――『聖王』、です。えっと……北部? リュケオン……から来ました」
……場を、重い重い重い沈黙が支配した。
……なんか思ってた展開と違うんだけど。
もっとこう、聖王って名前を聞くなりみんな膝から崩れ落ちてひれ伏すくらいの想像をしてたんだけど。
どうしてくれるんだロティこの空気。一番前の眼鏡の男性なんかもう完全に「何言ってんだコイツ」みたいな表情で俺を見て……ない?
「……聖王と……やはり、そう言ったのか……? いや、そう仰ったのですか?」
てっきり睨みつけられているのかと思ったが、そうではないらしい。
見開いた目でこちらを見つめながらそう喋る声は震えていた。
その目の奥は、満ち満ちた希望に煌めいているようで。
俺は気圧されるように頷くことしかできなかった。
眼鏡の男性の背後で顔を見合わせざわつく五人ほどの男女の集団。
それを「少し黙れ」と制止すると、男性はこちらを見据え、震えを強引に押さえつけたような強い口調で言った。
「それを、証明できるか? よく似せただけの紛い物でないと示せますか? この国においてっ……その名の持つ意味、それを名乗ることの重大さを、解っているのですかッ!?」
責め立てるような言い方だが、その声は途中から涙が混ざったように掠れていた。
とてもじゃないが、解らないなどと答えられる雰囲気ではない。
しかし、証明と言われても……。
ロティにそそのかされてその場しのぎ的に名乗ったようなもので、特にそういった自覚があるわけではない。
自分ではない自己の証明をしろとは、なんたる難題。
ここからどうすればいいんだよ、と冷や汗と共にロティの助言を待つ。
《証明? 抉界戟を見せれば終わりよ。取り出してみなさい、ほら》
なんでもない事のように言う、ロティのどこか楽しげな声。
抉界戟……ってなんだっけ? あぁ、あの地下室から持ち出して……きた…………。
……待って待って。あれ取り出して見せるの? 彼らの目の前で!?
《ためらってる場合じゃないでしょう。抉界戟も覆心鞘も、所持しているのは聖王のみ。見せるだけでこの上ない証明になるって、前に言ったでしょう? ほら、早く出しなさい。んふっ……その胸からぁ》
こいつ楽しんでやがるな? 何笑ってんだ。
だが、畜生、背に腹は代えられないか。已む無く心を決める。
せめてもの抵抗に、待っている皆さんに「あまり直視しないでもらえると助かります……」とだけ断りを入れておいた。
何を!? と困惑する彼らから目を伏せ、俺は外套の留め具を外す。
薄い布切れのような服しか身に着けていない体の前面が露わになる。
「いっ……いやいや待て待て待て! 何をしているっ!?……のですかっ!?」
「必要な工程なんです。お願いなのでそっと視界の端に留める程度に見守っておいてください」
俺の必死の頼みに、「……そ……そうか……」と納得いかなそうながら引き下がる男性。
コートの前を大きく開け、布切れを引っ張り胸元を露出する。
さっきとはまた違う声色のどよめきの中、俺は覆心鞘の黒い裂け目に手を当て――、
「……どうやって出すんだアレ」
ざわつく彼らの声に混じり、ロティの深い溜め息が聞こえた気がした。




