閑話 東の風 後編
1
ウェンリーゼ領 始まりの迷宮 十階層 主部屋門番
「ウォーン! 」
キーリの目の前に古狼ギグナスが立ちふさがる。
キーリは古狼に遭遇するのは初めてではない。王都で迷宮管理を任されていた時に、中層で一度だけ遭遇したことがあった。
深層でしか出会わない筈の古狼は白銀で体長は二メートル程度であったが、その存在感は竜種並みであった。
当時、キーリは直感的に死を覚悟したが古狼は、キーリを一瞥したあとにゆっくりと去っていた。
キーリが無意識に拳を握る。
キャハハハハハハハハ
愛剣である絶剣が呑気に笑う。
目の前にいる古狼ギグナスは、別個体であるがキーリの限界を突破させるには十分な相手であった。
2
ウェンリーゼ家 使節団との会話
「正直なところ、成長限界を感じております。冒険者としても銀級上位ではありますが」
「金級にはなれていないと、正直なこといいことだが、国を跨いだ依頼は金級に頼むのが一般的だ。君は、パーティーは組まずにソロなのだろう」
ノンシュガー議長がキーリにいう。
「おっしゃる通りです」
「百歩譲って、君の実力ならばせめてあと一人か二人同等のものでパーティーを組めば、金級にもなれるだろうな。うちの護衛達もソロでは金級には及ばないが、パーティーとしては金級だ。人形遣いで五体のクタムという乗り込み式ゴーレム部隊に、君は一人でうちの近衛に勝てるかな」
「……私、一人では難しいでしょうね」
「失礼ながら、ウェンリーゼ領は穏やかな領だ。平和で素晴らしい領地という印象を受けた。バルブ男爵や海軍の皆が堅実に統治しているのだろう。ミクスメーレン共和国の議長として見習いたいくらいだ。だが、その分大きな事件もなかっただろう。その環境が、君の剣を鈍らせたのではないかな」
「……」
キーリは言い返せなかった。
ノンシュガーの言葉は正論過ぎた。
キーリは別に怠けていた訳ではない。
成人して肉体は一回り大きくなったし、体力も青年期よりついた。
だが、命を削るような死闘はデニッシュとの決闘以来なかった。
「フラワー様の詩をジュエル様にお届けすることには、大いに協力しよう。しかし、指名依頼は選ばせて頂く。申し訳ないが今の君にはこの依頼を絶対に任せられるという実績も、保証もない」
ノンシュガー議長がキーリにいう。
「……どうすれば、議長のご信頼を受けることができるでしょうか」
「キーリ、ダメ、今回は私も悪かっ、モゴモゴ」
フラワーの口をマロンが塞いだ。
「……そうだな。確か、ウェンリーゼ領には始まりの迷宮が未踏破だったな。そこを踏破できれば考えも変わるだろう」
「ノンシュガー議長、あそこは、誰一人として帰ってきたものはいない迷宮ですぞ」
バルブ男爵が慌てて言う。
「分かりました。それと、転移門の魔力は結構です」
キーリがいった。
「ほう、どうしてかな」
「始まりの迷宮主厄災魔素生命体アノンの魔石を私が持ってくるからです」
「キーリ」
フラワーは忘れていた。
キーリはデニッシュ以上の負けず嫌いだということを……
3
「元つ月」
キーリが剣を手にした瞬間に視認できない速さの一閃を振る。
「ウォン! 」
ギグナスが難なくキーリの剣を避けた。
ザシュ
「ぐぅぅぅ」
ギグナスはそのまま、牙であいさつ代わりにキーリの脇腹を割く。キーリーは皮一枚程度の傷を負う。
「ガルルゥゥゥ、ガル」
ポタポタ
キーリの剣を上手く避けたかに見えたギグナスであったが、首元に浅い傷を負った。
「流石に、一筋縄ではいきませんね」
キーリが幾ばくか上がった脈拍と精神を鎮めるように、呼吸を整える。
始まりの迷宮は、特殊な迷宮で十階層しかないがソロでしか入ることができない仕組みになっていた。
一階層は魔猿が十体、二階層は魔猿十体に魔兎が十体、三階層は魔猿十体に魔兎十体に魔鹿十体と下層に行くたびに十体ずつ難易度の高い魔獣が追加される仕組みであった。
ある意味では長期戦であるために、キーリは秘蔵の『パルムの剣』『ピノの剣』『ボーデンの剣』といった業物を使い潰した。
どれも、剣士にとっては一流の剣であるが、残念ながらキーリの全力と魔獣の多さには耐えられなかったのだ。
キーリもキーリで六階層までは掠り傷一つ負うことなく順調に攻略していった。
だが、七階層からは大型魔獣である魔牛、八階層では魔熊等の出現と八十体の個体数に難儀した。大型魔獣であれば、いくらキーリとはいえど一閃で片を付けるのが難しかった。その隙をつかれて囲まれた。また、キーリは基本的に軽装で高速戦闘で戦うスタイルのため、密集した場所では真価を発揮しづらかった。
体力も精神力も尽きかけながらもなんとか、八階層を突破したキーリは九階層で覚醒した。
九階層は魔虎も含めた九十体の魔獣が襲い掛かってきた。
キーリは集中しながらも、傷と疲労により脱力できたその身体は自然とすべての攻撃を紙一重で捌いた。いつもより、攻撃が見えていた。いや、まるで自分自身を俯瞰して見えているようで流れるような剣を振ることができたのだ。
キーリが伸び悩んできた理由の一つに、剣に迷いがあった。キーリの『月の剣』はアートレイの流派である。キーリは十二月全ての型を極めていた。だが、型はあくまでも型だ。実践とは道場剣術は違うものである。だが、幼少のころより父ホワイトに才能を見出されたキーリは物心ついたときから迷宮に潜っていた。
極端な話、迷宮上層はキーリにとっての道場や遊び場のようなものであった。だが、深く迷宮を潜るにつれてその感覚は薄れていった。
型ではなくより実践的な剣を振る。
臨機応変といえば聞こえがいいが、それは型を極めたキーリにとっては相手に合わせる剣であった。
キーリに限っては、そんな必要はなかったのだ。
キーリはキーリの剣を振れば良かったのだ。
相手に合わせるのではなく、自分の剣を振ればいいのだ。
迷宮をまるで自分の庭のように、鼻歌交じりで散歩でもするかのように、自然体でいたあの感覚が甦ってくる。
キーリが息を吸って、吐く。
(ああ、こんな簡単なことすら私は忘れていたのか)
「気更月」「弥生」「卯の花月」「早苗月」「水の月」
キーリが剣を握り直したと同時に、神速の剣戟がギグナスを襲う。
剣戟を避けるかと思われたギグナスは無理やり距離を縮めて、キーリの剣の威力を半減させながらキーリに体当たりした。
キーリは間合いを図ったばかりの足を後退させるかと思いきや、さらに踏み込む。
「ガル? 」
「《知覚》」
体格で勝るギグナスは困惑したが、キーリは前に出たことで、衝撃の打点をズラす。
さらには《知覚》を発現して感覚を極限まで研ぎ澄ませて、体を捻りながら衝撃を逃がした。
ギグナスは困惑しながらも宙に浮いたキーリを食い破ろうと牙が光る。
「葉落ち月」
宙を舞った足場のないキーリであったが、それは木々の葉を裂くような美しい柔らかい剣筋であった。
スパッ
コロンコロン
「ガッガガ! 」
キーリを食い破ろうと跳躍したギグナスの牙が一本切られた。
「ぐっ!」
だが、キーリも疲労からか着地に失敗した。
「ガルルルル」
「はあ、はあ、はあ」
ギグナスはキーリを睨んだ。
キーリは刹那に笑った。
二匹の獣たちは高ぶった怒りと痛みのまま踊りあった。




