第60話 軽率の代償
油断していた、という面は確かにある。
いや警戒を怠ったつもりは無いが、何かをしでかすとすればフューフィルの方だと思い込んでいた。
意図してそう誘導したのであれば、見事な手腕であると称賛せざるを得ない。
……などと詮無い思考に頭を浸らせることで認め難い現実から目を背ける。
俺は今、豹変したラヴァリッサの脅威に圧され、ただ怯える事しかできないでいた。
「いえそれにしても本ッ当、美味しくてたまりませんし止まりませんわぁ~! 豪快なのに繊細、上品かつ力強いお肉! それに寄り添う爽快な苦味のお酒! ほら聖王、こんな量ではまるで満ち足りませんわ、もっと沢山焼いて沢山寄越しなさいな。でなければ先に貴女の立派な二つの脂身を頂いてしまいましてよォうっふふゥ~っ」
これまでの控えめな素振りとは一転、上機嫌――を通り越して有頂天とか狂乱でも言うべき様相となったラヴァリッサ。
もはや別人のようなその姿にドン引いている……かと思いきや、なんだか一緒になって盛り上がる俺の仲間達。そしてフューフィル。全員の手元には酒杯。
その黄色く濁った喧騒の中で肉を焼きながら嘆息する俺。
あの時酒を飲ませるのを止められていれば――いや、そもそも昼食になど誘わなければ――。
軽率な行動への深い後悔に、俺は頭を抱えていた。
「あらいけないわ、独り占めなんて。片方は私が貰うわ」
「えっ、だっ、駄目ですっ! じゃあもう片方は私がっ!」
「なに猟奇的な取り合いしてんの。あれはアタシ達の共有財産だから。ねぇゼオ」
「いや……そういうの僕に振られても本当に困るんだけどね」
「そんな事より早く続きを焼きなさいよフィーノ。あと煮込みの方もよろしくね」
俺はお前達の何なんだよ。
痛む頭を抱えつつも、調理の手は休めない。
褒められたり頼られると張り切りを止められない自分の性分が恨めしい。
つい、以前と同様のタレ焼きだったり薄切りの出汁漬けだったりといった別種も用意してしまった。
肉を挽く道具を用意してなくて本当に良かった。歯止めが効かなくなるところだった。
「それにしても本当どれも美味しいわ。聖王、実は餐祇とでも契約しているんじゃないの?」
「これ程の腕前、家庭料理の規模に収めておくには惜しいですわ。いっそお店でもお持ちになっては? その際には私が私財を投じて後援して差し上げますわっ!」
「あなたの私財なんて二百年くらい前にはもう家系ごと消し飛んでいるんじゃないかしら」
「フューフィルが私財を投じますわー!」
「嫌よ。というか私の家だって跡形も無いと思うわよ」
「世知辛いですわねこの時代!」
……なんだか物悲しい言い合いをしているラヴァリッサとフューフィル。時の流れは無慈悲なものなのかもしれないが、当事者が話しているのを聞くとなんとも、うん。
それはそれとして――二人の会話の中に、少し引っ掛かりというか、興味の惹かれるものがあった。
「……店、か……」
料理屋。食堂。話の流れからすると、そういった食事を提供する店の事だろう。
思えばこれまでにも、大量に手に入った食材の使い途に困ったことは何度かあった。
それらを、例えば他者に――客に振る舞うことができるのなら。
……少し考えてかぶりを振る。
なんだその動機は。在庫処分のためとか不純にも程があるだろう。
それに多少料理ができるといって、他人にお出しできる程の技量とは流石に思えない。ラヴァリッサは褒めてくれているが、盛り過ぎだ。
そもそも『聖王』たる者が飲食店を構えるというのは許されるのか。法とかなんかそういうの的に。
……うん、今度シグネーさんにでも訊いてみよう。実際やるかは別として。
「聖王ー! こんな所で縮んでいないで早く追加を所望しますわ! 遠方からの客人がお腹を空かせていましてよぉ!」
呼び掛けられた声に、意識を手元に戻す。危ない、ちょっと呆けていた。
……いや待て、縮むってなんの事だ?
「ちょっ……離れなさいよっ! フィーノはあっちよ!」
声のした方に目を向けると、ロティがラヴァリッサに絡まれていた。物理的に。
「ではこちらの小さな聖王は貰って帰ってもよろしいのですわねっ」
「いいワケあるかあッ! 何を受けての『では』なのよそれはっ!」
「こちらの聖王には全然ありませんわね脂身。もっとしっかり食べないといけませんわよ」
「うっさいわッ!! いいから離れろって言ってんのよ暑いし酒臭いしっ!」
心底嫌そうにラヴァリッサを引き剥がそうとするロティ。執拗に絡みつくラヴァリッサ。
ここまで語気と感情を荒らげるロティって初めて見たかもしれない、などと呑気にその様子を眺めながら、俺は出来上がった料理を食卓へ運んだ。
「あーあ、誰よラヴァリッサにお酒飲ませたの」
口へ酒杯を運びながら、誰ともなく──なようで明らかに俺を意識した風に呟くフューフィル。他人事のように言っているが、どう考えても発端はこの人だった。
「あの子、普段色々と我慢しているのか知らないけど、お酒が入ったり何かきっかけがあると急に壊れるのよね。でも南部に来てまでの醜態はちょっと勘弁願いたいところだわ」
……なんとなくだが、彼女の心労の一端はこのフューフィル嬢にあるんじゃないかと思った。この短時間見ていただけでも、ずっと突拍子も無い言動に振り回されていたようだし。
「今度はロティ取り合ってんの? その子いなくなったらフィーノ泣くよ多分」
「そうですよ駄目ですよロティちゃんは既にフィーノ様の半分なんですからっ!」
「仕方ありませんわね……では代わりにフューフィルを置いていくのでこちらで我慢して頂けるかしら?」
「代替品のフューフィルよ。よろしくね」
「いや替えを置いて行かれても困るんですけど……というか替え扱いでいいんですかフューフィルさん」
「私は構わないわよ、こっちも楽しそうだし。まぁ私がいなくなったらラヴァリッサが泣くでしょうけど」
「その時はロティ様を舐めて貴女を思い出したり思い出さなかったりしますわ」
「なんであたしが一緒にいる前提になっているのよ、あたしは行くなんて一言も……いえ待ちなさい、舐めるって何ッ!?」
「失礼、眺めるの間違いでしたわ。けれどお望みとあらば……」
「もう無理、意味わかんない。助けてフィーノ」
酒の匂いにまみれてとっ散らかった会話は、とても昼下がりの陽を浴びながら交わしているものとは思えないほど混沌としていた。
その様相に、……あるいはラヴァリッサの狂乱具合に、俺が思い出していたのは以前ロテュメアの街で執り行われた宴会――もとい、聖王歓迎会の事だった。
あの時も、瞬く間に酒に飲まれたロテュメア共壇の職員さん達に呆気に取られたのだった。流石にあれは昼の出来事ではなかったが。
ラヴァリッサの豹変具合はあの時のファラシエさんを彷彿とさせる。
懐かしいな、職員の皆さん。思えばあれ以来会いに行けていない。
ハストさんに勧められた五冊の本は全て読み終えた。語りたい事、突っ込みたい事が山ほどある。
またそのうち適当に用事でも見繕ってロテュメアに寄ってみようかな。
――などと目の前の事態から目を背け思い出に浸ろうとする俺の思考。
俺が今最も強く求めているのは、どうやら現実逃避のようだった。
「……やっぱり断っておけばよかったかなぁ、お酒渡すの」
俺と同じく軽率な行為を後悔しているような、会話に加わりづらくなったらしいゼオの小さな嘆息がぽつりと聞こえた。




