6 紅色の捕獲者
息を切らせて走った。
陽の差す街道を、全速力で逃げた。
あの結界が物理的な障壁でなかったのが幸いだった。一方的に無力化される上に逃走不可能などと、そこまで理不尽な代物ではなかったようだ。
奴は想定外に規格外の化物だった。
少なくとも今は勝つ手立てが見当たらない。
何か策を考えなければ、報奨金どころではない。奴一人相手に、次こそは全滅するだろう。
しかし全力の不意打ちすら無効化する相手に、あと何ができるというのか。
「サイザっ……さんっ……! ちょっと、待っ……!」
背後から呼び止める声に、サイザは警戒しつつ足を止めた。
振り向くと、膝に手をつき、もう走れない、と息を荒らげるメミナの姿。
その向こうには誰もいない。追ってきてはいないようだ。ひとまず安心して息を整える。
街道はこの先、ローナなんとか、という街に近づくにつれ徐々に勾配がきつくなる。いずれにせよこれまでと同じ速度では走れなかっただろう。シュベーネは気にせず走って先に向かってしまったが。
街道の先を見やるが、シュベーネの姿は既に見えない。奴のことだから、後ろの二人のことなど気にも留めていない、というよりもはや忘れているかもしれない。あいつはそういう奴だ。
街ではなく外れの隠れ家に逃げ帰ろうとしていることまで忘れていなければいいのだが、と不安を抱きつつ、サイザは立ち止まったままのメミナに歩み寄り声をかけた。
「……もう走らずとも良さそうだ。追撃は来ぬ。撒いたのか、元より追ってきてなどいなかったのかはわからんが」
「ならっ……良かった……です。ちょっと……休憩……」
暑っつぅ、と外套を脱ぎ、脇の岩壁に体を寄せて座り込むメミナ。
それに倣い、サイザも岩陰に腰を下ろす。日陰の岩肌の冷たさ、吹き抜ける風が心地よい。
「あー……意味わかんない。あんなのどうしろっていうんですか。反則です」
「……うむ」
ぼやくメミナに、サイザも曖昧に頷くことしかできない。
「部下の一人相手でさえこの体たらくとは、正直侮っておったわ」
強力な従者を三人引き連れていることは知っていたが、まさか死祇を扱う者がいるとは。聖王本人は途中から後ろに引っ込んで寝ていたようだったが、さもありなん。並大抵の者では従者一人すら突破できまい。
それがあと二人。
どうしろというのだ、とサイザは頭を抱える。
とはいえ、今更逃げ帰るわけにもいかない。一部とはいえ相手の手の内を知り生還した今は、奴らを討ち取る絶好の機会でもあるはずだ。
「……対策を練らねばならんな。一度に仕留めきれずとも、奴らの戦力を削ぐことができればいずれは――」
「いずれ? 無いよ、次なんて」
サイザの呟きに割り込む声。
シュベーネではない、知らない誰かの声だ。何処からだ? サイザは立ち上がり身構える。
「駄目だよ~、勝手に飛び出して迷惑かけちゃ」
その声は頭上からだった。サイザ達が背を預けていた岸壁の上。
そこから身を乗り出し覗き込むように見下ろす、見知らぬ姿があった。
「……何者だッ!?」
警戒しながら問いかけると、その人物はふわりと崖から跳んだ。不自然に長く滞空しながら、そのままサイザ達の前に音も無く着地する。
若い女だ。年の頃はメミナと変わらない程度だろう。左右に纏めた明るい赤髪が目立つ。ニヤニヤと、意地の悪そうな笑みを浮かべている。
「なんか変なとこで怪しい依頼受けてきたみたいだけどさ、この時期に国境越えてそういうことされると、こっちもいろいろ困るんだよね~」
サイザの問いを無視して続けるその女は、とても困っているようには思えないおどけた口調で人差し指をくるくる振ってみせる。
「というわけで、あたしがキミ達を捕らえて連れ戻しに来たのでした~」
そしてそのまま立てた指でメミナとサイザを順に指差した。
連れ戻す……? サイザは訝しむ。
「我が問いに答えるがよい。貴様は何者だ? 迷惑と言ったな、それは何に対してだ?」
サイザの問い掛けに、少女は茶化すような素振りを特に改めもせず笑いながら答えた。
「駄目だよサイザちゃん、質問は一つずつにしてくれないと困るな~」
「貴様がひとつ無視したからであろうがッ! 答えぬというならこちらにも考えが……む?」
少女の言葉に覚える引っ掛かり。
「貴様、私の名を……?」
「そりゃまぁ、探しに来たわけだからね~。サイザちゃんにメミナちゃん、シュベーネちゃんの三人だよね」
ここにいないシュベーネの名まで知っている。今ここで盗み聞きしたわけではないようだ、とサイザは判断する。しかしその口ぶりからすれば、リウネアの手の者、聖王の追手でもないだろう。……だとすると。
「……貴様、まさか……」
サイザの言葉にならない声に、少女は嘲るような笑みで「そうだよ」と答えた。
「迷惑っていうのは、……『魔王』に対してだね。あ、聖王ちゃんにもかな」
「……馬鹿な……」
狼狽するサイザ。隣ではメミナが「うわ、最悪……」と頭を抱えている。
その様子をしばらく眺め、一呼吸置いて少女は言った。
「さて、キミ達には二つの選択肢があります。素直にあたしに付いて帰るか、強制的に連れて帰らされるか。どっちにしようか?」
提案の体で、左右の人差し指を振りながら少女は告げる。帰る以外の道は無いと。
歯ぎしりし逡巡するサイザだったが、しばし少女を睨みつけるように見据えた後、手元の杖に視線を落とし、
「……どちらも断る」
選択の拒否を突きつけた。
「サイザさん……?」
戸惑うメミナに、サイザは軽く目配せをし、少女に杖を突き出す。
「悪いが、我々にも事情があるのでな。第三の選択を取らせてもらう」
即ち。少女をここで斃し、目的を果たすまでリウネアに居座る。言外にそう告げた。
「魔王には、従って欲しくば相応の金を用意せよと伝えておくがよい。無事伝えられるようであれば、な」
挑発的なその物言いは、サイザの決意表明。
宣戦布告された少女は、困ったような素振りで眉をひそめる。
「そう来ちゃうか~。いや、うん、だろうなとは思ってたけど、じゃあ仕方ないかな~」
口元の笑みは絶やさないまま、少女は少しだけ迷った様子を見せ、
「それじゃ、『連行』させてもらうね。シュベーネちゃんと同じように」
そう言って、右手を何かつまむような形に構えてみせた。
何らかの喩えか、あるいは術の布石か、と警戒しつつ、サイザは今しがたの少女の発言に引っかかりを覚え問いただす。
「シュベーネと同じ、だと?」
少女は笑って答える。
「うん。シュベーネちゃんはもう捕縛済みだよ」
「……馬鹿な」
絶句するサイザに少女は、
「縄でぐるぐる巻きにして置いてきちゃったけど、シュベーネちゃんはこの上にいるよ。ここからじゃ見えないけど。連れてこようか?」
と、先程まで自分のいた崖の上を指した。
嘘を言うような様子でも状況でも無い。経緯は不明だが、シュベーネはきっと本当に捕まっているのだろう。
そう考えたサイザは首を横に振り、
「結構だ。シュベーネは私自らが探して連れ帰る。貴様を仕留めた後にゆっくりとな」
杖を構え、少女に向かって一歩踏み出した。
「……わたし達が、です。サイザさん」
付き添うようにメミナも少女と対峙する。
「そっか、そんな感じか~。……じゃ改めて」
少女は戦意を顕す二人に不敵に笑い、
「『連行』するね」
矢を放った。




