第9話 所長ハスト氏の鬱屈
統聖国中部、ロテュメア。
資源中継都市の名の元、大陸全土の輸送を一手に担っていた栄華も今は昔。
特に魔族による叛乱以降、大幅な業務規模の削減と変更を受け、聖立共壇職員は鬱屈としていた。
やることと言えばごく一般的な斡旋業務と、例の災害の事後処理の中間処理ばかり。
業務中継都市か、とハストは自嘲する。
溜め息ついでに眼鏡の埃を拭き取り、書類の処理もそこそこに席を立った。
気分転換に、斡旋窓口の様子を見に行こうとしたのだ。
早ければ、朝一番に請け負った仕事の報告に来る者が現れてもおかしくない時間だ。
何か面白い話でもついでに聞けないものかと期待してのことだった。
なんでもいいから新しい刺激が欲しい。
ハストは刺激に飢えていた。
この退屈極まりない平凡な業務の繰り返しの日々に、新しい風が吹き込むのを待っていた。
とはいえ現実に、都合良くそんなものが訪れないこともよく知っている。
淀んだ空気を胸いっぱいに溜め込んだまま、ハストは事務室の扉を開けようとし、
「所長、大変です!!」
ハストより早く、部下の職員が叫びながら扉を開け飛び込んできた。
「なんだ、騒々しい」
ひどく慌てた様子の職員に思わずぶっきらぼうに答えるが、その実ハストは内心昂っていた。
事件だろうか? 不謹慎とは思いつつも高まる期待と口角を抑えながら、職員に仔細を尋ねる。
「僕は忙しい。簡潔に話せ」
無論これはただの見栄だった。何せ忙しいどころか暇潰しの散歩に出ようとしていた程だ。
そんなことは露知らず、どうにか息を整えて話し始める職員。
「その……別棟の様子が、変といいますか……」
別棟だと? ハストは訝しむ。
「あの封鎖された別棟のことか? あそこには大量の倉庫部屋と、動作停止した北部への命湍があるだけのはずだが……」
「その命湍がおかしいようなのです。何やら唸るような奇妙な音がするので様子を見にいったところ、命湍が明らかに強く光を放っていまして」
「……馬鹿な。……それは、動いているんじゃないのか」
十年ほど前までは頻繁に見ていた、……そして十年来見ていない、命湍の動作の予兆。
何が起こっている?
不安と同時に押し寄せる興奮に胸を高鳴らせながら、ハストは職員に指示を飛ばす。
「もし本当に命湍が動作しているというなら、北部からの攻撃行為の可能性がある。僕が確認に向かうから、お前は防護術を使える者と、念のため武器を扱える聖畜衆に声をかけておけ。異常があったのはどの命湍だ?」
「どの……? あぁ、リュケオンと繋がった物です。では私は戦力を探してきます」
「あぁ、頼む」
走り出す職員を見送り、ハストも本棟を出て問題の別棟を目指す。
逸る気持ちに引きずられるよう駆け足で数分。既に職員が解錠していた門を抜け、別棟に足を踏み入れる。
いくつかに別れた内の、リュケオンへの命湍が存在する区画へ。
半開きになったその大きな扉を開けるとそこには、
「……本当に動作しているとは。どういうことだ……?」
職員の言った通り、明らかに普段と様子の違う命湍があった。
低く響く唸り声のような音と共に、その漆黒の面に湛えた光がキラキラと眩く輝いている。
床から覗く命湍の天面は次第に輝きを増してゆき、ついには直視できない程の光を放ってハストの目を眩ませる。
そして――、
「…………は?」
発光の収まった命湍を、灼かれた目を凝らして見る。
そこには、人が――女が横たわっていた。
刺激を期待するあまり、ついに幻覚でも見るようになったか……?
そう何度も自身の視覚を疑ってみるが、やはり目の前に寝ているのは人間だった。
人形の類ではない。小さくだが、呼吸をしている様子が見て取れる。
有り得ない、とハストは頭を抱えた。
何かしらの事情で北部から攻撃兵器の類が送りつけられたというのならまだ理解できよう。だが人とは……?
原理上、命湍での生物の転送は不可能なはずだ。ならば必然、この女は生物ではないということになる。
だがどう見ても……。
思考が堂々巡りに陥りかけたところで、ハストはふと気付く。
この女の容姿。
雪のように輝く、白に近い銀髪。それを縁取るように、あるいは血を染み込ませたように先端のみが紅く染まっている。
作り物と見紛う程に透き通る白い肌に、女性にしては比較的高く見える身長、仰向けに寝ていながらむやみやたらと主張する胸部。
随分庶民的な外套と靴を身に着けているのが引っかかるところではあるが……この姿は、まるで――。
「所長、大丈夫ですかっ!?」
そこに、使いに出した職員が戻ってきた。先程の発光をどこかで目にしたのか、慌ててハストを案ずる。
「あぁ、僕は問題無い」
「そうですか、なら良かった。所長、防護術士は取り急ぎ数名連れてきました。聖畜衆もすぐに来るそうで……す…………?」
報告しかけたところで、職員も異常に気付いたようだった。部屋の奥を見ながら固まっている。
少し遅れて到着した防護術士三人も見事に同じ反応を示した。入口に集まったまま誰も踏み込めないでいる。
困惑に満ちた空気の中、しばしの沈黙。ややあって、職員がおずおずと切り出す。
「あの……所長、アレは……?」
「わからん。状況から考えると、アレが命湍から現れたとしか思えん」
「どう見ても人ですが……そんな事有り得るんですか?」
「わからん」
かぶりを振るハスト。
そう、このまま眺めていても何一つわからないままだ。
意を決し、ハストは命湍に、寝ている人物に向かって一歩踏み出した。
その時。
「……ん……あれ、ごめんロティ……俺本当に寝てた……?」
独り言と共に、女が目を覚ました。




