20 ペチン
お忘れの方もいるでしょうが、後宮長マムは、五百年前に《延命》の光を浴びたエミリアです。
アートレイの妻として、グルドニア王国を建国から影で支えています。
1
「お帰りなさい。アーモンド」
レートの優しい声色が、アーモンドの脳を酔わせる。
「……母上」
アーモンドの目の前にレートがいる。
車椅子をマムに押されてアーモンドに近付いてくる。
久しぶりに見た母は酷く痩せていた。
手足が細くなり、顔は頬の張りがなくなっている。美しかったブロンドヘアは、白が交じりまだらな金銀のようになっている。
(私は何をやっているんだ)
(自分ばかり好きに生きて)
グッ
アーモンドが拳を握り顔を伏せる。
「アーモンド」
隣にいたラザアがアーモンドの拳に手を添えた。ラザアは何となくではあるが、アーモンドの気持ちを理解する。
「……まずは、あなたがお義母様にご挨拶なさいな」
アーモンドがラザアから勇気を貰う。
アーモンドは顔を上げた。
「母上、アーモンドがただいま戻りました」
アーモンドが精一杯笑った。
後ろではリーセルスが安堵していた。
2
「王妃様、ウェンリーゼの領主ラザア・ウェンリーゼが王妃様にご挨拶申し上げます」
ラザアがアーモンドに続いて挨拶する。
「あら、これはラザアさん相変わらず綺麗な声ね。今回の海王神祭典でのウェンリーゼ卿のこと御悔やみ申し上げます。アーモンドのこといつもありがとう。この子は昔からボーッとしてるところがあって、かと思えばいきなり予想外のことしでかすから、見てるほうも大変でしょう」
「ええと……否定はできかねますわね」
「えっ! ラザア! 」
アーモンドがそれはないという。
「そんな子が、父親になるみたいじゃないの。はぁー、あの人もそうだったけど、目を離すと直ぐにどっかにいっちゃうからよく見てなきゃだめよ」
「肝に命じますわ」
「「ハハハハハハッ」」
「お腹大きくなって来たわね」
「良かったら擦って下さい」
「い……いいの」
「勿論でございますわ。王妃様の孫でございますもの」
ラザアがレートに近付く。
レートが壊れ物をさわるかのようにそっとラザアのお腹を撫でた。
「ああ、温かいわ……こんな幸せなことを、ラザアさん……ありがとう」
「……あっ! 今、蹴りましたわ。王妃様に祝福して頂き、我が子も喜んでおりますわ」
「ラザアさん、王都での査問会なんて身体にさわるでしょうけど……どうか、どうか」
「ご安心下さい。王妃様、私には頼りになる旦那様に、家臣たちがおりますから」
ラザアがうちの仲間は優秀ですからという。
「そうね。私が心配することでもなかったかしらね。ねぇ、マム」
「王妃様から御言葉は、何ものにも勝る尊きものです」
後宮長マムの王族を尊ぶスタンスは変わらない。
「貴女はぶれないわね。リーセルス、元気にしていたかしら」
レートがリーセルスを呼ぶ。
「はっ! ご無沙汰しておりました。王妃様」
リーセルスがその場で跪き挨拶をする。
「リーセルス、そんなに畏まらなくても大丈夫よ。昔みたいに、レートと呼んで頂戴。あなたは私にとっては息子みたいなものなんだから。お母様呼びでもいいわよ……フフフ……サンタにクロウも元気かしら、良かったら顔を見せて頂戴」
「過分な御配慮痛み入ります。お前達、レート様がお呼びだ」
ぬるり
「「御意」」
何処からともなくサンタてクロウがレートの前に現れる。
「! ! 」
その刹那に車椅子の後ろにいた、後宮長マムは戦慄した。
他のものにとってはサンタとクロウが、空気のように現れることはいつものことなので慣れている。
しかし、マムからすれば異常であった。
マムは後宮長という役職と共に、暗部のトップでもある。サンタとクロウは今は自身の手を離れたとはいえ、元の教え子のようなものだ。
その二人が現れるまで、マムでも分からなかったのだ。リーセルスが声をかけたにも関わらず。
マムは戦慄した。
アーモンドだけではない。暫くしないうちに、周りも恐ろしいまでに成長している。
アーモンドの成長に引っ張られている。
マムがまだモジモジしているアーモンドを見る。
似ている。
自身に自覚はないが、いるだけで周りを強制的に台風の中心に引き寄せるような不思議な力を持っていた……王であり、夫であった建国王アートレイに……
「三人とも、バーゲンに似てきたんじゃないの……ああ、でも、目元はお母様にそっくりね」
そんなことは知らずにレートはリーセス達兄弟を歓迎した。
3
グッ
「王妃様! 」
それは自然な動作だった。
今まで、車椅子に座っていたレートがゆっくりと立ち上がった。
フラフラ
レートが一歩、一歩とアーモンドに近づく。
「母上! 」
アーモンドがレートを見ながらも急なことに足が動かない。
マムを始めとした皆も、なぜだか動けないでいる。
ペチン
「えっ……! 」
レートがアーモンドの頬を触った。
だが、アーモンドには分かった。それは、力がなかっただけで正確には叩いたのだろう。
(……ぶた……れた)
(母上に)
アーモンドは混乱した。
かつてないほどに混乱した。
本人は気づいていないが、反射的に目から涙が流れた。
「あっ……」
「「「王妃様! 」」」
レートの足が崩れた。普段一時間しか、起きることの出来ないレートの筋力は見るからに弱っていた。
わずか数歩であったが、歩けただけでも奇跡だったのだろう。
頬を叩かれたアーモンドは放心状態で、他の皆も一瞬反応が遅れた。
クンクン
ただ一人を除いては……
ザッ、ふわり
「大丈夫でございましょう。大奥様」
白猫獣人ラザサキが、持ち前の瞬発力を生かしてレートに風よりも速く駆け寄り支える。
「あら、ありがとうございます。ラギサキ様でしたわね。助かりました。ダメですね。こんなに、足が弱っては……」
「ご主人様の母様とあれば、私の母同様に尊い御方です」
「お口が上手いこと、白猫さんですね。なんだか、ホーリーナイトが戻ってきたみたいだわ。アーモンドがいて、リーセルスに、サンタ、クロウ、ホーリーナイト……ダメね。昔のことばかり思い出して」
レートの目に涙が溜まる。
自分の今の身体の不甲斐なさと、穏やかな日々を思い出しているのだろう。
「……母……上……母上! 大丈夫ですか! 母上! 」
アーモンドは混乱状態になりながらも、母に近付く。
「アーモンド、貴方は幸せ者よ。周りにはこんなにも貴方を支えてくれている人がいる。アーモンド、この左腕を失った代償は十分に理解しているから、何もいいません。貴方が小さい頃からの夢だった、物語の英雄に、聖なる騎士になったのは嬉しいわ。でもね……アーモンド、もうこの命は貴方だけのものじゃないのよ。きっと、貴方を守るために周りの皆が、貴方以上に無茶をしたのでしょう」
「……それは」
「それにアーモンド、殿方は自覚がないでしょうけど、産まれてからが父親ではないわ。貴方はもう、父親なのです。どうか、どうか、貴方の大切を悲しませるようなことだけはしないでね」
「はい……母上」
ちなみにレートの言葉は、アーモンドだけではなくその場にいた男性達皆が肝に銘じた。
「アーモンド、よく顔を見せて頂戴」
「母上、目が……」
「寝ている時間が多いせいで、目に光がなれないのかしらね。でも、良かった。近くにくれば貴方の顔がよく見れるわ」
「私の姿に驚かないのですか……」
聖選気団でそうだったように、アーモンドの姿は様変わりした。普通は、一目でアーモンドとは分からない。
「例え姿形が変わっても、自分の子を分からない母親はいませんよ。それに、若い頃のあの人にそっくりだわ。片腕になったところまで似なくてもいいのに、全く……」
レートは支えられながらも、立っているのが
「王妃様! 」
マムが車椅子を持ってくる。
「母上! ラギサキ」
アーモンドとラギサキがこれ以上ないほど、優しくレートを車椅子に座らせた。
「久しぶりに、いっぱい話したから疲れたのかしら、全く役に立たない御荷物な王妃様ね」
「王妃様、恐れながら申し上げます。そのような御言葉はいけません。レート様がご健在であればこそ、レート様の存在があるからこそ。ピーナッツ陛下は、王になられたのです。あのままバター殿下が王であれば、今頃グルドニアは戦争により、大陸を血に染め多くのもの達の痛みと怨みを買っていたでしょう。それに、御覧なさいませ」
マムがラザアのお腹に視線を向ける。
「貴女様がいたからこそ、グルドニアに新たな祝福があるのです。聖なる騎士の母上にして、グルドニアの太陽を支えし月よ」
「全く、マムはいつも大げさなのだから」
「本心でございます」
どうやら二人はそれなりにうまくやれているようだ。
「アーモンド、レート様にお渡しするものがあるのでは」
リーセルスが忘れていますよという。
「ああ、そうであった」
アーモンドが四次元の指輪から、液体の入ったビンを出す。
「申し訳ありません。アーモンド様、一応規則ですので《鑑定》……なっ! まさか! その瓶は、いや、そんなはずわ! 」
マムが《鑑定》をつかい驚愕する。
「あら、何か珍しいウェンリーゼの果実水かしら」
「母上、これが母上の身体を治す薬、神誓薬です」
アーモンドがニコリと笑った。
「クンクン、残念ですが匂いは、果実水のほうが美味であります」
ラギサキがアーモンドの回答に補足した。
神誓薬は、パンドラの迷宮攻略特典にチルドデクスから貰ったものです。




