プロローグ
1
王都 マウ・デニー子爵の館
「違う! どうして! どうして! 信じてくれないんだ! はっ! ……夢か」
マウは起きた。マウは尋常ではない寝汗をかいていた。
「また、あの夢か……最近よく見るな」
マウが水差しで水を飲む。
マウは七十歳を過ぎてからは、現役を引退した。元は平民の少年であったマウであったが、グルドニア王国450年に起きた魔獣大行進で活躍した『デニッシュの騎士』である。
マウはデニッシュに騎士爵を任命された。それから、マウはデニッシュのパーティー『銀狼』に入った。騎士とはいえ始めは、荷物持ちのような存在だったが後にデニッシュの左腕と称される『瞬槍のマウ』といわれた。
マウは引退こそしたが、その後は学園の講師も務めた。貴族になりたてのときこそ四方八方から嫌がらせを受けた。デニッシュが王座に就き、マウ自体の地位や純粋な武力も相応になってからは露骨な嫌がらせは減った。軍の大将と学園の教頭を兼務した。今では、多くの貴族当主はほとんどがマウの教え子であり、侯爵家でも頭が上がらない存在である。
マウは昨年の王都奪還でデニッシュが崩御してからは、抜け殻のようになってしまった。息子にデニー家を任せた。だが、人材不足により何の因果か、新王ピーナッツにより司法の裁判長に任命されてしまった。ピーナッツによると学園時代に鉄拳制裁を貰った嫌がらせのようだ。
裁判長になってから、マウはよく昔の夢を見るようになった。
魔獣大行進で証言台に立たされた時の夢である。
平民の証言など参考意見にも調書にも記録されなかった。
十一人の同郷の仲間たちに、申し訳も立たなかった無力な自分を思い出す。
コンコン
早朝よりドアをノックする音が聞こえた。
「入れ」
「失礼致します。宰相閣下のご子息様が面会を申し出ております」
「宰相の息子? やつに、息子などおったか」
「アーモンド殿下の従者であります。リーセルス様です」
「リーセルス、そうか、そういえばそうだったな」
リーセルスの戸籍は母の平民枠である。公には貴族戸籍にしていないためそれを知るものは少ない。
「どうしますか。お通ししても宜しいでしょうか」
「朝早くから頭の痛い奴がきたな。追い返すと後々面倒だ。通せ」
2
応接室
「デニー先生、ご無沙汰しております。朝からの急な来訪にありがとうございます」
リーセルスがマウに礼を取る。
「久しいなリーセルス。先生はよせ、もう、学園は引退した身だ。ウェンリーゼの海王神祭典では大変だったと聞く。良く生きていたな」
「神々の導きにより運よく生き永らえました」
「……そうか、リーセルス、お前、強くなったな。シーランドを倒したのもあながち嘘ではないようだ」
マウがまじまじとリーセルスを見る。
リーセルスは学園時代に騎士科、魔術学科、文学科すべてにおいて上位の成績を収めていた。有り体にいっても天才である。だが、リーセルスの一番恐ろしいところはその頭の切れである。論戦では正直、学園時代に教師すら論破した生徒だった。
アーモンドは別としてリーセルス自身は上手く敵を作らないようにしていた。だが、アーモンドの敵となれば学生レベルの範囲で、壮絶なそれでいて合法的かつ悲惨な末路を辿った貴族の子息を何人も見てきた。
実際には、卒業時のリーセルスは学生レベルの戦闘力だった。
しかし、今、目の前にいるリーセルスは気配だけで既に王国騎士団の団長クラスである。たかだか、二十歳そこそこの若造に出せる空気ではない。
「私は、ほとんど気絶していただけの役立たずでした。アーモンド様や、ウェンリーゼの皆さまのお力が合ってこそです」
「そうか、色々な手違えでクリムゾンレッドが発動したのに、騎士団が出動しなかったのが悔やまれるな」
「どのような手違えがあったかが重要ですよね。結果的に、王都はウェンリーゼを見捨てた形になりますから」
「ワシはもう、軍からは退いた。ルビー家のオスマンは実直な男だ」
「オスマン様は超が付くほど真面目な方です。裏では誰がいたのか大体予想がつきます。目ざとい大きな大きな尻尾を持った女狐が」
「ふう、ワシは今や司法に身を置く者だ。そういった、話は三日後の査問会の審議に影響が出る。悪いが、お帰り願おう」
「王都に来ると途中で、ピルスナー領に寄ってきました。魔獣の群れによって、民たちが耕した田畑は荒らされ、交易する商人はいない。王都から近くの領とは思えないほど民は飢えていました。誰かが意図的に、討伐依頼を邪魔しているようにしか思えませんでした」
「領の運営は、基本的に領主に一任されている」
「管制室を担当していたラガー少尉は、ご存知のようにピルスナー領出身です。このままでは、蜥蜴の尻尾斬りのように、弱いものは馬鹿を見ます」
「どうした、リーセルス。貴殿らしくないな。そのような熱い一面があったとはな」
「厄災級を前にして生き延びれただけ奇跡のようなものです。拾った命は、使えるときに使わないといけませんからね」
「いい心がけだ。若い時の後悔ほど、年を取ってから目覚めが悪いものはないからな」
「デニー先生、お年を召しましたね」
「元々、年寄りだ」
リーセルスが真っすぐな目でマウを見る。マウも視線を外さない。だが、リーセルスの視線はマウには些か眩しすぎた。
「先王陛下がいらっしゃれば。また、違いましたかね」
バッカーン
屋敷全体に轟音が鳴り響く。
リーセルスの目の前のテーブルがマウの鉄拳によって割れた。
それどころか、床もへこんだ。
「小僧、年寄りをおちょくって楽しいか」
「どうやら、図星のようですね。いや、失礼いたしました。主君に対して、まだ、貴族の矜持を持っているようで安心しました」
「もういい、帰れ。次は、貴様の頭に槍が跳ぶぞ」
「冗談には聞こえないですね。それでは失礼致します」
リーセルスが席を立つ。
「ああ、そういえば、アルパイン少将閣下がもうすぐ父親になるようです」
「それがどうした! 」
マウが意図的に声のトーンを抑えた。
だが、抑えきれなかったようだ。
「いえ、いえ、お気になさっていると思いましたので」
「何のことだ、いや、貴様、どこまで知っている」
「何のことだかさっぱり……ウェンリーゼの戸籍で非常に面白い戸籍を見つけたものでして、アルパイン少将の生まれはどうやらウーゴ男爵領のとある村ご出身のようですね。先生と同郷の……面白い偶然ですね。アルパイン少将も村の記憶はないようですが」
リーセルスは不敵な笑みを残して、部屋から消えていった。
3
「よろしかったのですか。アルパイン様の件は」
執事がマウに聞く
「あれはもう、確信犯だ。オリア家のやつは、これだから好かん」
ウェンリーゼの海軍少将アルパインは、マウの末の弟である。騎士爵を得てからのマウの生活は激変した。デニッシュが王位に就くまでの嫌がらせは実のところ、村の家族にまで及んだ。
マウはデニッシュを通して、家族をウェンリーゼに送った。キーリはマウの家族を温かく迎えてくれた。アルパインは当時、幼子だったゆえに自分の本当の故郷を知らない。今でも自分はウェンリーゼの出身だと思っている。
マウはそれから、家族とは関わらなくした。下手に関われば、悪意ある貴族の嫌がらせはウェンリーゼまでいくと思われたからだ。
「オリア家、そういえば、キーリ様も元はオリア家の生まれか……ふっ、我ながら、幼き頃とはいえ、大陸一の剣士様の胸倉を掴むなど大それたことをしたものだ」
マウが昔を懐かしむ。
「金の稲妻殿ですな。今では、マウ様も稲妻殿には負けない武勇をお持ちでしょう」
「私ごときでは比較ならんよ。キーリ様とデニッシュ様、本当に稲妻の如きであった。私は、ただ光が輝いたようにしか見えなかった。気が付いたらフューネラルの首が跳んでいたよ。後にも先にもあのような、光景はみたことがない」
「ウーゴ魔獣大行進の伝説の生き証人ですな」
「ただその場に居合わせただけだ。アルパインか……」
十歳以上、年の離れたアルパインはマウにとっては息子に近い感覚である。
「いい加減に、自分が兄だと打ち明けてはいかがでしょうか? こたびのシーランド戦においてアルパイン様が生きていらっしゃるのも、神々のお導きかと」
「今更だ。それに、ボールマン亡き今、アルパインはウェンリーゼの屋台骨だ。リーセルスも余計なことはするまい」
「では、リーセルス様はいったい、何しにきたのでしょうか」
「……さあな」
マウは、部屋の中の一番被害を受けたお気に入りのテーブルを見つめた。




