7:長期休暇を申請します
一時的に性別を飛び越えてアメリという名を名乗る羽目になったロイは、客室へと戻ってきたアーノルドの頬に力一杯、平手打ちをお見舞いしてやった。
部屋に入ってきて、なんの前触れもなく殴られたアーノルドは目を大きく見開いて左頬を押さえる。
「愛人を連れ込んで早々に痴話喧嘩したと思われるだろうが」
「思われてれば良いと思いますっ!」
それくらいの汚名は甘んじて受け入れるべきだ。そういう思いからロイは、左頬に女性のものとするには少し大きな手形がある主君に対してカツラを投げつけると、天蓋付きのフカフカなベットの上に倒れ込んだ。
「シエナ様と二人で何を話したと思います?」
「……わからん。あまり調子に乗るなとか、そういうことを言われたのか?」
「それならどれだけ良かったことか……」
いっそ厳しく罵倒してくれた方が精神的には楽だった。ロイはそう思う。
「陛下。シエナ様は陛下の恋を応援するそうですよ」
「お、応援……」
「シエナ様からは恋慕の情はなくとも、陛下への深い愛情を確かに感じました」
非難するような口調で、ロイは言い放った。シエナはアーノルドに恋はしていなくとも愛してはいる。彼女の行動は愛ゆえのものだ。そんな彼女の想いを踏み躙るようなことはするべきじゃない。
これ以上、シエナを謀るべきじゃない。ロイはベッドから起き上がるとアーノルドをジッと見据え、諭すような口調で話し始めた。
「こんな風にシエナ様を謀るなんてしちゃダメだ。ちゃんと話しましょ?その方が良い」
「そうだな。今日の夜、ちゃんと謝るよ」
「お願いします」
「そして明日の朝一番で城のみんなに謝罪して回ろう」
「そうですね。お願いします」
「ついでにお前に長期休暇を与えよう」
「……それは本当に、忘れずにお願いします。ほんっと!ほんっっっとに!」
事情を知ったシエナがこのまま二人を逃すはずがない。主犯はアーノルドでも、それに加担した時点でロイも有罪だ。捕まれば最後、社会的に抹殺されることはほぼ確定している。そうなる前に実家に逃げ帰りたいとロイは両手で顔を覆った。
「これだけ愛人に尽くそうとしているのに、その愛人の存在が『嘘でした~』なんて彼女が知った日には、我々は身ぐるみ剥がされて国民の前で腹踊りの刑です」
「その罰は俺が引き受けよう。お前はしばらく身を隠していろ」
「すまないな、兄弟」
「まあ、普通に俺が悪いからな」
「よくご存知で!」
ロイは再び仰向けに寝転ぶと、拳を突き上げて熱りが覚めるまで田舎に引っ込むことを高らかに宣言した。
「あ、そうだ。どうせならマーシャにも休暇を取るように言っておくか?」
アーノルドは先ほど投げつけられたカツラを手に、ベッドの端に座るとそう提案した。皇帝の副官というポジションではなかなか長期休暇は取れない。休暇が与えられた経緯がなんであれ、せっかくの休みだ。恋人であるマーシャと共に過ごすのも有りだろう。
しかし、その提案をロイは拒否した。ベッドに寝転がったまま膝を抱えて蹲り、フッと自嘲じみた笑みを浮かべた。
「実は振られたんです」
「嘘だろ……。何故?」
「わかりません。この間、仕事終わりのデートをドタキャンした時から、業務連絡以外の会話をしてくれません」
「それって、この前のベレスフォードが来た日か?」
「……はい」
「それは……、何というか、本当にごめん。ごめんしか言えなくてごめん。本当に」
アーノルドの記憶が正しければ、ロイが仕事を理由にデートの約束をすっぽかすのは、あの日が五回目だった。振られても文句を言えない回数である。大事な幼馴染が振られた原因がほぼ自分にあることを知った彼は、ロイに平謝りするしかなかった。
「陛下ぁ……。あいつどうにかなりませんか?」
「俺だってどうにかしたいと思っているけど、どうにもならないんだよ。あいつは……」
「旧友でも、突然の訪問は不敬であると怒るべきですよ」
ロイはもう嫌だと目尻にうっすらと涙を浮かべた。
かの御仁、イーサン・ベレスフォードは最近爵位を継いだばかりの若き侯爵であり、帝国陸軍の若き参謀長であり、アーノルドたちの寄宿学校時代からの知人だ。そして、寄宿学校では毎回の試験でアーノルドとトップ争いを繰り広げていた男である。
少なくともアーノルドは彼のことなど眼中にはなかったのだが、周りから『最高のライバルだ』とか何とか持て囃れて、学生時代からよく張り合っていた。
そういった経緯もあり、その当時の関係を未だに引きずっているイーサンは未だに学生時代のノリでアーノルドに接してくるのだ。
「陛下が何も言わないから、あいつは未だに自分が陛下と対等であると錯覚しているのです。あいつと話すのが面倒くさいのはわかりますけど、立場を弁えさせた方が良い」
「そうだな……。最初に無礼な態度を許したのが間違いだった」
正直なところ、理屈っぽい性格のイーサンと直感型のアーノルドはとても相性が悪い。そのため、彼と言い合うのが面倒なアーノルドはいつも彼のすることを軽く流していたのだが、こうして実害が出てしまっては見過ごせない。
懇願するロイにアーノルドは渋々、対策を打つことを約束した。
「いつもいつも、すまんな。マーシャには俺から事情を話そうか?」
「今の陛下の話を彼女が素直に聞くと思います?」
「……思わない」
「僕も思いません……。僕は大人しく、休暇ついでに失恋の傷も田舎で癒して来ますよ」
マーシャの忠誠はシエナにある。そのシエナを悲しませたとなれば、きっとマーシャはロイを許さない。つまり彼女との関係回復は難しいということだ。ロイは、とほほと項垂れた。