第3話 虚弱少女ルゼルメイ
螺旋階段は割とすぐに終点を迎えた。
地下室の天井の高さを基準にするとおよそ三、四階層分ほどだろうか。しばらく上った先に現れたのは、簡素な扉だった。
特に鍵のようなものも見当たらない。これを開ければ外に出られるのだろうか?
《この向こうは恐らくまだ室内よ。脱出のためにはこの扉の先、外への出口を探す必要がある。近くには誰の反応も感じられないから、安心して開けていいわ》
ロティの声に頷き、俺は扉の取っ手に手を掛け、ゆっくりと引いた。
わずかに軋む音を立てて開く扉。隙間から差し込む光。
その先にあったのは、少し想像と違った空間だった。
「……家?」
思わずこぼす。
扉の先には、家というか私室というか、ひどく生活感あふれる部屋が広がっていた。
広さは先程の地下室より少し狭いくらいだろうか。
個人の部屋としては広めに感じるが、複数人で使うには狭苦しそうだ。
部屋の中央には食卓と思しき大きな机が鎮座しており、空間を圧迫している。
机の上には使ったままの食器や読みかけの本などが散乱し、それなりに広い机の大半を埋め尽くし台無しにしていた。
壁沿いには、机を取り囲むように並ぶ大量の本棚。その上には絵や装飾品、ぬいぐるみのようなものが飾られている。というか雑に置かれている。
机の脇には四つの椅子。うち二つには本や、脱いだ外套らしきものが掛けられている。
壁の上部にはいくつかの窓があり、星空を映していた。どうやら今は夜であるようだ。
地下室の扉から見て正面側には調理場のような空間と、その脇にある小さな扉。他に出入り口のようなものは見当たらないため、あれが外への出口と思って良さそうだ。
そして俺から見て右側面の壁には梯子のようなものが上へと伸びており――、
「あ……やっぱり、来たんですね」
梯子の先、天井の少し下に渡された中二階のような場所から、俺達を覗き込むように見下ろす少女の姿があった。
……って、いや思いっきり居るじゃねぇか人が! どうなってんだロティ!?
《……あっれぇ!? いえ索敵には全然……あ。》
あ?
《ごめんなさい……あったわ、人の反応。驚くほど弱々しくて見落としてたみたい……》
見落としって……早速やらかしてくれたな導祇さん。
誰にも見つからないように脱出する予定が早くもつまづいたわけだが、さてどうすべきか。
無視して正面の扉まで走ることも考えたが、何者かわからない少女に背を向けるのは気が引けるし、扉が実際に出口かどうかも明らかではない。
少し悩み、ひとまず、上階の少女に会釈してみることにした。ぺこりと。
「あ、これはどうも……ご丁寧に」
会釈で返してくれる少女。ただの無言の会釈に丁寧要素あっただろうか? まぁいいや。
少女は四つん這いのような姿勢で上階から首だけ出してこちらを見ているらしく、頭を下げた際に体勢を崩して慌てていた。落ちるなよ。
体勢を立て直した少女は少し恥ずかしそうに顔を背けた後、
「あ……ごめんなさい、見下ろすような格好で……。えっと、降りますね」
と、よたよたと梯子を降りてきた。
「…………」
……すごく遅い。一段降りるのに要する時間が尋常ではない。大した高さの梯子ではないだろうに、着地までどれだけ待たせようというのか。
もしかして降りるのを見届ける時間で悠々と逃げられたんじゃないか、と思い至ったのは、ようやく少女が下階の床に足をつけた時だった。
「すみません……お待たせしました」
と、梯子から手を離しこちらへ向き直った少女が、改まって頭を下げる。
肩ほどの長さの黒い髪。前髪がずっと片目を覆うように垂れているが邪魔じゃないのだろうか。
清潔そうだが着古した様子の部屋着、といった装いをしていた。やっぱりここは彼女の私室なのでは……。魔王城は?
「あ、いえ、別にそんな、どうも」
つられてお辞儀を返す俺に、更に返す少女。なんかさっきからお互いペコペコしてばっかりな気がする。
《何してるのあなた達……》
うるさいな、俺が訊きたいよ。
ひとしきり頭を下げ終えたところで、少女が切り出した。
「あの……聖王様、ですよね?」
聖王。この体の、本来の持ち主の呼称だ。
俺はその体を借りているだけで、その聖王とやら本人ではないのだが……どう説明したものか。
返答に詰まっていると、少女が先に言葉を続けた。
「あ……ごめんなさい、名前も言わず。わたしは、ルゼルメイといいます。えっと……ここに住んでます」
そう名乗った少女に、俺はどう答えたものかと考え――、
《――フィーノ》
「え?」
「え?」
急に割り込んできたロティに思わず返事してしまった。
「あぁいえ、何でもないです。あなたの家なんですね、ここ」
ロティの声は他者には聞こえないという話だった。首を傾げる少女――ルゼルメイに適当に言い繕う。
「そうですね……そんなものです。……あ、ごめんなさい、その、色々見苦しくて……」
恥ずかしそうに顔を伏せるルゼルメイ。確かに机の周りは色々と生活感が凄いが、急に押し掛けたのはこちらだし、むしろ謝るべきは俺の方だと思う。いや押し掛けたというか通らざるを得なかったんだけど。
「いえそんな、気にしないでください。というかこちらこそ突然現れて申し訳無いです。えっと、俺は……」
《虚よ。あなたの名前。ひとまずそう名乗っておきなさい》
そう来たか。
なんか癪だが、確かに今の俺には最適な名かもしれない。
名無しのままでいるのもアレだし、使わせてもらうとしよう。
「――俺の名前は、フィーノです。聖王という人とは多分無関係の、別人だと思ってください。それで、えっと……」
自分について話せる事などもう他に無かった。まさに虚無だな。
言い淀んでいると、ルゼルメイがどこか哀しそうな顔をして言った。
「フィーノさん……あなたは、その……ここを出て行かれる、という事ですよね……?」
「そうですね……そうなります。多分」
見つからずに脱出、というのは既に失敗に終わったが、早くここを離れなければならない状況に変わりは無い、はずだ。だよなロティ?
「そうですか……」
俺の答えを聞いたルゼルメイは、目を伏して呟くようにそう言った。
――そもそもこの少女は何者なんだろうか。
敵意は全くと言っていいほど感じないが、少なくとも敵地の只中にいる、聖王を知る人物だ。安易に信用するわけにはいかなそうだが――。
しばらくお互いに沈黙した後、意を決したようにルゼルメイが口を開いた。
「……気を付けて、まっすぐ西へ向かってください。翼輿で四日ほどの場所にある、リュケオンという街へ。……追手が来ないうちに」
「ぴな……? いや……追手が、来るんですか?」
それ自体はある程度想定していたものだ。だが、何故彼女の口から……?
「あなたがここを出たことが知れたら……追手を出さないわけにはいけなくなりますから」
妙な言い回しだった。他の何者かがというよりも、まるで。
「……あの、ルゼルメイさん、あなたは……」
問おうとすると、ルゼルメイは困ったように俯いた後、答えること無く強引に話題を変えた。
「……フィーノさんのその格好だと、きっと目立つと思うので……ちょっと待っててくださいね。今、わたしの服を持ってきます」
そう言い、上階への梯子を上り始めるルゼルメイ。
……俺の、格好。
視界の端で光を反射していた、本棚に立て掛けられた鏡に目をやる。
腰くらいまである、流れるような長い髪。白に近い眩い銀髪の、その先端部だけが鮮やかな紅色。
少女然とした大きな眼、そして気の強そうな印象を抱かせる鋭い目尻の縁に憂いを纏わせる長い睫毛。その瞳は髪の端に似て紅い。
そんな何一つ見覚えの無い自分の顔の下には、全身の均衡を台無しにするほどの大きなモノを胸にぶら下げた細い体。
その体は何故か、薄い布切れのような、服なのかも疑わしい何かしか身に付けていなかった。身に付けるというより巻いているだけといった様相だ。
記憶の無い身にも解る、明らかな露出過多。この姿で外へ出ればきっと悪目立ちすることだろう。ちゃんとした服が借りられるなら、それはありがたい事ではあるのだが……。
「…………」
想像通りひどく遅い動作で梯子を登り上階へ消えるルゼルメイを見送って、俺は小声でロティに話しかけた。
「ロティ、あのルゼルメイっていう女の子は一体……?」
《……わからないわ。あの子の反応が異様に弱いというのもあるけれど、どうやらあたし自身も本調子ではないみたい》
そうなのか……? それはちょっと、色々困りそうなんだが。
《とはいえ、あの子の戦闘能力が皆無に近いことはわかるわ。次に下りてくる時を狙えば簡単に始末できると思うけれど》
……実のところ、考えてはいた。本人なり梯子なりを抉界戟で攻撃すれば、恐らくはあっさりと。
――だが。
「……やめておこう。っていうか嫌だ」
《そう。後悔しないといいけれど》
どこか残念そうにロティは言うが、嫌なものは嫌だ。
目撃されたものは仕方ない。彼女の協力を得て、なんとか逃げおおせればいい。
ここでルゼルメイを手にかけるくらいなら、後悔する方がいくらかマシだろうと、そう思った。
――無論、そんな度胸が無いだけでもある。




