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8:マーシャとロイ

「どうも。本日付で()()様の護衛兼侍女となりました。マーシャ・ランドルフでございます」


 外が薄暗くなってきた頃、ノックもせずに部屋に押し入ってきた女騎士は、愛人を強調しながら名前すら呼ばずにアメリ(又の名をロイ)の前に跪く。

 突然の元カノの登場に動揺するロイは、咄嗟とっさに被ったウイッグをさりげなく直しつつ、『よろしくお願いします』と極限まで声帯を閉じて声を絞り出した。

 少し顔を上げたマーシャの長い前髪から覗く酷薄な視線が痛い。その視線だけで、マーシャはアメリに対して良い感情を持っていないことがよくわかる。


「陛下。ご退室願えますか?」


 ゆっくりと立ちあがったマーシャは持って来ていた部屋着を見せつつ、暗に着替えるから退室しろと促した。だが、着替えを手伝われるわけにはいかないロイはアーノルドが答える前に口を挟んだ。


「あ、あの、私は一人でも着替えられますから……」


 精一杯の裏声で小さく呟いたロイ。そんな彼にマーシャは煩わしそうに顔を歪めた。


「お着替えもお手伝いするようにとシエナ様からのご命令ですので」

「あの、でも……」

「高貴な女性は身支度など身の回りのことを自分でしません。シエナ様は貴方にもそのような生活に慣れてほしいのだとおっしゃっていました」


 そういえば、シエナは庭園で『貴族には貴族のルールがある』と言っていた。彼女は愛人が早くここでの生活に慣れるように気を配ってマーシャを送り込んでくれたらしい。

 しかも複数人が一気にお世話しにくるとお世話をされ慣れていないアメリが萎縮するからと、一人しか送り込んでこないという配慮までしているとの事。

 ここまで言われてはマーシャの申し出を断れない。何故ならロイとは違い、アメリは平民だから。皇后の好意を無下にし続けるのも失礼だ。


(いっそのこと、今ここで白状すべきなのか?)


 どうせ今夜、皇后シエナに悪事を白状するのだ。ならば、今このタイミングで彼女にバレるのも、後からバレるのも大差ない。

 ロイは打ち明けても良いものかと、ジッとマーシャの顔を見つめる。すると、彼女は不快そうにチッと舌を鳴らした。


(……無理だな。うん)


 ロイは諦めた。そもそも、元カノに女装姿を晒すなど、なんという名の拷問だろうか。今の気持ちをひと言で表すならばそう、死にたい、である。死因は……、恥に死ぬと書いて恥死ちしとでもしておこう。

 ロイは仕方なく視線でアーノルドに助けを求めた。アーノルドは大きく頷き、彼の意図を汲み取ると『愛しい恋人の着替えは俺が自ら手伝おう』とフォローをいれた。

 卑猥な響きしかない、フォローになっていないその言葉にマーシャの眉間にはさらに深い皺が刻まれた。

 当たり前だ。今から愛人とイチャイチャしますと公言しているようなものなのだから。


(何を言ってくれてるんですか!馬鹿なの⁉︎)

(言葉選びをミスったかもしれない)

(かもしれない、じゃなくてミスってるんだよ!本当に!あんたって人は本当に!)

(ど、どうしよう)

(懺悔する?もう懺悔します?土下座?)

(そうだな、謝ろう。そうしよう。ここはもう、世界最高峰の土下座を見せつけてやろう)


 見つめ合い、目線で会話する二人は土下座をするため、ゆっくりと体を低くする。しかしこれは側から見ると熱い視線を送り合っているようにしか見えない。


「陛下」

「はいっ!」


 重たく響く声で呼ばれたアーノルドはピシッと背筋を伸ばし、直立した。


「まだお仕事が残っておいでなのでしょう?先程から宰相閣下が探しておられましたよ」

「残ってはいる」

「早く片付けた方がよろしいのでは?」

「ごもっともな意見だ」


 冷や汗をかきつつ、アーノルドはやや低めの姿勢で固まるロイに再び視線を送る。


(本当にごめん)

(嘘だろ。また置いていくつもりなのか?)

(女装手当出すから)

(意味わかんないよ!置いていかないで!)

(骨は拾ってやるからな)


 アーノルドは涙を拭い、部屋を後にした。気まずい沈黙が流れる。


(ほ、本当に置いていきやがった……)


 何と薄情なことか。誰のせいでこうなったと思っているのかなどと叫びたい言葉はたくさんあるが、ロイはなんとかその言葉を呑み込んだ。そして何度目かのパタンという扉が閉まる音を聞いた彼は呆然と扉の方をじっと見つめた。


(……辞表を書こう。そうしよう)


 大事な副官を見捨てる上司など、こちらから見捨ててやる。ロイはそう心に誓った。



「さて、アメリ様。とりあえず着替えましょうか」


 ジリジリと近づいてくるマーシャに、ロイは後ずさる。しかし、一瞬の隙を突かれてベッドの上に押し倒された。さすがは麗しの女騎士である。ロイ一人組み敷くなど、造作もないようだ。

 ロイは抵抗しようとマーシャに手を伸ばしたが、その手は頭の上で拘束された。そして頭を鷲掴みにされ、髪を剥ぎ取られた。

 作り物のような金髪の中から現れたのはマーシャの元恋人の頭によく似た、くすんだ金髪。マーシャは大きく息を吸い込み、『はぁ』という声とともに吐き出した。


「……何を、しておられるのでしょうか?ロイ・フェローズ様」


 蔑みと少しの憐れみの色を宿した瞳で見下ろされ、ロイは泣きたくなった。

 何をしているのかと問われれば女装して皇后陛下を謀っているわけなのだが、それでも一応皇帝の方に忠誠を誓っている彼は正直に話して良いものか迷う。こういうところが、生粋の下僕体質などと揶揄される所以なのだろう。

 だが、その迷いがマーシャをさらにイラつかせた。マーシャは静かに舌を鳴らす。


「この後に及んでまだ誤魔化すおつもりで?」

「い、いつからバレていましたか?」

「最初からです。貴方の顔は間近で何度も見ましたから、女装したくらいでわからなくなることはありません」

「……そ、そう、ですか」


 過去の恋人期間の中で、彼女が間近で自分の顔を見るような状況が幾度とあったわけだが、それを思い出したロイは頬を赤らめた。乙女かと言いたくなるような反応だ。

 彼が何を思い出したのか悟ったマーシャは彼の襟元のリボンを解くと、片手でボタンを一つずつ外す。手際が良い。遊び慣れている男くらい手際が良い。


「マ、マーシャさん?」


 元カノに組み敷かれているロイは、この状況をどう解釈すれば良いのかわからない。対するマーシャはシレッとした顔で彼を見下ろした。


「私は皇后陛下のお言いつけ通り、着替えを手伝って差し上げているだけですが、何か?」

「あの、自分でできます……」

「貴方が背中のリボンを自分で解けない程度には、体が柔らかくないことも私は知っています」


 無表情で放たれる言葉に、ロイの顔はさらに赤くなる。やはり乙女だ。


「これ、シエナ様は気づいておられるのですか?」

「……微妙です」

「微妙、とは?」

「明言されませんでしたが、気づいてはおられるのは確かです。けれどハッキリとは言われていないので回答としては『微妙』としか申し上げられません」

「聞かなかったんですか?」

「聞けると思いますか?」

「……思いません」


 シエナはくだらない嘘を嫌う。静かに怒る彼女に『あれ、女装した副官ですよね?』と言った瞬間、彼らのくだらない嘘は名実共に嘘となる。その結果、『そうね、私を謀って何をしているのかしら。殺しましょう。社会的に』となるのは目に見えていた。曖昧にしているから罰さないだけだ。


「ならば、こちらも曖昧にしていた方が良いでしょう?」

「ご配慮、感謝します」


 マーシャの気遣いに救われたロイは深く感謝した。安堵した彼の表情に、マーシャの切長な目が意図せず、フッと細くなる。


「では、お着替えを続行しますね」

「あ、はいぃ……」


 その後、元カノに着替えを手伝ってもらうという辱めを受けたロイは、女物の部屋着に袖を通した。

 ドレスよりは軽く、そして締め付けのない部屋着に開放感を覚えたが、よく考えるとまだ女装は続いているので何一つ解放されてはいない。鏡に映る自分の姿を見てロイは吐き気がした。髭が薄い方で良かったと心の底から思う。


「あはは。よくお似合いですよ」

「ありがとうございます。嬉しくないです」


 嬉しくないお世辞を受け取ると、ロイはまたしても大股開きでベッドの脇に腰掛け、深くため息をついた。マーシャはそんな彼の膝を力任せに思い切り閉じさせる。


「痛いです、マーシャさん」

「貴方にお願いがあります」

「それは本当にお願い、ですか?」

「強制力はありませんから、お願いです。承諾しない場合には社会的に死ぬことになりますが、一応はお願いです」


 だからそれは最早、お願いではなく脅しではなかろうか。ロイは泣く泣く頷いた。マーシャは流石に少し彼が可哀想になったのか、無意識に彼の頭を撫でる。


「あの、マーシャさん」

「はい、何でしょう?」

「僕は子どもではありません」

「貴方はこの先、しばらく愛人のアメリとして過ごしてください」

「無視ですか、コラ」

「シエナ様はアメリを餌に、最近怪しい動きをしている者を炙り出し、一掃するおつもりです」

「ああ、恐ろしい。さすがは高潔で無慈悲な皇后陛下です……」


 相変わらず無駄がない。


「ちなみに、協力するのなら謀ったことはお咎めなしとしてくれるでしょう」

「それは確定事項ですか?」

「断言は避けておきたいところです」

「むむむ」


その返しは不安だ。しかしマーシャは、『どうします?』と薄く口角を上げた。シエナの側に長く仕えているせいか、こういう笑みは本当に彼女によく似ている。

 選択肢が与えられているようで与えられていないロイは、静かに了承した。


「全てはシエナ様のお心のままに……」

「助かります、ロイ様。ちなみに、明日からはもう少しマシな女装となるよう、私が朝イチで化粧をします。別人に仕上げますのでご安心ください」

「……ありがとうございます」


 ベッドに寝転がったロイは消え入りそうな声で嬉しくないのにお礼を言った。


「……ところで、マーシャさん」

「はい、何でしょう?」

「やはり僕は貴女に振られたのでしょうか?」

「……私はこのドレスを片付けてきます。お疲れでしょうし、今日はもうお休みください。夕食は後ほどこの部屋にお持ちします。あと、風邪薬はここに置いておきますね。では」


 マーシャはロイの質問には答えず、早口で連絡事項を伝えると、風邪薬をベッド脇のテーブルに置いて逃げるように部屋を出た。


「風邪じゃないですって、マーシャさん…」


 明確に別れようと言われるのはもちろん辛いが、謝罪や弁解をする機会すら与えてもらえないというのも、また辛いものがある。自分はいつまでモヤモヤとしていれば良いのだろう。ロイは枕に顔を埋めた。


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