エピローグ 前編
1
グルドニア王国 王都 軍部 管制室
ビィィィィ、ビィィィィ、ビィィィィ、
「ウェンリーゼより、クリムゾンレッド発令されました。マニュアルにより、近衛騎士団の出動要請を依頼します」
その日の当番だった学園を卒業したてのラガー少尉は、ウェンリーゼより魔導具「雷光」の光を受信した。この魔導具は対となる水晶で三色の光を発光することができる。単純な魔導具であるが数百キロの距離をほぼ【タイムラグ】なしで発光を受信するために有事の際には有用な魔導具である。また、光の回数で暗号文のやり取りもできるので大まかな情報伝達が可能である。
青の定時連絡は異常なし。黄色の定時連絡は、異常発生で暗号文が送られる。赤の緊急事態である通称クリムゾンレッドの場合は厄災級の魔獣の発生を意味する。その場合はマニュアルに従い王都の上級騎士ないし、一人で騎士十人分の戦力に匹敵する近衛騎士団を派遣する手筈になっている。ちなみに、近衛騎士団は十部隊ある。一部隊で、約十名で構成されており副隊長、隊長格は単独で戦況を変えることができる一騎当千の化け物といわれている。
王国の各地域でクリムゾンレッド発令の場合は、過去の教訓から即断即決の対応が求められた。そのために王宮地下の転移扉から任意転移で近衛騎士団二部隊を送る手筈になっている。
手順としては、元帥閣下に報告し、そこから陛下の承認を得る。近衛騎士団は連絡を受けて最速で一時間もあれば現地に転移している手筈である。
ラガー少尉は報告のために昨年新たに元帥となったルビー公爵家当主のオスマン・ルビーの元に向かった。
2
「こんなガタガタの時期にウェンリーゼでクリムゾンレッドとは、しかも海王神シーランドだと」
元帥代行のルビー公爵であるオスマンは頭を抱えた。
今のグルドニア王国は歴史上類を見ないほどに疲弊してきっている。
昨年の第三王子バターによるクーデターの後ろ楯だったのが、バターの母親の実家である軍部を司るルビー公爵家と、表立ってはいないが財務を統括するサファイア公爵家である。
首謀者のバターは現王ピーナッツに敗れ、クーデターが失敗したのは記憶に新しい。正式記録には、クーデターはなく他国の陰謀に王子達が巻き込まれたとされている。アートレイの血が尊きこのグルドニア王国で内乱があった等とはあってはならない。もちろん民衆や他国にはバレバレであった。しかし、大国の体面もあり他国に隙を見せれば喰い破られるのは強者の常だ。
内乱はなかった。
第一、二、三、四王子は流行り病と不慮の事故。加えて、第三王子に殺された賢王デニッシュは、お歳のために天寿を全うされたということだ。
バターの後ろ盾であったオスマンの父であるルビー・ブレマスと兄のカスペルはその罪を受けて極刑となった。表向きは流行り病による病死であるが、誰が見ても謀反によるものだった。
苦しすぎる言い訳だった。
そのために繰り上げでルビー公爵家当主となったのが四男のオスマンだった。オスマンは自分が兄たちに比べて凡才であることは分かっていた。公爵家の当主任命には王室が関与した。要は、公爵家としての地位や資産は没収しなかったが、凡才なオスマンを当主にすることでルビー公爵家と軍部を王族の統治下に置きたかったのだろう。ある意味では、借りを作りつつこれ以上の反乱はできまいと釘をさした形になった。
昨年からオスマンは軍部の再編と隣国との外交に追われた。この王政交代劇に隣国が反応してグルドニア王国を蹂躙されるわけにはいかない。オスマンは凡才ではあったが、仕事は丁寧で愛国心ある人物だった。ちなみに、オスマンとピーナッツは学園時代の同期である。新王ピーナッツが「陰気臭いが丁寧な字を書く奴がいた」と宰相のバーゲンにオスマンを推薦した。本人は知る由もないことである。
新王の戴冠式に招かれた各国の王の隣国の反応が何故か悪くなかった。
西の百牙獣国は賢王デニッシュの代では戦争をしていた。ジャンクランドの巨帝ボンドが仲介役となり停戦協定は結ばれたが、あくまでも停戦状態なのである。
次代を担う王族の大半がいなくなったこの状態で戦争をされればグルドニア王国は分が悪すぎる。しかし、獣王は予想に反して「俺の代は、喧嘩はやらん。それよりも剣帝アーモンドを必ず次の王にしろ」といって帰っていった。
「アイツは育ったら喰い応えがありそうだ。我が引退したら存分にやり合おうぞと伝えてとけ」
剥き出しの歯で獰猛に笑った獣の顔をオスマンは忘れない。
北の魔法大国リトナーの反応もおかしかった。あそこはかつてアートレイ・グルドニアの時代にあったエリティエール魔導国の再来ともいわれた。隣国の魔術適正が高い貴族が入学する魔導学院があり時の賢者と詠われた学院長フォロー・ゼキモニスが宰相として実質的に舵取りをしている国だ。
「なんと、ラザア嬢に! こんな豚風情が婚約ですと! なんとおいたわしや! 神はワシを見限ったのか。しかし、お子が出来たら必ずや我が魔導学院にご入学されませ。爺が必ずや立派な魔術使いに育てます。なんなら、リトナー国も差し上げます。ところで、お父上の坊様、じゃなかった、ボールマン様の御加減は如何ですかな。これ、つまらないものですが大陸全土の薬草の詰め合わせです。何かあれば、このフォローは万難を排してお力添え致しますとお伝え下さい」
今代の賢者がウェンリーゼ領主代行の代わりにきていたラザア・ウェンリーゼの前ではただのスケベジジイであった。
オスマンは思考した。
魔法大国リトナーは、魔石を大いに欲しており人工魔石がウリのウェンリーゼは喉から手が出るほど欲しいはずだ。なんのブラフだ。一体、ウェンリーゼには何があるというんだ。
新王になってから他国との諍いがなかったので気は張りつつも自国に力を蓄えられてきた。そのなかで、海王神シーランドのウェンリーゼ来襲である。今や人工魔石で王国のアキレス腱となっているウェンリーゼへの……
3
「よりによって、人工魔石で王国一の財源であるウェンリーゼだと。今年の軍部の魔石納品もこれからだというのに」
そのオスマンの怒気にも似た呟きに、報告に来たラガー少尉がたじろぐ。
「……ああ、すまんな。起きてしまったことは仕方ない。今は、先の時世よりクリムゾンレッド、海王神シーランドの対応だな。ラガー少尉の報告は確かに受けた。これより、国王陛下の承認を貰いに王宮に馳せ参じると先ぶれを出してくれ」
「報告しちゃっていいのかしらん」
妖艶なツヤのある声が元帥室に響く。
「サファイア卿、今は貴殿と戯れている場合ではない」
マゼンタ・サファイア公爵、年の頃は三十に近いであろう妙齢な背が高くそれでいて男をかどわかすような各部に適度な肉付きのいい女性である。財務を司るサファイア公爵家も、ルビー公爵家と同様に流行り病で当主が交代となった。大陸では珍しくグルドニア王国では実力があれば女でも爵位を継ぐことができる。マゼンタはオスマンと違い実力で公爵家当主となった傑物である。
「急いでいるみたいだから、ストレートにいうわぁん。オスマン、私とウェンリーゼを半分っこしない」
ピクッ
凡才なオスマンが魔女の言葉魔力に吸い込まれた。
ラガー少尉は一刻も早くこの場から消えたかった。