2 霧氷に舞う魚
翌日。
俺は導輿を駆り、ローナペゼへの街道を走っていた。直方体の小屋を思わせる外形が、整備された街道に短い影を映す。路面から柔らかく伝わる車輪の振動が心地よい。
……駆るといっても、実際に俺がしていることはゼオから送られてくる祈力を収束して原動機に送っている――つまりは動力の中継をしている程度なので、時々軽く舵取りの調整をする以外はほとんど前部座席に座っているだけのようなものだが。
シグネーさんが言っていたように、ローナセラからローナペゼへの道のりは廻輿の定期便で丸三日かかる。一般市民を乗せない聖立共壇の業務便を使えば通常よりは早くなるかもしれないが、それでも多少の短縮になる程度だ。
だが、俺達が所有しているこの自動人力車――導輿であれば、通常の廻輿の三倍程の速度が出る。一日あればローナペゼに到着できる計算だ。まぁ実際にはゼオの負担軽減のため途中の宿場町で一泊したので、計一日半での到着といったところか。
規格外の出力を持つゼオといえど、動力源として力を吸われ続けるのはなかなかに堪えるようだ。俺があまり導輿を使いたくない理由の一つでもある。
俺は後部個室のゼオに声を掛ける。
「おーい、ゼオ。まだ大丈夫そう?」
返ってきたのは今ひとつ要領を得ない返事。
「大丈夫かどうかというと大丈夫なんだけどねぇ、なんだか気力が底を突き破って漏れそうな感じというか、気を抜くと意識が飛ぶ感覚があってあんまり大丈夫じゃないかなぁ」
どっちだ。
いや多分基礎能力の高さと酩酊のせいで本人にもよくわからなくなっているだけで、かなり限界近い状態なのだろう。常人なら既に倒れていてもおかしくない程度。あれはそういう答えだ。
早朝に宿場町を発って、今はもう昼前くらいの時間だ。次の宿場はもう少し先のようだし、今のうちに長めの休憩を取った方がいいかもしれない。
「わかった、そこの開けた路肩に一旦停めようか。そろそろ昼食にしよう」
俺の提案に、ゼオより早く頭上から歓喜の声が降ってきた。
「わっひょい!! お昼ごはんですねっ! 私もうさっきからお腹が鳴り止まず大喝采でっ!」
二階席のアステルだ。上ではしゃいでただけでなんでそんなに腹が減ってるんだお前は。
「そこら辺飛んでる鳥ってさ、日の光で焼き鳥にならないのかな。湖の照り返しでこう、いい具合に両面しっかりじっくり」
アステルの隣からミュイユの虚ろな声も聞こえる。ゼオ程ではないだろうが結構な消耗をしているようだ。なんだか危ない状態になっている。
「……いや、言ってくれれば休憩くらいいつでも取るからさ。頼むから倒れたりしないで欲しいな」
俺は溜め息と共に導輿を減速、旋回させて、街道脇の空き地に進入した。恐らくはこれまでも旅人の休憩所として使われてきたのであろう空間。その一帯だけ平らに踏み均されており、藪や樹木も少ない。
停車を確認し、昼食の準備を始める。疲労からか声に張りの無い様子のゼオとミュイユ、空腹はどこへやら一際大きなアステルの声を聞きながら、俺は昨日仕入れておいた《《アレ》》の調理に取り掛かったのだった。
「……というわけで出来上がったのがこちらになります」
なかなかの大仕事だったが、苦労の甲斐あって、出先でのものとしては豪勢と言って差し支え無い規模の料理が完成した。
数種の大皿が導輿備え付けの簡易机に並べられ、色鮮やかな料理から立ち上る芳しい香りが辺りを包み込む。
出来上がりを見て真っ先に歓声を上げたのはアステル。
「うわっっはーー!! おっきなお魚が色とりどりでこんがり鮮やかでもう既に目が幸せではち切れそうですよっ!?」
今にも皿に飛びつきそうな勢いで食卓上の料理を見ている。落ち着け。涎が垂れそうだ。
続いてミュイユとゼオが導輿のそれぞれの個室からのそりと降りてきた。ゼオの紫がかった黒髪が、いつもにも増してぼさぼさしているようだ。
「うわぁ、でっかい魚だねぇ。……と野菜と、何かなこれ? よくわからないけどなんだかすごく手が込んでるのは解るよ」
「地湖鱸じゃんこれ。しかもやたらでかい。フィーノ、さっきの湖で釣ってきた?」
「いやそんな暇無かったの知ってるでしょ姐さん……。買っておいたんだよ昨日」
そう、これは昨日寄った宿場町で販売されていたもの。
中央ペズ湖のほとりに展開されている宿場町で、特産品として湖の魚が売られているのを見つけて、今日の昼のため仕入れておいたのだ。
淡白ながら絶妙な脂の乗りを持つこの時期の地湖鱸は、様々な調理法に合わせることができる。今回はそれを、三種の料理に仕立ててみた。
切り身に砕雫麦の衣と細かく砕いた木の実類をまぶし揚げ焼きにした北部風。
一尾を丸ごと焼き、数種の香味野菜と共に煮込んだユプセン漁師風。
そして薄く切った身の表面を軽く炙り、同じく軽く焼いた焚砕麦に魚介タレで和えた細切り野菜と共に乗せるシュニーガーの賄い飯。
野営食としては随分大掛かりなものになってしまったが、売られていた地湖鱸を見た時から作ってみたくて仕方がなかったのだ。無論ゼオとミュイユへの労いの意図もある。
「特にゼオには大きく負担を掛けるからね。これで英気を養って、もう半日弱、頑張って欲しい。さぁ、食べようか」
俺が促すと、三人はめいめい簡易椅子に座り、食器を手に取る。ゼオがどこからともなく取り出した酒瓶を机に置いた。また見たことのない銘柄だ。
「まぁ実のところ、俺自身が誰より楽しみにしてるのかもしれないけどね。こんなに大きくて新鮮な地湖鱸はそうそう手に入らないもんだから」
「にしてもこの凝り様は相当だよね。フィーノ、やっぱ元々料理人やってたんじゃないの」
「となると、フィーノ君が元の世界の記憶を取り戻したら更に高い料理の境地に至るのかな? 楽しみだねぇ」
「それは確かに楽しみですがっ! いま私はこのお魚やら何やらを口に運ぶのが楽しみ度限界でいろいろ溢れそうなのですがっ!」
「何かわからないけど何も溢れさせないで欲しいかな。まぁとにかく、温かいうちに早く頂こうよ」
柔らかな陽の下、多様な料理を囲む和やかな団欒の一時は、――訪れることは無かった。
「ですねっ! いっただっきまー……」
アステルがユプセン風地湖鱸煮に手を伸ばした、その瞬間。
耳を裂くような甲高い轟音と共に、無数の青白い円錐が一帯の地面から噴出した。
「なッ……!?」
それは氷の錐。
それぞれが人ひとり分程の大きさの、夥しい数の凍てつく棘が、俺達を串刺しにしようと地面から襲ってきたのだ。
「ななな何ですかこれ食後の氷菓的なっ!?」
「食前だけど。随分気の早い口直しだね」
「まぁとにかくちょっと動かないでね、みんなは僕が防御してるから…………あっ」
自然現象の類ではなく、これは何者かによる意図的な攻撃行為。恐らくは穢花法であろう、氷柱の乱舞だった。
ゼオの咄嗟の防御によって、氷柱は俺達四人を綺麗に避けるように発生していたため、誰一人被害は無かった。
……俺達四人には。
「……おさかな……」
呆然とアステルが呟く。
氷柱攻撃が止み、冷気に舞う土煙が吹き抜けた風に攫われる。
立ち込めた砂塵が晴れたあとには、無惨にもバラバラに粉砕され吹き飛んだ地湖鱸料理達の姿があった。机の砕片と混ざって土まみれで地面に飛び散っている。最早食べることは不可能だろう。
「え、何……何?」
状況が理解しきれないような様子のミュイユから力なく声が漏れる。地面に転がった魚に手を伸ばそうとして、すんでのところで堪えていた。
「ごめん……僕の判断が間に合わなかったせいだ」
自責の念に項垂れるゼオ。歯がゆそうな面持ちで料理の残骸を見下ろしている。
先程展開していたのは、俺達四人のみを対象にした防御術だったのだろう。何が起こっているのか把握しきれない状態での咄嗟の判断だ。料理にまで気が回らなくとも、仲間の安全を優先したのは何ら間違いではない。
「ゼオは悪くないよ。守ってくれてありがとう。それにそもそもの原因は――」
肩を落とすゼオに俺が声をかけたその時。




