閑話 聖なる騎士 アーモンド・グルドニア 玖
ちょっとボリュームあります。
1
「そうだ。セカンド! 息を吐ききれ! 焦らなくても大丈夫だ。周りは気にするな。心を落ち着かせるんだ」
「ブィン、ブィン」
セカンドは荒いその息を、幾ばくかの時間で整え脚を溜める。
セカンドは走りながら、闘志は燃やしながらも頭を冷やした。あとはその剛脚を振るうだけだ。セカンドは軍馬として訓練を受けていたときは、駿馬として期待されていた。走るのは嫌いではなかった。ただ、競う合うことが好きでなかった。フィールア種は元来、気高い生き物なのだ。神獣の血を引きし末裔は、大いなる大地を自由に駆け回る。その馬が駆けた後には豊穣の恵みがもたらされるといわれた高貴なる馬だ。人種に管理されるいわれはないのだ。しかし、この白馬は走る。肉にされそうだった自分を助けて、優しさと温もりをくれた主の為に走ろう。聖なる夜と呼んでくれた。聖なる騎士と呼んでくれた。主の為に走ろう。
たとえ、この命を燃やし尽くそうが……
残り600メートル
最終コーナーが見えてきた。
死神が鎌を研ぎ始めていた。
2
先頭には、アイアンボトムサウンド、獣王とアギール、少し下がって魔馬グランシャリオが争っている。
ガシン、ガシン、ガシン
アギールからは何故か機械音が鳴り響く。
「負けるな! アイアンボトムサウンド! 王者の意地を見せろ! 」
「ヒィィィィン」
バターがアイアンボトムサウンドに鞭打つ。先頭集団はすでに、最終コーナーを回って直線に来ている。その馬たちをあざ笑うかのように心臓破りの坂が前の前にそびえ立つ。グランシャリオを始めとした中団の馬たちは行く気を失くしつつある。しかし、アイアンボトムサウンドは怯まない。根っからのこの巨躯の軍馬は、このような地形などものともしない。いっぱいいっぱいになっているが、脚を止めない。王者の目が光る。プライドが脚を動かした。
3
残り550メートル
ナッツはまだ動けない。二馬身先のハイサクセスと乗り手のギンを警戒している。
(いつまで動かないつもりだ)
セオリーではそろそろ仕掛けないと脚を余して、思ったよりも手ごたえが残っている先頭のアイアンボトムサウンドを差すこと叶わないだろう。
(まだ、行かないのか……)
「……」
「ブィン」
ギンとハイサクセスはそんなナッツの焦りなど、何処吹く風といわんばかりに仕掛ける気がない。
残り500メートル
(もう間に合わないぞ)
ナッツがしびれを切らした。
「行かぬならそれもよし! 行くぞ! ミックスナッツ! ここまでくれば誰だろうと関係ない! お前のそのグルドニア一の剛脚を見せてみろ! 」
バァン!
ナッツが鞭を振った。
「ヒィィィィン」
栗毛のミックスナッツが放たれた矢のような速度で、しなやかに追い込みをかける。馬蹄が芝を吸い付きながらも反力を利用して軽やかに脚が回る。脚質が高速馬場を旨とする芝と相性がよく、グングンと中団まで伸び、すでに先頭を捉えようとしている。
「焦ったな! ピーナッツよりは堪えたほうだがな。ハイサクセス、勝利を兄上とラザアに捧げるぞ!」
「ヒィィィィン」
ミックスナッツに一拍遅れて、ハイサクセスも行った。その脚はミックスナッツと同じように鋭い蹴りである。ハイサクセスは負けん気の強い馬である。堪えていた分の高ぶる闘志を、前方を駆けて行ったミックスナッツを追う形で爆発的な加速を見せる。
先頭を差すのであれば本当にギリギリのラインである。
ゾクッツ
ギンにナッツ、先頭の獣王とフォローが遥か後方より寒気を感じる。
ヒィィィィン
その雄叫びは会場を包むようによく響いた。
セールが鞭を振るうでもなく当たり前のように、ただこういった。
「勝て、セカンド」
栄光のゴールまで残り450メートル
4
残り300メートル
ヒィィィィン、ヒィィィィン、ヒィィィィン
先頭から中団の各馬がやっとの想いで坂を駆けのぼった。なかには、序盤のハイペースで既に脚を使い気力を失くした馬もいる。
「いいぞ! アイアンボトムサウンド! そのままゴールだ!」
アイアンボトムサウンドは序盤から常に全力疾走である。本当に体力は底なしだ。
ガシン、ガシン、ガシン
アギールもアイアンボトムサウンドとハナ差で競う。
外からはミックスナッツとハイサクセスが芝を切り裂きながらその剛脚を振るう。
「舐めるなよ! 小僧ども! 」
フォローの掛け声で、魔馬グランシャリオが赤色から銀色の光を発光して再び先頭争いに加わる。
外からハイサクセス、ミックスナッツ、アイアンボトムサウンド、アギール、グランシャリオと各国を代表する名馬がその脚を披露する。
残り200メートル
「凄いぞ! 今年の秋王杯は! 」
「いけー! アイアンボトムサウンド、夢の三冠だ」
「大穴のミックスナッツだ! 単勝買ったんだ! お前が勝てば大儲けだ! 」
「グランシャリオって銀に光ってるんだけど、魔術つかってズルくない」
「さっきから、ガシン、ガシンって音が聴こえるんだけど、アギールって本当に馬なのか」
5
シャッ、シャッ、シャッ、
「何だ! この音は……」
「「「「!! 」」」」
バターやアイアンボトムサウンド以下、先頭争いしていたすべての者たちがその音を感知した。
シャッ、シャッ、シャッ
芝が馬蹄により踏み荒らされる中で、地を切り裂くような音が聴こえる。
五頭揃い踏みの名馬たちは戦慄する。そのプレッシャーはまるで自分たちが、荒野で後方より狼に追われている獲物のような錯覚に陥る。
ワイワイ、ガヤガヤ
「おい! 何だ! あの馬は」
「嘘だろう! 」
「白い閃光だ! 」
「「うわぁぁぁぉあ」」
「「本当に馬かよ! 神獣じゃねえか」」
会場が一頭の白馬に見惚れる。
それは観客席からはまるで、緑の芝のターフにまるで、神様が絵筆で線を描くような。
そんな白い光であった。
「いけー! ホーリーナイト・セカンド! 」
「ニャース」
ヒィヒィィィン
主のエールに導かれるままにセカンドが大外より先頭集団を喰い破るように抜き去った。
「「うわぁぁぁぉあ、なんだありゎぁ」」
「最後尾から、十六頭、ゴボウ抜きだ! 」
「他の馬が止まってみえるぜ! 何でこの馬が人気最下位なんだ!」
「「セカンド! セカンド! 」」
「「セカンド! セカンド! 」」
「「セカンド! セカンド! 」」
会場はいつの間にかホーリーナイト・セカンドのコール一色である。
栄光のゴールまで残り100メートル
「「セカンド! セカンド! 」」
「「セカンド! セカンド! 」」
「「セカンド! セカンド! 」」
「まるで、他の馬が子供扱いじゃねえか」
「三冠どころじゃねえ! 史上最強の十冠馬も夢じゃねえぞ! 」
会場のボルテージは最高潮まで達した。
栄光のゴールまで残り50メートル
セカンドは既に他を圧倒して五馬身以上の差が開いている。
「ふざけるなぁあああああ!この下賤な血がぁあああ」
バターが精一杯の呪詛に近いような言葉を叫ぶ。
バキン
得てして魔物は潜んでいるものだ。
ヒィィィィン
セカンドの右脚が芝に取られた。セカンドが転倒した。セールが落馬した。
ヒィィィィン、ヒィィィィン、ヒィィィィン、
大外だったこともあり後続馬に踏みつけられることがなかった。それだけが、幸いだった。
「セカンド! セール! 」
「「「兄上! 」」」
「ニャース」
アーモンド達の声は観客たちの声にかき消された。
秋王杯結果
一着 アイアンボトムサウンド 乗り手 バター・グルドニア(第三王子)
二着 ハイサクセス 乗り手 ギン(ウェンリーゼ金級冒険者)
三着 ミックスナッツ 乗り手 ナッツ・グルドニア(第六王子ピーナッツ 嫡子)
四着 グランシャリオ 乗り手 フォロー・ギゼモニコス(リトナー魔法国 学園長)
五着 キャンドルナイト 乗り手 マーガリン・グルドニア(第四王子)
アギールと獣王は興が削がれたと途中から失速した。
6
ゴールまで残り20メートル
転倒したホーリーナイト・セカンドと落馬したセールが芝生に転がっている。
「セカンド大丈夫か……」
「ブィン、ブィン」
ホーリーナイト・セカンドが鳴く。しかし、その声にはまだ力がある。後続馬も既にゴールは切っている。
落馬したホーリーナイト・セカンドとセールは競技規定では失格である。
救護班と回復の使い手が芝生に入ろうとしている。
観客席からは、観客を押しのけてアーモンド達が、王族席からはセールの父バーゲンが血相を変えて三階より飛び降りている。
「どうするセカンド、お前、脚をやったのか」
セールは口から血を出している。全身の打撲に加えて落馬時にセカンドの体重の重みでセールは内臓をやられている。どちからかといえば、セカンドよりも重症である。
「ブィン、ブィン」
「そうだな。セカンド、まだ終わってないな」
セールとホーリーナイト・セカンドは立ち上がった。
「すまないな、セカンド、お前の背に乗れる元気がなさそうだ」
セールはホーリーナイト・セカンドにもたれかかる。
「ブィン、ブィン」
ホーリーナイト・セカンドは脚の痛みはあれど、セールの厚意を誇らしく思う。
「ありがとう、セカンド、お前はやっぱり最高だよ」
「ブィン、ブィン」
トコトコトコトコ
ホーリーナイト・セカンドはトコトコ歩く。セールを支えながらトコトコ歩く。
「が……がんばれー」
誰かが叫んだ。
「そうだ! がんばれー、セカンド! 」
「乗り手のあんちゃんも頑張れー」
「「頑張れ! 」」
「「セカンド! セカンド! 」」
「「セカンド! セール! 」」
「なんか俺、泣けてきた」
「誰だ、こんな名馬をロバなんていったやつは」
「「セカンド! セカンド! 」」
「「セカンド! セール! 」」
会場が一つになった。
残り10メートル
会場は今日一番の盛り上がりと優しさに包まれる。
トコトコトコトコ
「ヒィィィィン、ヒィィィィン」
アイアンボトムサウンドが鳴いた。アイアンボトムサウンドがホーリーナイト・セカンドを鼓舞する。
「「「ヒィィィィン、ヒィィィィン」」」
他の馬たちもアイアンボトムサウンドに続く。馬たちも分かっているのだ。記録に残らない真の勝者に敬意を払う。
「なんだ。アイアンボトムサウンド、下賤の者を卑下しているのだな。流石だ」
第三王子バターはアイアンボトムサウンドと心を通わせていなかったようだ。
残り5メートル
「セカンド! セール!」
「ニャース」
ゴールには、誰よりも速く、ホーリーナイト・セカンドとセールの主が迎えてくれていた。
「ヒィィィィン」
ホーリーナイト・セカンドとセールがアーモンドに倒れるようにゴールした。
「ゴォォォォォォォル! ホーリーナイト・セカンド! 乗り手セールが、今、本当の人馬一体を示した―! 」
会場中に気の利いた【アナウンス】が響いた。
7
ホーリーナイト・セカンドは本懐を遂げたのだろう。
そのまま息を引き取った。神殿直属の回復の使い手が、心の臓がショックを起こしたといっていた。できることはなかった。
アーモンドとセールにホーリーナイト、リーセルスとサンタにクロウが、ゴールを果たしたホーリーナイト・セカンドを看取った。ホーリーナイト・セカンドは一番に世話をしてくれたセールの胸に顔埋めながら「プゥルル」と最後に満足そうに鳴いた。
アーモンドはセールに「お前に感謝しながら、セカンドは眠ったよ」といった。セールは目が熱くなった。そして、内臓も熱くなった。臓器の各所が破裂していて手の施しようがないと、回復の使い手がいった。
ピーナッツが懐の四次元より、上級回復薬をバーゲンに渡した。バーゲンがその迷宮深層で得た上級回復薬を使用したがセールの体力では意味をなさなかった。
「勿体ないことしてしまい、すみません……父上」
セールがありがとうと父に感謝した。
「兄上―! 」
リーセルスが初級魔術《治癒》に目覚めた。
リーセルスは精一杯《治癒》をかけた。意味をなさないが、出来ることを精一杯した。サンタとクロウは泣くことしか出来なかった。
アーモンドがセールとホーリーナイト・セカンドだったものに声をかけた。
セールが申し訳なさそうにも、満足そうに笑った。
8
「リーセルス、サンタ、クロウ、アーモンド様のことを頼むぞ。そして、お前たちも、叶うならこれからは幸せに」
「もう、幸せですよ」
にこり
リーセルスが泣きながら笑顔を作る。サンタに、クロウはセールにしがみつきワンワンと泣いている。
「アーモンド様、セカンドはあなた様の誇りを守ることができたでしょうか」
「聖なる騎士だ」
アーモンドはいった。
「セカンドは間違いなく私の聖なる騎士であった。セール、おぬしもだ」
アーモンドは手でセールの血を拭い、ホーリーナイト・セカンドのたてがみの一部と共に口に含んだ。
「私の聖なる騎士セール! 私は神々に、アートレイに誓おう。お主達の誇りを、私は忘れない! 皆が忘れようが忘れない! 主たる私のワガママを守ったお主達を、セールとセカンドは私の一部となった。私は誰よりも気高く生きよう。誰よりも優しく生きよう。誰よりも強く生きよう。おぬし達の主が世界一であることを証明しよう。おぬし達が世界一であったように。私が……私らしくあるために」
「勿体無きお言葉です」
ここに神々公認の元、誓いはなされた。
「だから安心して休め。リーセルス達は大丈夫だ」
「あなた様は本当に、ワガママで、ひとたらしですね。どうか、あなた様のお心が痛まぬように、安らぎに満ち足りんことを」
「アートレイは大陸の誰よりもワガママなのだぞ」
「リーセルス、サンタ、クロウ」
「「「はい」」」
「この方の覇道は、パン屋の朝より、苦労するぞ」
セールがイタズラっぽく笑った。
セールとセカンドはアーモンドに心を預けて逝った。アーモンドの心に二つの火が確かに灯った。
その火はきっと遠い未来まで輝くであろうと、大神がいった。
秋王杯
十七着 ホーリーナイト・セカンド 乗り手 セール・オリア(貴族戸籍取得済み)
正式記録は落馬による失格。
グルドニア王国歴496年にアーモンドの聖なる騎士たちが記録された。
アーモンドの覇道が始まった。
今週で第三部完結予定です。
是非ラストまでお付き合い下さい。