第1話 聖王のめざめ
――目を覚ますと、そこは薄暗い部屋の中だった。
地下だろうか? 採光用の窓のようなものはなく、壁に埋め込まれた何かがぼんやりと光り照明になっている。
かなり広めの部屋のようだ。上体を起こし、辺りを見回す。石造りの床や壁と、部屋の中央に鎮座する、奇妙に発光する巨大な宝石のような物体が目を引く。その向こうには、床を突き破って生えた、葉の無い木のようなものが宝石に照らされている。
……目を覚ます? 俺は寝ていたのか?
視線を下ろす。どうやら石造りの床の上に横たわっていたらしい。
体の横には、槍と斧を組み合わせたような道具……武器だろうか? が、一本転がっていた。
状況がわからない。
ひとまずその槍のようなものを拾い、杖のようにして立ち上がってみる。
体がふらつく。なんとかこの杖? 槍? ……を支えにして立てている。
どうにも直立しにくい。ひどく消耗したような状態だというのもあるが、なんだろう……体の重心が偏っている気がする。前に。
足元がよく見えない。目が霞むわけではなく、物理的に。胸の辺りに丸い障害物があって、下を向くと視界の下半分程が妨げられる。
……俺の体、こんなんだったか?
猛烈な違和感を覚えるが、なら元々どうだったのかと考えると、よく思い出せない。
体についてだけではなく、何もかも。思い出せるものが無い。
俺は誰だ。俺は何だ。ここは何処だ。何故ここにいる。
自問しても得られるものは無く、辺りを見回せど答えになるものは無い。
膨れ上がる疑念と孤独感に思わず助けを求めて声を張り上げようとした、その時。
《やっと起きたわね。あたしがわかる?》
耳元で声がした。
いや、耳元よりもっと近くだったようにも感じた。
周囲には変わらず人影は無い。
今の声は一体……?
《あぁ、いくら見回しても見つからないと思うわ。あたしは今、あなたの頭の中からあなたに話しかけている。そう認識して》
言ってる意味がわからない。思わず杖を握る手に力がこもる。
見えない存在相手に身構えようとするが、まだまっすぐ立ち上がることも困難な体ではままならない。
仕方なく、警戒は解かないまま口で答える。
「……誰ですか、あなたは。どこから喋ってるんですか」
俺の問いかけに、その声は《ふぅん……》と値踏みするように呟いたあと、
《その様子じゃあ、やっぱり綺麗に記憶を無くしているようね》
と、俺の疑念をはっきりと形容する言葉を口にした。
そう、記憶が無い。
今の俺の状態はまさにそれだ。
俺には自分の置かれた状況が何一つわからない。
しかし、その事を知る、この姿無き声は何だというのか。
俺がそれを尋ねようと口を開く前に、「声」が答えた。
《あたしは――導祇。この地の『道』の象徴、転じて『導き』を司る祇心。……って言ってわかるかしら?》
ろとぅ……? 何だって? 発言に含まれる言葉の意味が半分以上理解できなかったが、今のは自己紹介だったのか?
思わず首を傾げた俺の反応から答えを察した様子で声は続ける。
《さっきも言った通り、あたしは今、あなたの頭の中から話しかけているわ。あたしの声はあなたにしか聞こえない》
そう前置いて、一息つくと――この存在が息をするのかは不明だが、そのような様子でわずかな間を置くと、こう言った。
《……端的に言ってしまえば、あたしのせいということになるのかもしれない。貴方の情報がその体に書き込まれた時、既に記憶領域の中にいたあたしとぶつかって一部が混線したようなの。そのせいで、あなたの記憶の読み出しに障害が発生した》
「……あの……すみません。わかりやすく説明してくれたのかもしれませんが、まだ言ってることが全くわかりません……」
さっきから何度「わからない」と思ったのかは……わからない、が、説明を受けてなお全てが理解の外にあるのは確かだ。
もう少し簡単に、一から説明してほしい。
その意図が伝わったのか、声――導祇、だったか――は「そうね……」と、しばし思考をまとめるよう沈黙した後、ゆっくりと話し始めた。
《――貴方は、ここではない……いわば異世界からこちらの世界へ転移してきた。……いえ、転生と呼ぶ方が正しいかしら。貴方自身が移動してきたのではなく、貴方の記憶、構成情報のみをその体に書き込む方法で来たようだから。自分の体に、違和感あるんじゃない?》
確かにその通りだ。この、体が自分のものではないような違和感は、導祇の言葉を信じるなら、本当に体が自分のものではないことが原因ということになる。なんてこった。
……いや待て。それより今なんて言った?
「……異、世界? って何、どういうことですか?」
《わからないわ。あたしの力で探った結果、そういう結論になった。貴方の構成情報は、違う世界としか言いようのないどこかから送られてきた。それは間違いないわ》
なるほど。この世界とか異世界とか言われても、俺が今知る世界はこの薄暗い部屋だけなので何の想像も実感もできないのだが、とにかくそうらしい。
導祇は続ける。
《その体は、聖王と呼ばれた存在だったもの。かつて、およそ百年に渡り魔族と戦い続けた人物の、残骸……抜け殻よ》
またよくわからない言葉が出てきたぞ。いや単語はほんのりと理解できるが、百年戦ったって何だ。逐一突っ込んでも仕方無さそうだからしばらくは黙って聞いておくが。
《虚躯という名のその体は、精巧に人に似せて作られた、機巧の人形のようなもの。内部の記憶領域に人格情報を書き込むことで、半永久的に人として稼働することができる。聖王はそうして百年戦ったわ》
自分の手を開いて眺めてみる。
どう見ても人の体だし普通に動いているように思えるが、これが人工物なのだろうか。実感は湧かない。
《虚躯内部には既にあたしが……正確にはあたしの力の一部、端末のようなものが既に占有している領域があった。そこに後から別の情報を書き込んだことが、今回の異常の原因となったみたい。あたしはそう分析したわ》
……わかったような、わからないような。
「えっと……本来俺の記憶が入るべき場所に、既にあなたが存在したことで、記憶がうまく入らなかった、って感じでしょうか」
《ざっくりとそういう感じね。元々別世界の情報だったものを強引に変換したから、という理由も大いにありそうだけれど》
とはいえ、と導祇は付け加える。
《あなたの記憶は、読み出しができないだけで消去はされていないわ。読み出しを阻害している何かを対処できれば恐らく……》
と言いかけたところで、急に言葉を止める導祇。
「どうしたんです?」
《……誰か来るわ》
警戒するように押し殺した声でそう言うと、俺に、
《そこの台に寝て、動かないで!》
そう指示を飛ばしてきた。
そこの? と思って辺りを見回すと、背後に確かに寝台のようなものがあった。
人ひとりが横になれる程度の、石造りの台だ。
しかし、これに寝るとは……?
「あの……どういう……? 何が来るんですか?」
《詳しい話はまた後でするわ、今はとにかくそこに寝て》
切羽詰まった様子の導祇に急かされるよう、しぶしぶ俺は指示された台に横になる。
持ったままだった杖は体の隣に置いて――、
《あ……駄目、抉界戟はそこじゃ……いえ、もう遅い、来るわ。そのまま寝たフリを》
何がなんだかわからないが、とにかく仰向けに寝て目を閉じておく。
しばらくして、部屋のどこかにあったらしい扉が開く音。
そして何者かの足音が聞こえた。
「…………」
一人分のその足音は、数歩ほどこの部屋に踏み込んで、立ち止まった。
部屋の様子を見ているのか、特に何をする音も聞こえず、何も喋らない。
そうしてしばらく何の物音も立てなかったかと思うと、引き返して部屋を出ていった。
静かに扉を閉める音。
微かに響く、遠ざかる足音。
部屋には静寂が戻る。
《……もう大丈夫よ。起きていいわ》
無音の部屋に響く導祇の声。いや、響いているのは俺の頭の中にだけだったか。
のそりと体を起こし、尋ねる。
「えっと、今のは……?」
《見回りでしょうね。うまくやり過ごせたようだけれど》
「見回りって……何を見回ってたんですか? ……俺ですか?」
《あなたでしょうね》
即答され言葉を失う。
なんなんだ。結局どういう状況なのか。そもそもここは何処なのか。
相変わらず不明瞭な現状に苛立ち、思わず声を荒らげようとしたその時。
《――ここは、魔王城と呼ばれる建物。その名の通り、魔王の居城。その地下よ》
導祇は、その信じがたい言葉を口にした。
記憶は無くとも、最低限の言語理解力だけは残っている、ということか。
その言葉が具体的にどういった意味を持つのかは知らないが、魔王という呼び名の不穏さだけはわかる、ような気がする。
少なくとも人畜無害な存在に付けられる呼称ではないだろう。
そして今俺はその明らかにヤバそうな存在の根城の中にいる、と。
「……なんで?」
思わず口をついて出る疑問。
しかし求めていた回答は導祇から聞くことはかなわず。
《詳しい説明はまた暇な時にでもするわ。今は――この場所から逃げることが先決》
そう言って、俺に逃亡を促した。
「逃げる……?」
《そう、ここから逃げる。今のあなたが魔王やその配下に見つかったら、どうなるかわからないわ。その前に、なんとかこの魔王城から脱出するの》
……まぁ、このままここで導祇と問答を繰り返していても進展は無さそうだ。
いっそ、言われるままにこの場を離れる方がいいだろう。
だが。
「……わかりました。ただ先に一つ、確認させてください」
《何かしら》
根本的な疑問。直接問うても意味は無いのかもしれないが、それでも訊いておきたい事。
「あなたは、何故俺を助けてくれるんですか?」
その質問に、導祇はわずかに間を置いて、こう答えた。
《――導祇は、聖王の百年の戦友なのよ》




