閑話 聖なる騎士 アーモンド・グルドニア 漆
1
出走前の控室
「セール、初手から先頭に行く必要はない。勝負は最後の直線だ」
「えっ、でも、初めから先頭にいなくては勝てないのでは」
「他の馬たちは、初めから一生懸命に先頭を走ろうとして頑張り過ぎる。それでは、どんな名馬でも途中で気持ちが切れて、本当の力が出せない。それに、今日は晴天の芝だ。春や夏の時ように、芝の状態も悪くない。無理に内側に入らなくてもいい。セカンドの走りやすいところを、脚の負担がかからないように走らせるのだ」
アーモンドがセールに助言をする。現代の人馬一体はまだ、始まって浅くほとんどが「ヨーイドン」からのゴールまで全力疾走が常識だった。しかし、不思議と動物の気持ちが感覚的に分かるアーモンドは疑問だった。どうしてもっと、馬それぞれに伸び伸びと走らせてやらないんだろうと。これは、アーモンドが高度な戦略を定義しているわけではない。ただの、子供が思ったこといっただけだった。
これは、剣と通ずることがあるとアーモンドは思った。しっかりと、環境のコンディションを見る。構えとして自身の馬のコンディションを整える。愛馬の力が引き出せる最高の道筋を振るう。だが、そこに相手もいることが競技というものだ。
「それはいいことを聞いたな。私も真似させて貰おうか」
「ヒィィィィン」
「これはナッツ兄上、ミックスナッツ調子がよさそうでありますね」
ピーナッツの長男でアーモンドの腹違いの兄であるナッツがやってきた。
「ああ、我が愛馬は最高さ。ただ、乗り手の私が未熟だがね。聞き耳を立てるつもりはなかったんだが、許しておくれよ。しかし、恐れ入ったよ。我が弟にそのような才があったとは」
「からかわないでください兄上」
アーモンドは四つ年の離れたナッツのことが好きだ。アーモンドの知る限り、ナッツには出来ないことがない。いくつかはあるのだろうけど、すべてを卒なくこなせそうな本当の天才とは、この人のこというんだと思っている。加えて、アーモンドにも優しいし、周りに気を使える。子供ながらにロイヤルであり紳士である。大まかにいえば、アーモンドは二つ上の次男ピスタチオも嫌いではない。ピスタチオはいつも、アーモンドに意地悪をしにくるのだが、いつも裏目に出て自分に跳ね返ってくる。アーモンドはそれが、自分を喜ばせようとワザと行っていると思っていた。ちなみに、ピスタチオにそのつもりは全くなく、兄が弟をイジメるただの意地悪なだけである。
「確か、セールだったかな。オリア卿には父が、セールには弟がいつも世話になっているね」
「もっ、勿体なきお言葉でございます」
セールが急いで馬上から降りようとする。
「ああ、気にしないでくれ勝負は対等だ。すまなかったね。気を使わせてしまって、アーモンドの代わりに出場してくれて礼をいいに来ただけなんだ。王族は強制ではないけど、これはホストが父上だからね。ピスタチオはこういうの好きじゃないから、我々が出ないことには面目が立たないからね」
ナッツが輝いている。セールが嬉しく思う。このお方は、アーモンドと同じく私を人として扱ってくださっていると。
「お気を付けください。兄上、ホーリーナイト・セカンドは世界一ですから」
アーモンドも負けじと輝いている。ぷよん、ぷよんとしたお腹を張って、精一杯エッヘンとしている。残念ながらナッツに比べるとまだロイヤルオーラは出ていない。
「それは、怖いね。アーモンドが自信満々にいうと本当にそう聞こえるよ。今回は、バター伯父上のアイアンボトムサウンドばかりではないようだね。それでは、セール。セカンド、お互い怪我には注意しよう」
ナッツが去っていく。ナッツはその後ろ姿ですら眩しい。
「リーセルス、ミックスナッツの人気はどうなのだ」
「ホーリーナイト・セカンドの一つ上で十七番人気です。春夏と出走していますが、馬が気乗りしなかったのか順位は下位のほうですね」
「春夏は、雨だったからな。兄上は現実主義者だからな。手の内を見せないのは、怖いのだ。セール、セカンド、兄上は手ごわいのだ」
「「アーモンド様、兄上は勝てるのでしょうか」」
サンタとクロウが不安な顔になる。
「安心しろ。今日の乗り手のなかで、馬と一番仲良しなのはセールだ。お主たちも一番の友のためなら頑張れるだろう」
アーモンドはいつものように当たり前なことを、当たり前にいった。
2
秋王杯2000メートル、ゲートからのスタート
秋王杯は距離2000メートルのレースであり、会場はトラック一周で約1600メートルとなっている。直線距離は約300メートルで、トラックの特性から4コーナーがありそれぞれで、独特な起伏が作られている。今回は2000メートルの距離のため、第4コーナーからのスタートとなる。各馬は、一周した後に最後の直線は馬泣かせの高低差1.9メートルの斜面「魔が巣食う」などとも呼ばれている坂を上り栄光のゴールを勝ち取る。
ガッシャン
ゲートが開いてからのスタートは横一線だった。
遅れたホーリーナイト・セカンドを除いてだ。やはり初出走ということもあってタイミングが合わずに、ゲートが開いた音に驚いて一拍出遅れた。
先頭を制したのは春夏の覇者アイアンボトムサウンドだった。王者は先頭を譲らない。続いて、二番手にウェンリーゼのハイサクセスと乗り手はギン、三番手にはリトナー魔法国のグランシャリオに乗り手はフォロー、三馬身離れて四番手にミックスナッツ、そこから残りは並んでおり、五馬身離れて獣国アギールと獣王である。何故か、アギールからはガシン、ガシンと機械音が鳴る。
ホーリーナイト・セカンドとセールは最後尾を守っている。
ゴールまで残り1600
セールは焦り、その焦りが手綱からホーリーナイト・セカンドに伝わる。ホーリーナイト・セカンドが先頭に追い付こうと序盤から脚を使おうとする。興奮してかかっている。セールは混乱しており、どうしていいか分からない。
ドン
ホーリーナイト・セカンドが思うままに芝を蹴り、全力で走った。ただし、荒れていない外側を走る。その瞬発力たるやまるで白い矢である。会場がどよめく、ホーリーナイト・セカンドがその潜在能力も高さを知らしめた。瞬く間に、先頭のアイアンボトムサウンドまで迫る。
ゴールまで残り1300
それに奮起したのが獣国アギールと獣王だった。最後尾から中団の馬たちを無視するがごとく、置いてきぼりにしたホーリーナイト・セカンドの勢いに滾った。
ガシン、ガシン、ガシン、ガシン
「ウォオオオオオオオン」
獣王が滾る思いを叫ぶ。アギールの瞳の色がエメラルド色から赤色に変化する。「《敏捷・直線》」アギールからアナウンスが鳴った。何故か、蒸気が舞う。狼が羊を食い破るように先頭集団に迫る。
ゴールまで1200
アイアンボトムサウンドは目を疑った。先まで先頭だった自分に並んだ馬がいる。白いロバだ。どういうことだと乗り手のバターがセールを見る。セールも分からない。セールはただ、好きにホーリーナイト・セカンドに走らせただけである。
その刹那にアイアンボトムサウンドの内からアギールが並んだ。獣王が「滾らせてくれるな。白いの」といった。
アギールに先導されるかのように後ろの馬たちもぞくぞくと続く。四番手につけていたリトナー魔法国グランシャリオと乗り手のフォローが「滅茶苦茶だ《加速》」と後続に潰されないように無理やり先頭集団に迫った。魔馬グランシャリオの全身が赤く光った。
会場は大いに盛り上がった。一般観客席、貴族席、王室席の皆が熱気に飲まれ立ち上がった。
その熱気とは裏腹に、ウェンリーゼのハイサクセスと乗り手のギン、ミックスナッツと乗り手のナッツは愛馬に息継ぎをさせるように静かに後方に下がった。
ナッツが馬上でニヤリと笑った。
アーモンドの描いた通りに物語は進まなかった。
作者は競馬負けが多いので、箸休め程度に楽しんでください。
お付き合い頂きありがとうございます。