第4話 虚無への贈物
と、しばらく上でごそごそやっていたルゼルメイが、上階から顔を覗かせ声をかけてきた。
「フィーノさん、あの……これ、投げるので受け取ってもらっていいですか? 多分わたし、持ったままだと下りられないので……」
そう言って、軽く畳まれた服らしき物を見せる。
だろうなぁ、と苦笑し、俺は梯子の下で両手を掲げて言った。
「大丈夫です、受け止めますよ」
「それじゃ、お願いします。それっ」
ルゼルメイの放った服は、構えていた手の上には案の定落ちて来ず、俺を通り越してまるで見当違いの方向に落下した。何故放り投げた。
「あぁっ……ごめんなさい、わたし……」
「いえ大丈夫です、ありがとうございます」
まっすぐ落とせばよかったのに、とも思ったが、彼女が服を持って階下へ身を乗り出すとそのまま頭から落下しそうな想像が容易にできた。この方が安全で良かっただろう。
……安全ねぇ。どことなく自嘲しつつ、俺は落ちた服を拾い上げて広げた。
薄手のコートのようだ。白めの色合いにふわりとした生地は少し女性用の趣きがあるが、これといった目立つ装飾も無く、簡素な作りになっている。後部には大きめのフードが垂れている。
体にあてがってみた感じでは少し小さそうだが、着れなくはなさそうだ。
持ち上げて色々と眺めているうちに下りてきたルゼルメイが、俯きがちにはにかんで言った。
「すみません……もう少しちゃんとした服も探したんですけど、合いそうなのがそれしか見当たらなくて……」
「いやそんな、俺からしたら着れるだけでありがたいというか、むしろこんな作りの方が好きかもしれないというか」
「いえ、その……意匠じゃなくて、大きさとか……その、色々……」
大きさ? あぁ、そういえば確かに、俺と比べるとルゼルメイは結構小柄だった。彼女に丁度の服だと、俺が着たらかなり窮屈になりそうだ。
「気にしないでください。この、服ですらなさそうな布を隠せるだけで充分助かるので、ほんと」
「そ、そうですか……そうですね……はい、でしたら……」
なんだかイマイチ歯切れの良くない返事のルゼルメイ。
俯いて俺から目を逸らしているというより、どうも視線が俺の首の下辺りに集中して――、
《いつまでやっているの。始末しないんだったら、貰うもの貰って早いとこ出ていくわよ》
――ロティの声で我に返る。
そうだった、早くこの地を離れないと危険なんだったか。
今更のように慌てて、俺は貰った服に袖を通す。
肩の辺りに若干の圧迫感はあるが、概ねぴったりな寸法だった。
前面の留め具を閉じると、体は膝上くらいまで綺麗に覆い隠された。これで少なくとも、最低限の服装の体裁は整えられただろう、と思う。
改めて、俺はルゼルメイに向き直り、礼を言う。
「これ、丁度いいです。助かります」
「そっ……そう、ですね、いえ、はい……なら良かった、です……」
相変わらず妙に視線の低いルゼルメイを不思議に思いつつ、頭を下げる。
つられて同じように頭を下げたルゼルメイが、思い出したように部屋の隅にある本棚へと小走りで向かい、ごそごそと何かしていたと思うと、
「もしよければ、これも……」
と、何やら折り畳まれた紙をこちらへ持ってきた。
「これは……?」
「リュケオン行きの、翼輿の券です。わたしは多分、もう使わないので……」
と、五枚綴りになった券を差し出すルゼルメイ。その表情には、どこか哀愁のようなものが滲んでいたように見えた。
「……ありがとうございます、色々と。使わせてもらいます」
事情を詮索するようなことでもないだろう。ルゼルメイから券の束を受け取り、服にしまう。
「今ならまだ、夜行便の最終に間に合うと思います。急いでください……って、引き止めていたわたしが言うのもなんですけど……」
そう苦笑すると、ルゼルメイは部屋の反対側、出入り口らしき扉へと歩いていった。
履き物をつっかけて、扉を開く。
その向こうに広がっていたのは、整えられた庭らしき空間、右手側にずっと先までそびえる高い塀。それらが星空に照らされていた。
ルゼルメイの後について扉の前まで来た俺の足元を、彼女が手で指し示す。
「フィーノさんはそちらを。ちょっと小さいかもしれませんが、それなら入ると思います」
彼女が履いているのによく似た、簡易な靴。つま先とかかとが大きく露出していて、かかと側の厚い紐で足を固定するもののようだ。
「靴まで……。いやほんと、何から何までありがとうございます」
「流石に、裸足で出て行かせるわけにもいきませんから」
そう言ってくすりと笑うルゼルメイ。
感謝を述べ、靴に足を入れる。足の甲とかかと部の紐がある程度伸縮する革でできているようで、少しの小ささはさして気にならなかった。
ルゼルメイに続いて、扉を出た。
夜風が庭の草木ついでに俺を軽く撫でる。
少し寒い。上着が無かったら出るのを諦めていたかもしれない。貸してもらえて良かったと改めて思う。
風にたなびくフードを捕まえるのにわずかに手間取った。被ると、寒さは幾分か和らいだようだった。
ふと視界の端に映った光を追って左側を見上げると、そこにはそびえ立つ大きな建物の影。
暗くて全体像はよくわからないが、窓の明かりを辿った様子だと、かなり大規模な屋敷のようだ。
察するに、あの屋敷が母屋で、今出てきた小さな建物が離れといったところか。
……魔王城なんて大層な呼び名、あっちの方が相応しいんじゃないか? っていうかあっちの事じゃないのか? いや今更どっちでもいいけども。
「……正門から出るのは少し目立ちます。フィーノさん、こちらへ」
そう言ってルゼルメイが先導したのは、正面に広がる庭ではなく逆方向、塀伝いに今出てきた建物の裏側へ回る道だった。
「こっちに、普段あまり使わない通用門があります。フィーノさんはそこから敷地外へ出てください」
頷き、ルゼルメイについて歩く。
庭を背に、塀に沿って離れの裏側へ。
しばらく行った先には、くすんだ塀に紛れるようにひっそりと、無骨な閂のかかった小さな扉があった。
ルゼルメイが慣れた手つきで閂を外し、取っ手を引く。
かすかに軋みながら、扉は開いた。
塀の向こう、この敷地の外に繋がる扉が。
開いた隙間から向こうを覗き込み様子を確認したルゼルメイが小さく手招きする。
「今なら大丈夫そうです。……元々、この時間帯に人通りのあるような道ではないですけど」
そう言って、扉の先を指し示す。
「この道をまっすぐ行くと大きな通りに出るので、それを左へ。そのまま道沿いに行けば、ちょっとした広場に着きます。翼輿の乗り場もそこにあります。ゆるやかですがずっと下り坂になっているので気を付けて」
一息に道順を説明すると、ルゼルメイは扉の前から一歩退き、俺に出るように促した。
「重ね重ね、ありがとうございます。この服、いつか必ず返しに来ます」
礼を言う俺に、しかしルゼルメイは困ったような顔で首を横に振る。
「いえ……わたしの事は忘れてもらって大丈夫です。それに、その服……元々わたしには少し大きかったので、そのまま使ってもらえれば……」
「いや、そんなわけにも……他にも色々お礼がしたいんです。きっとまた、なんとかしてここに来ますから」
「……最終便に間に合わなくなります。急いで、行ってください」
頑なな様子で顔を伏せるルゼルメイ。
俺は小さく頭を下げ、敷居を跨いだ。
「……じゃあ、また」
「…………」
表の通りへ数歩出た俺の背後で、扉の軋む音。
一度だけ、振り返った。
閉ざされた扉の向こうから、足音は聞こえなかった。
少し舗装の荒れた道へ踏み出す。
跳ねて足首に飛んだ砂利が少し痛かった。




