10 グルドニア王国歴史450年 人生一路
1
「ギィィィ」
刻一刻と、魔獣避けの香が薄れていった。
残された時間は少ない。
ウーゴ砦の東門には、眠りについたジュエル達を始めとした、砦の怪我人を最優先事項に馬車にのせた。
馬の数は多くはなかったために、非戦闘員も歩かざるを得ない。
ウーゴ男爵は自身の近衛を皆の護衛にと命じた。
勿論、近衛の騎士達はそれを拒んだ。
自身が剣を捧げた主は、ウーゴ・アワだからである。
「私は、この古傷の脚では撤退の足枷になる。それにだな、このまま領主として床で終わるところを、戦場の騎士として果てることができる。騎士として騎士であれ、ワシの最後の道楽を奪うな」
ウーゴ男爵が少年のように笑った。
ウーゴ男爵の副官であったジュウマンは、自身も残るといった。
「ジュウマンよ。お前まで逝ってしまったら、ウーゴ男爵家はまわらなくなる。倅は、成人したがまだ若い。今後は倅を助けてやってくれ」
「……」
ジュウマンは折れた。
2
デニッシュの元には十三人が残った。
デニッシュは拒否した。
「いくら、剣王といわれた殿下であっても、数百の魔獣相手では取りこぼしもあるでしょう。それに、まさかとは思いますが、単騎で突っ込むわけではありますまい。今回は、ジュエル様方がお逃げになる時間稼ぎが目的です。皆、砦に詳しい者達です。そして、正式には私の騎士ではありません。皆、殿下に惚れたようです」
ウーゴ男爵もその中の一人のようだ。
デニッシュの元には、ウーゴ男爵を除いた十二人に略式であるが騎士の位を授けた。
デニッシュの騎士、その中にはマウもいた。
マウはデニッシュに「騎士ってどういう字を書くのですか」と聞いた。
これには、残りの十一人も興味深々だった。
デニッシュがウーゴ男爵を横目で見た。
「お恥ずかしながら殿下、我が領を含め、平民は皆、読み書きがほとんど出来ません。数も百まで分かればいい方です」
デニッシュは地面に棒を使い古代語で「騎士」と書いた。
マウが「カッコいい」とはしゃぎだした。
マウが真似して書こうとしたが、難しすぎて書けなかった。
デニッシュは準古代語で「キシ」と書いた。
十二人が地面に「キシ」と書いた。
皆、子供のように「キシだ! 」「キシだ! 」とはしゃいだ。
ちなみに、グルドニア王国には領地を持たないため、年金制度も適応にならないが、騎士爵位が存在する。
公爵、侯爵、辺境伯、伯爵、子爵、男爵、準男爵、騎士爵と位としては低いが、貴族と名乗ることができる。
デニッシュはバルドラントの鎧にある四次元より、紙とペンを取り出した。
「もう一度、皆の名を聞いてもよいか」
デニッシュが皆の名を、心と紙に書き込んだ。
3
砂漠
ウーゴ男爵の心を表すには的を得ている表現力であろう。
ウーゴ・アワは根っからの武将であり『穴熊のズーイ』の異名を持つズーイ伯爵の腹心でもあった。
しかし、迷宮の毒により足を怪我してからは一線を退いた。
領主を成人した息子に譲ってこそいないものの、最前線には息子に任せ、自身は領主としての書類業務に手を加える程度であった。
ウーゴ男爵は、自身ではもう騎士としての人生は終わったと思っていた。
ウーゴ男爵は渇いていた。
今の生活に不満はない。
しかし、渇いていた。
最前線では、ズーイ伯爵が、友が、血を流し騎士としての本懐を示している。
ウーゴ男爵は、嫉妬していた。
回りからは、ほぼ退役軍人扱いの老兵である。
命の危険がないから有り難く思うべきなのであろう。
だが、そうではない。
ウーゴ男爵が望んだ騎士とは、そうではない。
ウーゴ男爵も初老の域に入った。
死ぬことが美徳とは言わない。
自身の命を安く見るつもりもない。
たが……
本当は、戦場を駆け回りたかった。
あの戦場でしか味わえない熱き血潮を……
鼻をくすぐる血の混じった戦場独特の匂いを……
ウーゴ男爵は、渇きながら、まるで水を求めるように生きていた。
そんな折に、ウーゴ砦での警備と補給の命が下った。
息子とジュウマンは、ウーゴ男爵を慰める意味もあったのだろう。
ウーゴ男爵にたまには気晴らしにどうかと、勧めた。
それが、蓋を開ければ『魔獣大行進』である。
しかも、『聖女ジュエル』を逃がすための殿の大役、王族であるデニッシュと共に……
このような名誉なことは、人生を何度やり直したとしとも訪れることはないだろう。
「最後は、ウーゴの土となれるか」
ウーゴ男爵はそれは、とてもとても清々しい顔をしていた。




